第11話 後藤基次⑶

 又兵衛は妻子等を連れ、小倉を船出し、京都へ向かうべく瀬戸内海を東へと向かった。だが、急ぐ旅ではないので、途中、安芸厳島に船を寄せ、厳島神社に詣で、風景を眺めて、数日穏やかな瀬戸内にて過ごした。


 又兵衛が厳島に滞在しているという噂は、福島正則の耳にも入った。正則も武道一筋で名を立てた武将であるから、又兵衛が黒田家を出奔したことは聞き及んでいたし、万一にでも敵にしたくない相手であったから、ましてや我が所領にいることは天の恩恵と感じ、

すぐさま

「これは絶好の機会じゃ。当家にぜひ召し抱えたいゆえ、すぐこの意を又兵衛に伝えよ」

 と、老臣の福島丹羽、尾関石見、長尾隼人らを呼びつけて命じた。三人は協議したのに、正則に言上した。


「又兵衛殿は如何にも人並み優れた武将にござりますれば、御当家に扶持せられるのは、小臣等も願う所ではございますが、先に黒田、細川の確執と相成り、公儀の御扱いによりて漸く事収まりましたものを、今また御当家にお召し抱えなされたならば、さらに黒田家との御騒動をひき起こす端緒ともなり申すというもの。この儀はしばらく御見合わせあってしかるべきと存じあげます」

 だが、正則は頑固一徹のところがあるので、言い出したら後には引かない。目を釣り上げて強い口調でさらに命じた。

「何と申すか。筑前や越中が何を言うても構わぬ。早々に内意を伝えよ」


 もはや老臣たちに返す言葉はなかった。これ以上讒言に及ぼうと言い出したことは翻さないことは十分承知していたからだ。丹羽らは、下がって又兵衛に正則の内意を伝えようと話をまとめ、又兵衛と面識のある丹羽がその役目を引き受けることにした。


 又兵衛の居所に丹羽が訪ねた。

「又兵衛殿、一瞥以来でござる。息災でござったか」

「いやはや、このようなところで再会いたすとは、思いもよらぬこと。黒田家を離れ申したが、見ての通りまだまだ意気軒昂でござる。丹羽殿も息災のようじゃな」

「先の戦いでいささか疲れ申した。いやいやもう年でござろうか。この度は、又兵衛殿が厳島に参詣の上、しばらくご滞在とのことを聞き及びましたゆえ、ご機嫌伺いしたまででござる」

 又兵衛は直感したものがあったか、ニヤリとして丹羽に尋ねた。

「そればかりではなかろう。某に用があって参ったのであろう」

「さすがは、又兵衛殿、察しがいい。ならば話は早い。わが殿が、是非にそなたを召抱えたいとの仰せ。ご承知下されれば、殿はさぞお喜びになろう」

「左衛門大夫殿が、某を召抱えたいと仰せか。それはありがたき申し出」

 又兵衛は頷いて、にこやかな表情を見せたが、すぐに真剣な眼差しを丹羽に向けた。丹羽はこれは脈ありと見た。

「この又兵衛を見込んでのことと、召抱えるとのことであらば、三万石と賜りたいと左衛門大夫殿にお伝えくだされ」

「えっ、三万石でござるか」

 丹羽はその石高を聞いて驚いた。福島家中二万石を越えるものは誰一人としていない。

「左様でござる」

「殿に委細ご報知したのちにまた参る」


 丹羽はことの次第を正則に報告した。聞いた正則は驚愕した表情を見せた。

(三万石といえば、拒絶するとでも思ったのであろうが、そうはいかぬ。是が非でも又兵衛は我が家中に欲しい)と思い、丹羽に告げた。

「又兵衛が三万石が欲しいと言うのであれば、それは構わぬ。召抱えるから連れて参れ」

「はっ、承知いたしました」


 再び、丹羽は又兵衛を訪ねた。


「又兵衛殿、貴意のほど殿に上申いたしたところ、如何にも三万石にて扶持いたすゆえ、早々同伴するようにとの事でござる。それにつき、黒田家にありてさえ二万石に足らぬ知行でいたものを、お望みの通り三万石宛行うこと定めて過分に存ずるであろうとの事、この上は精々忠勤を励まれるようにとの仰せでござる」

 又兵衛をこれを聞いて襟を正し、

「左衛門大夫殿の御芳志忝うは存じますれば、三万石を過分に仰せられるようでは、この又兵衛の器量をさげすまれると相見え申す。折角の御意なれど、御辞退申しあげる」


 丹羽は二つ返事で承知することはないと思っていたから、予想通りだった。すぐ承知してしまえば、豪傑としての意地があるのだ。ここで諦めてはどうしようもない。又兵衛にはそれだけの魅力のある武将なのだ。

「やや、左様申さるると思い申した。しかし、我が家中に二万石を超ゆるもの誰もござらぬ。ここは破格の思し召しにござる。又兵衛殿ゆえ、三万石にて扶持いたすのじゃ。是非にご承諾くだされ」

「いやいや、三万石など別に欲しておるのではない。我が器量を御認めくだされ扶持されるのであらば、なんぞ不服なぞ申しましょう。ここはお引き取りくだされ」

「残念でならぬが、引き上げ申そう」

 丹羽は帰って、正則に又兵衛は断固として承認せぬことを伝えた。正則は、

「又兵衛め、その武略に慢じて、三万石も不服といたすか」

 と怒りの表情をあらわにしていた。又兵衛扶持の話は沙汰止みとなった。

 

 正則は不服であった。

(わがままを貫き通すのであらば、一つ招いてからかってやろう)

 と、丹羽を再び遣わして、

「又兵衛殿と交わる機会はなかなかないであろうから、一献参らせたい」

と伝えた。意を受けた又兵衛は武士たる者の礼儀として、礼意を以って答えねばと、礼装を身につけて登城した。


 正則は又兵衛を書院に案内させ、主客の挨拶も簡単に済ませて、豪華な料理を運ばせ、酒も用意されていた。扈従の一人が銚子をとって又兵衛に酒をすすめた。又兵衛を酔いつぶせという正則の魂胆だった。しかし、又兵衛もそれは心得ていた。


 一献飲み干したあと、

「拙者は下戸でござれば、お茶など賜りたい」

 と酒を制したのである。

「いやいや、そう遠慮なさらずとも、膳も用意いたしておりますれば、お召し上がりくだされたく」

「左様でござるな。ちと馳走になり申す」

 と、傍に置いた脇差の割笄わりこうがい(笄は武士が髪を整え、耳垢を取るなど身嗜みを整えるための道具で、打刀拵に小柄と共に設けられていた者で、形は二分割した箸のような形態)を抜き取り、箸に代えて遠慮なく肴に手をつけ出した。

 正則は苛立ちを覚え始めていた。正則は突然何を思ったか、頭巾を持ってこさせた。

「皆、某は頭が寒いゆえ、ゆるしてたもう」

 と被ってしまった。傲慢態度を示せば、どう又兵衛が出るかであった。しかし、又兵衛はやはりただ者ではなかった。

「拙者、ちと肩が凝り申せば、御免を被りたい」

 と言って、肩衣を脱いだ。これには、正則さらに苛立ちを大きくしていた。次は何をいたそうか、と、膝を叩いた。扈従に何か耳打ちしていた。扈従は書箱を持って、正則に渡した。正則は書箱の中から、ある書を取り出して、又兵衛に見せた。その文字は誰が見えても、うまい字とは言えない代物だった。


「又兵衛殿、これはそなたの旧主筑前守からのもの、今は大禄の大名となりながら、家中に一人の手蹟しゅせきくする者を持たれぬと思われる」

と冷ややかに言った。又兵衛は表情を崩さず平然として言述べた。

「いやいや、左様ではござらぬ。筑前守数多の家臣を抱えておりますれば、いずれの道にも堪能の者数多くおりまする。書道におかれても、能書の祐筆みても振るほどおりまする。ただ黒田家の家風といたしては、他家との照会往簡に、先方の主人が能筆であれば、能書家を選んで書かせ、先方の主人が悪筆であれば、悪筆な者を以ってこれを認めさせることにしており申す」


 正則の顔は硬直していた。

「左様であったか。もう良い」

 又兵衛はここらで退散した方が良いと感じたのか、

「このたびは寛大なる馳走を賜り恐悦至極にござる。このあたりにてご無礼仕る」

 と座を立ちて、城を出た。


 正則は、しばし考え込んでいたのち、一人ごとを口にしていた。

「あれでは三万石といえど不足をいう筈じゃ」


 又兵衛は安芸を出立し、京都に出て、この地でしばし隠棲することに決めた。が又兵衛ほどのもの、隠れ通せるわけでもなく、その噂は京中に広まっていた。当然黒田長政の耳にも入っていた。


(このまま又兵衛を生かしておいては災いの元かも知れぬ)

 と、家中の者から豪の者を二人を選抜して刺客とし京都に派遣した。


 又兵衛はいつもと同じく、屋敷を出ると、風体の怪しき武士がこちらの様子を伺っているのに気がついた。その場から足早に立ち去るのが普通であろうが、又兵衛は違った。逆にその怪しく武士に近づいていった。驚いたのは刺客の二人である。狙う相手は向かうから来たのである。手前で立ち止まって又兵衛が言った。

「御身らは自分を討ちに来たのであろう。討てるものなら討ってみるがよい」

 と言い放って、静々と去って行った。

 刺客の二人はハァーとため息をついた。又兵衛の去りゆく後ろ姿を眺めていた。

「又兵衛を見掛けながら、威風にされ、二人とも手出しが出来ぬとは、不甲斐ない。かくては殿への申し訳が立たぬばかりか、同僚に合わす面目もない。お互いここで刺し違えて死のうではないか」

 と一人が言ったが、もう一人が、

「我も左様心得申すれど、このまま刺し違えても乱心と思われれば、犬死も同然。ならば、ここは恥を偲んで先ずは帰国して、殿に事の仔細を申し上げ、その上お仕置きを蒙るか、はたまた切腹いたしても遅くはあるまい」

「それもそうじゃ。そちの言うとりかも知れぬ」

 と、二人は福岡に帰り、長政に上申した。長政から咎めがあるものと思っていたが、逆に、長政は又兵衛を殺ることは無理だと納得し、処分を待って帰国したのは神妙だと賞して、それぞれ百石の加増を言い渡した。


 京都に隠棲している間にも、加賀中納言利長、結城宰相秀康からの使者が訪れ、召し抱えの意を表じたが、又兵衛は長政の妨害のことを考え辞退していた。この上は進退を窮すことであろうから、いっそう故郷の播州にて残りの人生を送るのもよしとして、播州の領主池田輝政に書を送り、その旨を申し述べたところ、輝政は又兵衛が余生を我が領内にて送るならと、最初は召抱えも考えたようだが、長政との確執を考え、五千石の捨て扶持を遣わすことで、又兵衛との話はまとまり、又兵衛は妻女らをつれ、妻女の舎弟に当たる三浦主水の居宅に居候することになった。


 それでも、しばらくすると、長政からの刺客が徘徊しているとの噂がたったが、又兵衛は気にとめることなく日々を送っていた。


 しばらくは、この地で余生を送ることになり、又兵衛も播州の故郷に骨を埋めるのであろうと思って暮らしていたが、長政の執念と豊臣と徳川の対立が、又兵衛を争乱の場へと引きずり込んで行くのである。

 が、又兵衛はまだその先の運命を知るよしもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る