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もふもふな来客と魔法使いとその弟子
砂を越えた先に楽園がある。
楽園には世界中のあらゆる者が集まり、賢者が暮らしているという。
噂を聞きつけて、今この国の人工は跳ね上がっている。
そんな国に、狼の獣人がやってきていた。
「ここがフォカレ王国か。あぢぃ……」
熱すぎて既に死に体である。
彼はかぶった布の隙間から周囲を見回す。活気づいた町並みは、噂で聞くよりも栄えていた。
「おっと兄ちゃんごめんよ」
「治安もわりぃなぁ。熱くてイライラしちまうぜ!」
ぶつかってきた男を半目になりつつ殴り倒した彼は、その手から自分の財布を取り返すと背負い袋にしまう。蹴りつけてスリを道の端に転がすと、周囲の人間はびっくりした顔で彼を避けだした。
「まぁったく、あの女どこ行きやがったんだ! 魔法省からいつの間にかいなくなってるしよぉ!」
彼の名前はグールク。若き傭兵だった。
腰に佩いた大ぶりの剣が、がちゃがちゃと音を立る。
*
それは、メティのこじらせた風邪が治り、お昼ご飯を食べ終え眠気と戦っている時だった。
突然玄関の扉が吹き飛び、巨大な人影がのそりと入ってくる。テーブルにほっぺたをくっつけた体勢のまま全方位に結界を展開したメティは、知った人物だと気付いてほっとする。と同時にバネ仕掛けの人形のように立ち上がった。
「グールクさん! どうしたんですか、こんな田舎くんだりまで」
「こっちの台詞だ馬鹿!」
舌打ち混じりで言ってきたグールクは「あぢい」と言いながら、かぶっていた布を取る。
現れたのは狼のような頭。ふさふさとした毛皮から汗が滴っていた。狼族の獣人で、メティの古い知り合いだ。
「どっか行くなら何か言ってから行けよ。むちゃくちゃ探したじゃねぇか。で、どういう状況だ?」
どかっと椅子に座る。騒ぎを聞きつけたリマスが廊下から顔を出した。
「お、お師匠様。お茶はいりますか?」
「じゃあ、お願いします」
ちらっちらっとグールクを見て聞く。獣人は珍しいので興味があるようだ。
メティが冷たいお茶を頼むと、リマスはささっと台所に行く。
「弟子取ったのか?」
「成り行きですが」
「ふーん。うまくやってんなら良いけどよ」
「ええ、アルランドにいたときより、ずっと充実してます」
「だろうな」
すっかり目の下の隈は取れ、健康そうな肌色になっているメティは、誰がどう見ても幽霊には見えない。少し前までは背後霊と言われても納得できそうな感じの顔つきだった。これも日々の睡眠と食事がまともに取れるようになったおかげだ。
そこら辺も説明すると、グールクは「ふーん」と興味なさそうな返事をするが、りっぱなしっぽが機嫌良く揺れていた。
「お前が幸せならそれでいい。帰る」
「えっ!? もうですか! せっかく来てくださったのに」
「あぢぃんだよ! とっとと出て行きてぇぜ」
立ち上がったグールクはげっそりしながら言う。人間にとって熱いは、獣人にとってサウナ状態だ。目立たないように布をかぶってたせいもあって、グールクは限界だった。
と、リマスがお茶を持ってくる。
「冷たいほうがいいですよね。どうぞー」
「マジか!」
ジョッキに注いだ冷たいお茶を出すと、一瞬で奪い去り飲み干したグールクは「かー!」と親父みたいな声を出しながら、旨そうに口を舐める。
まるで酒をあおったような動作に、リマスが気を利かせておかわりを注ぎ足す。
メティはその横で棚をあさり、紐を取り出すと、さくっと魔法をかけてグールクの腕に結ぶ。
「なんだこれ。お?」
「風の流れを変えたので、涼しくなると思いますよ」
「サンキュ! やっぱ持つべき者は魔法使いの友達だな」
「あのー。お二人ってお友達なんですか?」
帰ると言っていたことも忘れて、グールクは「おう!」と頷く。
「鼻血噴いてぶっ倒れてたのを拾ったのが始まりだったか?」
「……お師匠様の出会いって」
だいたい鼻血噴いて倒れてたときから始まっている。
リマスの目が不憫さに潤んだ。
「そ、そうでしたね! リマス、グールクさんは世界中を旅している傭兵なので、現地のことをとてもよく知っているんですよ」
哀れみの籠もった目で見つめられたメティは話をそらす。社畜街道をひた走っていたときの事は、正直思い出したくない。けれど、その頃に出会った人達が今の交友関係を占めてるのも確かだった。
「……。お師匠様が今元気なら、もういいです。グールクさんは、お仕事へここへ?」
「いんや。こいつが死んでないか、確かめに来ただけだ」
すいっとリマスに見られたメティは、へたくそな口笛を吹いてごまかした。ごまかしきれてなかったが。
「あー。まぁ、戦争やってただろ? 何か仕事あるかと思ったが、魔法使い雇ってんなら周辺国家じゃ太刀打ちできねぇだろうし。……やべ! 思い出したわ。これお前に届けろって言われてたんだった」
「なんでしょう?」
うっかり、うっかり。と荷物袋から本と手紙を渡されたメティは表紙を見て――
「お師匠様ストップ!」
「はっ」
メティは、どきどきする胸を押さえた。本を見ると、いつもの癖で頭に入れIそうになる。うっかり法律を破ってしまうところだった。
「どうした?」
「い、いえ大丈夫です。リマスもありがとうございました。……これは精霊学ですか? にしては召喚術っぽい内容ですね。とても古いですし」
「しらん。パルメから、お前に渡すように言われただけだ」
「どなたですか?」
「イーストイーグのお友達ですよ。グールグさんつながりで、アルランド王国に短期留学しにいらっしゃったとき、知り合いました。それからずっと文通をしているんです」
「いつもは魔法でやりとりしてんだが、お前が仕事辞めて移住したって聞いたから、顔見て来いってよ。相変わらず人使いが荒いぜ」
グールクとメティ、共通の友達である。
メティはパルメの手紙を先に読むことにした。
「えーとなになに……。え」
顔色が変わっていくメティを見ていた二人は、顔を見合わせる。
「お師匠様?」
「おい、どうした? なんかまずいことでも書いてあったのか?」
「う、うーん。まずいことじゃないんですが……。学会に論文を出してもいいかと書いてあります」
「お師匠様、論文なんて書いていたんですか」
メティは首を振る。どことなくそわそわしながら手紙をしまう。
「なんというか、いろいろ聞かれる事が多かったので、二人で一緒に考えたと言いますか……。この間の竜族の番探し。あれに使った魔法とか、他にも作った魔法がないか聞かれたので渡してたんです」
「何か問題でもあんのか?」
「いえ、うーん。ないと言えばないですし……あるといえばあるというか」
「煮え切らねぇな、はっきりしろよ」
そんなこと言われても、メティには嫌な予感しかしなかった。
魔法省に勤めていたとき、出る杭は打たれ、意見は黙殺され、反論は反逆罪のように責められた。ちょっとでも上司の目につけば、何をされるかわからなかった暗黒時代。
魔法を発表したら、かつての上司がやってくるような気がした。
そんな話を聞かせられたグールクは、半目になりながら言う。
「お前なぁ。その上司がここまで追ってくるわけねぇだろ。別に悪い事じゃねぇんだからよ」
「うーん、そうでしょうか」
「お前のことだから、いいもん作ったんだろ? 他の奴らに教えてやればいいじゃねぇか」
確かに便利な魔法も多い。
メティはそれを聞いて、いいかも、と思った。
「じゃあ返事を出しますね」
「おう。俺は宿探すからそろそろ行くわ」
「え!? 今日泊まっていってください! 夕食がんばって作りますから。ね、お師匠様!」
「そうですよ! 私も懐事情がよくなったので大丈夫です」
ひしっと二人で服の端っこを掴んで引き留める。メティもリマスも巨大なモフモフを前に、どうやって触ろうかと一生懸命考えていた。なのに居なくなるだなんて……チャンスがなくなってしまう。
「バーカ。女とガキしかいない場所に男が泊まれるわけねぇだろ。旦那じゃあるめぇし。いい年なんだからいつまでもガキみたいな事を言ってないで、ちょっとは女って自覚もてよ」
「え、でも魔法省に泊まり込んでたときは、男女混合の雑魚寝でしたよ?」
「クソが! 俺と、あの、クズ共を、一緒にするんじゃねぇ!」
鼻の頭に皺が寄り、ぐるぐると喉を鳴らしたグールクはふんっ鼻を鳴らして出て行った。
残された二人は、敗走兵のようにしょんぼりと肩を落とす。
「お師匠様、モフモフでしたね」
「そうなんです、モフモフなんです。……一回触ったらヘッドロックかけられましたが、凄い良い感じだったんです」
もしかしたらグールクは、それも見越して逃げたのかもしれないが、真実は闇の中。
最近エルルが作りまくった魔法生物のせいで、感触に五月蠅くなった魔法使いとその弟子は、諦めきれないような顔をしながら「くっ」と唇を噛む。そして次こそは、と誓ったのだった。
「それじゃ、お師匠様。今日のノルマ終わってないのでやりましょうね」
「うっ。わ、わかってます。毎日千冊写本ですね。わかってます……」
メティは沈んだ顔でうつむいた。
日に日に頭の中の本が吐き出され、軽くなっていく。
頭痛も鼻血を出す回数も目に見えて減ってきているが、メティの心は沈みがちだった。いままで脳内を圧迫していたものは、メティを守る盾だった。その重みがなくなることが日に日に怖くなっている。
「このまま頭が空っぽになったら、どうやって生きていけば……」
ぽつりと呟いたメティの言葉は、残念なことにリマスには届かなかった。
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