第4話 カビパンの嫁はひかるんるん

『カビパン』


 いま、この地球上で、この呼び名を知っている人間がどれくらいいるだろう。


 ひとクラス30人として、小学一年の時からクラス替えするたびにその名を知り、その名で呼び、いまだにその名を覚えている人間。卒業時のクラスメイト30人の他に6年間たいして関わりのなかった児童も含めて、オレが今からロケットで地球を救わなかったら、そいつら全員この世から抹殺できるのだ。オレには今、その力があるのだ。


 まずは手始めに目の前にいるボンヤリ顔の男から始末してやろうか。ぐふふふ…


「どうした?ヒデオ?」


 ノブハルの声でハッと我に返った。

 いかんいかん…ちょっとブラックなオレが姿を現してしまうところだった…

 オレは地球を救うヒーローなのだ!

 あと15分後にはロケットに乗り込み、オレがブラックホールにミサイルを撃ち込まなければこの星は消滅してしまうのだ…!


「そんなに気にしてたのか?『カビパン』を」


 殺す。

 その名を口にする者はひとり残らずこの星から消し去ってやるぞぐははは…は?いかんいかんいかん!オレはヒーロー…!


「気にしてないわけじゃないけどな…ハハハ…そんなの覚えてるやつも、もういないだろうしな」

 オレは必死に笑顔を作ってみせた。


「だよなぁ、あんなの小さな町の子どものたわごとだもんな。」

「あ、あぁ、そうそう」

「ただ夏休み前にお前のロッカーに菓子パン置き忘れてて、夏休み明けにロッカーからものすごいカビ臭がしただけだもんな。それで卒業まで『カビパン』とか呼ぶなんて、子どもってカワイイもんだよな」


 皆まで言ったな。

 幸いこの控え室に続く廊下には誰もいない。聞かれる心配もないし、今コイツの首を締めても誰にも気づかれない。グフフ。


「どうしたヒデオ、顔色悪いぞ」

 当たり前だ、今オレはヒデオではなく人類すべてを抹殺しようとしているデビルパイロッ…と、いかん!昔の話をされるとどうしても平常心が保てない!

「もうやめよう、その話!オレ今から飛び立つんだし!」

「ごめんごめんそうだった。無事生きて帰ってこないとひかるんるんも泣くもんな」

 ん?オレの嫁?


「でもお前逆にラッキーだったんじゃないか?あんな呼ばれ方したおかげでひかるんるんと知り合いになれたんだろ?一度もクラス一緒にならなかったのに、そのアダ名だけは知ってて、どんな男の子か見に来たのが最初の出会いだったろ?」

 たしかにそうだが。

 なぜオマエがそのことを知っている?


「ひかるんるんのことは俺にまかせとけ。お前がいない間、さみしがらないように力になってやるから、な!」

 待てよ。

 ノブハル、オマエ今ひかるのことなんて呼んだ?


 開け放したドアを挟んでオレとノブハルは立ったまま話している。その奥、控え室の壁にかけられたインターフォンが鳴り続けている。おそらくロケット発射まで10分を切った知らせだろう。


 だが、知ったこっちゃない。


 地球の存亡より重大な問題が、今ここにあるのだ。


「ノブハル…確かにオレの嫁はひかるだが。知り合ったきっかけもそのアダ名のせいだが。そんなことよりオマエ、さっきからひかるのことなんて呼んでた?」

「ひかるんるんのこと?なんだよそれ、ひかるんるんはひかるんるんじゃないか」

「あのなノブハル、オレとひかるが知り合ったのは小学生のときだ。オマエもそうだろう。でも付き合い始めたのはパイロット学校に入るときだ。パイロット学校の試験前にオレから告白したんだ」

「知ってるよ、青春だねえ!」

「オレ、この話オマエにしたか?」

「え?」

「出会いがあのアダ名がらみだし、パイロット学校を卒業してからプロポーズしようって決めてたから、ひかるとのこと、オレは誰にも話してないんだ。どうしてオマエが知っている…?」


 ノブハルは「しまった」という顔で口に手をあてた。


「あとな、ひかるが一度だけ話してくれたことがある…中学の時、初めてできた彼氏が自分のこと変な呼び方するからすぐ別れた、とな。そのオトコはこう呼んでたってよ。


 …ひかるんるん、と」


 オレはたっぷり時間をかけて、ノブハルをにらみつけた。


 ビビー!ビビビー!


 ロケット発射までもう5分もないのだろう。

 司令室も、あのハゲの宮なんとか博士も、さぞかし焦っていることだろう。


 しかし!

 この大問題を解決しないで宇宙になんか飛べるか!

 オレは、ヒーローである前に、ひかるの夫なのだぁ!ぐははは!


 つづく

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