魔法使いとトラウマ

 その日、アルランド王国の魔法省では大規模な会議が開かれていた。

 フォカレ王国に中隊規模の人数を引き抜かれた事による対策及び、それを許した者達の処分を決定するために。


 集められた処分対象は三十二人。

 このうちの二十七人は降格処分と罰金刑。残りの五人は減給と役職から外され、僻地への派遣が決定された。


 事実上の左遷である。

 だが、これでもぬるいくらいだ。横領の証拠も出ており、魔法省の対面を守るため、表沙汰にならないよう握りつぶしている。


「お待ちください、私は今まで身を粉にして魔法省に尽くしてきました。これではあまりにも……!」

「其方が業務時間に何をやっていたか、既に調べはついている」


 でっぷりとした中年男性が言えば、冷ややかに宰相が応じる。前例のない不祥事をもみ消すために引っ張り出され、いらいらとしていた。しかも頼んできたのはこの国の王だ。魔法大国の名に傷をつけまいと、緩い処分を下すように命令された宰相は今にもこめかみの血管が切れそうだ。


 なのに覆る可能性がなくなり、既に全ての結果が決まったにもかかわらず、まだ食い下がる阿呆がいる。


「部下の私物化に恫喝。職務怠慢。給料泥棒の極み。そして横領に物資の着服。これは犯罪だ。王の温情により内々で処理したが、そうでなければ首を跳ねてやったものを!」

「ひっ」

「まだ処分が甘いと見える。お前の替わりはいくらでもいるのだ。さっさと死んでくれた方がどれほど国益になるか!」


 怒りだした宰相を周囲が宥め、その場は何とか収まった。

 しかし、罵倒された魔法使いは恨みを膨らませ、こんな事になった原因を憎む。それは完全な逆恨みだったが、男は弱い者には強く、権力にはおもねるタイプだった。


――お前の替わりはいくらでもいるのだ。


 今までさんざん部下に言ってきた台詞を返され、男は屈辱を感じながら自宅へ戻る。

 不祥事の件で嫁は子供を連れて実家に帰り、男は広い家に一人残された。その家も、今回の横領がばれて、金目の物は家財に至るまで押収されている。既に家も抵当に入っているため、辺境へ行くと同時に売り払われる。


「どれほど苦労して、この生活を手に入れたと思ってる!」


 同期は蹴落とし、上の席を開けるために更に上の役職へ媚びを売り、才能ある魔法使いを手下に加えた。その全てが水の泡どころか、巨大な借金が残された。


「フォカレの魔法使いめ、あいつらさえ辞めなければ……!」


 手下にも見限られ、残っているのは借金だけ。辺境での給与では一生かかっても払いきれない額だ。役職手当もなく、減給された身ではそれでもありがたかったのだが、男は客観的に自分を見ることさえできなくなっていた。魔法省を辞めるという選択肢でさえ思いつかない。この国以外で働くなど、三流以下の魔法使いと呼ばれるからだ。

 それを我慢できようか。


「もう私は終わった……。なら、目に物見せてやる」


 彼は残った荷物をまとめると、国境へ向かった。

 目指すはフォカレ王国。狙いはかつてアルランド王国で働いていた魔法使い達。



 グールクが来てから一月が経とうとしていた。

 あれからちょくちょくメティの家と宿を行き来していたのだが、仲良くなったという友達の家に転がり込むことにしたらしい。帰る帰る言っていたのを撤回して、しばらく滞在するようだ。


「よし、これで終わり」


 イーストイーグの友人、パルメに論文の公開許可の手紙を出してから、ちょっとだけメティは忙しくなった。パルメから日に十通以上の連絡がこまめに送られてくるのだ。多くは公開許可を出した論文を、どの学会で出すかに対する質問だったが、精霊学に対する質問と考察も多かった。


 イーストイーグでは精霊学が専門なのだが、それを扱っている魔法使いは、実はあまり多くない。魔法使い自体が少なく、意見を聞ける人間が少ないのだ。


 メティはアルランドに勤めていた事だけはあって、各国に魔法使いの知り合いが多かった。アルランドに伝手が欲しい魔法使いとは疎遠になりつつあったが、それでも古い知り合いは、メティに魔法についての新しい発見や情報を流してくれる。それをメティが別の友人に流し、そこで交流が生まれたりもしている。メティを中心としたネットワークは小さいながら、かなり濃厚な情報をやりとりしていた。


 どうやらパルメはメティが論文を発表すると決めたことで、張り切ったらしい。各所に連絡して、今まで積み上げるばかりだった新しい魔法も一緒に出そうとメティを説得し、専門の学会を当たっているらしかった。

 そんなに張り切らなくても良いだろうに、と思いながら手作りのお菓子を送ったのは昨日のこと。


「部屋、広くなりましたね」


 ふと、今日の返信を終えて手紙を魔法で送ったメティは、周囲を見回す。

 亜空間魔法で何とかしていたが、逃げるように押し込んでいた荷物の半分がなくなっていた。今まで作った魔法や、理論が書かれたメモ用紙は思った以上に多かった。パルメに他にないかと聞かれ、そう言えばと整理したのだ。


「掃除のきっかけになりましたね。私なんかが認められるとは思いませんが……。せっかくパルメが伝手を探してくれたから、ちょっとは良い評価をいただけるといいのですが」


 そう言いながら端に避けていた紙束を引き寄せる。

 学生時代に気付いた事をメモしていたノートを分解したものだ。表紙には「精霊と科学。魔法の発生法則」と書かれている。


「“高度な科学技術は魔法に勝る可能性がある。”……我ながらちょと恥ずかしいテーマでした」


 既に多くの学者が議論し、やり尽くした感のある議論だ。ちょっと多感な時期の子供が陥る病のようなテーマである。

 ただ一つ他の学者が提唱するものと違うのは、高度な科学技術によって、新たなる精霊が発生するするのではないか、と言う点だ。


 森羅万象には必ず法則がある。その法則を体現したような精霊達。

 ならば、それと同等の法則を作ったとき、新種の精霊が生まれるのではないか。

 未だ精霊が生まれた理由を世界は知らない。精霊と言葉を交わす事はできるが、精霊達は、どうやって自分が生まれたかを語ったことはない。


 だから証拠はないし、確かめようもない。魔法が発達したこの世界で、科学が魔法に勝るほど発展し、新たなる法則を作り上げることは、けしてないのだから。

 メティは表紙を撫でると、亜空間の中にしまいこんだ。


「そうだ。これも、もういらな――え」


 ポケットに入れていた小さな懐中時計を開いたメティは、息を飲む。

 懐中時計の三時が赤く点滅していた。



 その知らせを聞いたとき、ディエルは就寝前だった。


「魔法使い達の様子がおかしい?」


 パジャマ代わりになっている、古い洋服姿のディエルは首をかしげる。その向かい側に座る法相は、しきりに頷いた。ナイトキャップについたぼんぼんが、ふわふわ揺れている。


 最近家に帰る時間が無いというので、ディエルは時間になると、二人を私室に連行して無理矢理寝かせている。

 ちなみに財相は簀巻きにしてソファーに転がした。気絶させたので今は夢の中。明日は通常業務が終わり次第、財相を家まで連行予定である。


 お嫁さんが「旦那が帰ってこないんです。どうしてるんですか」とぷんぷん怒っていたからだ。浮気じゃないことは証明したので、きっと、たぶん、おそらく大丈夫だろう。


「ええ、先日から妙に怯えているというか……。とにかく様子がおかしいんですよ。仕事もいつもの1.5倍こなしてますし」


 過労気味の魔法使い達は、働けば働くほど他の宮勤めの人が大変なことになるとわかってから大人しかったのだが、最近元に戻りつつある。理由を聞いても「なんでもない」と言うばかりで相談しようとしない。


「魔法使いの悩み事か……それは危険だな」

「国防にかかわります」


 しみじみと頷く二人。

 戦争に勝って周辺国から金をせしめてきたので、一時的に財政は持ち直しているが、今後同じ事が起こらないともかぎらない。

 春の蓄えが終わり、金欠に喘ぎながら攻めてくる確立は一割くらいかな、とも思うのだが。


「わかった。ちょっと口が軽そうな奴に聞いてみよう。……税収はどうだ?」

「黒字です。間違いなく!」


 わき上がる涙を抑えるために、法相は目を覆う。


「そうか、あとちょっとだ! この山場を乗り越えれば、確定申告の時期! 一息付ける。今まで苦労かけてすまなかったな」

「城の修繕もできますし、机と椅子も増やせます。王子、本当に長かったですね。私はフォカレがここまで発展してくれるとは思っていませんでした。王子の慧眼に感謝いたします」

「こっちこそ、長い間苦労をかけてすまなかった。今までついてきてくれてありがとう。さ、今日は寝るぞ! 明日は業務を効率化して、さっさと帰れるように考えるんだ」

「ええ! ではお休みなさいませ」

「そうするよ」


 といって二人は寝転がった。ソファーは財相が使っているので、二人はベッドの端と端に丸まって目を瞑る。かなり残念な光景だったが、二人の心は希望に満ちあふれていた。



 翌朝、早くに目覚めたディエルは着替えると、朝食を済ませて開発部にむかった。

 出社したばかりのダッチを捕まえて、城の地下へ引っ張っていく。


「なんすか、こんな所まで引っ張ってきて」

「わかってるかもしれないが、お前達なにを隠している?」


 遠回しに言うと話が長くなり、時間がなくなるので、単刀直入に聞く。ダッチは最初、面倒で知らないふりをしようとしたが、王子が懐からスプーンを取り出すのを見て顔色を変える。この人外王子、スプーンでも魔法を切ってしまうのだ。


「さっさと吐け。今日は酒場のシャーリーとデートだって知ってるんだぞ。嫌われたくないだろ? 当日にコイン禿げで現れたら、相手はどう思うかな」

「ぐっ。な、なんの事っすか」

「面倒くさがりでケチくさいお前が、珍しく貢いでご執心だそうじゃないか。はは、恨むなら殆ど知り合いばっかりの田舎を恨むんだな! 井戸端会議は情報の宝庫」

「ぐぉおお。これだからド田舎ってやつはァ!」

「さあ吐け、吐くまで帰さないぞ! 残業代はきちんと出してやるから申請を出しとくんだな!」

「ホワイト企業最悪っすあぁあああ!」


 とかなんとか言っているうちに、ダッチは白旗を上げる。


「別にたいしたことじゃないっすよ。あいつらにとってのトラウマがやってくるってだけですぜ」

「トラウマ?」


 ダッチは頷いて続ける。


「アルランドの魔法使いが魔法省を去る理由は二つだけ。一つは体を壊す。もう一つは寿退社」

「んん?」


 首をかしげるディエルに、ダッチは鼻を鳴らす。察しの悪い奴だと言いたげにへの字口になった。


「魔法省ではパワハラ、セクハラ、過重労働に脅し、なんでもアリっす。おかげで悪夢に対人恐怖症に、怒鳴り声聞いただけで、震えて何も言えなくなっちまう奴なんてざらですよ」

「戦争から帰還した兵士みたいだな」


 まさにそれっす、とダッチは言う。


「ダーリーンがよく婚活、婚活って発狂してるけど、あいつは本当に結婚したいわけじゃねぇんですよ。あれもトラウマ」

「どういうことだ?」

「メティさんと一緒っすね。ダーリーンは仕事から逃げたかった。でも、上司は辞めるのにいい顔をしないってんで、どうしたら逃げられるか考えた。

 結果、結婚して退職するのが一番簡単だったってわけですよ。メティさんだって、上司が怖くて理論武装するために頭に本を詰め込んだのが、あの馬鹿みたいな行為の始まりなんじゃないっすか?

 二人とも、本当は逃げたかった。でもできない。だったらどうしたらいいのか考えて、ああなったんすよ」


 ここにいる奴はそんなのばっかだ。とダッチは言う。


「お前は?」

「金のために働いてるのに、そこいらの売り子より低い給料じゃ割に合いませんってわけっすよ。仕事はまぁまぁやってましたが、トラウマは持ってませんね」

「……つまり、アルランドの元上司が、こっちにやってくるんだな?」

「不祥事ばれて、俺達を逆恨みしてる。最初一人だったのが次々に増えましてね。失う物がなくなったやつは怖いですよ。一応魔法省に入れるだけの実力があるのが、またやっかいでしてね」

「わかった。話してくれて助かった。コイン禿げだけは勘弁してやろう」

「だけはって……不吉なことを」

「どうやって知った?」

「はっはー。なんのことやら――あ、いえ知ってます」


 咄嗟に誤魔化そうとしたダッチの頭を掴むと、ミシッと鳴った頭蓋骨の音がした。

 ぺろっとメティのさりげない犯罪歴と、魔法使い達の暗躍を聞いたディエルは頭を抱えてしまった。


「待ってくれ、外遊の方もなのか。父上は知ってるのか」

「あー。ハハッ」

「告げ口する」

「待ってぇ! 待って王子さまァ!」

「無理」


 悟りを開いたかのような視線で呟き、ダッチの言い訳を黙殺する。


「この際だから洗いざらい吐け。何を考えてるんだ? 言わないとシャーリーに無いこと無いこと無いこと吹き込むぞ」

「ゲス王子っ!」

「はは、褒め言葉ありがとう。で?」

「予算は使わない方向で決まりましたよ。キリキリしなくても大丈夫っす」

「で?」

「いやだから」

「で?」


 最後の「で?」はドスがきいた低い声だったので、ダッチは全てを諦めた。そしるならば人の身にありながら人外の領域に達した王子に文句を言ってくれ、というような心境である。


「……。第一級結界魔法構築、第二級殲滅砲弾魔法のセッティング。戦車は廃材で作りましたし、武器はきちんと管理運用体制を整えました。

 魔法人形は量産体制に入って、今は部品の大量生成中。二十七時間後に組み立てに入ります。三時間で四百九十体の生産が目標です。

 また、森の魔法生物には事情を話し、エルルが統率しています。罠、トラップはあちらで制作中。命を奪うほどの物じゃないので気にすることないっすよ。金使ってないんだし」

「これを気にしないで、いったい何を気にしろって言うんだ? 俺は王族。この国はフォカレだ」

「デスヨネ」


 思わず真顔で返してしまう。


「まったく、お前達は自重って言葉を知らないのか……。そこまでやるなら相手の数はわかってるんだろうな?」

「そうっすね。魔法省の元幹部が三人ですね」

「で、誰から知った?」

「あー。……あ! こないだ来た傭兵っす! 話したんだからスプーンこっち向けないでくださいよ!」


 ディエルは懐にスプーンをしまうと、やれやれと肩をすくめる。


「もう行って良い。くれぐれもこのことは内密にな。ああ、そうだシャーリーの母上殿が、「遊びだったらもぐ」と言っていたぞ。おつきあいは良いが、節度は守れよー」

「ゲス王子ー!!」


 内またのダッチに悪態をつかれながら、ディエルは颯爽と場を後にする。

 これから厳しい戦いになるな、と思いながら。

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