営業編3話:新人時代、個性的な先生達
次に印象に残った四人の先生の思い出を書く事にしたい。
まずは石川病院の吉田院長。
彼は十年以上の船医の経験があり、当直の日に、訪問すると、いろんなエピソードを話してくれた。
東南アジアのある航海の時に海賊風の反政府勢力の小船に追いかけられて、
ついに、海賊が船に上がってきた。
ピストルを持っていたので、あわてたそうだ。
海賊の首領と思われる男が英語で、きれいな女はいないかと迫ってきた。
しかし、この船には女はいないと言うと、次に酒はないかと言われ洋酒を
数本、渡した。
金、銀、宝石も要求してきたが、もってる紙幣と腕時計を渡した。
海賊は、なんだ、これっぽちしかないのかと、怒っていた。
最後に、お前は何をやっているのかと聞かれ、医者だと言うと意外にも
血止めと下痢止め解熱薬、頭痛薬を要求され渡した。
そして商売がら使用量と使用上の注意などを丁寧に教えた。
すると熱心に説明するので感心したのか海賊の首領の男がありがとう助かるよ、
と返答してきというのだ。
これには驚いたと話していた。その後この船が大型タンカーという事も
あり直ぐ降りて行った。
実際には料理・洗濯・炊事をする為に、二人の中年のおばさんがいたのだが
倉庫に閉じ込め、見られない様にしていたため助かった。
その他、台風に遭遇して九死に一生を得た話なども聞かせてくれた。
先生の宿直の日は、そんな話を楽しみに訪問するのだった。
数日後、吉田先生の外来後、面会しようと外来で待っていた。
この当時は生活保護の患者さんや日雇い人夫の患者も多く外来待合室中、
臭い体臭が充満して臭かった。
少し待っていると温厚な吉田先生が診察室で大声でどなっている声が聞こえた。
耳を澄まして聴いていると患者が足が痛いから内服鎮痛剤と軟膏とシップを
一ケ月分くれと言っていた。
それに対して先生は、そんなに多くの薬をどうするんだと詰問した。
患者が使うですよと返答すると嘘つけ生活保護で医療費無料なのを良い事に
処方した薬を帰りの橋の先で業者に売るんだろうと言った。
患者が、そんな事しねーよと返答していた。
吉田先生が駄目だ前回処方した薬があるはずだから今日は出さないと強く言った。 患者が、ちぇ今夜の酒代にしようとも思ったのに今日は、
ついてねーぜと言った。
馬鹿もん、お前の様な奴がいるから世の中が悪くなっていくんだと
大声で患者にどなった。
外来を終えて面会すると吉田先生は疲れた様だったので、先生大変ですね。
また宜しくというだけで、短時間で失礼した。
帰り際、橋の向こうで業者が薬を買い取ると言っていたので長い時間、
北島は離れた所から見ていた。
すると生活保護の患者と見ると急に見えにくい所から男が姿をあらわし、
薬の袋を見て電卓片手に買い取ってるではないか。これは完全に法律違反だ。
しかし、こういう事が、闇で行われているのをみて、愕然とする北島だった。
次に三上診療所の田臥所長を思い出す。彼は元日本海軍のエリート将校。
まず、おしゃれであり糊のきいた真っ白なYシャツと、素敵な柄のネクタイ、
きちんと折り目のついたズボンと、格好良いサスペンダーと高そうなメガネ
という、いでたち。
物腰の柔らかい話し方で、じっくり相手の話を聞いてから、答える姿は、
男から見ても格好良かった。
北島が訪問して薬の説明をすると当院に適した医薬品を手短に説明しろと
説明時間を十分以内と言ってくる。
まさに合理的。田臥先生を接待する機会があり、その際に面白い話を
伺う事ができた。
先生は今は労働安全、安全第一となっているが昔は製造している船が第一であり
人命は、その次だったと言った。
その当時でも仕事前に朝礼と点呼を毎日していた。そして帰る時も点呼を
するのが決まりだった。
たまに作業終了時の点呼で数人足りない日があっ。作業の遅れには厳しい会社
だったが点呼で人数が足りない時には、ある程度作業場を探すのだが見つからなく
ても三十分位で切り上げて帰った。
そして数日後、重機の下敷きになってたり、ドックの水槽に沈んでいる遺体が
発見される時があった。
その検死は意外に簡単で書類一枚書いて終わりだった。作業員の多くは
田舎からの若手の独身男性や出稼ぎ労働者が多かった様で、いなくなっても
現在の様に捜索願とか大事にはならなかった。
その晩はアルテリーベという横浜でも老舗の洋食屋での接待の時、
そんな生々しい話で盛り上がっていた。アルコールも入り田臥先生が北島に
重機の下敷きの死体とか大型船に挟まれた死体の様子などを細かく教えてくれた。
看護婦さんたちは特に気にせず血のにじんだミディアムレアのステーキを
おいしそうに食べていた。
田臥先生が男の溺死と女の溺死は、どう違うと思うかと北島に聞いてきたので、
もちろん見たこともないので、わからないと答えると男性は顔を下に女性は
顔を上にしている場合が多いと教えてくれた。
昔は人命は軽視されていたね。とにかく期日までに大型船を完成し進水する事が
第一だった。
今は労働衛生管理、安全第一と、非常にいい時代だと感慨深めに話していた。
そして北島が田臥先生の海軍での話を聞くと参謀本部にいたと言い、
あの時代は、おかしな時代だったというだけで、その話は、したくなさそうなので
触れない事にした。
接待を終えて田臥先生を、お送りするタクシーの中で先生が田臥先生は
北島みたいな素直な若者は好きだ、だから言うのだか身だしなみには気をつけろ、
営業は相手と駆け引きなんだ、そこで見くびるれる様なだらしない恰好はするな。
もし見くびられたらそれで北島君の負けだ。
次に確実にわかる事以外は常にわかりませんと言えと教えてくれた。
知ったかぶり程、みっともない事はないから絶対にするなと言った。
最後に新人であろうがベテランであろうが競争相手に絶対負けない気持ちで
ぶつかれ弱気になった時は、負けが決まってると言ってくれた。
多分、長年の人生経験で身につけた話なのか本当に説得力があり終生
このアドバイスは忘れないであろう。
その他に印象に残っている先生は親切病院の木内先生。
耳鼻科の先生で無愛想でしたが、的確な診断で、患者さんから、絶大の支持を
受けていた。
この先生は、手短に、端的に、話さない人は、大嫌いで、そう言う営業マンの
事を、時間泥棒と言い。もういい出て行けというのだ。仲間内では有名。
仲間内では、有名な、やっかないな先生だった。しかし何故か、
北島とうまがあい雑談をしてくれた。
ある日、診察後外来で面会すると、北島が自社の薬の良い点を文献を
使い端的に説明した。
木内先生は、わかった文献は,気が向いたら読むかもしれないから、
そこに置いておけと言った。
先生の控え室には本格的なネルの布を使ったコーヒードリップ装置があり、
いつも本格的な旨い珈琲を飲ませてくれた。
珈琲好きの北島としては先生と面会した時の至福の珈琲タイムが、
いまだに忘れない。
北島が珈琲通と言う事を先生も知っていて北島の飲んだ時のコメント聞く
のが好きだったのではないかと思う。
その日は、いつになく先生は上機嫌で珈琲と、そのお菓子を食べていけ
というのだ。お言葉に甘えて旨い珈琲と,お菓子を、ゆっくりといただいた。
その時であるカーテン越しに先生が裸でタオルを腰に巻いて
北島の前に突然、現れた。
びっくりして先生どうしたんですか、とたずねると風呂に入っていたと
言うではないか、きょとんとしていると患者を診た後に必ず,
風呂に入る事にしていると言った。
その風呂は洋画に出てくる陶器の足つきの白いバス。
外来を終えた後、菌や、ウイルスを洗い流すために風呂に入ったのが習慣化して
、毎日、外来の隅の小部屋をバスルームにして入浴する様になったそうだ。
最後にもう一人、印象に残っている先生は、山本病院の山田先生。整形外科の
先生でミスター・サージャリーと呼ばれる脊椎手術の名人。
腰が痛くて車いす生活をしていた患者さんを手術して,1週間後には
自分の足で歩ける様にしたりと患者さんに絶大の信頼を得ている名物先生。
先生は北島に医療に携わる者は勉強しなければならないと看護婦さん向けの
参考書をに渡してくれて勉強する様にと指示した。
そんな時、看護婦さんと同じ試験を同じ会場で受ける様にと言ってきた。
最初、北島は戸惑い先生に本気ですかと聞くと先生はいつも本気ですとの返答。
仕方なく受験する事になった。緊張しながら試験会場に入ると大勢の看護婦さん
達が,北島の顔を一斉に見た。
そこで恥ずかしいので下を向きながら指定の席に座り試験を受けた。
翌週、先生に会った時、看護婦さん達の平均点と北島の点数を見せてくれた。
順位は、最下位ではなかったが下の方だった。
まー短期間の割には、よくできた方だねと先生が笑いながら、北島に言った。
なぜ北島に試験を受けさせたのですかと、先生に聞くと薬屋さんの知識は、
こんなもんでは、まだまだ足りない
という事を理解してもらいたかったから看護婦の試験を受けさせたと言った。
看護婦さんは実際に患者さんに接する機会が多く必要な知識は多い。
それに比べ北島君たちMRは、先生方に、自社の製品を勝手な理屈を並べて宣伝を
してくるが、宣伝するなら、もっと知識を持たなければ駄目だと思っていた様だ。
そのため北島君が実験台になったという事なんだよと言っていた。
確かに先生の言うことは理屈が通っており
反論できないと思う北島だった。看護婦さんと一緒に受けた試験が終わった後、
北島は左肘が動かなくなって山田先生に診察してもらったところ、関節ネズミと
診断された。
柔道で左肘を脱臼した時に軟骨がはがれて塊となったものが肘関節に挟まって
動かなくなった。早速入院手術となり手術三日目から北島君は、若いから早期に
リハビリをしようと開始し始めたが、肘を動かしはじめたとたん急に激痛が走り、
左肘の手術部位が腫れ上がった。
山田先生がリハビリは、まだ早かったのかなと言って注射器で肘の中の血の
混じった水腫を抜いてくれた。
今後は七日間肘を動かさずにいてと言われた。
その為、入院日数が当初予定の七日から十四日と遅くなってしまった。
その時、北島の母が山田先生と会った。
山田先生が北島君が看護婦さんと同じ試験を受けた話や、その時に北島君の
姿を見た看護婦二~三人が、素敵と言っていた話などをした。
よかったら、つき合ってみたら良いのでは、と迄、言ってくれた。
病室で北島が、その話を聞いていて営業マンは転勤があるので看護婦さんに、
迷惑掛けられないから結構ですと言ってしまった。
母は、そんなこと言うもんだじゃない看護婦さんなんて、なかなか、
つき合ってくれるもんじゃないし話にのってみたらと北島に言うのだった。
ただ一度、口に出したことを撤回するのが嫌いな北島はハイとは言えなかった。
翌日、山田先生が、彼女たちの写真を持って病室に来た。
母は、それを見て、きれいな人じゃないか、看護婦さんだから頭も良いし
一度つき合ったらと言いだしたのだ。
山田先生も一度会ってみたらどうだというので退院の日、近くの喫茶店で会う
事にした。退院の当日、昼時に、三人の看護婦と会った。
その中の一人、あけみさんが北島さん柔道やってたのね、
文武両道というわけですねと
笑っていた。営業の人が看護婦の試験を受けのは、勇気のいる事ですよね、
でも良く頑張って勉強しましたね。
きれいな人が多く緊張し、あまり話せない北島だった。
その後、仕事に戻り時間に追われる毎日で、この看護婦さん達とは、
つきあえなかった。
もしかしたら逃がした魚は大きかったのかも知れないと後で後悔する北島だった。
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