退職後編1話:北野君の見舞いと葬式 

 1997年は、ついてない事ばかりだった。最初に会社時代の同期の親友、

北野光男君の死。彼は腎臓が弱く十年前から人工透析をしていたが、昨年から胸水

がた溜まりだして大きな病院に転院することになった。今年の夏に彼から連絡があり病院に北島は、奥さんと見舞いに行く事にした。八月は北海道といえども暑い、

千歳空港に降り立ち人混みをかき分けて札幌行きの列車に乗り込んだ。

 幸いに、女房共々、座る事ができて周りの景色を見ながら北海道は、東京と違い、

まだ、自然が息をしている。風になびく、木々や、花、草が、涼しげに見える気が

して、ほっとする。札幌から、地下鉄と、市電を乗り継いで三十分で、その病院に

ついた。平日なので北野君の奥さんは、看護婦さんとして他の医院で勤務しており、

お会いできなかった。病院の受付で病室を聞き、その階のナースステーションで面会

ノートに記入しての部屋へと入っていった。やつれてはいたが,それ程、変わらない

姿だった北野は、うれしそうに遠い所、わるいな、北島と言ってくれた。

 今日は、何か具合が良いんだと北野は言い、それから北島と昔話に花が咲き一時間以上も面会する事になった。さすがに北島も身体に触るからと言い北野君に、

お別の挨拶をした。すると北野君が今日調子良いからと玄関まで送ると言った。

 遠慮したが、どうしてもと言うので、一緒にエレベータに乗り一階へ歩いて

玄関まで来てくれた。別れ際の、なんとも言えない、人なつっこい笑顔が

今でも脳裏に残っている。その日は天気も良く、豊平川を眺めながら、札幌市街地へ歩く事にした。北野君に会いに、もう既に四回も札幌に来ているが、いつも感じる

のは豊平川に、かすかな潮の香りがする事である。本州では海からこれだけ離れて

いて、海の香りがする川なんてないと思うが、豊平川では薫るのだ。

 これで鮭が川を上がってくるのは、このせいかも知れないと、思いを巡らす

北島だった。十五分歩いたであろうか、少し喉が渇き疲れたので、風情のある喫茶店に入り休む事にした。入ってみると、まるで昭和四十年代にタイムスリップしたかの様な錯覚を起こしそうな懐かしい造りの喫茶店だった。

 ウェイトレスが注文を取りに来たので珈琲好きの北島はウインナー珈琲を頼んだ

濃いめの珈琲にたっぷりの生クリームが目を引き大きめのカップに入って出てきた。

 口に入れた時、芳醇な生クリームを感じ続いて苦みばしった濃いめの珈琲が、

これが、また旨い。北島は奥さんと北野君の話や雑談を三十分位して店を後にし市電に乗り終点の停車場から数分の今晩泊まる、すすき野のホテルにチェックインした。 翌日は北海道神宮や円山公園を散歩して札幌を後にした。

 そして横浜の自宅に戻った。四日後の朝早く北島家の電話が鳴り響いた。

 北島の奥さんが最初に電話に出て、かなり大きな声で話して北野さんが

危篤ですってと言ったのだった。つい先日、元気な姿を見たばかりなので

信じられない気持ちで北島に電話をかわった。

 北野君の奥さんが先週のお見舞いに来た後、夕方から病状が急変して集中治療室

に移ったと言った。そして今朝、危篤状態になったそうだ。もし、また何かあったら

連絡して下さいと告げて電話を切った。北島は、病院で亡くなる前に一度、急に元気

になり、その反動の様に、容態が悪くなり死亡した例を数多く見ているので先日の

お見舞いの時の北野君の異様な目の光が思い出されて気が重くなってしまった。

 そして、数日後、1996年九月に北野君の死亡の連絡が入った。

 ついに、その時が来たかと北島は観念しており冷静に、お通夜と告別式の日程を

聞き出席する旨を北野君の奥さんに告げた。通夜の日、朝早く羽田から北海道へ、

 その日は肌寒い感じがするくらいの日だった。札幌駅から地下鉄で北野君の家の

近くの駅そばの葬儀場に昼過ぎについた。会社関係者も多く北島が出席するのを

知らなかったせいか驚いて迎えるのだった。奥さんが近寄ってきて遠い所、ご苦労さんですと挨拶した。そして北野君の顔を見ると、すぐ、あついものがこみ上げてきてしまった。会社内では北野君との関係は、あまり話していなかったので社内の連中は一様に驚いていた。香典を渡そうとすると、北海道では会費制の葬式だというのだ。

 事務手続きを終えて彼の家族に、お悔やみ申し上げた。北野君の兄弟が東京から

来ており、お酒をつぎに来たのだ。彼のお兄さんから北野家の話を聞いたのだった。

 北野君の父が北海道でなく福井県の出であり、廻船問屋を営んでおり羽振りが良く商売の関係で最初は小樽に住んで商売をしていそうだ。

 その後、商売が順調に運び会社も大きくなり札幌に出てきた様だった。

 そして、おめかけさんも数人いて仕事も遊びも豪快だったと話した。

 しかし、その後の遺産相続では複雑な利害がからみあって、大変だった様だ。

 北野光男君も末っ子で本妻の子でありながら小さい頃から、随分、寂しい思いを

したりしていた様だ。そして小さい時から、あの人なつっこい笑顔で大人に

愛想を振りまいていたのだと聞かさせれ、北野君を思い出すたびに、涙がこぼれる

北島だった。そうか北野君の時折見せる、あの寂しそうな表情や人なつっこい笑顔の裏には、そんな秘密があったのだと思い知らされたのだった。

 北野君の昔話をする事になり研修の時に長距離走でトップ争いをしていた事、

北野君が退社した後にパソコン・スカイプで話をしたことなどを語った。

 北野君の奥さんが北島さんとの話が大好きで時間になるのを楽しみにしていた

事などを教えてくれた。そして投資や株の話など、いろいろ話していた様だ。

 今日は、ここに泊まっていく様に、すすめられてホテルをキャンセルして、

その晩は葬儀場に泊まった。翌日、告別式には北野君が親しくしていた北海道大学

の医学部の助教授や開業した先生方が数人、来ていた。その中でも下田助教授は

北野君の功績をたたえ、北野君との思い出を涙ながらに語り続けるので周囲から

嗚咽か聞こえる程だった。彼の人なつっこい性格や笑顔でファンを作ったのだろうと思うと北島も、もらい泣きするのだった。その後、霊柩車と共に、最後まで、

つきあう事にした。北野君のお墓は札幌郊外の緑多い広い墓地。帰り際に北野君の

奥さんが申し訳ないけど、いろんな事情があって奥さんの実家の方に身を寄せる事に

なると言った。多分、肉親、親類のめんどな事に苦労させられた様だった。

 わかりましたと答えるだけしかできない北島だった。午後の便で羽田へ、

そして夜遅く自宅に戻ってきた。その晩は疲れ切って、熟睡した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る