雪国転勤編7話:レ線写真をパソコンに取り込む実験

 中信大学を含め大学系の病院でも中信大メディカル・パソコンクラブの

メンバーが増え売上に大きく貢献してくれる様になり全県的に業績が伸びてきた。

 パソコンのフロッピーディスクを久光先生に渡して欲しいという要請を

多くの先生から受ける様になった。

 学会発表の用のスライドを見てもらいチェックしてもらうらしい。

 仕事面で、この年は植えた種が芽を出し花開きつつある良い年であり順調に

売上もついてきた。

 その後、久光先生からの電話で大至急、教授に会って欲しいのとの連絡があり

急いで医局へ行った。教授に、お会いしお話を聞く事になった。内容は白黒の

レントゲン写真は二十四階調(黒白の濃淡程度が非常に細かい)であり、その微妙

な違いを医者は見分けて骨折している場所と程度を見るというのだ。

 それをパソコンにデータとして取り込む事ができるかという質問だった。

 もし、それができれば非常に役立つし画像データベースとして

ぜひ使いたいと言った。早速調べてきますとお答えして失礼した。

 NEC、富士通に問い合わせてみたが、できないとの回答。

 パソコンの販売会社に聞くと理論的には可能ですが多くのメモリーが必要であり

高額になると言い、取り込むとしても、そんな高性能スキャナーは日本には

ないのではないかと言っていた。どうしても試してみたいと言うと心当たりのある

所に聞いてみると約束してくれた。

 待つこと一時間。IVMが興味を示してきたと言うのだ。もし成功した場合その

結果を会社の宣伝に使わせてくれるなら実験しに行くとの返事だった。

 翌日、この話を教授に伝えたところ宣伝許可の話は承知したと言った。

 教授の空いてる日を聞いて、再度、直接を話してみますと伝え失礼した。

 IVMと打ち合わせをして翌月十日の夜七時から実験をする事になった。

 当日は大型トラック一台と、クレーン車一台と、乗用車一台で、IVMの社員が

五人で医局にやってきた。

 廊下を、大きな台車にのせた大型スキャナー(画像取込装置)と大型パソコンと

ハードディスク装置とモニターを持ってきた。

 医局は広いが機械を操作するのに五人とデータベース研究会の五人と教授の

十一人が入るといっぱいだった。早速レントゲン写真を取り込む事を開始、

最初に機械の電源を入れて五分待ち安定したのを確認してイメージスキャナ

(画像取込装置)の上にレントゲン写真をのせスタートボタンを押した。

 独特の音を立てて少しずつ光が動くのが見え一枚を取り込むのに五分、メモリー

に画像データをため込み、次に、そのデータをハードディスクに書き込む。

 メモリへの取り込みとハードディスクへの書き込みに約十分かかった。

 その画像を二十四インチのモニターに映し出すと見事にレントゲン写真が

映し出された。

 どよめきと、ため息がまじった声が医局内にひびいた。

 それを教授が見始め、画像が暗いからモニターの明るさを上げる様にとの

指示がでて係員が調節した。その画像をじっくりと見始めてから数分して教授が

百点満点中、七十点かなとの評価を下した。もう一つ解像度が欲しいと言うのだ。

 骨折している所は完全にわかる、しかし折れた程度が今一つ分かり難いと言って

いた。この結果に、この会社の担当者は七十点なら、もう少し改善できれば

使えると理解して良いのですねと言った。教授に伝えると全くその通りだと答えた。

 もう一歩といったところだねとの答えに彼は満足した様であった。

 教授から、ところで、この装置、全体でいくらするのかとの質問がでて担当者

から、この装置は市販品でないので値段はつけられませんが一億円以上はする

でしょうねと言っていた。教授が高いな、もっと安くしてよと言った。

 またデモ用に一台置いて欲しいと言い始めた。

 会社に帰って相談するという事になったが後日の連絡で、この機械は試作機で

企業秘密が詰まっているので置いておけないとの連絡が入った。

 その会場に関係者以外の男が数人いたのを不気味に思った。

 多分、日本の大手メーカーであろう事は想像できた。その後アップルから

正式回答で当社では、そういう目的でマックを開発したのではないので、

積極的に協力できないという返事だった。つまりマックとしては大きなメモリーを

買って試してみるのは自由なので自分でやって欲しいという事だった。

 二年半後、マック・クアドラで白黒のレントゲン写真を取り込みデータベース化

できる様になった。価格はソフト込、一台五百万円と以前より随分安くなった。

 この医局では、このセットを一台購入し設置して医局員が自由に使える様にした。

 その後、時代の流れと共にマックの時代がやってきた。パワーポイント

(スライド関連ソフト)、パワースウェーション(スライド作成ソフト)、

フォトショップ(スライド関連ソフト)、ファイルメーカー

(カード型データーベース)、ロータス123(表集計計算ソフト)などの

ソフトの使い方を勉強していった。

 ただ日本語ワープロソフトは日本製のパソコンの一太郎の方が日本語変換の

正確さで勝っていた。北島も先生方の中古パソコンを買ったり、また新入

医局員に中古で売ったりして、いろんなパソコンを使うことができた。

 MAC・SE30、LCⅢ、LC475、クアドラ800など数多くの

パソコンを自由に使えた。また日本で最初のCDをメインに使うFMタウンズ

(富士通)も印象的。今から考えても北島にとって夢の様な時期だった。

 ただ1台でワープロ、スライド関連、データベースソフトで満足させるマシン

はなく日本製のパソコンとスライド用パソコンマックの二台持ちの先生が多かった。

 医局にマック・クアドラとNEC9801が、一台づつ置いてあり、

医局員がいつでも使えるようにしてあった。

 ソフトの不具合やアップデート、メンテナンス管理を久光先生が

行っており業者の手を借りる場合は北島の方で連絡して修理の手配をした。

 そう言う意味ではパソコンの創世記に中信大学では医学、医療の電子化について

先進的だったと思っている。

 医局で少しづつ人間関係ができてきて徐々にであるが情報が増えていった。

 そして先生の移動時に情報を赴任先の担当者に渡せる様になってきた。

 こうする事によって実績も飛躍的に向上してきた。特に仲の良くなった先生の

移動先には担当者同行で挨拶回りを欠かさずに行う様にした。

 波及効果が出始めて県内の売上も一年目がプラス十%、二年目がプラス十五%と

伸びて、念願の営業実績で表彰の栄誉を得る事ができた。

 六月お祝いに松本郊外の温泉で一泊で慰労会を営業所全員で開いた。

 長く苦戦していた南信の吉川君も涙を流して喜んでくれたのは感動的だった。

 吉川君が負け犬では終われない、これからですね。またもう一度、全国一を

取り営業所を作りましょうと檄が飛んだ。その晩の、お酒のうまさは、今でも忘れられない。松本赴任二年目は、社内の等級が一つ上がり課長になった。

 臨時ボーナスも百二十万円、報奨金が三十万円と、通常ボーナスが百万円、

給料が四百五十万円、出張+外勤手当が百万円、合計八百万円と過去最高。

 こうなったら年収一千万円突破を目標して頑張ろうと心に誓う北島だった。

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