第8話 釣り師の男/部下思いな女

 下女の姿を目で探す。全員共通の下女姿だが長い髪をちょいと纏めているため、目印がある。


 女の尻を眺めながら思い出す。そういや、最近女と遊んでいないこと。女宰相を捕虜にしてから何かと忙しいためだが……とおれは彼女の美貌を思い出し、うーむ……顔、首、ときたらお次は……マント。思わず舌打つおれ。あのマントの下がどうなっているのか、調査する機会は無いだろうか?


 なんてことを考えていると、いつの間にか、下女の前に到着していた。が、この一見内気なガキは、


「私はあの捕虜の方からは何も聞いてません」


としか言わない。


「うーむ」


 なら思い切って、お付きをおしゃべり好きなヤツに替えるか、それとも美少年にでも替えるかすれば、良い話し相手になるのだろうか?



 さて、撒き餌の反応は思ったよりも早くに来た。


 この日の夜、突撃デブの宿舎から抜け出す一つの影があった。おれの視力曰く、もちろん例の光曜の捕虜だが、もう一人はそのままでいる。と言うことは、戻って来るつもりなのか、あるいは別行動をとるつもりなのか。おれは影の行く先を追うことにする。目指す先は、やっぱ市庁舎。おれの職場だあ。人の職場になんの用か、問いたださねばなるまい。



 月明かりも無い夜。影は人の目を盗みつつ巧みに道を進んでいく。その先は塔。警備が立っているが、壁に登ったり天井に張り付いたり、見事な腕前で突破し、階段を上り始めた。おれもついて行く。このトサカ警備は後でしばいてやらないとな。


 こんな時、話しかけるのは、塔の中腹辺りが良いのだ。


「警備体制を見直さないといけないな」


 おれの声に影……捕虜は立ち止まり、振り向いた。


「よう」

「……」


 無言で、張り詰めた顔。


「やっぱり、宰相救出の為にわざわざ捕虜になった口か。あの殺戮デブが捕虜とは奇跡だからな」


 捕虜が壁から蝋燭台を取る。あれは真鍮で出来ている。火のゆらめきが迫力を感じさせる気配。こりゃやる気だな。


「あ、お前の命を助けてやったのに、おれを襲うのか」


 無言である。


「おい、聞いてんだぜ侵入者」

「……」

「何か話せよ」

「救出のためには致し方無い」


 お、口を開いた。これなら交渉の余地はあるな。


「とりあえず台を戻せ。お前をひっ捕らえないって約束するから」

「誰が。信用できん」

「灯りが揺れりゃ、不審に思うヤツもでるかもな。いいから置け。上の部屋まで案内してやるから」

「なんだと?」

「捕虜一人の命、こだわらない。なんなら見逃してやってもいい。このままだと誰かが騒ぐし、追手も来る」

「はっ、蛮斧の下郎どもにやられるほど、光曜の騎士が弱いとでも?」


 騎士、つまり尖った軍事技術を国に提供しているヤツだ。とはいえ、こいつは牢内からおれが戦っていた姿を見ていたはずだったが、自信があるんだろうか。


「言うことを聞かないと、ここでおれがお前を捕らえることになる。そうなりゃお前の冒険はここでおしまいだぞ」

「……」

「まあいい。おれはこの上の部屋に用事があったんだ。通るぜ」


 構えた蝋燭の下を潜って階段を進む。


「ついて来たければお好きにどうぞ」


 侵入者は素直について来た。蝋燭台は持ったままだが、良い傾向だ。


 しばらく登った後、部屋の扉の鍵を開ける。さらに内扉の鍵も開け、中に入る。軟禁部屋とはいえ、こんな夜更けに女の部屋を訪問するのはドキドキしてしまう。ああ、なんて楽しいんだろう。


 意外にも灯りがあり、女宰相は起きて椅子に座っていた。しかも怖い顔で、こちらを見据えていた。


「貴国であっても、夜、急に女性の部屋を訪れるのは少々問題なのではありませんか?」


 どうやら察知されていたらしい。気配がしたのかな?


「無論ですが、いやまあ、私よりも、彼に言ってくださいよ」


 捕虜野郎は燭台を構えたまま、するりと中に入る。そして忠誠心たっぷりの声が出る。


「閣下。脱出いたします」


 ビブラートがかかってた……うん、この男は彼女に惚れてるに違いない。我が男の感性は鋭く、情念の臭いを正確に嗅ぎ取ったぜ。一方の女からはそれを全く感じないのが哀れであるが。


「ありがとう。しかし、脱出は可能ですか?」

「はい、段取りは整えております」


 ということは、残った片割れも何かするつもりだろう。破壊工作か、陽動か。


「それもそうですが……」


 どうやらおれの出番だな。薄く瞼を閉じた女宰相がおれに意識を向けたのだから間違いない。出口に立ち塞がり、二人を睨みつける。そして低い、低い声を出す。


「宰相閣下の前でお前を半殺しにすれば、脱出計画もおしゃかだな。んなことよりも」


 女宰相を見据え、ため息を吐いてやる。


「見損ないましたよ閣下。捕虜となった身が勝手に外に出ることこそ、問題だ。少々どころじゃない」


 途端に捕虜助が殺気を放つ。女宰相は反応しない。おれはせせら笑って見せる。



「これは外交問題になるでしょう。それが嫌ならば、さあ、脱出など諦めてくだ……」


 燭台が飛んできた。話している途中だが、戦闘開始である。見事に受け止めると、間髪入れず男の掌底が飛んできていた。指にロウソクの火が挟まっていた。男の大きな手がおれの顔を押さえると、火がおれの片目を焼いていく。


「ぎゃっ!」


 おれは男の手を掴むが、万力のように抑えられ、びくともしない。その間に火は信じられない程熱くなっていく。涙を流せば火は消えるだろうか。だがこの疑問はおれ自身の悲鳴で掻き消えていく。


「ぎゃあああああ」


 ジュウと音がした時、手が離れた。だが痛みですぐには動けない。震えながら二息呼吸すると、片目が全く見えなくなっている。ショックと絶望に心臓が張り裂けそうだ。これからこんな不便さを抱えて生きていかねばならないのか。許すまじ。温情すらかけてやった男への怒りがおれの魂を燃やす。振り返ると、だが、


「……」


男の姿はなかった。女宰相の姿も消えていた。


「……」


 そしてロウソクの火も。



 という妄想をおれは展開した。この男がおれより強かった場合、このまま戦えばそうなる気がする。


 ならばやることは一つ。


 おれは踵を返して部屋を出る。そして内鍵をロックした。


「お、おい。何をしている」

「これが一番良い戦法だって、思いついたんだ」

「こら、開けろ」

「扉を壊して出てきたら?」


 その先にはさらに頑丈な扉がもう一つあるがな。


「か、閣下」


 男の困った声が聞こえてきた。どうやらおれの作戦勝ちのようだな。




「くそっ、あ、開けろ。開けろよ」

「困ったことになりましたね」


 庁舎隊長は本当に頭が良く回る、と私は得心がいった。真面目一徹、騎士として自己を研鑽してきたこの部下にとって、もっとも困難な相手かもしれない。そして煽動。


「羨ましいぜ。こんな美女と夜の密室、二人きりだなんて」

「な、なんてことを言う貴様」

「だってそうじゃないか。この都市は広いが噂は駆け巡る。明日には噂になるぜ……おれが広めちゃるからな」

「こ、この方は私の上司であって」

「へえ上司か。光曜じゃオフィスラブも珍しくないと聞いたがな」

「だ、誰がそんなことを!」

「おい部下、上司の前だぞ。仕事で良いところ見せないと、考課に響くんじゃないか」

「だ、黙れ!」


と言いながら、扉を開けるべく悪あがきをしているが、あまり騒げば蛮斧兵がやってくるかもしれないという恐れとの板挟みだ。いつもの冷静さを完全に失い、翻弄されてしまっている。


「くそっ、他に出口は」

「天窓の石組を外したら?落ちたら死ぬだろうけど、壁伝いに下に降りれないこともない」


 庁舎隊長がそう言うと、スリーズは石組をイジりはじめる。さらに声が飛ぶ。


「無駄だよ。天下の光曜は宰相閣下がゴキブリみたいに壁伝いに逃げるはずがない。第一おらぁそんな閣下を見たくない」

「なっ」

「見たくないんだ。あ、なにお前、上司にそんなことさせんの?ひどいなあ。閣下、そいつクビにして代わりに私を採用してくれませんか」

「き、き、き」

「落ち着きなさい」

「あひっ」


 私はスリーズに衝力を打ち込み、痺れさせた。埒があかない。


「どうした?今の呻き声はなんだ?もしかしておっぱじめたのかい?」


 ここは庁舎隊長の煽りを利用しよう。


「そう、その通りよ」

「えっ」


 私は甘く、切なく、やるせなくため息を吐く。そしてこれを繰り返す。


「えっ、う、嘘だろ。閣下!」


 扉の向こうから慌てた様子の庁舎隊長。心なしか、期待感も混じっている。より深く、ため息を繰り返すと、


ガチャ


 瞬時に扉が開いた。今度こそ心の底から呆れたため息が漏れる。


「……」

「精神の修養が足りませんね、タクロ君」

「は、ははは……さすが魔術師。閣下もこんな手を使うんですねえ」



「さて、説明が必要ですよ」

「それはおれじゃなくて、貴国の方でしょ。何なんですか、コイツ」


 気絶しているスリーズを顎で指す庁舎隊長、バツが悪そうにしている内に、確約を取らねばならない。


「私の部下ですね」

「閣下の救出に?」

「そのようね。こんなにすぐ来てくれるとは、思っても見なかったけど」

「なるべく忠誠心ってやつですな」


 それはそれで申し訳ない気持ちになる。私は部下たちに何一つ情報を開示していない。スリーズは頭の回転力で勝負するタイプではないが、その上で、私のために危機に陥っている。ここは絶対に生きて救わなければ。


「タクロ君、単刀直入に言います」

「なんです?」

「彼を生かして逃してください」

「え」


 この人物には迂回路より正面突破が効くだろう。


「蛮斧にゃメリットが無い」

「そうですね。しかし、貴方にとってはどうかしら」

「へっ、おれ、いや私?」

「私に対して貸を作ることになりますよ」

「う、うーむ」


 悩んでいる。この男に私が思った程の野心が無いのだとしたらこの提案は意味を成さないが。


「悩むところですが、女性に対しては貸よりも、好意を要求したいものです」

「好意?」

「そう。どうせ閣下は、しばらくここでの日々を送らねばならないのですから、私との付き合いは長くなるでしょう。それを上手くやるために必要なのは貸借よりも好意、違いますか?」

「人の心は操れないわ」


 これは嘘だ。


「はい、知っています」


 これも嘘ではないか。


「その上で、私の好意を欲すると?」

「はい!」

「それならば心配はありませんよ。私は貴方を十分に好意的に見ているのだから」

「はっはっはっ、それも、知っていますよ」


 場が一気に和んだ。これが彼の美徳だろう。


「ならば、騎士スリーズをこの町から生かして出して下さいますね」

「コイツの名前を初めて仰いましたね」

「礼儀として」

「閣下は、今は逃げられないと考えているようですが、それは正しいですよ。少なくとも外出に最良の状況は、今後いくらでもやってくるでしょ。ですが心配事もあります」

「それは」

「もう一人の男が突撃デブの宿舎に囚われたままですが、あいつ、何か企んでいるのでは?」


 鋭い。


「何者です?閣下、コイツから聞き出してください。しかし……」


 庁舎隊長は、私の遠視を知らない。これは知らなくても良い。


「なんで倒れてるんです?やっぱり興奮のしすぎか、コラ」


 庁舎隊長が騎士スリーズの頭をはたくと同時に、


「……はっ、わ、私は」


 衝力を打ち込んで、私は彼を覚醒させた。

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