第5話 事態を探る女/悪い評判の男
いくつかの言葉遊びの後、庁舎隊長は部屋を出た。しばらくは訪れる者も居ないだろう。部屋には揺り椅子が用意されている。浅く座り、意識を魔力に委ね、天窓に呼び寄せていた鳥の波に入り込んだ。
ツバメが飛ぶ。私は状況を調べねばならない。彼らが「前線都市」と呼ぶこの「国境の町」について、駐屯する守備隊について、予定されている軍事活動について、少しだけ短気でも人は良い軍事拠点統括責任者心得について、その他の幹部について。
私の息吹を受けたツバメは、私そのもの。仮初めの身なれど、空を抜ける翼は、私の耳であり目となる。河沿いに打ち建てられた、都市計画は臨時に建てられたきり、という言葉ほど適した表現も無いこの雑風景な町で、情報を拾う。難しいことでは無い。
―国境の町大通り
「景気はどぎゃんでっか」
「ダメだよ、商売人どもはみな逃げ出してしまった。まるで良い品が無い。このままでは町に出てきた意味がないぜ」
景気は一気に冷え込んでいるよう。当然か。
「そぎゃんばってんなんだって戦争開始に?」
「光曜どもが河沿いに展開していたらしかばってんが」
「連中は河を越えたのか?」
「ああ。結局ウチの守備隊がそれは防いだらしかね。ほら、あの庁舎隊長」
「ああ、あのクズか」
「そうたい、あのクズたい。ぎゃん展開していた部隊の要人を捕らえたって話ばってん」
「へえ、どぎゃん輩たい?」
「ワカらん。庁舎の連中、この件では岩のように口が堅いけんけーん」
我が光曜国が蛮斧の領域に攻め込んだ事になっているのは想定の範囲……しかし、私の身元も極秘のままか。なぜだろう。公表すれば士気は上がるだろうに。
「おい、あっちで騒動じゃ!」
「喧嘩かい。ほっときんしゃい」
「ただの喧嘩じゃなかとよ、光曜に通じた裏切り者がいるらしいって」
「へえ、なら嬲り殺しばってんが見に行くばい」
町の治安も悪化している。経済は沈み、人事の異動があり、兵は出払っている……これを表せば混乱の一言だ。
「光曜の連中は袋だたきたい!行け!」
「貴様ら辞めろ!狼藉はゆるさん!すっこんでいろ!」
「ばってんが城壁隊長、こいつらは国の敵ばってん!」
「下がれ!光曜人の追放命令は出たが、襲撃して良いとの許可は出ていない!越権が過ぎると殺すぞ!」
街路の中央で仁王立ちする男が叱声を放っていた。あれは隊長の一人か。秩序を保とうと努力している。敵ながら評価には値する。おや、庁舎隊長が来た。
「城壁隊長。なんの邪魔をしているんだ」
「庁舎隊長。貴様は放縦を許すのか」
「てめえ馬鹿野郎。今のおれはてめえの上役だろうがよ。その口の利き方はなんなんだよ」
「ふん、知るか心得野郎が。俺が見ている間、無秩序や混乱は許さん」
「ほっとけばいいんだよタコ助が」
「なんだと?」
「今の騒動はおれたちの上を行く連中が起こしたもんだろう。下手に動くと、いらん責任をしょいこむ事になるぜ」
「権力のイヌめ。貴様はそこで尻尾をふっていろ。俺は俺の責任を果たすだけだ」
城壁隊長は真面目な人物のよう。そして庁舎隊長は権力のイヌ、と。だが、逃げ遅れた我が国の人々は城壁隊長がなんとか匿ってくれそうだ。次は酒場へ……
「軍司令官が更迭ばされたらしか」
「わいも聞いたかよ。こん町はどうなっちまんやろうなあ。戦いば前に、司令官ばクビにしてどうすっとばい」
「しかも代わりが来るまでん代理があんゴミじゃなあ」
庁舎隊長の評判は良くない。彼には余り期待はしないほうがいいようだ。
「そばってん、あのカスは戦闘はうまかたい」
おや、援護射撃。
「そうそう。後任司令官が来るまでなら、あん若かとがちゃんとするやろ。戦争なんや。血ん気ん多かとが良かっさ。げへへへ」
下卑たる男たちの笑い声が響き渡る。
「ほいがあいつで民政がまとまるかね。こん町ん連中は鞭でしばっかるまでロクな仕事しやがらねえ!みんなばい?」
さらに笑い声が炸裂する。武器の斧に頬ずりしている彼らは蛮斧国の正規兵……酒場の角から兵隊を眺めるのはさしずめ幹部か。建物の陰が被っていて顔は見えないが、なにやら大物感が漂っている。
「……カス兵どもも士気が高いな」
「訳の分からぬ内に、初戦は勝ったのだから当然だな。捕虜のことを伝えれば、とんだ騒ぎになるかもしれんが」
「ふん、あのゴミ。軍事拠点統括責任者心得はどうだ?」
「……まあ悪いようにはしないだろう。前線での経歴はある。俺たちはヤツを上手く利用すればいい」
「だが、生意気な野郎だ。いつか躾けてやるぜ」
隊旗を持った兵が立っているところを見ると、やはり幹部のようだ。補給隊、巡回隊、出撃隊……それぞれの隊長たち。一際冷酷な目の男が補給隊長、目が血走っているのが巡回隊長だろうか。彼らがこの町の軍隊の中間管理職か……と、その場の誰かが言った。
「いつか?丁度今、騒動が起こってるようだ。これに乗じてタクロのヤツを斬ろうか」
「俺の言ったことを聞いてなかったのか?利用すればいい」
「利用してやるさ、死体にしてな。捕虜を得たのも、敵と通じていたから、なんて言っちゃおうかなあ」
「……」
しばしの無言の後、声も無く秩序を持って彼らは席を立った。瞬時に同意が形成され、一つの目的に向かって動き出したようだが、どう見ても穏やかでは無い様子。庁舎隊長を襲うのだろうが、さて、手助けをしてやるべきか否か。
「襲われて命からがらだよ。ブツは全部置いてきちゃった」
「そりゃお気の毒」
「あんたら補償してくれんだろ」
「おれは知らん」
「んな馬鹿な。税金払ってるんだ。補償してくれなきゃ困る」
「まあ情報次第じゃないかな。良い機会だ。国家に貢献してみろ」
「国家?蛮斧の政府は何処にあるんだよ」
「いいから言ってみなよ。情報だ。何でも良い」
「情報か。そうねえ、向こうは正規軍が動いてる」
「知ってるよ」
「す、すでに中隊が河沿いに来ている!」
「それも知ってるよ」
「うーん、あーと、えーと」
「こりゃ財産は諦めた方がいいな」
「なんだとクズ野郎!」
「黙れ!」
「いきなり追い立てられて着の身着のまま……うっうっうっ」
「賃金は?」
「未払い分が向こうに残っています。払ってもらえるかどうか」
「向こうで働くのやめたら?」
「それでも河のこっち側より稼げますから」
「ああそう。ところで向こうで見て来たこと、なんか教えろよ」
「忘れもしない追放された日に、私の雇用主が太子様万歳と気勢を上げてました。悔しくってなりません」
「タイシ?」
「光曜の」
「タイシって?」
「国王の嫡男ですよ。次期国王になる」
「へえ、どんな奴?」
「私みたいな下々には判りません……」
「なんなら、未払い賃金をおれが立て替えてやるよ」
「えっ、ホントですか!」
「ああ」
「思い出しました。太子は不正改革のリーダーで毀誉褒貶が激しい人だとか」
「ああ?どういう意味だ?」
「簡単に言うとつまり、真面目な感じで敵が多いという事ですね」
「あ、貴様、おれ様を馬鹿にしたな?妙な単語を知らんと。未払い分は貴様が自分で雇用主に請求しなよ。もう一回、河を渡ったら?」
「っ!?」
避難民に対する態度の悪辣さに幻滅を感じた私は、彼に危険を知らせる手助けをしてやろうという気を無くした。しかし、騒動の顛末は確認するべきだろう。庁舎隊長に限らず、新しい発見があるかもしれない。はるか頭上でツバメは、騒動勃発に備える。
町はゆっくりと、混乱を身に纏っていく。ふと視界に、何か全速力で走る者が見えたが、私の興味が向いた時には、既にその姿は見えなくなっていた。
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