第5話J( 'ー`)し「たかし、異世界で野宿する時ってトイレはどうしてたの?」
ざばーーーっと頭からお湯をかけて俺は溜まっていた疲れが吹き飛んだ。
まだまだ日は高いがせっかく王城に来たのだからと俺は風呂に入ることにしたのだ。この世界に来てからお湯を好きなだけ使えたり、浴槽に入れた機会は非常に少ない。普段は手ぬぐいにお湯を浸けて体を拭くという砂漠の民みたいな洗い方しかできなかった。
どっかのラノベみたいなことは言いたくないが、上下水道と湯沸かし器が普及した点だけはやっぱり地球SUGEEEと俺は思う。この世界では水を運んだり、お湯を沸かすのは一苦労で、高級な宿でも大きな桶にお湯を張ってくれるのが限界だった。王族の住む建物か温泉地帯でもない限り大きな浴槽があったり、お湯をじゃんじゃん使っていいですなんて場所はない。
体を洗うために謎の植物から作られたスポンジと石鹸を使うのだが、これも現代の地球と比べると少し痛いし、洗った後に体がきしきしする。十分に改善の余地があるだろう。俺にそういう知識があれば「異世界で風呂を作ってみました」みたいな展開をするかもしれないが、残念ながら俺にそんな力はない。漫画の「○ルマエ・ロマエ」でも読んでくれ。
「ふいいいいいい……」
体を洗ったあとに湯船に浸かると思わず声が出た。体を伸ばして風呂に入れるのはやっぱり最高だ。この幸福感は何物にも変えがたい。
1日の疲れが吹き飛び(今日はまだ何もしていないが)、野宿なんてやってられないぜと思う。異世界転移して最初の村で農作業をやっていた時は冬でもお湯など沸かさず水で体を拭くのが普通だった。俺も出世したものだ。
「……けど……」
「ん?」
俺は声が聞こえた気がして耳を澄ましてみた。
「……まで……アーサーが……」
「隣か?」
音は女湯の方から聞こえていた。「おいおい、城の壁ってそんなに薄いのか?」と思うかもしれないが、俺が3年間修行しまくって基礎能力を上げたことで聴力も上がっているせいだ。
ちらっと俺の名前が聞こえたことで非常に内容が気になった。
「リザップ……」
俺は身体能力を上げる魔法を使って聴力を強化し、壁に耳を当てた。決して女風呂を覗こうなどと勇者にあるまじき犯罪をするわけではない。ちょっと会話の内容が気になるだけだ。
「アーサーは高校受験というのに失敗したんですか?」
「そうなのよ。滑り止めの高校には受かったんだけど、その頃からちょっと自分に自信をなくしてたみたいなの」
おいおいおい!ミカが俺の母さんと話してるじゃないかよ!あの二人もちょうど風呂に入ってるのか!そして俺のろくでもない過去を話すんじゃないよ、母さん!
「そちらの世界では子供への教育制度がしっかりしているのだな!私たちの国も見習わなければ!」
おいおいおい。イグドラまでいるじゃないかよ!母さん、そこを俺と代わってくれよ!
「引きこもりになっちゃったけど、あの子は必ず立ち直ってくれると思うの」
「でも、ずっと放置しておくのはまずいんじゃないですか?」
「私もそう思う。一度家族会議を開くべきでは?」
ぎゃああああああああ!俺の人生について語り合ってる!もうやめて、母さん!俺のライフはとっくにゼロだよ!
俺は壁を叩いてやめさせようと思ったが風呂で盗み聞きをしていると2人にばれたら勇者の沽券にかかわる。俺は身体強化の魔法を解除して耳をふさぐことしかできなかった。聞こえない。何も聞こえない。
その時、湯気の向こうから誰かが近づいてくるのに俺は気づいた。
こんな日の高い時間帯に風呂に入るとはよほど暇なやつだなと思ったが、凹凸のあるむちむちした女性が全裸で現れて俺は雷に打たれた気分になった。
「まあ、アーサー様ではありませんか」
「え、え、え、えーと……たしか名前は……」
この城で使用人をしている女性であることはわかったが、名前が思い出せない。たしかプリンとかエクレアみたいな名前だったような……。
「使用人のミウフィーユでございます。こちらは男湯でしたか?うっかりしてました」
ありがとうございます!
俺は思わずそう言いそうになった。男湯に女が入ってくる。なんというラッキースケベイベントか。これがラノベなら挿絵がついていることは間違いない。カラーの扉絵もありうる。俺が間違って女湯に入ってしまったり、逆にミカやイグドラが男湯に入ってくる展開はラノベならお約束だろう。しかし、俺は今までそんな経験が一度もなかった!扉を空けたらミカやイグドラが着替え中だったというあるあるイベントも一度もなかった!繰り返す。一度もなかった!
イグドラは城内で護衛や使用人がついているから仕方ないとしても、ミカとは二人旅をしてるころからラッキースケベが起きない。だって着替え中は魔法で防御シールドと暗幕を張るんだぞ?召喚した使い魔にも監視させるので事故どころか若さゆえの過ちも起きなかった。代わりにミカが異世界転移者の体を調べようと寝ている俺の体をまさぐってきたことはあったが。
「これも何かの縁ですわ。お背中を流してもよろしいですか?」
ミウフィーユは少しも恥ずかしがることなく、小さい手ぬぐい一つを下げて俺の目の前まで近づいてきた。
警報!警報!俺にかつてない危機が迫っている。
「いいいいい、いや、そこまでしてもらわなくても!というか、ここは男湯なんですけど!」
「世界を救ってくださる勇者様ならこれくらいして当然ですわ。さあ、こちらへ」
彼女はけっこう強引に俺を湯船から出すと椅子に座らせて背中を洗い始めた。危なかった。あと10秒出るのが遅れていたら説明するのも憚られる状態になっていた。俺は手ぬぐいで股間を隠しているが、むこうは何もつけずに俺の背中を洗っている。
なんだこれ?この人は超がつく天然なのか?それともあとで30分金貨10枚とか徴収されるのか?
「たくましいお背中ですわ」
「は、はい……」
静かな浴室に背中をこする音だけが響く。
言っておくが、俺はびびってるわけではない。勇者アーサーはこれくらいでびびったりしない。
「アーサー様、一つよろしいですか?」
「はひ?」
はひ、とか言っちゃってるよ、俺!
「魔王を倒した後はいかがされるのでしょうか?」
「た、倒した後?元の世界に帰るつもりだけど……」
「この世界はお嫌いなのでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
俺は説明に困った。早く家に帰ってインターネットでサイトを巡回したいとか、漫画も読みたいとか、醤油や味噌の味が恋しいとか、いろんな理由がある。
この世界が悪いと思っているわけではない。風呂やトイレが充実してないとか不満もあるが、電気も通っていない田舎でのんびり暮らすのと同じく、スローライフは送れるだろう。でも、田舎と同じく永住したいとは思わない。ちょっと暮らすにはいいけど、やはり元の生活が恋しい。
「もしも魔王を倒しても帰れなかったらどうなさるおつもりですか?」
「ええ!?」
俺はそれを言われると不安になった。あの幼女神様もといロリババアが「やっぱりお主は帰れないようじゃ。許せ!」と言ってきたらどうするか?今まで考えないようにしてきたが、ありえなくもない。
「その時は……ここで暮らすしかないか」
「やはりイグドラ様とご結婚なさるのですよね?」
「は!?」
ミウフィーユが急に予想外の事を言い出したので俺は面食らった。
結婚?何それ?おいしいの?
「いや、そんな予定はどこにもないんだが」
「イグドラ様はお嫌いなのですか?」
「嫌いじゃないが、そんな雰囲気になったことが一度もないというか……」
俗に言うフラグが立ってないというやつだ。俺のことを仲間として見てるけど男としては見てないと俺は自信を持って言える。あいつ、正義と体を鍛えることしか考えてないんだから。
「では、ミカ様とはいかがなのですか?」
「あいつも魔法にしか興味ないし……」
「では、将来を誓った方はおられないのですか?」
なにこのインタビュー?
俺はミウフィーユの会話の向かう先がわからなかった。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「それは……うふふ」
浴室に妖しい笑い声が響いた。
「アーサー様、私ごときでは身分が異なるのはわかっております。けれど、もしよろしければ……」
俺の背中に何かがむにゅっと2つ押し付けられた。
背中の全神経が集中し、その物体を解析しようとがんばる。
これは……ひょっとすると……誘われてるのか!俺の雄姿が女中の心を射止めてしまったのか!?
「私がお慰みしてはいけないでしょうか?」
「お……おお……」
やばいいいいいいいいい!
やばいよ!やばいよ!どっかの芸人じゃないけどやばいよ!
なぜやばいのか?勇者がそういうことをするのは外聞が悪いとかいう理由ではない。俺だって男だ。性欲はある。どっかの主人公みたくフラグをスルーしたりしないし、一夜限りのロマンスとかも全然OKだ。
しかし、俺はこの誘惑に負けられないわけがある。それはロリババアに言われた俺の「呪い」が関係しているからだ。最初に俺の能力を鑑定してもらった人と俺だけが知る呪い。それはこのように表記されていた。
呪い:「純潔を守る者」
童貞を捨てたら全能力が10分の1に減るという呪いじゃ。魔王を倒すまで雄の欲望を抑えるのじゃ!ちなみに、相手が男でも女でも関係ないぞよ。どうじゃ、このジェンダー問題に配慮した我輩の気遣いは。
「こんな馬鹿げた呪いは聞いたことがない」と鑑定人は言ったが、その時の俺は打倒魔王ではなく打倒ロリババアを決意した。呪いのせいでこの世界の娼館にも行けない。この世界で俺は合法年齢にも関わらずだ!オラクルであいつと会話できた時にもこの呪いをやめるように言ったが、もちろん聞き入れられなかった。
「アーサー様、私ではご不満でしょうか?」
耳に甘い息がかかり、背中にむにむにと柔らかいものも押し付けられている。俺の中で天使と悪魔が喧嘩を始めていた。
天使「こんな色仕掛けに乗ってどうするんだ!はやく魔王を倒せ」
悪魔「10分の1ってことはまだゼロにはならないんだぜ?そこから鍛えなおせばいいじゃねえか。大丈夫さ。お前ならやれる」
やれる……俺ならここからリスタートしてもやれる……。
ヤッてやるさ……ッッ(何を!? )
俺の中で今まで抑えてつけておいた欲望がムクムクと起き上がり、体を回れ右しようとした瞬間、浴室に太い声が響いた。
「ふう、疲れた、疲れた!おや、アーサー殿ではないか!」
王国軍旅団長フーリンゲン!いいところにきてくれた!殺してやる!
俺は精神が暴走してこのおっさんに感謝しつつも激怒した。
「これはフーリンゲン様……失礼いたしました。女湯と間違えたようです」
「そうか。気をつけるといい」
フーリンゲンは冷たい目をして使用人が出て行くのを見ると小さなため息をついた。
「アーサー殿、危ない所だったな」
「え?」
「あの使用人は誰かの命令でお前を誘惑しに来たのだ。たぶん宰相あたりか?いざとなったらお前に襲われたと騒いで評判を落とすつもりだったのだろう」
「えーー!俺、なんか恨まれるようなことをしましたっけ!?」
この王国の宰相とは何度か話をしたがまったく心当たりがなかった。国王にもちゃんと敬意を持って接していたから誰からも恨まれてないと思っている。
俺があのむかつくセリフを使う日が来るとは思わなかったが、今こそ使おう。
俺、なんかやっちゃいました?
「誰もお前を恨んでなどいない。警戒されているだけだ。お前が魔王を倒した後にこの世界に居座って王国の重鎮になる可能性があるからな」
「いや、俺は出て行きますよ?」
「今はそのつもりだろう。だが、帰れると確定していない。また、帰れるとしてもこの世界に永住しないと言い切れるか?元の世界とこちらを往復できるようになったらどうする気だ?」
「それは……」
往復できる場合はどうするのか。うーん、その場合は戻ってこないとは言い切れないと俺は思った。あのロリババアがそんな嬉しいエンディングを用意してるとは思えないが、もしもそうなったらこの世界に何度も来て英雄ライフを満喫するかもしれない。
「宰相も悪い男ではない。君が魔王を倒して高い地位を望めば我々は拒否できないのだ。君の評判を落とすと言ったが、万が一に備えて君の弱みを握っておくつもりなのだろう」
「でも、俺は地位を望んでるわけじゃ……」
「繰り返すが、今の君はそう思うだろう。だが、欲のない人間はいない。大なり小なり、何をしても叱られない立場になったらおよその人間は堕落するのだ。母親に叱られない子供がろくな大人にならないようにな」
「ぐっ……」
「どうした?」
「い、いいえ……」
フーリンゲンの言葉に他意はなかったが、俺の胸にぐさりと突き刺さった。
後半はまさに俺のことだ。引きニートという堕落人生を歩いている真っ最中だった。母さんも父さんも俺を叱らないので俺はいつの間にか引きニートを標準路線にしている。この状態をいつまで続ける気かと言われたら……。
「君に言い寄る女性がいたら全て罠だと思ってくれ」
「わ、わかりました……」
なんだかんだで俺は呪いによる能力ダウンを免れたが、精神的に改心の一撃を受けてしばらく憂鬱になり、湯船でぼーっとした。
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