第9話 後藤基次⑴
さて、大坂城に籠城に及んだ浪人衆は、関ヶ原で西軍として戦い敗れたものばかりだが、唯一東軍だった武将で高名で名を連ねたのが、後藤基次だ。それも、黒田官兵衛と苦楽を共にした武将が何故、其の高禄を捨ててまで、黒田家を出奔したのだろうか。後藤基次は基次より又兵衛の名の方が、テレビ時代劇の影響で馴染みやすいだろう。又兵衛のよみも昨今は“またべえ”と読んでいるが、戦前の表記では“またびょうえ”となっている。官位名で呼ぶか、名前読みかで区分けしているようだ。官兵衛も同じである。
基次の父は新左衛門基国といい、播州の人である。初めは別所家に仕えていたが、のちに小寺
基次は
基次の殊勲は多くが残されており、其の勇者ぶりは他を圧倒するものだ。ここからは又兵衛として話を進める。
孝高は関白秀吉を扶けて九州を平定した功により、豊前18万石に封ぜられ中津城を本拠として入った。だが、まだ地方の豪族らは乱世の混乱から割拠しており、容易には管轄下に組み入れることは困難であった。中でも宇都宮中務少輔
「この度の敗軍について、若殿をはじめとし一統謹慎を表するに、貴殿のその体は何の意でござろうや」
と言えば、又兵衛
「一勝一敗は戦いの習いでござる。何の不思議があろうや。今日負けたなら、明日勝つことへの分別こそ肝要でござらぬか。然るに一度負けたといって、気を屈するようでは、武将たらんことは思ってもないこと。のみならず一度負けたといって度毎に頭を剃って追っては、髪の長くなる日はござるまい」
と
これを聞いた大腹中なる孝高は、我が意を得たりとばかりに、即刻一統の遠慮を止められたとのことである。つまり、一度負けたぐらいで、意気消沈していては、次の戦も同じように敗れてしまうからこそ、勝つ工夫を前向きに考えてこそ武士の意気であるとする。
江戸後期の儒学者古賀
「杜牧が句に言わずや。
天正17年孝高は家督を長政に譲った。又兵衛の主人は長政に変わった。秀吉は朝鮮に出兵に文禄の役が起こるが、長政は黒田軍を率いて渡航したが、当然又兵衛も先鋒として出陣した。又兵衛にとって其の名を全軍に知らしめることとなった。
晋州城の攻略に際して、晋州城は堅城であり攻略は容易ではなかった。激戦に及んだが又兵衛は先鋒として一番乗りに加わり、加藤清正をして其の勇猛さを賞賛された。
「このままでは、包囲され殲滅の憂き目にあうやも知れませぬ。殿、某一隊を率いて山中に入り、側撃致しますれば、敵に動揺が起きましょう。その時が機の熟したる時、一気に攻められよ」
「委細承知。又兵衛頼んだぞ!」
「はっ」
又兵衛は鉄砲隊を率いて山中に入って行き、鉄砲隊を数カ所に分散して配置して、一斉に明軍に対して発射した。
「敵は山上に回り込んで、我らを側面より攻撃に及んだぞ」
包囲に及ぼうとしていた明軍は逆に包囲されることを恐れ、動揺が走った。そこが戦の狙い目であった。
長政はそれを見逃さなかった。
「それ、敵は怯んだぞっ!かかれー!」
「おうー!」
と黒田軍は一気に攻め上げた。敵の先手が崩れ出すと、あとは大軍ゆえに雪崩のごとく逃散する者が相次ぎ、長政は寡兵克く明の大軍をうち破った。
また、長政の前衛が進む中、敵軍と遭遇し戦闘が始まったらしいのが、本隊をいく長政、又兵衛にも聞こえてくる。小高い山々が連なっているので、姿は見えないが、
又兵衛はしばし其の喚声を聞いていて、長政に言った。
「殿、不覚の事態でござる。我が前衛敗れたように見受けます」
「何で、見もできずのに我が前衛敗れるのをわかるや」
「よくお聞きくだされ。勝って進んでおるならば、進むに従い鬨の声は遠くになりゆき申すもの。然るに其の声は次第に此方へ近いており申す。ゆえに敗れて退ってくるに違いござりませぬ」
「左様なことはなかろう。誰か見て参れ!」
「はっ」
と、言うが早いか、前方より騎馬一騎砂煙を上げて長政のところへやってきた。
「お味方、破られましてございます」
「又兵衛、何とかせぃ!」
長政はいきり立って言った。
「御意」
又兵衛はすぐさま一隊を率いて敵の進撃を止めるために前線に急行した。其の間にも、負傷した兵が、一人、二人、三人と中には仲間に支えられながら、引き揚げてくる姿があった。皆は又兵衛の眼力に驚いたが、数日のうちにまた其の凄さを感じさせる出来事があった。
それは、また諸将との連合で前衛隊が進み、長政と又兵衛が後衛でその様子を伺っていた時だった。長政はその様子を遠望して土煙が上がっているのが見えた。
「又兵衛、あれを見よ。敵軍の方に盛んに馬煙りが上がっておる。さては苦戦なるかな」
すると、又兵衛はしばらく凝視していたのちに、心地よく高らかに言った。
「味方の勝利にございます!」
長政は不思議な顔をして尋ねた。
「何を思って勝ちと見てとったか」
又兵衛は前方の上がる煙を差しながら言った。
「ご覧あれ、進み来るのであらば敵の武者塵は次第に黒く濃くなるもの、退き行く敵の馬煙は段々と白くなり薄くなり申す。見てに通り
実際その通りであった。前衛からの報告が間も無く入り、敵は戦闘後しばらくすると脱兎の如く退いて行ったとのことで、またしても又兵衛の眼力が的中したのである。戦場の勝敗の判断を後衛から見届ける明鑑に諸将は感服した。
蔚山の戦いに置いても又兵衛は見識の素晴らしさを披露した。長政は又兵衛に対し、斥候役を命じ、前線の敵に近接して陣容を調べるように言った。現代にいう将校斥候である。又兵衛は単騎にて飛び出したが、半刻にも満たぬ間に駆け戻ってきた。
「早いではないか又兵衛。如何致した?敵と遭遇して戻ったか」
「申し上げまする」
又兵衛は馬から下りて、長政の前に進み出て、少々荒い息遣いで言った。
「申し上げまする。この先に川があり、渉らんとしたところ、我が軍の馬の沓一足が川上より流れきてござる。さすれば、我が諸将の中どなたかが早う川を渉られ、敵に懸かられたと見受けまする。いっときの猶予もございませぬ。早々御出馬あれ」
「さすがは又兵衛じゃ。そなたでなければ気づかぬことよ。ようやった。皆のもの出立じゃ。遅れるでないぞ。又兵衛!」
「はっ、これに」
「案内せぃ!」
「御意!」
又兵衛の気転により、黒田軍は他に遅れることなく川を渉り敵に打ち掛かっていった。
刻は太閤殿下世を去り、天下を収めんとする家康に対し三成が血気し、東西両軍の戦いとなった折、岐阜に向かわんとする合渡川の前に石田勢、島津勢と対陣した。数日来の雨により河の流水多く容易に渉れるところはない。長政は田中吉政、藤堂高虎らと軍議をこらし、このまま対陣するか、無理にでも河を渉り攻め込むか議論に及んだが、なかなか決定するに及ばない。高虎は長政の少し後方に佇む又兵衛の姿を見た。
「甲斐殿、あれに銀の
長政は謙遜し
「歴々の方々が仰せ合わされて決定せぬ重大事を、又兵衛などが如何に分別しえましょう」と遮ったが、高虎はめげずに
「いやいや、是非に聴きたい。お許しあれ」
と高虎は、扇をあげて又兵衛をさし招いた。又兵衛は軍議の席へと進みでた。高虎は又兵衛に尋ねた。
「又兵衛殿、今この川を渉りて戦うに利があるや、それとも川を前にして戦うが利か、分別がつかぬ。そなたはどう思慮されるや」
又兵衛は一同を見渡してから意見を述べた。
「某、衆議の模様を聴いておりましたが、憚りながら申し上げれば、今こう長々と戦の詮議を致しておる場合でござろうや。犬山に遅れ、岐阜は今日に至り開城したと聞き及びまする。この上便々敵とご対陣なされる中に、内府公御来着相ならば、方々の御一分が御立ちなさると思し召すや。駆け引きの分別や時によりまする。今や勝とうが負けようが、方々ここを最後の地と御覚悟なされ、河の濁流を乗り越えてご一戦に及ばれる一事あるのみと存ずる。ここで利不利の詮議は不用でござりまする」
「うん、まことに」
高虎は扇で膝を打ち納得したように諸将に言った。
「方々、ここは又兵衛殿のいう通りじゃ。皆ここを死処と定め、河を渉り決戦に及ぼうぞ。すぐに支度を整えよ」
「はっ」
「甲斐殿は頼もしい家臣をお持ちぞ」
長政は高虎に対して満足気な眼差しを向けながら、見送り、全軍に布告した。
「又兵衛に続いて河を渉り三成を討て!」
「はっ」
又兵衛の軍功はますます諸将にとっての話題となったし、長政にとっての誇りとなった。
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