魔法使いと水害に苦しむ人とブラック王国

 イレーヌ諸島、南アル領。

 凄まじい豪雨で耳鳴りがしそうだ。足下はぬかるんで、風も酷い。

 アル領長子イダ・アルは簑傘から落ちてくる水滴を払いながら、役場に駆け込んだ。


「うへぇ、今年も酷い有様だ。親父殿! 東と南の防波堤、強度は大丈夫そうだが、高さがたらんぞ」


 役場の中心にいた壮年の男は、厳しい顔を上げる。眉は太く顔は山賊のようだ。彼が領主アガル。イダの父親だ。周囲を囲うように座っているのは家臣達で、それぞれ表情は険しかった。

 その中に混じったイダは畳の上に、どかりと座る。下女が拭くものを持ってきたが、またすぐに外に出なければならないだろう。


「お前の固定化の魔法のおかげだな。はるばる遠くへやった甲斐があった。だが、これじゃ今年の作物も全部流されちまう。雨はまだ止みそうもない」


 周りは囲えても上はどうにもならない。他の領内もどうなっていることやら。こう頻繁では飢えてしまう。


「水の精霊様にも困ったもんだぜ」

「イダ、周りが海に囲まれている国の定めだ。巫女方も奮起してくだすっているのだ、そう言うな」

「わかってるって親父殿。俺にもっと魔法の素養があれば良かったんだが、面目ねぇ」

「お前はようやっとる。自然の定めに我らが敵うわけも無い。過ぎるのを待ち、耐えよ」

「わかった。で、どうする」

「領民の避難を優先させよ。今の避難所から内陸の方へ移動させるのだ」

「俺が先導しよ――おわっ!?」


 突然壁を抜け、何かが目の前に張り付いた。

 風で飛んできた紙か何かか。

 驚いたイダが、紙を顔から引きはがすと、それは濡れてもいなかった。


「なんだ、手紙か?」

「面妖な! イダ、開いてはならんぞ。どんな呪術が込められているやもしれん」

「宛名が書いてある……ぞ? これ、ディエル殿からだ」

「おお、留学先の友人か。では、それは魔法か。何と書いてある?」


 級友の名前に宛名はイダとある。

 目を丸くしながら開いたイダは、するすると文面を読んだ後、満面の笑みを浮かべた。


「すごいやつだと思ってたが、こう来るとは思わなかった! 親父殿、客人をお招きしたい。ああやった、これで雨がどうにかなるぞ!」


 その場で筆を執ったイダは同封されていたカードを畳においた。


「どういうことだ?」

「この雨、ただでもらってくれるそうだ! 親父殿、先方はいつでもいいとおっしゃってるぞ。あ、魔法でどうにかするとある。どうする?」

「今すぐじゃ!」


 家臣が止めるまもなく返答をした。この一族はそろってせっかちなのが特徴だ。

 イダが達筆な文字で「今すぐに」とカードに書いた瞬間、紙が目映いばかりに光り、消えた。


「……何も起こらんぞ」

「だなぁ……。へぶっ」


 再び顔面に紙が張り付き、慌てて開く。


「二分後にくるそうだぞ」

「お、おお」


 と言っている間に紙が光り、目を開けていられない。

 光が収まると、そこには二人の人間が立っていた。

 一人は見知った男。もう一人はひょろっとした生気の無い不健康そうな女の鳥人オルニス族。


「ディエル、すぐ何とかなるか!」


 挨拶もせずにディエルに近づいたイダは、再会を喜びもせずに言う。

 ディエルは苦笑しながら横を見て聞く。


「だそうだ。メティ、大丈夫だろうか? 契約書のサインは君が作業をしてる間に済ませるよ」

「持って行っていい範囲を教えてくだされば、すぐにでも対応しますが……」

「この空いっぱい、全部で頼もう! いいだろ、親父殿」

「おう」


 一瞬ぎょっとしたメティは慌てて外に出た。


「ええと、まず範囲指定と構成要素、魔力濃度が……え、これおかしいくらい高いです。なんか凄い魔方陣が出来そう」


 ぶつぶつと呟きながら魔法を組み立てていく。

 その数十分後、できあがった複雑な魔方陣が空を覆った。それはアル領を襲っていた豪雨を吸い込み、人々には雨から領内を守る壁のように見えた。



 時刻を同じくして、フォカレ王国の空にも同じ魔方陣が浮かび上がった。それは国を覆いそうなほど巨大に広がっていく。

 寝ようとしていた人々は何事かと怯えながら外を見る。


「皆の者、気を静めよ! これは魔法使い殿の魔法だ! 雨が来る! 皆、雨が来るぞ!」

「落ち着いて家の中へ入ってください!」

「陛下だ! エイリー様もいらっしゃるぞ」

「魔法使いって、この間やってきた?」


 城に常駐していた兵士達が戸惑う人々に説明して回る。馬を使った伝令が各地に走っていた。


「皆、雨が来る! 瓶を外に置いて待機しろ!」


 顔を見合わせた人々はすぐに瓶を外に出し、やがて魔方陣から雨がぽつぽつと降り始めた。


「雨だ!」

「雨が降った!」

「マジかよ」

「すげぇ……」



 メティが魔法を使って手紙を飛ばしたのは、精霊のことを知った夜のことだった。

 陛下の許可を得てから数十分で書き上げたものを、探知魔法で飛ばしたのである。


「魔法はこんなにも応用がきくものだったんだな」

「法則はありますが、決められた使い方は殆どありません。法律で禁止されている以外は、基本的に自由です」


 魔方陣を指さしたメティは説明する。


「普通、探知魔法は指定したものを探すだけで、何かを送る魔法ではありませんし、送ることはできません。なので、これに亜空間を構築して付け足しました。そこに手紙を入れたので重さはありません。探知魔法で相手を探し出すのと同時に手紙が届きますよ」

「だから光の速さにのせるってことになるのか。だが亜空間構築は第一級魔法だろう? 大丈夫なのか」

「ええ。でも小さな補助魔法の積み重ねで頑張りました。ディエルさん、これに対となる魔方陣を入れてあります。相手がここに返事を書いたらこの紙に浮かびます。音が鳴るのですぐわかりま――」


――ピロロロ!


 卓の上の白い紙から音が鳴った。見れば「今すぐに」と浮かび上がる。


「本当に魔法は便利だな」

「じゃなくて、今すぐですかっ!? 陛下にご連絡をっ」


 横にいたエイリーにお願いして、わたわたとしたメティは慌てて移転魔法を使って飛んだのだった。



 アルランド王国魔法第一部隊リスタールは、大規模な魔法の発動に慌てて席を立った。


「隊長! こちらへ来てください!」

「どうした」

「大規模な移転魔法が展開されています。大きさは小島を包むほど」

「なんだって!? 場所はどこだ」

「イレーヌ諸島です」

「あそこに魔法使いなんていたのか? すぐに部隊を出す。お前は大使館に向かって連絡をとるんだ」

「了解です!」


 慌ただしく動く周囲を見ながら、リスタールは荷物をまとめると素早く移転魔法を発動した。



「メティ、大丈夫か?」

「……だいぶ、収まりまひた」


 座った状態でメティは答える。頭がずきずきして吐き気がした。

 ちょっと魔方陣を広げすぎて鼻血を噴いたメティは、先ほどまで失神していた。魔法は無事に発動中で、今も雨をフォカレに送っている。


「魔法使い殿の様子は――おお! お目覚めになられたか」


 なんだかチンピラのような小悪党顔をした男性が、顔をのぞき込んできた。ディエルの友人、アル領の長子イダだ。肌は黄色みがかっており、裾の広いズボンに袖の広い上着。黒髪は長くて一つに結っている。確か、袴という民族衣装だった気がする。

 記憶をあさっていたメティは姿勢を正そうとして、イダに止められた。


「お疲れであろう。そのままで結構」

「ありがとうございます。魔法はどうでしょうか? 範囲を広めに取ってしまったのですが……」

「ああ、おかげで他領の者も何事かと使者をよこしたので、事情を説明して参ったところだ。いや、大変助かった。我が領だけ恩恵にあずかったとわかれば顰蹙ひんしゅくをかってしまうのでな!」


 彼ははつらつとした若者らしくにっかり笑う。見たところ、十代前半に見える。


「もちろん、許可はいただいてきた」


 ディエルの言葉にほっとしたメティは微笑んだ。鼻血も止まったようなので布を取って綺麗に拭き取る。女として恥じらいを失っているが、鼻血を噴くなんて今更過ぎてどうでも良くなっていた。


「あ、そうだ。雨ですが、おっしゃっていただければ、すぐ止めますので」

「それなんだが、領主殿と話をつけているんだ。今回は雨が止むまで維持できないか? メティがきついなら考える」

「私は大丈夫ですが……」


 ちら、とイダを見る。


「ここ数ヶ月降りっぱなしで、憎々しく思っていた。渡りに船であった」


 相手が怒ってないならいいか。戦争にもならなさそうで安心だ。

 二人はメティの様子を見て、ちょっと考え込んだ。


「実はな、今回のことでいくつか話があるんだが、今大丈夫か?」

「ディエルさん、何か問題でもありましたか?」

「そうじゃないんだが、今回のような洪水になる前に、雨をどうにかできないか相談をいただいてるんだ。我が国としては毎年水不足に喘いでいるから願ってもないんだが」


 メティはフォカレ王国に住んでいるが、王宮に勤めているわけではない。ディエルはそのことを気にしているようだ。


「私としても水が無いと土壌改善もままなりませんし、いただけるならありがたいのですが……」

「無論、父上にご相談せず決められるものではない。だが、ある程度固めてから報告しないと進む話も進まないだろう。イレーヌ諸島は遠い地だ。メティに何度も送り迎えを頼むわけにもな」

「そういえばそうでした……。でもディエルさん、フォカレに森を作ったあとはどうするんですか? 水が改善されれば雨をいただくことも必要なくなりますし」

「む、そうなのか? それは困るぞ」

「だが、森ができるまでには何十年かかるかわからない。遠い話だ」

「雨が降って作物を育てて、土地が豊かになればすぐですよ。苗さえ買えれば、促進の魔法で成長を速めるつもりなんです」


 土が整えば二年ほどでいけるんじゃないだろうか。苗を何十本か買って、どんどん増やすつもりだ。


「なんと! 魔法は習ったが、森をたった二年で作れるとは。ご高名高い魔法使いなのであろうな」

「ただの下っ端魔法使いでした。でも、褒めていただいてうれしいです。ありがとうございます」

「とんでもない」


 イダは感心した様子で続けた。


「だが、そうなるとフォカレの土地には豊かになってほしくはないな。魔法使い殿、水害対策でなにか良い魔法を知らないか? どの領も毎年この時期は難儀しているのだ」

「水の精霊を祭ってはいかがでしょう?」

「ああ、メティの言っていた祭りか。どの程度の効果があるんだ?」

「やり方によっては大雨が小雨になる程度に」


 精霊をおとなしくできるかもしれないと聞いて、イダは俄然やる気になった。

 詳しい話を聞かせると、帳面を持ってきてメモをとる。


「魔法使い殿は博識だな。俺もアルランド王国で魔法を習ったが、そんな話は聞かなかった」

「これは魔法と言うより、精霊学で習う範囲ですからね。需要が無いですから、あまり人気が無くて情報が回らないんです。学ぶならアルランドよりもイーストイーグの方が専門に扱ってますし」


 今出版されている精霊学の本は、殆どイーストイーグ国から流れている。


「ご親切にありがたい! 親父殿にご相談してみよう。でだ、森が出来た後でも、こちらが落ち着くまで、よろしく頼めないだろうか。無論、ただでとは言わぬ。木の苗が入り用ならば用意しよう」

「ありがとうイダ。その話はあとで俺としよう。まずはメティがやってくれるかどうか聞かないと」

「私は森ができて、土地が豊かになるためでしたら協力します。薬草を育てようとしたら大地に力が無くて全然育たなかったんです。今は豆を蒔いてますが、このままだと貯めてたお金が底をついてしまいそうで……」


 世知辛くて渋い顔をすると、イダとディエルは考えた。


「メティ、農業はしたことがあるのか?」

「いいえ。教科書を見てなんとかしてるところです」

「そうか、なら国の誰かにメティの畑を見てくれる人を紹介しようか? 町中でも豆しか育たないというのはおかしいしな。土地にあった知識を身につけた方がいい」

「助かります!」

「ディエル、フォカレの大地はそんなにも痩せているのか? 樹木の皮で作った肥料なら蓄えがある。今回の礼に持って行け」

「いいのか?」

「ああ、その代わりと言ってはなんだが、イーストイーグに伝はないか? イレーヌからだと相当遠い。親父殿にもう一度留学させてくれというわけにもいかぬしな」


 ふと、メティが思い出したように手を打った。

 イーストイーグの精霊学の本は頭の中に入っていたはずだ。

 写本を渡すと言えば、イダは喜ぶ。


「ディエルさん、これで森ができるの早まりそうですね」

「実際に作業するのは自分なのをわかってるのか?」

「アルランドで働いていた頃に比べれば、全然たいしたことありません。大丈夫です」


 二人は一瞬、切なそうな顔をした。


「メティが協力してくれるならとても助かるよ」

「あちらに布団を敷いてある。魔法使い殿はゆっくりと休んでくれ」


 家の寝具と違ってふかふかしてることに驚いたが、すごくいい気分だ。

 疲れもあってか、メティはすぐに寝入った。

 そんな彼女を見て、イダがぽつりとつぶやく。


「魔法大国はどんな恐ろしいことをさせてておるのだ。魔法一つ扱うだけで、俺などふらふらになるぞ」

「向き不向きがあるそうだが……メティは宮廷魔法使いだったんだ。常人とは違うんだろうな。だが、聞いてた話だと相当酷いぞ」


 この世に宮廷魔法使いがブラックじゃないなら、全てがホワイト企業に塗り変わるレベルである。


「なあ、アルランド王国に求人を出したら、イレーヌ諸島に来てくれると思うか?」

「ああ」


 そうしたら、イレーヌ諸島ももっと住みやすく、安全になる。

 そう言うイダに、ディエルは頷く。


「お前はいつもいつも俺のことを助けてくれる。たいした男だ」


 けれど、すぐに動こうとしたイダに待ったをかける。


「まだ求人を出すのは早計だと思う。フォカレは魔法使い自体来るのが初めてだから、法律すらできてないんだ。今、法務相がアルランド王国の法律を見て調べているんだが、かなり複雑だ。魔法犯罪は、まず対応できないと見ていい」

「ああそうか、そういう問題があったな。……なぁ」


 じ、と見られたディエルは首を振る。


「だめだ。メティは貸さない」

「お前の所に仕えているわけじゃないだろう?」

「見ろ、この顔色を。真っ白じゃないか。アルランドにいたときは見かけるたびに鼻血を噴いて倒れていたんだ。彼女は休んだ方がいい」


 それは頭に情報を詰め込みすぎただけだが、仕事のせいで体を壊したのだとディエルは信じていた。実際メティは体が強い方ではないので、的外れとまでは言わないが。


「……そうだな。なにか滋養にいい物を作らせよう。お前は肉が好きだったな」


 そんな話を枕元でされていたとは思わず、メティはすやすやと眠っていた。

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