第11話 下世話な男/自責の女

 下を覗き込む。光曜兵も覗き込んでいる。すると不思議な光景が飛び込んでくる。全身鎧の男はゆっくりと落下していき、まるで沈み浮かぶようである。そして無事に着地した。全身鎧は何が起こったかワカっていない様子だ。見ていたおれもワカらないのだし、同じく見ていた光曜兵もワカっていないのだから無理もない。


 全身鎧を見つけたらしい城壁隊長が何やら叫んでいる。トサカ頭の戦士たちが走り抜けていく。全身鎧は獲物を取り落としたのか、素手で戦い始めたが、あれでは分が悪いだろう。塔を登ってきていた光曜の兵も大将を追って、来た道を急ぎ降って行く。捨て台詞も無い。お上品なヤツらだ。


「ふぅー」


おれはようやく、この戦いの勝利を確信した。


 後は他人任せで良いだろう。おれは女宰相の様子を見に、応接間に入る。


「え」


 彼女は床に倒れていた。やはり何かあったのか。急いで駆け寄る。


「ちょ、ちょっとしっかり」


 背中を抱き起こすが、反応は無い。しかし体温が伝わってくるから、生きてはいるのだろう。顔もほんのり紅い。何か興奮するようなことがあったのだろうか。まさか全身鎧の絶叫に興奮して血圧が?


「閣下。聞こえますか。目を覚まして……ん?」


 外套がやや、捲れた。おれがやったわけではない。だが、ともかく捲れたのだ。そこには服があり、その下には女の胸と思しき膨らみが存在していた。


「……」


 うーん、でかい。


「豊満な、グラマラスな、そして危険な。ごくり」


 今度こそ喉が鳴った。部屋に響くほど。そして自然と手が伸びていることに気がついた。


「ウッ」


 だが、いいのか?いくら魅力的と言って、意識を失っている女の胸に触れて、名誉が損なわれたりはしないか?蛮斧男の沽券に関わるのではないだろうか。


 集中力が高まっていく。道徳と邪念を脳内で整理するが、脳汁の分泌を感じるのみ。おれにはおれの他、誰もいない。神々もいない。おれ自身がその責任の下、決断を下さねばならなかった。


「ぐっ、ぎぎぎ」


……

…………

………………


 苦悩と歯軋りの末、おれは名誉を選択した。彼女の捲れた外套を、まるで光曜紳士のように元に戻すのであった。その時、


ヒュー


 どこからか風が吹き込んできた。


「げっ」


 外套がまた捲れてしまった。再度、集中力が高まっていく。再び決断を下さねばならない局面に差し掛かっている。


 しかし何故だろう。主に酒場の女どもの胸尻等をしこたま揉みしだいてきたおれ様が、あろうことか年上の子持ちの未亡人の乳を前に終始、狼狽している。乳が張り詰めているように見えるからか、あるいは光曜の別嬪女だから?いや、そうではない。ならば相手が地位を持つ権力者だからということか?蛮斧の国に、族長の妻や娘は居ても、公的な役職を持つ女は少ない。この種の魅力は抗い難きものなのか。


 なんにしても、この希少価値をおれは認めざるをえない。放っておけば勝手に伸びていく手を、またしても鉄の意志で止めたおれの目に、彼女の唇が動く様が映った。うーむ、イイ女だなあ、うーむ。




 私は夢の中で、親しい人の死を目撃した。顔は見えない。だが、これは夢だ。ならば助けることができる。誰であろうと、知己を温めた者ならば、見捨てたくはない。私は魔力を解き放った。こういう時に役に立てず、なんの文明と言えるのか。そして、私は質問する。


「彼は助かった?」


 何処からか声が聞こえる。


「少なくとも死んではいないようです。今も下で身柄拘束に全力抵抗してますよ」

「ああ、よかった」

「で、あれが今際の君ですか。とんでもないヤツだったなあ、はた迷惑な」

「彼は、私の身を案じてくれたのね」

「でしょうね」

「みな無事に撤退できるといいけれど」

「ま、そうでしょうねえ。で、閣下。あれはあんたのコレですか」

「コレ?どれ?」

「コレですよ、コレ」


 何も見えない。どれだろう。


「ああ、どれなの?」

「コレですってば」


 私は手を伸ばした。そして何かを掴んだ、と同時に、目が覚めた。


「えっ」


 庁舎隊長の小指を握っていた。


「……」

「……」


 庁舎隊長の頬がほんのり紅くなっているのは置いておいて、


「なんですかコレは?」

「この意味、ご存知ない?」

「少なくとも、我が国には無いですね」

「あ、そうですか……それにしても、閣下に指を握られるなんて……」

「……」

「あうっ、もっと強く握ってもいいんすよ」

「手を貸して頂けますか」

「あ、はいはい」


 指はともかく、戦士のものである庁舎隊長の手を借りて起き上がった。


「しかし目が覚めて良かった。一体どしたんです?」


 それなりに心配してくれているようだが、力を使い過ぎて失神したとは決して言えない。誤魔化すしかない。


「こんな所にずっと幽閉されているから、倒れてしまったのでしょう。貧血かしら」

「同感です。護衛付きで外を歩けるよう、新軍司令官殿には上申しておきましょう」


 少し胸が痛む気がしたのは気のせいだ。


「それよりもこの騒動は?」

「ここは前線都市です。喧騒、騒動、騒乱と来れば、大体戦争です」

「我が光曜国が攻めよせたと?」

「ええ。それも目的は間違いなく貴女だ」


 大仰に私を指さす庁舎隊長に対し、ここも惚ける。驚いたような表情を作り、


「私」

「つい先ごろまで、全身鎧の今際の君とやらはこの部屋の手前で貴女の名を叫んでおりましたがね。大声であんなにやかましかったのに、聞こえていなかったので?」

「ええ、気を失っていたので」


 あの方がここまで達したとは。


「それにしては、彼をお助けになられたようですが」

「えっ」

「落下したあの鎧が墜落死しなかったのは、閣下が手助けしたからでしょ。何か不思議な魔術で」

「私が……そうか」


 なるほど。夢の中で救出したのは今際の君だったのか。となると、この庁舎隊長は尚武すこぶるあの方を撃退したということになるが、


「?大丈夫すか?この指、何本に見えます?」

「それよりもタクロ君。貴方今際の君と戦って、無事でしたか?」

「はっはっはっ!見てください、この通りピンピンしてますよ!」

「そう……」


 こんな無邪気に笑ってはしゃいでいるが、とんだ食わせ者なのかもしれない。


「ところで、あの全身鎧の君は……か、閣下のコレですか」


 また小指を立てる庁舎隊長。真剣な顔に紅い笑みを浮かべ、恥じらっているようだが、意味がワカらない。


「タクロ君、小指を立てるのにはどんな意味があるの?」

「あ、ああ、我が国ではですな、恋人、愛人、不倫相手を指します、コレ!」

「……」


 呆れて物も言えない。二度目の質問だから、本気で知りたがっているのだろうが。


「何故そんなことを聞くのかしら」

「あの鎧が閣下の名前を叫んでいたので。それも全力でね」


 これは真実かもしれない。


「見てて面映ゆかったすよ。よっぽど心配してたんでしょうが。そしておれは戦った相手でもある。知りたくなるのは人情でしょ?」

「庁舎隊長殿、これは尋問かしら」

「え」


 ビタ、と動きが止まった。ということは尋問ではなく純粋な好奇心のようだ。


「違いますよそんな」

「……」

「……」


 舌打ちを我慢している。どうやら子供のように気分を害したようだ。仕方がない。ここで印象を悪くしても何にもならない。


「ならいいでしょう。あの方は」

「今の王様の叔父だっけ」

「そう。私も娘のように目に掛けて頂いた。だから、心配なのねきっと」

「なーんだ。娘のよう、ね」


 直情型の好人物を思い出すと、顔が懐かしさに綻ぶようだ。あの頃が懐かしい。


「それにしてもこの都市を攻めるの速かったな。頭数は少なかったけど」

「それは、今際の君が王国の東端の地を領しているからですよ」

「なるほど。王都や大都会よりは全然ココに近い。閣下の部下も、全身鎧の君の下見をしてたんですね」

「そのようね」

「本当に乱世になっちまった。この大都会を巡る小競り合いはいつまで続くのかなあ」


 庁舎隊長の口調は、咎めるようでもあった。まるで私がこの場所にいるから戦争になるのだと言わんばかりに。いや、考えすぎ、と思いたいものだが。


 これまで平和を希求していた自分自身が戦乱を拡げる一因となったことには違いなく、忸怩たる思いになる。しかし、すでに運命の車輪は動き出しており、それが犠牲無くして止まらないのであれば、行き着くところまで行くしかないのだ。



 夜明けの刻となった。庁舎の塔の高みに立つカラスから、今際の君の軍が引いていく様が良く見えた。あの方のことだ、いつかまたこの町で出会えるだろう。その時、この庁舎隊長を自分の側の理解者として確保しておくことが欠かせないはずだった。その思いを強くした私は、目的を遂げずして去りゆく同胞を眺め続けていた。

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