体調不良な魔法使いと、金欠な王族
小さな国と言っても貴族はいる。
ただ、その数がものすごく少ないのだ。
貴族達は王宮に勤め、財政や軍備を担っているそうだ。その中で、法律に関することはトリガー家に一任されている。
トリガー家の家長ラルフ・トリガーと言う男性は、几帳面そうな印象で、眼鏡をしていた。年は三十代頃で、子供が二人いるのだという。彼がフォカレ王国の法相だ。
「ああ、それでしたら申請を出してもらえればいいですよ」
「ポーションみたいな薬品だけじゃなく、魔法に関係する道具も扱うと思うんです。そういうときはなんと書けばいいでしょうか?」
「ほう! 魔法具ですか? 国には一軒も無いので陛下が喜びます」
さすが魔法使いだ、とよくわからない喜び方をしながらラルフは頭を掻いた。
「そうしますと新しい法も作らないといけませんね。作ってはいけない物、扱ってはいけない物等々……。困りましたな」
「国では禁術指定されていた魔法もいくつかありましたが、ここではないのですね」
「メティ殿はアルランド王国のご出身でしたね。お国ではどのような法が制定されていましたか? 専門ではないので、差し支えなければ教えていただきたい」
「では、書き出して二日後に提出します。書き留めるために白紙の本があれば何冊かいただけないでしょうか?」
「実用の物でかまわないのでしたら、今お渡ししましょう。魔法の法制定についてですが、内容を改める際にお手伝いいただいてもかまいませんか?」
「もちろんです。ただ、こちらも生活がありますので、無料でとはいいがたく……おわかりいただけないでしょうか」
買うのは高い。だが一冊でも多くもらえるならお金が浮く。メティはどきどきしながら返答を待った。
「といいますと?」
「この国の法律全般に関する書籍の観覧許可と、白紙の本を何十冊かいただきたいのです」
「書籍の貸し出しは可能ですが、白紙の本と言いますと……何を書くおつもりで?」
「一番多いのは魔法関連でしょうか。あとは料理の本だったり個人的な物に使うかと思います」
「ふむ。では百冊ほどおわけできないか財務の者に聞いてみましょう」
「えっそんなにですか!」
「魔法については疎い者ばかりです。一からお教えいただくのですから、その程度は当然かと」
「わぁ! 助かります!」
「書籍の貸し出し許可は私が出しましょう。許可証があれば王宮の書籍の観覧できますから、なくさないでくださいね」
「もちろんです!」
栞のような形の許可証を握りしめて、メティは早速、本を借りに部屋を出て行った。
その後ろ姿を笑顔で見送ったラルフは素早く立ち上がると、走らない程度の早足で隣の部屋に入った。
「殿下! 陛下! あ、オルド殿もいいところに」
ちょうどよく各省の大臣が集まってることにラルフはにこりとする。
「なんだよ、俺はおまけか」
半目になった壮年の男は肩をすくめる。彼がフォカレ王国の財相だ。
「お前がそんな顔をするなんて、いいことでもあったか?」
「そうなんですよ! 魔法使い殿が来たことは、すでに知ってますよね?」
「こんな田舎の国で知らないやつなんているのか?」
でしょうね、とラルフは興奮を隠しきれないように言う。田舎は噂話が回るのだけは速いのだ。
「先ほど私の執務室にいらっしゃって、店を開く方法をおたずねになりました。この国にもようやく魔法屋ができるんですね。感慨深いです」
「へぇ! 扱う商品は決まってたのか?」
ディエルが心持ち身を乗り出した。
「そこまでは。まず法の施行をしなければなりませんし、お手伝いいただけるとのことで、二日後にアルランド王国の法をまとめて持ってきてくださるそうです。対価に白紙の本を百冊ほど用意してください」
「ばっ! 百冊だと!?」
ただでさえ紙は貴重なのに、百冊とはとんでもない金額になる。
財相としても個人としてもオルドは怒った。
この国のパンが一つ3シフレとしたら、四年間はパンには困らない金額だ。それにちょっと豪華なお総菜もつけられるし、その間働かないですむ。もちろん、そんな金はどこにも無い。
「お、お前、安請け合いしやがって! 今すぐ訂正してこい! 陛下も何とか言ってやってくださいよ」
「待ってください、なにも二日後に百冊全部渡す、と言ったわけじゃありません。手に入れたらいくらかを定期的に渡せばいいじゃありませんか。白紙の本は完成されて物より安いでしょう?」
「そりゃそうだが、百冊だぞ!?」
「オルドは落ち着きなさい。ラルフはなぜそんなことを言ったのじゃ」
国王が言えば、ラルフは答える。
「それはもちろん陛下、彼女は本を渡しただけ魔法関連の本を書いてくれるんですよ。魔法書なんて国には一冊もないですし、なにより他の本と比べてものすごく高い。見せてくれと言えば、彼女なら貸してくださるでしょう?」
なるほど、と彼らは思った。
「生活するなら入り用な物も出るだろうしの。いくらか払えば問題ないじゃろう。して、法はどうする。彼女に有利な物を作るわけにはいかぬぞ」
「父上、それは大丈夫です。俺の考えが正しければ、彼女はアルランド王国の法律を一言一句違えずに書き留めて提出するでしょう」
「何か知ってるのか?」
「誠実すぎて生きにくい人間がときどきいますよね。そういう人なんですよ」
何か思い出したのか苦い顔をしたディエルは肩をすくめた。
「とにかくオルドは白紙の本を安く手に入れられないか交渉してくれ。最優先だ。それからラルフはよくやった。報告ありがとう。――父上、明日メティのところに行ってきます。あと、食堂で貧血に効く食事を作ってもらっても?」
「ああ、それはいいが……。具合でも悪いのか?」
いぶかしがる王に「メティのぶんですよ」と答え、ディエルは執務室を出た。
*
家に帰ったメティはすぐに白紙の本を取り出すと、目を瞑ってうなった。
「えーと、えーと……どこだったかなぁ。法律の本。いらないと思って奥にしまっちゃったから」
メティは頭の中を探す。
文字通り、探しているのだ。
転写と言う魔法がある。
通常、絵や図などを紙に写す魔法として使われているのだが、メティは記憶媒体の一つとして使っていた。
自分の頭に文章を転写したとして、普通なら印刷物のようにインクが浮かび上がるだけだ。けれど実際の文字ではなく、一時的に頭に入った情報を転写している。これだけではぐちゃぐちゃに記憶が混ざるのだが、もう一つ、固定化と亜空間魔法を使っている。このおかげで、メティは転写した情報を忘れずに保てている。
当然一歩間違えば脳が破裂して死ぬような危険な行為だ。アルランド王国にはこれを規制する魔法があり、他人に使ったら魔牢獄行きだ。ただ、自分に使用するような馬鹿な魔法使いは今までいなかったので、そこに抜け道があった。
アルランド王国の上層部が知れば怒髪天を衝くようなことだが、幸いにも知られていない。
もちろん通常では考えられないような使い方をしているため、副作用が出る。ずっとそのままだと頭は痛いし暴発して死ぬ危険性が出るので、殆どを封印の魔法を施している。
封印を解くキーワードをそれぞれ設定しているので、まずはそのリストの封印を解いて、思い出している最中だ。
ちなみに長時間使うと鼻血が止まらなくなる。
「あ、見つけた。うう、頭痛い……でもやろう」
報酬は白紙の本が百冊だ。百冊分の情報を頭から抜いたら今より楽になるはず。
片っ端から頭に詰め込んだ情報は、それだけで脳を圧迫している。
メティは取得選択という言葉を忘れた、哀れな魔法使いだった。
*
翌朝の昼過ぎ、弁当を片手にメティの家を訪れたディエルは、返事がないので合い鍵を使って家に侵入した。
「あー、やっぱりだった」
机に突っ伏すようにして、鼻血の海に沈んでるメティを見つける。
手慣れたように雑巾で血を拭いたディエルはメティを揺すり起こした。
「メティ、目を覚ませ。食事を持ってきたから」
「うう、あ、ディエルさん。どうしてここに」
遠慮なくばしばし頬を叩かれ、メティは瞼を上げた。顔にべったりと鼻血がついている。
「倒れていると思って様子を見に。体調は? 飯は食えるのか」
「いつもありがとうございます。平気です」
「顔を綺麗に拭いてからにしてくれ」
慌ててぬぐったメティはごまかすようにえへへと笑う。
昨日の夜、がんばりすぎて失神したらしい。
「それで、写本はできたのか?」
「あ、ラルフさんに聞いたんですね。明日には終わりそうです」
四冊の本を見て、ラルフは顔をしかめた。
「あいかわらず書くのが速いな。一日でこれか」
「転写の魔法を応用しただけなので、実際に書いたわけじゃないんですよ」
「魔法は便利だな。俺もお前のようにいろいろ使えればいいんだが……副作用が怖いな」
「普通はこんなふうにはならないんですよ。人には向き不向きがありますので」
正直に言うと、頭の中の物をどうにかすれば鼻血は一切出ない。こんな副作用を起こすのはメティくらいだ。
けれど、ディエルはアルランド王国に留学していたが、魔法に明るくないので、その言葉を信じてしまう。
「だが転写は欲しい。同じ文章をちまちま書き写すのは苦痛すぎる。せめて文章を書く前の形式だけでも写せれば仕事が楽になるんだが、そういうことができる道具はないのか?」
「そういえば、魔法が使えない方は線から引かないといけないのでしたっけ」
手を打ったメティは周囲を見回して、白紙の本から一枚紙を千切るとサラサラと書き込んでいく。円に複雑な文様と文字を書き記してくるくるとまとめ、固定化の魔法をかける。
「それは?」
「転写の魔法具です。この紙の先で転写したい範囲をなぞって、別の用紙につけてください。転写、と言えば発動しますから」
「誰でも使えるのか!」
「魔力がつきない限りですけど。増やしたかったら同じ魔方陣を別の紙に書いて転写してください」
「メティは女神のような女だな! 疲れただろう、休んだ方がいい」
大げさだな、とメティは笑った。
「それではお言葉に甘えて、休ませてもらいますね」
「ああ。食事は置いておくが、食器は後で食堂に返却してほしい」
「わかりました」
見送ったメティは鍵を二つ閉めて、ふと、なんで玄関が開いたか疑問に思った。
ここを作ったのはディエルだし、合い鍵を持っていても不思議ではない。今日はそのおかげで起こしてもらえたので風邪を引かずにすんだ。
深く考えるのを止めたメティは、そのまま寝室に向かって寝具に潜り込む。
「……疲れただろう、かぁ。初めて言われました」
できて当たり前な世界で、気を遣ってもらったことなんて数えるほどしかない。
すごく気分が高揚して、うれしかった。
*
翌朝、すっかり体調がよくなったメティは、約束の時間にラルフの元を訪ねた。
「メティさん、こんにちは。先日は素敵な魔法具をありがとうございます。おかげで仕事が捗るようになりました」
転写の魔法具を持って帰ったディエルは、すぐに増やして配り歩いたらしい。
印刷機は転写に比べると精度が悪いし値段も高い。財政難のフォカレ王国ではまず買えないのだそうだ。
それなのに白紙の本を百冊など、もらっていいのだろうか。不安すぎる。
メティが約束の本を差し出すと、ラルフは目を輝かせた。
「こんな短期間で! ありがとうございます」
「魔法に関する法律はそれで以上です。独特の法も混じってますから、この国に良いように変えてください」
「ええもちろんです。この量ですと読むだけで時間がかかりますね。申し訳ありませんが、法ができてから魔法屋の許可証を出すことにしてもかまいませんか? もちろん時間がかかりますので、その間は采配にお任せします」
「といいますと?」
「魔法を使った道具その他もろもろを扱ってくださってもかまいませんが、どうか危険なことにならないようにお願いしたいのです」
「施行されてからでも私はかまいませんが……」
「いや、とんでもない! 昨日いただいた魔法具の評判が良く、私が止めているとわかれば何を言われるやら」
この国の人はみんな大げさだ。
「開店許可証はこちらです。税金は年収によって変動しますから、帳簿は必ずつけてください」
「それって、何を売ったかだけじゃなくて仕入れた物の値段とかもですよね? 帳簿に決められた形式はありますか?」
「支出額と扱った品がわかるようなものをお願いします。ところで帳簿の付け方はご存じですか? 計算ができたりしますか?」
「ええ、王宮で働くのに必要だったので。たいしたことはありませんよ」
本当は仕事を押しつけられていたので、高官が使うような言い回しも普通にできるのだが、なんとなくラルフの眼光が鋭いので目をそらしてごまかした。
「そうですか。年末には是非王宮に遊びに来てください。大歓迎します、すごく、大歓迎しますので考えておいてください。むしろ今から私の補佐で働いてくださってもかまいませんよ。うちの父が腰をやって引退してから人手が足りないんです。ちび達が早く大人になればいいのですが、まだ六歳と二歳なもので」
「そ、そうですね。いよいよ生活が苦しくなったら考えます。では、ありがとうございました。これは書いたらすぐに持ってきますので、今日は失礼しますね!」
「待っていますので!」
力強い握手をされて見送られたメティは、猛獣から逃げるように家に帰った。
「宮勤めが大変なのはどこも一緒そう……。なんとか自立してのんびり暮らしたいなぁ」
ポーションをちまちま売るだけの生活が成り立たないものだろうか。
帰ったら薬草の種を植えよう。
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