青春編5話:趣味とアルバイトと専門課程

 北島だけの空間を持てたことで、集中して勉強も趣味もできる様になった。

 英語はFEN(米軍の英語放送)を毎日聞く様にして英語が

錆びない様に鍛えていた。

 自由になる金も少しできた。そこで最初に興味を持ったのは珈琲。 

 喫茶店で飲んだ珈琲の旨さが忘れらなかった。 そこで最初は手動式珈琲ミルと

サイフォンを買って豆をひいて珈琲をいれる様になった。

 サイフォンは下に球形のガラス容器(フラスコ)と上に円筒形の

ガラス容器(ロート)と二つの容器をゴムで接合できる形状であり、

ロートの下に、布製のフィルターをかましてあり、そこで濾過する

格好になっている。

 書いて説明するより実際に見た方が、わかり易い。

 サイフォンは水の入った下のガラス容器(フラスコ)の下から

アルコールランプに火をつけ直火で湯を沸かす。

 湯が沸き始めたら、ひいておいた珈琲豆を、上のガラス容器(ロート)の

フィルターの上に置き、ロートをフラスコに差し込むと、沸騰したお湯が

上の容器に移り全部が上に移った時に、アルコールランプを消す。

 そうすると上にたまった珈琲と湯の混ざったものが真ん中のフィルターで

濾過され、香ばしい珈琲ができる。

 ただ、その後、サイフォンを毎回洗う事が、面倒になり簡単なドリップにした。

 珈琲はモカ、キリマンジャロ、マンデリン、ブラジルなど、いろんな豆を、

少しづつ買って楽しむ様になった。

 その後、紅茶にも興味を持ち、アールグレー、ダージリン、オレンジペコなどを

飲み始めた。

 その次に、当時、はやっていた、ゲルマニウム・ラジオに興味を持った。

 その後、トランジスタ・ラジオを経て、オーディオに、夢中になっていった。 

 北島は、趣味というものは、最初、あこがれから始まり、その夢が、

だんだん大きく膨らんでいくものだと再認識させられた。

 夏休み冬休みのアルバイトは海芝浦にある東芝関連の工場で

働いた時間が最も長かった。日当は、二千円だった。

 当時は公害の一番ひどい時期で、毎日、午前用と午後用のガーゼマスクを

与えられていたが半日で真っ黒になり、硫黄臭がして気持ち悪かった。

 北島は、昼食は社員食堂で、定食二百円、天ぷらうどんが百六十円。

 毎日の様に、定食+うどんか、そばの連続で空腹を満たしていた。

しかし工場は東芝系で他の工場より環境や労働衛生は、比較的良かった様だ。

仕事を終えると必ずお風呂に入り家に帰る日々だった。

 家までは電車バスでを乗り継ぎ、九十分程度。当時、工事現場での

手伝いで仕事を終えた後に、たまに横浜駅近くの野毛の寿司屋で親方に、

寿司を食べさせてもらった。

 その時の親方は、寿司を食ったら、さっさと帰っていいぞと言っていた。

 親方は、少し楽しんで帰るからと、意味深な笑いを浮かべ、

店の二階に女と上がっていく。いわゆる、ちょんの間で楽しんだのだ。 

 その他、工事現場の手伝いが不定期で日当が三千円。

 一番、給料の良いアルバイトは横浜港での荷受けで一回運んで千円。

 しかし荷物は五十~八十キロあり担げる人は、そんなにいない。

 ただ、給料が良いとの噂が立ち担ぐ人が多く集まる様になり一日、

最高五回位までしか担げない様になっていった。

 つまり北島にとって日当五千円が最高額のアルバイトだった。 

 当時、一番、高い学生アルバイトは米軍基地での米兵の死体洗いで日当一万円。

 しかし実際に経験した先輩に聞くとホルマリン臭がきつく死体を見て

一週間食欲が落ちて二度としたくないと言っていた。

 北島はアルバイトと家庭教師で年間十万円以上、稼いぐ様になり

オーディオにのめりこみ始めた。

 時間がある時は、よく秋葉原へ行きショールームでステレオサウンドを

聞いて憧れが強くなっていた。

 最初ターンテーブル(レコード盤をのせて聞く装置)FMチューナー、

プリメインアンプ、スピーカーを買いそろえた。

 そのメカマニアが、高専のコンピュター・プログラムの時間で、実際に

プログラムを組んで大型コンピューターを動かす授業を受ける様になり、

その憧れがコンピューターに向っていった。

 そして数年後に日本で最初のマイコンを買う事につながっていった。

 高専に入って時間ある時には秋葉原に出かけ、最新のオーディオ機器を見て

触れて、最新情報を入手した。

 試聴室で、気に入った曲を聴く事が好きで、当時、好きだった曲は、

 サウンド・トラック、レイモン・ルフェーブル、ポールモーリア、

パーシーフェイス。

当時、有名な、国産スピーカーは、ヤマハ、オンキョー、デンオン、三菱、

サンスイ。米国製ではJBL、欧州製ではタンノイ。

 その中でも、北島は、JBLの大ファンになった。

 その後、バックロードフォンという、特殊な形状の高効率、高能率の

スピーカーが流行りだして、北島も作成キットを買い作ってみたが、

部屋が六畳と狭く、メリットを十分に生かせなかった。

 高専も四年になり専門課程に入った。北島の入った研究室は物理化学研究室。

 その理由は二つある。

 一つ目は実験があまり好きでなく、化学溶液には臭いものが多く、

くさい臭いが嫌いで、すぐ頭が痛くなる。

 二つ目は不器用で溶液の混合する際の微調整が苦手。

 それらの点で有機化学系、高分子化学が、対象から外れる。

 数学は大好きで計算したり方程式を解くのが好き。

 また理屈をこねるが大好きだった。

 これらの理由で物理化学を専攻する事にしたのだ。

 研究室では担当の先生が触媒、吸着を研究していた。

 その先生がユニークで男と女の間にはベクトルがあって、その方向性と、

その力によって、その二人が結婚するかどうかが決まるとい言った。

最初、みんなは馬鹿にして相手にしていなかったが真面目な顔でそれを証明してみせると意気込んでいた。

 先生が、そのベクトル(大きさだけでなく向きも持った量の事)を測る装置を、真剣に作ろうと考えていたのだ、

 しかし、そのベクトルの力が小さすぎるので理論的な話ばかりで

測定装置の設計する所までは行かなかった。

 工専は、三年間で、数1、数ⅡB,数Ⅲ、応用数学と国語、化学、歴史、

英語など一般教科を習う。

 北島は数学と化学と英語はトップであったが、その他の教科の点数が

中の上くらいだった。三年まで化学科の中でライバルに、一般教科では

負けており、常に二位で悔しい思いをしていた。 

 北島は元々、好きで入った化学科という事もあって専門分野の学力が、

かなりついてきた。

 四年になり中間、期末テストの範囲が専門分野に絞られてきた。

 四年になって逆転できた。念願のクラストップ。

 最終的には主席で化学科を卒業する事ができた。

 しかし研究室全体で見てみると、物理化学研究室は各研究室の中でビリか、

その一つ上だった。

 と言うのは化学において有機化学系、高分子化学が当時、花形であり

物理化学は理学に近く即実践に使える工学系とは言いにくい分野である為、

あまり目的を持たずに何となく物理化学研究室に入ってくる者が多かった。

 そう言う訳で他のメンバーが平均点を、おもっきり下げてくれた。

 卒業式の後、各科の総代が学校とと関係が強い三菱財閥の機械、電気、化学会社のトップと面会して、今後、社会に出ての抱負を話す事になっていた。

 そこで、北島は世界で一番の工業国家・日本の化学の分野での一翼を担い

たいとか、日本の未来の為に貢献したいとか、歯の浮く様な事を言った。

 今考えれば、大それた事を言ったと後悔している。

 そして、この学校では、クラスの1、2,3番の学生は三菱系の企業に

学校推薦と言う形で入社する習わしがあった。

 そのため、北島は、三菱・・化学の商品研究所に入社することになった。

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