退職後編3話:弟の店失敗と父の前立腺癌と死
1999年、北島の弟が38歳、大手の食品メーカーの早期退職の条件:退職金1千万円を見て退職を決意した。そして閉店しそうな店を探し回っていた。その年の秋に、
家から車で二十分の所に物件を見つけて長年の夢である総菜店を開店した。
ただ彼は今まで製造職人をしていただけで部下もいないし、ましてや従業員を
使う経験もなく兄弟で心配していた。アルバイト3人とパートさん7七人を雇い店を始めた。最初は、もの珍しさも手伝って繁盛していたが半年が過ぎて売れ行きが
下がり始めた。最寄り駅からは徒歩二十分で近くのマンションの住人が買いに来ていた。そこで彼のすぐ上の兄が商売をしていたので売れ行きが落ちてきたら早急に持ち直すように手を打つべきだと言い最寄り駅でチラシを配る様にアドバイスしたが、彼は旨くて良い総菜を作ればきっとお客さんはわかってくれて持ち直すと楽観的な見方をしていた。しかし現実には持ち直さなかった。
それを見かねて彼の兄がチラシ作りと配りを手伝った。
しかし店の主人が、総菜を作ることばかりで経営者としての活動をしてないのに腹を立てて、
言うことを聞かないなら仕方ないと手伝うのをやめた。
徐々に売上は下がり従業員を減らして一年後には、それを見かねた彼の70過ぎの
お母さんが店番をした。売れなくて廃棄するのに金がかかるので毎日の様に北島の母から、残り品を取り来てくれる様に電話が来た。そこで仕方なく売れ残りが多い場合のみ少額で買い取る事にした。最初は週に1-2回、だんだん増えて隔日になり、
そんなに食べきれないと言うと家庭ゴミとして兄弟と手分けして処分してくれと言うのだった。ついに北島は店主に営業に行って販売先を開拓する様にに言った。
次の週、彼から電話があり近くの寺の住職さんから注文をもらったが、
その一件だけでだったとの報告を受けた。そこで、北島も体調が良い時に外人学校や幼稚園などに配達するからという条件で交渉に言った。外国人学校では見本を
持って行き食べてもらい買っても良いと言ってくれた。値段交渉をして良ければ
購入を検討する所までいった。総菜の味も悪くないと言う事で最終的な値段交渉に
なった。購入量も1日20パックで週に100パック。ただ値段は1個三百円
という条件。店主は最低四百円もらわないと採算が合わない言い。再度、毎回配達
すると言う事で350円まで学校が譲歩してくれた。それでも時間とコスト配達のコスト考えると店主が400円以下にはできないと言うので交渉が決裂した。
その他にも、いくつか反応の良かった先もあったが店主の考えが空いてる時間に、
それらの総菜を作るという意向が変わらないため薄利多売はできないという方針
では交渉ができないので手伝うのをやめた。
その頃には店の利益が出ないのでパートさんもアルバイトさんも全員やめて
もらい70代の母の店番と店主だけになった。もちろん店主は味を落とさない事を
使命と考え商売の交渉もしないし努力もしないかった。その年の秋に近くに
食品スーパーができ、万事休す。翌年の夏に閉店した。赤字にならない内に店を
たたむと言う店主の意見。この事件以来、彼の父も母も元気がなくなり何のために
商売をしたのか親を引き込んでどう考えているのかと北島が問いただしたが
儲からなかったのだから仕方がないと責任すら感じない店主に最後は馬鹿野郎、
何考えてるんだと怒るだけだった。
職人気質の人は決して商売をしてはいけない。商売は究極の賭けだとつくづく
思う北島だった。ただ当の本人は、あっけらかんとして、うまい総菜を作れるから
大丈夫だと言い続けた。その後、弟の友人が総菜店をオープンし手伝ったのだが。
しかし職人同士では客がつかず一年持たずに、つぶれた。この時は弟が交渉下手と
言う事もあってその友人から給料さえ払えないと言われ解雇された。
いつまでも文句を言っていたが、ついに、ただ働きに終わり一銭もらえなかった。
その後、元勤めていた大手の総菜店でパート職員として雇ってもらった。
ただ雇われ店長(責任は重いがボーナスも退職金もないパート社員)を転々と
するのだった。2000年の夏に父の前立腺癌がわかった。見つかった時には広がっていて1-2ヶ月の命と言われていたのだがホルモン療法と父の屈強な身体のせいで、かかりつけの泌尿器科開業医が自分の手に負えないと言って父を大学病院に紹介した。
その後も孫の顔を見に来て北島家の庭に野菜を植えたり春にはタラの芽を持ってきたり5月になると大きなタケノコをたくさん山から掘って持ってきてくれるた。
来るたびに一番下の孫の男の子を見ては大きくなったなとうれしそうに言った。
そして大学病院に月に一回、診察を受けに行った。その担当医も、こんなひどい
前立腺癌で5年も生きる何て信じられない事ですよと話すくらい長生きした。
2005年の夏に父は胸が苦しくして仕方ないと言って自分でバイクに乗って近くの
総合病院に入院し5日後、亡くなった。彼は生前、平均寿命より長く生きたのだから思い残す事はないと淡々語っていた。素晴らしい人生の最後だと言わざるをえない。
北島は、ただ、ただ、父の唯一の孫たち三人を授かった事を神様に感謝するのだった。葬式の写真も一番下の唯一の男子の孫と旅行の時に撮った最高の笑顔の写真を
引き延ばしたものを使った。思い起こせば孫の誕生を誰よりも喜んでくれ長女、
次女、5年離れて長男が生まれた時は涙を流さんばかりに喜んでくれたのだった。
そして、その時「跡継ぎができたんだ、よかった」人に聞こえない位の
小さな声でとつぶやいたのを思い出さずと、今でも涙があふれてくる。
父の人生は、決して恵まれたものではなかった、しかし、酒癖が悪かったが、
しらふでは、人に迷惑をかけず、淡々と過ごすしていた日々、最後も自分で病院へ
行き、亡くなっていった。実に、あっぱれな人生の終わりと言えよう。
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