第17話 伝えたい男/知っている女
「ところでだ」
このガキ、これまた嘘臭く今思い出したように声を潜め、口に手を当て、悪い顔を作っている。背伸びしたいお年頃か?
「女宰相を交換素材とする話は、我らの側にあってはここに居る者達しか知らない。情報が漏れて、失敗した!なんてことは絶対に避けねばならない。ワカるよな?」
これには一同異存なく頷く。
「そこで私から提案だ。この情報は絶対に漏らさないと、天地神明にかけて!と各々私に誓いたまえ。部下にも、親にも、馴染みの女、誰にもだ。いいかい?」
「はい」
「待ってくれ補給隊長ちょっと速いよ、速い速い。コホン、えー諸君らは、情報秘匿の厳守について、この町の軍司令官たる、この私に、誓うかね?」
「はい」
「は、はい」
「はっ」
「はあ、まあ」
おれも含め、隊長達は各々の同意を返す。満足げに頷いた小僧は出撃隊長の前に立ち、
「キミも誓えるか?」
「は、はお」
緊張の余り妙な声になっていたが、命令者は力強く頷いた。そして、両手をバッと広げ、外連味たっぷり声を昂らせる。
「勝利にかける諸君の熱き思い、確かに受け取った!」
その時、部屋のドアをノックする者が。
「入りたまえ」
今にもこぼれ落ちそうな巨肉が絞り出されるように動いている。これは間違いなく、前の出撃隊長が入ってきたのだった。相変わらず元気がないが、なにやら緊張をしている。揺れる肉が固いのだ。
「諸君に一つ余興を見せよう。出撃隊長」
「はい」
「はい」
現隊長と前隊長の同時返事に、上官は馬鹿にしきった顔で攻撃的な笑みを放つ。なんかよくワカらないポーズを決めている。
「なんなんだぁ今のはぁ……まあいい。新・出撃隊長、今伝えた極秘情報を、旧・出撃隊長へ伝えたまえ」
「えっ!」
「伝えたまえ」
「ご、極秘情報では?」
「いいからそうしたまえ」
ためらう現出撃隊長の口から、前出撃隊長へ極秘情報が伝えられ始める。驚き息を呑む表情の両出撃隊長。一人は語られようとするその作戦内容に、だがもう一人は、
「あ……う……ぐ……」
「お、おい。どうした」
明らかに様子がおかしくなる。
「あ……あ……」
苦悶に身を捩る現出撃隊長を、身体を折って覗き込み、不敵な笑みを浮かべる司令官。
「諸君。見た通り、私との誓いを破ろうとするとこうなる」
「こ、これは一体」
「見てワカらないかね。私との約束があるのに他者へ情報を漏らそうとしたので、罰が当たったのだ」
「罰って……」
現出撃隊長は、何か言葉を発しようとしている。だが、どうしても出てこない、という感じで苦しんでいる。
「これは、魔術ですか?」
「さて、どうだろうね。なんであれ、私の命令に違反するとどうなるか、肝に銘じておきたまえ」
しかしである。
「……でも、閣下の指示でしょうが」
「そうです。ちょっと理不尽じゃないですか」
「そうだそうだ」
腐っても蛮斧。隊長たちによる怒りの抗議が起こり、バツが悪そうな軍司令官。
「うるさいな。余興だと言ったろ。それに、いかなる事情によっても誓いは守られるべし、という厳粛な態度姿勢が如何に尊いものかという厳粛たる事実を!諸君らに!示したかったのだよ!私が!そうせよと!言ったから?なめるなよ貴様ら!私がうっかりそのことを忘れていたらどうするのだ!」
理不尽極まる逆ぎれ。軍司令官が指を鳴らすと、立ったまま痙攣を続けていた現出撃隊長が、解き放たれたように膝を折る。
「ううう」
「し、しっかりしろ」
デブが現出撃隊長を抱き上げて介抱する。立場が入れ替わったとは言え、前の部下である。ちょっと感動的な場面だったのだが、
「おいデブ。なに首を絞めようとしているんだよ」
「えっ!」
よく見ると、太っちょの両手は、元部下の首を掴んでいた。指摘を受け、現出撃隊長を取り落とすデブ。なにやら照れてるが、やはりコイツは安心のクズだ。
「まあ大丈夫。命に別状はないはずだから」
「はずって」
「ともかくだ諸君。私との誓いを厳守するように。いいね?」
「あ、あの閣下……極秘情報とは……」
「なんだデブ、まだ居たのか」
「!」
しょげるデブ。
「では城壁隊長。あとは任せたよ。健闘を……祈る!」
よくワカらないポーズを決めてクソ上司がそう言うと、下女二人がやって来た。冷えタオルと蒸しタオルそれぞれを差し出された色男は、顔を拭いながらご機嫌に去って行った。
さて、どうしたものか。実の所、これまでおれは個人的な欲求に従い女宰相を厚遇してきた。間違いない。それは間違いないが、
「これ誰かに、というか本人に話そうとしても、ああなるんだろうかなあ……」
呪いか魔術かを恐れて二の足を踏まざるをえない。だが、清廉美女との関係性を維持したいのであれば、なんとか伝えねばなるまい。女宰相は当事者となるのだから。ややあって、目覚めた現出撃隊長曰く、
「あ、あのことを話そうとした瞬間、声が全く……全然でなくなったんだ……」
と恐怖に青ざめる。やはり魔術の類なのだろう。蛮斧人で魔術使いとは超珍しいが、新軍司令官がかなり厄介かつ危険な人物であることはワカってきた。あーあ、前軍司令官も頑固で強情でやりずらい平和主義者だったが、こっちはもっと酷かった。
光曜境への出陣は目前なのに、そのことを女宰相に話すこともできない。というより、交渉素材として用いるのなら以後の接触は制限されるかもしれない。何か会話をするなら今のうちだ。おれは勇んで塔を駆け登り、勢いよく二重扉を開く。
「閣下!」
「あら」
幸い、部屋には他に誰もいない。好機。
「タクロ君。メイドの子たちをいじめたりはしなかったようね」
「え」
「軍司令官殿に呼び出されたと聞きましたので」
「あ、連中しばくの忘れてた」
「だめですよ。罠にはまると言ったでしょ」
「そう言えば、ワナってなんですか」
「庁舎のメイドの子たちの動きは、軍司令官殿が言葉巧みに操作しているようですから」
唐突に、おれの目を見据えてそう述べる女宰相である。まずい、不意を突かれてしまった。
「まさかそんな……」
「何故、貴方を罠にかけようとしているかはワカりませんが」
「しょ、証拠はありますか。ないでしょ」
「ですがみな、軍司令官殿を慕っているようです」
「マジですか」
おれが知らないうちに生意気な下女どもがそんなことに。さては軒並み食われたか。しかしである。
「あれそんなに良い男ですか、客観的に」
「客観的評価ならば十分そうなるのでしょう」
「ふんっ、見る目がないな」
「そうでしょうか?彼は若く、社交的で、メイドたちへ進んで優しく話かけています。身なりも清潔そのもの、私に挨拶を述べた時も品の良い服装でした。この町一の高位にあり、自信に溢れている、と来たならば」
「も、もうよしましょう客観は。おれが悪かったです」
客観的評価というのは毒でしかなかった。
「といって、状況証拠以上のものはありませんが……庁舎のメイドたちは貴方の管轄でしょう。権限を侵されて、不愉快ではないのですか?」
「まあ多少は……でも考えてみれば、軍司令官は私の上ですし、慕っているということは、職務命令ではなく個人の言葉に従っているのかもしれないし」
先日、野郎は下女の一人と楽しそうに談笑していた。おれはマヌケにも羨んでいたが、巧みなコマシだとすれば、もっと羨ましい。だが、多少冷静になってきたかな。
「その意図はワカりませんが、ともかく注意するべきでしょうね」
確かに、それくらいやるのかもしれない。さっきの振る舞いを思い出すと苦笑するしかなくなる。まさか自分の身に正体不明の悪意が降りかかってくるとは。さて、ここは質問も一択だ。
「ところで閣下」
新軍司令官が、とは言わず、魔術のことを訊ねる。
「宣誓に関する魔術なんてありますか」
「宣誓……それは誓いとか約束の?」
「そうなんですが、何て言えばいいか……誓いを破ったり破ろうとした時にソイツに大して動き出すような……」
少し考える女宰相。
「あまり聞いたことは無いですね」
「では、閣下が使う魔術とは違う印象ですか」
「詳しい話を聞かせてくれますか?」
「あ、いや。この程度のネタしかないんですが」
野郎の精神的くびきがしっかりかかっているな、とおれは我が心の自重を自嘲。
「そうですね……魔術的だけれども、宣誓を破った者に動く……もっと精神に作用しているような話ですね」
「精神……例の空からの景色を見せてくださったヤツ。あれは精神というか心に伝えているのではないんですか?」
「心にではなく、脳に伝えているものです」
「うーむ、違いがよくワカらん……」
残念ながら答えは出なさそうだ。話を変えよう。こっちのが重要なのだから。
「閣下にも政敵っていたんですか」
「せいてき」
「はい、政治上の敵、ってヤツです」
私は、前出撃隊長を介して、軍事作戦の存在を知っている。故に驚かないが、庁舎隊長は事態の急なるをそれとなく伝えてくれようとしているとワカる。
「また唐突ね。どうしたの?」
「宰相って、大臣らのトップでしょ。その国の実質ナンバー2じゃないすか。敵もいたんでしょうねって。前に軍司令官がそんな話をしていて。あ、新しい野郎の」
これから私は、城壁隊長によって光曜境に連れていかれるのだろう。そこで光曜境の町と引き換えに、身柄が解放される、という筋書きのようだが、明らかに胡散臭い。
「まあ、宰相、という職に限らず全員が賛成するような政策はどんな国でも難しいでしょう」
「なら、その手の連中は閣下がいなくなって喜んでいるでしょうね」
「その手の人がいると仮定した話ですね?」
「さらに言えば、閣下が自由を取り戻すことを、望んでないんでしょうね」
そう。その通りであり、同時に私自身、目的のためそれを望んではいない。
それはともかく、庁舎隊長は私の祖国が陰謀を巡らせている可能性について、言外に注意を促してきている。不確かならざる陰謀の気配を感じ取っているのだとしたら、良い嗅覚だ。
「仮にそうだとしても、望郷の念、捨て難きがあるのではないでしょうか。国を離れた人たちはみな頻繁に言うではありませんか。私たちはなぜ故郷を忘れられないのか、と」
「そういうもんすか?ご冗談を言っているようにしか思えませんけれどね」
友情の程は危機において白日の下にさらされるもの。庁舎隊長は私の敵にはならない。最も信用が置けそうだ。光曜境にあって、頼りにできることもあるだろう。
「まあ」
そこにある好意は今のうちにできるだけ温めておくべきだろう。
「色々あっても光曜は面白い国です。タクロ君、いつかあなたにも見てもらいたいものね」
「おれ……いや私に?」
「あなたが私に、この町を案内してくれたように。きっと、あなたの為になると思いますから」
「そ、そうですか?」
庁舎隊長はあどけなく照れている。私の心は痛まない。何故かと言えば、これは一部本心だからだ。異なる文化に触れ、思考が豊かになるかどうかは本人次第とはいえ、その素質は窺える。
「まあ、タクロ君。そんなに心配しないで下さい。私もただこの年齢まで漫然と生きてきたわけではありません。自分の身一つ程度なら、自分で守ってみせますよ」
「そうなんでしょうね」
「でも、心配をしてくれたことに感謝いたします」
「いえ、まあ、何となくですけど。これも何かの縁すし」
「ふふ……いざと言う時は頼らせてもらいますね」
うーん、やはりいい女だ。笑顔が美しい。
「ところでマリスさん」
「はい」
「この年齢、とのことですが、今おいくつなんですか?」
「あなたは私の年齢に興味があるのですか」
やや大き目な声。脳に美声が沁みる。興味あるの決まってるだろ!
「無論、是非!」
「これは、尋問かしら?」
「え、いや、それは違います」
「そうですねえ。捕虜の身ですから、尋問には素直に従わねばなりませんか」
「違うって……え、マジですか」
声の調子も柔らかい。ずっと会話してたいぜえ。あ、胸が熱い……
「では尋問に従うとしましょう。今の問いの答えですが……」
「ゴクリ」
ガチャ、ガチャ
なのに、下女が入ってきたからイラっとする。ついでにその後に城壁野郎がいたから、さらにムカつく。
「タクロ貴様、なぜここに」
この野郎、ガンくれやがって。ああクソ、せっかくの質問がこれで台無しだよ。
「単なるご機嫌伺いだよ。日課なんだ」
「何か伝えたか」
「余計なことをって?」
「どうなんだ」
「宣誓があるだろ。言っていれば、おれも無事では済んでないんじゃないか?それが答えだろ」
「ふん……俺はこれから光曜の宰相殿に話がある。お前は退出していろ。そして、仕事の準備を進めるのだ」
「へいへい」
女宰相の部屋の用事をさらりと済ませた下女と共に部屋を出る。確かに、明日までに出撃するのなら、今から部下に声をかけなくてはなるまい。みんな怒るだろうなあ。
「隊長殿」
「ん?」
下女から話しかけてきた。珍しい。
「出撃が近いのですか」
「なんで?」
「そんな雰囲気です。それも大規模な出撃のような」
「勘がいいな」
「では、庁舎隊長殿ご不在の間、マリス様のお世話はお任せ下さい」
マリス様。名前で呼びやがった。塔の客人を相当気に入っているようだ。ならば、ここで迂闊なことは言えない、適当に。
「おう、任せたぜ」
さわやかに頷いたおれの胸が、少し痛んだ。
「さて、これより宰相閣下には我々と行動を共にして頂く」
「ということは庁舎の外に?」
「そうだ」
「行動を共に……行き先を伺っても?」
「いや、答えることはできない」
役職の通りこの固い人物に庁舎隊長に有効な話し方は、逆効果だろう。
「承知しました」
「無論、勝手な離脱や脱走は御法度とさせてもらう」
「私は捕虜の身。そのつもりでいます」
「閣下は魔術師でもあり、魔術師は強力な術を使う、と聞いているのでね。無論、光曜の宰相程の人物がまさか偽ることもないとは思っている」
屈強な蛮斧戦士達が入ってきた。見る限り全身生傷でいっぱい、ということは、城壁隊長の精鋭の部下なのかもしれぬ。
「警護はこの者たちが努める。道中よろしく願う。では早速出発しよう」
部屋を出る。周囲を七名の戦士に護られて、私は塔の螺旋階段を降りる。今から思えば、庁舎隊長に連れだされた時は、愉快なことに一切の遠慮が無かったものだった。
途中、すれ違ったアリシアが見ていた。常よりも大きな目で。彼女の為にも、また私がここに戻ってきたときのためにも、一切の視線を交わすべきではないだろう。他のメイドたちへも同様だ。
ひと月以上を過ごすと、建物に多少の愛着も感じるものだ。エントランスを出ると、馬車が待っていた。
我が国から鹵獲した馬車を蛮斧色にアレンジ、というより改造してある。光曜風から大胆に変形し、馬車全体に高くそびえる木製のスパイクと、豪華な動物の毛皮で飾られた装飾が施され、まさしく野蛮そのもの。車輪は、より頑丈で大きな木製のものに取り替えられており、車輪のデザインは明るく大胆な蛮斧のパターンで装飾されている。この改造は、光曜の優雅さと精密さから一転して、蛮斧の野生的で力強い美学を反映しているのだろうか。いずれにせよ、この変化はまさに目を見張るものがある。
だが、光曜の視点からはゴテゴテしていて美しくない上に、補修も不十分、所有者の蛮性を顕すのみのお笑い蛮車だ。乗り込む私へ蛮斧の野蛮な民衆が、好奇に満ちた視線を向けてくる。
好奇、憎悪、情欲。感じの良いものはないが、不安と懸念が一体となった別の視線も感じる。この町には僅かながら光曜人や他の民族もいる。城壁隊長はこの機会に、敢えて私の存在を彼らの目に晒しているのだろう。彼が持つ勝利への強い自信が垣間見えるが……はたして。お手並み拝見だ。
馬車はすぐには動かず、その後小一時間待たされた。その間、戦士が取り囲んだ馬車に私は一人。下手な脱出は全くの無意味のはず。近づいてきたムクドリを用いて、庁舎隊長の位置を探してみる。が、見つからなかった。この隊とは別の行動をとっているのかもしれない。他方、精神支配を強めている前出撃隊長の位置は掴めている。
ややあって、進軍の用意ができたようだ。ゆるりと進み始めた馬車の乗り心地もまた、落ち着かないものであった。
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