帰京編3話:同期の新所長と。甲斐大学での活躍

 翌週には、東京営業所の同期の鈴木君が、新所長として赴任してきた。

 久しぶりに会ったが銀縁のメガネが、よく似合うインテリ風の顔立ち。

 少し年を経て、ますます切れ者の風貌が備わってきた。まず北島は鈴木君と握手をして久しぶりだね。元気と気さくに話しかけた。ちょっと笑いながら、でも所長さん

だから敬語でないと駄目かなと、おどけて見せた。

いじわる言うなよと鈴木君は言い返した。北島が時間は大事にしたいから今から

多摩営業所の情報を伝える事にすると話した。また関係資料のコピーも用意する

から、読んでおいて欲しいと鈴木新所長に伝えた。

 営業所の現状と問題点、その対策を要領よく述べた。鈴木は北島の顔を見ながら、さすが実績をあげて言う事も、そつがなく要領よく、まとまっているなと笑った。

 これで北島が話は、これで終わり、後は、この資料を良く読んでおいてと渡した。 午前十一時には営業に出かけた。数日後、鈴木新所長の歓迎会となった。

 場所はスナックすずらん。そこに着くと童顔だが、ちょっと太めの店の子が、

新・ママのさちこです、宜しくと挨拶に来た。さちこ、幸せな子と書きますと、

おどけた口調で言ったのので周りの笑いを誘った。

 歓迎会とはいえ、あまり堅苦しくなる事もなく、気さくな感じで進行していった。まず口火を切って北島が歌を鈴木所長に送った。その後、鈴木所長が歌う事になった

ら尻込みしていたが仕方なく最近の歌謡曲を歌った。しかし、お世辞にも、うまいと

は言えなかった。実直な歌い方は、演歌そのもので最近の歌には似つかわしくない

歌い方だった。踊りはダメの一点張りで最後まで踊らなかった。

翌日から鈴木所長の挨拶のため山梨の基幹病院を訪問する事にした。

  甲斐医科大学では東京出身で吉川先生が鈴木所長を知っている様で挨拶した。

先生が、こんな遠い所まで、どうしたの?と言っていた。

 鈴木所長が今度、自分が多摩営業所の所長になった事を照れながら話した。

 すごいね、ついに所長ですかスピード出世ですね一番早いんじゃない。

 彼はまぐれですよと返答していた。次に多摩の大型A病院をに鈴木新所長の仲良し

の桜井先生がいるとの事で同行訪問した。桜井先生がどうしたの、こんな所まで来て

と言ったのだった。多摩の所長で転勤したと伝えると良かったねとの反応だった。

 鈴木所長を知っているといった二人の先生の彼に対する印象が大きく違う事に

後になって驚かされる事になる。鈴木所長の担当の挨拶が終わった数日後、スナック

で彼の病院での印象について話を聞いた。彼は多摩の大型病院は東京の中心部の病院と同じ感じで、やり易そうだと言い。ただ山梨は、田舎の病院という感じがあって

慣れが必要かなと感じたと言っていた。甲斐大学病院の吉川先生は医局のローテーションで来ている様で、いろいろ情報をもらえる貴重な存在になっていった。

 甲斐大学病院を訪問した時、吉川先生に、また所長同行で来ますので

宜しくと言った所、ちょっと、しかめっつらをして、その話は、いいよとの返答。

 東京の大学の医局の教授と何か、あったらしく東京のエリートは、いけ好かないよと言い出した。吉川先生が北島君、鈴木君の事ほんとに好きなのと言う始末だった。 安易に鈴木所長の事は言えない雰囲気だった。これ対して鈴木所長と仲の

良い、もう一人の桜井先生は彼は気は利くし賢いし言う事ない営業マンだよ、

彼なら一番、出世するはずだよと言っていた。

 北島君も鈴木君を見習って頑張れよと逆に励まされた。

 早いもので、寒くなり今年も年末を迎えた。忘年会は所員の年齢も近く、

和気あいあいの楽しい宴会となった。

 北島は調子に乗って歌って踊ってはしゃぎまくっていた。

 スナックすずらんの幸子ママが北島の横に座って、ねー聞いたと言ってきた。

前のさおりママがタイで見つかったそうよ。北島さんの会社の清水さんと愛の逃避行

だったみたいと教えてくれた。日本には戻ってこないつもりらしい。素敵と言いたい所だけれど、ひどい話よね。このスナックのお金を持ち逃げしたのよ。

 今、そのお金を返済中で実は大変なのよ言っていた。だから、また、ご贔屓にして

ねと、ウインクした。わかったよ、できるだけ接待に使う様にするよと答えた。

 彼女は鈴木所長について北島さんと同期と聞いてますが全く正反対の堅物ね良く

あれで営業成績が上がったわねと話してきた。彼女の口から北島さんの方が百倍すきと軽くキスされた。実は北島も同期と言っても一緒に仕事した事はなく、彼と一緒に仕事するのは今回が初めてで内情は全く知らないんだよと彼女に答えた。

 ただ東京支店長や営業本部長の受けが良い様で、その結果として多摩営業所所長に十年目に就任するという、社内一のスピード出世となった様だと話した。

 今年こそ、山梨を攻略するぞの意気込みで、積極的に甲斐大学病院を訪問した。

 すると、あれだけ反応の悪かった吉川先生が君よく頑張るね。鈴木所長とは違うねと言ってくれる様になった。地道な努力って見てない様で見てるんだよ。

 頑張れば必ず成果がついてくると思うよと、うれしい反応だった。

 そして、この医局では誰がポイントなのかとか、いろいろ教えてくれる様に

なっていった。ただ北島は休みなく仕事づけで忙しい毎日だった。そんなある日、甲斐大学病院で仕事で吉川先生に会った。中央高速で大きな事故があり大渋滞これから都内の病院に手伝いに行く約束があり困っているんだけど抜け道を知ってるか聞かれた。そこで北島が送りましょうかと言うと、それはありがたいと言ってきた。

 高速の下の国道二十号線も大渋滞でしょうから富士五湖、山中湖経由で津久井を

抜けて八王子に出る方法が良いと教えた。吉川先生が今、昼だが四時から手術が始まると言っていた。吉川先生が頼めるか、と言ったので最善を尽くしますと答えて彼を乗せて出発した。やはり国道二十号は大渋滞、大学を出て山沿いの道を一路、笛吹市方面へ、そして、国道百三十七号線で河口湖へ向かい富士吉田経由で河口湖へ

、そこから道志村を走り津久井を抜けて八王子郊外の病院に三時前に到着できた。

 吉川先生から非常に感謝され、その後、甲斐大学病院の実績は昇り龍の勢いに

なった。夏が過ぎて秋を迎えた。今年も秋が過ぎ忘年会シーズンとなった。

 多摩営業所でも十二月下旬に忘年会が開かれた。今年は石井支店長も来て実績好調でありステーキをごちそうしてもらった。一年前の清水君の話や前所長の話は忘れら

れた歴史の様に話題にものぼらなかった。

 多摩最初の臨時ボーナスは百万円、特別報奨金はなし通常ボーナスが百五十万円、

給料が六百万円、出張+外勤手当が百万円、合計九百五十と減額されてしまった。

 多摩に来て一年目は、ほとんど営業増加に貢献できず、減額されてしまった。

 実績が全ての営業の宿命と考え、今に見てろよと奮起する北島だった。

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