第13話 責任痛感の男/自失の女

 陽光を受け、水面が輝いている。船頭と化した庁舎隊長は長い棒を用いて巧みに舟を操る。私たちはかすかに風を切って進む。実に心地よい。


「風も光も、気持ちが良いですね」

「でしょー」

「驚いたわ。あなたこんなことも出来るのね」

「貴国では河でも櫂を使うのでしょうが、我々はこの長い棒ですよ。長い、長ーい」


 しきりに棒の長さを主張してくる庁舎隊長。蛮斧では舟は一般的に小さく、棒の操縦で事足りるのだろう。中央権力が未熟な彼らには、確かに大型の船を製造する動機が存在しない。


「こんなに立派で長い棒を」

「そうね、長いのね」

「……」

「どうしましたか?」

「い、いいえなんでも」


 それでも、プロ顔負けの操縦は、中々に愉快な見ものである。河の半ばに至る。


「ほら、この河を越えれば、光曜王国!貴国の領域ですよ」

「そうだけど、今は戦地よ。気軽に通過できる場所ではないわね」

「ウチの軍に、巨漢の破壊屋がいるんですが」

「ええ」


 恐らく、あの出撃隊長、いや元出撃隊長のことだろう。


「最近、降格を食らったので、地位と名誉を取り戻すためと、毎日貴国領内で暴れ回ってますよ」

「そう……」


 鳥を介して見た印象では、悪い意味で知恵の働く凶悪そうな人物であった。国の兵士らの身を案じてしまう。


「それでもまあ、貴国が本腰を入れて反撃に出てきたら、やっぱりこの河でにらめっこでしょう。舟遊びもそれまでかな……ん?」


 庁舎隊長が誰かに気がついた。蛮斧側の河岸で誰かがこちらを見ている。


「あーあ、面倒くさいヤツがいやがる」


 庁舎隊長は視力に優れているようだ。裸眼では、私には誰かまではワカらない。


「あなたの知り合いかしら」

「同僚です。しかも最近偉くなったヤツです」

「あなたより?」

「そう」


 ならば魔術を用いて確認するまでもない。庁舎隊長が舟を岸に近づけると、そこに居たのは城壁隊長と呼ばれていた堅そうな人物であった。私の見立てでは、この町にてタクロのほかに信頼できる可能性を持つ一人だ。


「おい、何をしている」

「なにって、お仕事……」

「舟遊びのなにが仕事だ」

「接待は歴とした仕事だろ。新軍司令官閣下の裁可は下りてるよ」

「知っている。だが、舟に乗ることについては許可は無いようだな」

「いちいち舟乗る許可なんて、ないからな」


 舟と陸から言い合う二人であるが、どちらかというと庁舎隊長が適当に相手をしている様子。舟が進み始めると、合わせて城壁隊長が歩き始める。


「仮にも人質を、国境の河で舟に乗せるなんて、貴様正気か?」


 確かに。


「逃げたらどうするんだって?」

「ワカってるじゃないか」

「大丈夫大丈夫。この方はそんなことはしないよ」

「ほう、言い切れるのか」

「ああ」


 庁舎隊長の発言に私は少し嬉しくなる。これまでの振る舞いの成果か、高く買われているようだ。城壁隊長は私を一瞥し、何故、と問うのは止めた様子。


「それでも逃げられたらどうする。責任を取れるのか」

「責任は取るものじゃなくて、取らされるもんだ。あのデブのようにな。その時、お前が上役なら、おれをクビにでもすればいいじゃん」

「ここには光曜の兵が現れる事だってありえる」

「そうだね」

「捕虜を奪われたらどうする」

「うるさいヤツだなあ」

「利敵行為と言うヤツだっているぞ」

「お前もその一人かよ」

「知るか。が、放置はできん」

「みんな放置しているのもあるだろ。あの全速力で都市を走り抜けるヤツとか」

「あれは調査中。まだ何者かワカらんだけだ」


 そんな不審者がいるのか。軍人の仕事も単純ではない。


「おれは自分の範疇の仕事をしているだけさ」

「部外者はすっこんでろと?」

「そうそう」

「ならば、隊長筆頭として命じてやる。任務は認めてやる。だから直ちに舟からは降りろ」

「そうだった。お前、隊長筆頭になったんだった。エライねえ」

「馬鹿にしてるのか」

「ちょっとね」

「命令に従えないとでも?」

「いやっ、従ってやるさ。その前に、おれがお前の上役だった時の話を覚えているか?」

「なに?」

「報告が無いままになっていた案件がある。例の出撃隊の牢獄が崩れた一件の調査結果だよ。おれはお前からまだこの件の報告を受けていない」


 なんと、こんなところで例の話が出てきたか。私が事情を知っていると、二人には預かり知らぬことだが、ここは視線を伏せておくに限る。


「自分の時は下々の役割を果たさなかったのになあ……そんなんでいいのかね、スタッドマウアー殿」


 城壁隊長の名だろう。中々に立派なものだ。


「……忘れていた」

「なら報告を聞こう。隊長筆頭殿に従うのはその後ということで」

「あの一件だが」

「でもまた今度でいいや。今は忙しいんでね」


 棒を繰り、舟をするりと速く奔らせる庁舎隊長。上手い。


「あ、お、おい」

「それじゃ!」


 城壁隊長の姿がどんどん遠ざかっていく。真面目な相手を煙に巻くタイミングといい相変わらず愉快な人物である。


「さあ閣……じゃなかった。マリスさん、舟遊びを続けましょう。人生は短く、若い時はもっと短いというのに、あんなアホに構ってはいられない」

「素敵な文句ね」

「はは、何かで読んだんすよ」


 城壁隊長の姿も消えていた。諦めたのだろう。




「大分案内できましたね」

「ありがとう。良い気分転換になったわ。疲れていませんか?」

「はっはっは!全然ですよ」


 笑顔で力こぶを作って見せる。爽やかに白い歯も忘れない。女宰相も良い笑顔を返してくれた。


「このまま閣下をこの左岸側にお戻ししなきゃならんのが、残念ですけどね」

「そうですね」


 その声から少しだけ愁いを感じ……ない。うーむ、国には家族もいるのに。あるいは巧みにスルーしたのかもな。


 夕陽が出そうな気配。帰るか。しばらく無言のままだが、心地よい。彼女も同じように思ってくれているだろうか?


「……」


 ううっ、横顔が死ぬほど美麗だ。涼しげで……。


「ところで何故、貴国は私の身柄をこの町に置いたままにしているのかしら」

「えっ」


 急に真面目な話を振ってきやがった。何かニオったか?クンクンクン。


「さらに南には、貴国にとっての重要な地域があるはず。そこへの護送など……」

「ま、まあ。族長衆も注目はしているはずですよ」


 彼女が滅法イイ女であることがバレたら、そういったこともあるかもだ。


「でも、蛮斧といってもまとまり無いですし、族長連中同士で結構綱引きしてるんすよね」

「話には聞いているけど」

「あとは、閣下もご存知の元軍司令官殿ですかね」

「彼が?」

「のんびり屋ですから。閣下の身柄を奥地へ移して、貴国を刺激するのを避けている、というのはあるはずです。戦いをしたくない連中の重鎮でしたからね」

「彼は今どこに?」

「ここからもっともっと南にある、族長らの村々を転々としているらしいすよ。でもまあ、時代が悪いですな。徒労に終わるんじゃないかな」

「そう……残念ね」


 そう言う女宰相は確か和平派のはずだが、さして残念そうには見えない。掴みどころが無い。ミステリアス。イイ女の条件を兼ね揃えてんなあ。



 接岸し、先に陸に上がる。舟をロープで縛り、手際良く準備するおれ。女宰相がこっちをじっと見ている。良いところを見せつけねば。パッパッパッ、パパッ、パパパッと。


「マリスさん」

「はい」

「さ、お手を」

「ありがとう」


 決まった、完全に。そして、二人の手が繋がれる。柔らかですべすべの手。子持ちの人妻のものとは思えない。


「ホッ」


グチャ


「あ」

「え?」

「か、閣下」

「はい?」

「足を上げない方がいいです」

「……」

「つ、ついでに顔は上げていた方が」

「……」


 なんと言うことだ。あたら美女がイヌのウンコを踏んでしまうとは。


「閣下、お気を確かに」


 こんなことがあっていいのだろうか。女宰相の顔から血色が消失した。




 河で舟遊覧をしたのだから、今いる場所は当初の位置からは少し下流に当たる。


 そこに何故、イヌの粗相が落ちているのだろうか。答えは簡単だ。ここはイヌの散歩をさせている住人の散歩ルートなのだろう。


「閣下、お召し物をお脱ぎ下さい」

「い、いえ」


 考えをまとめねばならない。私は戦争で捕虜となり、不当な暴力の下に軟禁され、外出の不自由の中、国境を見せつけられ、挙句、イヌの粗相を踏んでしまった。これはトラップ?


「閣下」

「い、いえ」


 今後もこのような屈辱に耐えねばならない。ななな何故なら私は目的を持って、捕虜たるに甘んじているのだから。


「閣下、失礼しますよ」

「い、いえ」


 気を強く持つのだ。でなければ私は何のために苦労を背負い込んだか、ワカらなくなってしまう。心を強く。


「あー、大丈夫。被害は端の方だけですよ」

「い、いえ」


 祖国を思い出せ。我が祖国光曜の偉大を思え。


「この程度ならなんとでもなります。フキフキしましょう」

「い、いえ」


 国許の家族を思え。息子娘の笑顔を思え。


 フキフキ


「い、いえ」


 非情で、卑しく、恥知らずな連中から、祖国を守るのだ。


 フキフキ


「い、いえ」


 その陰謀は蛮斧人の欲望より暗く、溟い。


「閣下、お気を確かに」

「い、いえ」


 来し方行く末、全ては砂礫そのもの。


「はいキレイになりましたよ」

「い、いえ」

「さっきからそれしか言ってませんけど」

「い、いえ」

「すみませんでした。あんなとこにイヌのウンコがあるなんて、思いもしなかった」

「い、いえ」

「まあ、イヌ好きが多いこの町でイヌのウンコを踏むのは珍しくもありません。ウンコを片付けろと頻繁に布告が出てますが、知らんぷりする連中が多く、被害者も多い」

「い、いえ」

「だから閣下、お気になさらず」

「い、いえ」



 私は庁舎隊長と再び歩き始めた。不覚の自失に己の未熟を悟るが、礼は述べておかねばなるまい。


「庁舎隊長殿」

「はい」

「タクロ君」

「は、はい?」

「靴をキレイにして頂いて、感謝します」

「……」

「……あの」

「なあに、それほどでも。さ、帰りますか」


 歩きながら、私は庁舎隊長の目に触れないよう、高等魔術を駆使して、靴を念入りに清掃する。すでにキレイにしてもらっていたが、気持ちの問題だった。


 途中、私の足元を気にかける庁舎隊長。


「うーん。細かい指摘はご遠慮願います、と言うつもりでしたが、我ながら完璧な清掃でしたな。ピカピカしてるし、ニオイもしない。イイ仕事の後は気持ちがイイ!」


 きっとこの人物は、イヌの粗相を踏んだ事件について、死ぬまで秘匿してくれるはず。その誠実だろう確かな心に感謝を捧げねばなるまい。

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