雪国転勤編13話:友人達や信州とのお別れ。

 不動産屋の下島さんから土曜の夜に不動産屋さんの脇のスナックで飲み会を

するとの連絡が入った。参加者は十人。そして、その日がやってきた。

 バスで、そこへ行くと顔見知りの飯田さんPTA副会長の好子さんや友達が

集まっていた。まず好子さんから北島が花束をもらい照れた。そして下島さんが

北島君の送別会の会を開始すると宣言し長めの挨拶をしてくれた。実は飯田歯医者

さんには車で二十分かかる所なのだが家族中で歯の治療してもらっていた。

 今日は気分も最高だし歌いまくるぞと全員で乾杯をして歌が始まった。いつもは

静かな人達だが、お酒が入ると人が変わった様に陽気になって盛り上がる。

 こう言うのって好きだな。ほろ酔いで次々と、いろんな女の人とジルバや

チークダンスや、いろんな踊りを楽しんだ。

 また他のテーブルにいって陽気に話した。好子さんが北島に向かってPTAの

時に、あんなに堅物の様に見えたのに実際は全然違うのねと言うのだった。

 何せ営業マンは相手をその気にさせてナンボだからねと言うと会場は

大爆笑となった。更に彼女は続けて「彼は怪人20面相だ。ある時は営業マン、

またある時はPTA会長、またある時はドンファンといろんな顔を持っている」

「果たして、どれが本当の顔なのかと、おどけて見せた」その話にさっき以上の

大爆笑の渦となった。特に女性達に、おおいに受けた様だ。

 かなり酔ってきて、名刺をちょうだいと言われ配りまくった。

 営業所の所長さんなんだ、まー見えないねとか、それぞれ勝手な事を言っていた。

 宴もたけなわになった後、少しづ帰って行った。

 北島は今日は疲れたから帰りますと、あっさり言って数人、残っていたが、

全員の勘定を済ませ、下島さんのテーブルへ挨拶に行った。

 その時、下島さんが家が売れて本当に良かったねと言ってくれた。

 契約書には「この契約には、瑕疵条項はありません」と記しておいたと言った。

 瑕疵条項をわかりやすく言うと売買が成立しても買い手保護のために購入した後、予期せぬ欠点、欠陥が起きた場合、買い主が売り主に売買の無効、支払金の

返還要求や損害賠償を請求できると言う事。

 だから何があっても北島君は安心だと笑っていた。

 タクシーで、その晩まっすぐに自宅へ戻った。

 女房は起きていて瑕疵条項の話をすると、へー、そうだったの不動産売買って怖いんですねと言い、

 びっくりしていた。金額が金額だから、いろいろ、あるんだよと言っておいた。

 すると女房が売り手に有利な契約書を書いてくれるなんて、やり手の不動産屋で

助かったわねと言った。その数日後、どこから聞いたのか長女の同級生のお母さん

が家を訪ねてきて、お宅のご主人、転勤なんですってねと言うなり、ここの家は

どうするつもりですかと借家にするんですか、また、お売りになるんですかと聞いて

きた。よく聞くと何と彼女のご主人はSK不動産の営業部長だというのだ。

 私どもが、お手伝いしますから是非ご相談下さいと、ご丁寧に挨拶してきた。

 そこで、もう売れましたというと、え、嘘でしょう。

 そんなに簡単に売れるはずはないと吐き捨てるように言った。

 そこでPTA会長の時、知り合った不動産屋さんに、うまくやってもらったんです

と、にこやかに答えると急に顔が曇りだして、やり手の人とは聞いてたけれど

抜けめないんですねと軽く睨んだような目で、こちらを見て、帰って行った。

 また年も暮れれて、また新年がやってきた。約十年の松本での転勤生活に、

ピリオドを打つ事ができた。最後の担当交代の挨拶では印象に残った出来事が

三つあった。

 一つ目は大手医薬品・卸問屋の所長さんが、あなたの会社で、はじめて仲良しに

なれ、やっとパイプができたと思ったのにね非常に残念だと言った。もう少し

いてくれたら、お互いに、もっと大きな商売ができたのにと言ってくれた。

後任の担当者にも良く言っておいてくれと言われた。その際、これは信州の硯、

木曽川の天然石から掘り出したもんだが、北島さんに記念品として送らせて

もらうよと、上機嫌で手渡してくれた。

二つ目は中信大学病院の医局の事務員さんとの別れの時、北島さんの会社の前任

の担当者は今まで医局事務員たちに、ちょっと会釈するだけで先生の居場所を

聞くだけだった。しかし北島さんは、もっと深く来るたびに情報を取っていったね。

 そんな事は大手メーカーしか、やってないのに、たいしたもんだねと感心して

くれていたそうだ。医局の事務員さんの、お茶飲み話になっていたと伝えられ、

自分の行動が的を得ていたんだと思い努力が報われた気がして、うれしかった。

 また旅行で松本に来た時は、ここへ顔出しなさいよと笑って言ってくれた。

 女性は、よく見ているね、また敵に回すと、こんなに怖いものはない。味方に

できて本当に良かった。みなさん、お世話になりました。

 三つ目は東京出身で新しもの好きの久光講師。

 彼はパソコン大好きな北島に興味を持ち、いろいろ、お互いに勉強し合った仲。

 久光先生は、ここでは珍しく純粋な男だった。別れ際に北島君は久光先生が信州

に来て毎日毎日、仕事に追われて忙しい日々を過ごしていた時に来て、いろんな、

すごい事を提案してくれたり相談に乗ってくれたりして、本当にありがとう。

 おかげで、この大学は医療界に電子化の先駆け的な病院になり最近では大企業や

他の大学病院、医療機関から問い合わせが多く、世の中から注目される様になった。

 久光先生がいつか、もし東京に戻って病院に就職したらぜひ来てくれよなと

北島の手を固く握りしめてくれた。これには、さすがの北島も目頭が熱くなって

思わず涙がこぼれてしまった。

人と人のつながりの大切さをしみじみと感じた出来事だった。


 数日後ついに信州とお別れする日がやってきた。松本駅から特急あずさで新宿に

向かう電車の中、まず最初に目に飛び込んだは雪をかぶった北アルプスの勇姿。

思えば仕事で落ち込んでいる時、いつも心を奮い立たせてくれた。

 凜として神々しいまでの美しさは、また都会のビジネスの仕事場に向かう

企業戦士を熱く送り出してくれるのには十分すぎるほどの迫力だった。

 10分、過ぎると塩尻駅が見えた。ここから木曽方面に曲がりくねった国道十九号

を二時間かけて通ったものだ。木曽の桧の臭いが懐かしい。

 塩尻峠を越えると岡谷、諏訪、右に諏訪湖の優美な姿が見えてくる。

 間欠泉センターは日本で代表的な天然の間欠泉で、そこが温泉施設になっていて

休日に温泉を楽しんだものだ。(現在、温泉施設は閉館して存在しません。)

 また数分後、左手に蓼科、その奥に雄大な八ヶ岳があらわれてきた。

 夏の暑い日にドライブで車山高原、霧ヶ峰高原、美ヶ原高原の山岳ドライブを

楽しみ、美ヶ原を、涼しい風の中、散歩したのが懐かしい。

 小淵沢から山梨県に入り韮崎、甲府とつながる。一時間以上過ぎた頃、やがて

相模湖町が見えて神奈川県に入り続いて八王子あたりからマンション群が建ち並び、都会の様子となっていく。戦場に向かう兵士の様な武者震いを感じたのには

北島自身、奇妙な感じがした。そして新宿に着いた。

 そこから徒歩10分の所に東京支店がある。そこで挨拶をしてまわった。

 顔見知りの女子社員は、やさしくお帰りなさいと行ってくれた。

 しかし営業の連中は、何とも言えない複雑な顔つきで、こちらを見ていた。

 中には、いーよなー、成績の良い営業マンは転勤でも、わがままが言えてなどと、

あからさまに嫌みを言うものまでいたくらいだった。

 多分これが営業社員の本音なのかもしれない。

 めんどくさい相手が戻ってきた、また、大変だとでも言いたそうだった。

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