魔法使いメティと押しかけ弟子のリマスくん

 メティが騙されるようにしてフォカレに移住してから、早くも二月が経とうとしていた。

 畑はイレーヌ諸島から転送した雨で全滅を免れた。そして土地の方も少しだけ潤ったようだった。

 南アル領だけではなく、隣接する領地とも契約したために、土がぬかるむほどの水を手に入れられた。もちろん畑だけではなく、周辺の土地にもまんべんなく転送している。

 イレーヌ諸島の雨期は、話通りとんでもない豪雨。今年は台風の数も多く、散らすためにメティは何度も鼻血を出しながら奔走することとなった。

 今は雨期が過ぎても水を確保できるように、貯水池を作るためのゴーレムを動かしている。

 二十日もすれば深い穴は掘れるだろうし、終わったら掘り起こした土で固める予定だ。その周辺に木を植えようという案も出ているのだが、何を植えるか論争になっている。

 この土地ではみずみずしい果物は滅多に食べられないので、リンゴやミカン以外にも、イレーヌ諸島からスイカという植物の種をもらって試験的に栽培する案も出ている。もし実現すれば、ちょっとした名産になりそうだ。

 メティとしてはため池に魚を飼ってほしいが、全力で却下された。


「魔法使い殿、いらっしゃいますかー」


 玄関を叩く音がして、メティは手を止めて外に出た。


「あ、よかった。今日はいらっしゃった!」

「ラルフさん、こんにちは」


 久しぶりに見た法相は、目の下に隈を作っている。


「どうぞ中へ入ってください。今日はどうしたんですか?」

「お邪魔します。実は例の本を読破して、草案をまとめてみたのです」


 どん、と置かれた紙束は二十センチを超えていた。


「これはほんの一部なのです。内容が魔法ですのでわからないことが多く、お力をお貸し願えないでしょうか。中に赤でチェックをしている部分なのですが」

「もちろんです。先に内容を拝見しますね」


 一枚取ったメティはちらっと見ると次々に左に重ねていく。

 それで頭に入るのかとラルフがぽかんとしていると、読み終わったメティは何枚か取り出して、白紙の本を引っ張り出してきた。

 そしていくつか質問をする。


「わかりました。明日までに問題の解説をまとめてお城に持って行きますね」

「あ、明日にですか。ありがたいですが徹夜になるのでは?」

「大丈夫です! ちょうどいい物を作ったところでした!」


 元気よく立ち上がったメティは、今し方作っていた羽根ペンを差し出した。


「これは?」

「自動で写本をしてくれる羽根ペンです!」


 つまり魔具である。


「あ、どういう仕組みかと言いますとって、説明してもいいですか!」

「え、ええ……」


 喰い気味なメティに対し、ラルフは引き気味である。

 魔法使いは魔法のことになると、オタクなので話が長いのだが、彼はまだ知らなかった。いや、これから知ることになるだろう。


「あのですね、この羽根ペンには二つの亜空間をつくってあるんです。片方はインクを入れる場所、もう一つは本を入れる場所です。片方の中身をもう片方の――」


 つまり羽根ペンは片方の亜空間に入っている物の文字をそのまま写本する。ちなみに、対象は本ではなく声も該当する。話した内容すべてを文字情報に変換して亜空間に保存することができる。さらに風魔法を組み込んで、ページの終わりになったら自動的にめくるようにできる、すぐれものだ。どんな紙にも対応できるように鑑定魔法も付与してあるので薄紙から何百メートルもある石像まで何でもござれ。メティはこれで頭の中の情報を転写して写本するつもりだった。


「というわけでですね、今から音声記録を残します。文字は勝手に書いてくれるのでその間は眠れるんです。私は今日から、早口言葉の達人になります」

「それは知らないですが、解説はいりませんよ」


 確かに書くよりも話すほうが早い。

 書き損じや言い間違いをしたときのための準備も万端だ。囲んだ範囲のインクを分解する棒を見せるとラルフの目の色が変わった。


「メティさん、それを十本ほどいただけないでしょうか。お代は友達割引で!」

「え。嫌です」


 そこを何とか! というラルフに追加の白紙の本を要求したメティは、余っていた部屋に亜空間魔法をかけて、本の置き場所を増やすことにした。この様子だと定期的に手に入れられそうである。


「ふふっ! 一つ作れば複製魔法で量産は簡単です。……ぼろ儲け!」


 ラルフが帰った後、メティがほくほく顔で呟いたのは、秘密であった。

 雨の件で大変だったが、しばらくは穏やかに過ごせるだろうと思ったメティの思惑は、翌朝崩れることとなった。



 朝、寝ていたメティを叩き起こしたのはこの国の王子ディエル。相変わらずそばかすの散った純朴そうな顔立ちだが、今日はにこにこしているはずの顔をしかめている。


「どうしたんですか?」


 寝ぼけながらも様子がおかしいことに気づき、メティが訪ねる。ディエルは視線で後ろを見て、体を横にずらした。

 小さな少年が緊張した様子で立っている。

 黒いローブに金の髪。大きな荷物を背負っている。そのさらに後ろには荷馬車があり、御者の女性がいた。厳しそうな表情でこちらを見ている。

 二人とも見かけない顔だ。

 ディエルは懐から手紙を差し出した。


「君へ、シンガーリ国から客人が来ている。それと手紙も」

「差出人の名前がありませんね……」


 手紙はすでに開かれており、ディエルが確認したのは間違いない。

 受け取ったメティは中身を取り出した。

 そして読み進めていくうちにメティの表情は唖然とした物へ変わり、少年は緊張を高めていく。


「どういうことですか。私は何も承諾していません。これでは押しかけではありませんか! それに、私が弟子を取るなんて! 十年早いですよ!」


 すると少年が思い切ったように顔上げて言った。


「お願いします。ぼくを弟子にしてください、大魔法使い様!!」


 一瞬何を言われたかわからず、メティは固まった。


「……。だ、誰の紹介かわかりませんが、私はたいそうな魔法が使えるわけじゃありませんよ。君は見たところ魔力量も私より多いですし、もっと立派な先生の元にいけるのでは? ここで将来を棒に振ることはありませんよ」

「前の先生には、今のままでは無理だと言われました……」


 少年が目に涙をためたので、メティは焦る。


「どういうことです? いじめられたのですか?」

「いいえ! うまく魔法を扱えないのです」


 御者席にいた女性が降りてこちらに来る。しっかりとした体に凜とした表情をしている。


「リマス様、まずは師となる方に礼を尽くさねばなりません」

「……失礼しました。ぼくはアーレグラウ家、三男リマス・アーレグラウと申します。こちらは護衛兵士のフィーリアと申します」


 丁寧に頭を下げられ、メティは困惑しながら答えた。


「私は、えーと、その。……元アルランド王国宮廷下級魔法使いメティと申します。長くなりそうなので中へ。散らかっていますが座る場所はありますので」


 この名乗りで帰ってくれないかな、と思ったのだが、リマスはぱっと顔を輝かせてしまった。



「それで、どなたの紹介状なのでしょうか? 名前を書かない魔法使いの言うことを信じるなど、危険なことですよ」

「それは、ぼくの先生だった方です。もしその方の名前を書けば、誰かに見られたときに相手の身が危険にさらされると言われました」

「私がですか?」


 そんな知り合いいただろうか。

 仕事の関係上、各地に知り合いや友達はいるが、ご高名な友人はいなかったはず。

 と、リマスが懐から小さな箱を取り出す。


「これはその魔法使い様から受け取ったものです。証拠にお受け取りください。それから、心ばかりの品で恐縮ですが、馬車にお師匠様への貢ぎ物を持って参りました」


 既にリマスの中でメティはお師匠様になっているらしい。

 というか、言い回しがおかしい。貢ぎ物、なんだそれは。


「待ってください、アーレグラウ家と言えばシンガーリ国で名の通った名家と記憶しています。そのような方からいただくことができる身分ではありません……」

「これからお世話になるのですから当然のことです」

「ここに住む、と言うことですか?」

「とにかく中を見てください」


 差し出された箱は何の変哲も無い木箱で、指輪しか入りそうにない。だが、恐ろしいほどの魔力を感じる。

 名前を他人に知られたら危険にさらされる、というのは穏やかではない。いったい誰が、と思いながら蓋を開けると、中から小さな人間が浮かび上がった。

 髪の長い若い男性だ。それは灰色の長衣を纏い、背丈よりも長い杖を握っている。

 メティはぎょっとする。


『これを見ていると言うことは、無事にリマスはお前の元へたどり着いたのだろう。メティ、突然弟子を押しつけるようにしてすまない。この子はかつての僕と同じ症状を抱えている。手を尽くしたが、僕では指導してやることができなかった。君の力を貸してほしい。そして三年の間、この子を預かってほしいのだ。君には借りばかり作ってしまって申し訳ない』


 記憶魔法だ。それも精密で完成度が高い。これほどの使い手は世界でも数人程度だろう。


「メティ、誰かわかるか?」


 メティは記憶魔法が切れるのを待って、ディエルを見た。


「全く記憶にありません。どなたですかこの人」

「え!?」


 リマスは限界まで目を見開いた。


「お師匠様、かの有名なマルギリス・アーレイを知らないのですかっ」

「ええっ!?」


 それは世界でも三本の指に入るほど強力な魔法使いの名前。

 メティは人違いを疑った。

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