第3話 意思疎通の彼方に

 秋になり、XXXは上位につけていた。

 国内のサッカーリーグで、二部から一部への昇格方法にはふたつある。

 ひとつは、上位二位以内に入ること。こちらは、前年に一部から降格してきたり、予算が潤沢にあるそこそこ強いクラブで争われるため、XXXのような弱小クラブには難しい。

 狙うべきは、もうひとつ……三位から六位の間に入り、この四クラブ間での最終決定戦――プレーオフ、というらしい――をおこなって、勝ち抜くことだ。


 俺はすっかりXXXの動向が気になるようになり、PCとスマホで使えるサッカーのライブ動画配信サービスがあることを知った。

 月々数千円は少々痛いが、今季はちょうど円盤が欲しいアニメもなく、それを買う金だと思えば安いものだと思い、契約した。便利だ。二部の試合まで全試合ライブ配信するし、ハイライトやゴールシーン、終わった試合もすべて見られる。


 ミズキはアウェイまで全試合遠征しているので、勝った、という報告のあと、俺が動画配信で誰の得点だったのか、カードはなぜ出たのかというような情報を送るなどして、LINEでの交流が続いていた。

 奴は――細かなおつかいを言いつける親からのものを除けば――一番多くメッセージをやりとりする相手だった。


『おわった』


 そのミズキから、試合の日でもないのに、LINEがきた。

 どうしたのか、と聞くと、出勤中に信号停止していたところ、老人の運転する農業用軽トラックに真横からぶつけられ、両者、ケガ人は出なかったものの、ミズキの車がかなりのダメージを受けてしまったという。


『遠征行けない』

『バスツアーは?』

『しめきり』


 奴はどこのアウェイに行くにも車移動、かなりの遠方ならばクラブが主催するツアーを利用していたので、翌日の試合に行く手段がなくなった、と言いたいようだった。確か、次の相手はそれなりの地方都市で、鉄道がつながっている。

 俺はごく自然な選択肢を提示した。


『新幹線で行けば?』

『乗ったことない』


 ……はい?

 

『買い方わかんない』

『ユイちゃんわかる?』


 わかるけど。昔ハマってたアニメのリリイベがそこでしかやってなかったんだよ。


『一緒行こ!』

『えっ』

『ていうか』

『連れてって!』


 ……その数秒で、俺はなんとアウェイの試合についていく羽目になってしまった。はじめての、遠征というやつである。

 

 ◆


「7号車ってどれ!? どこ来るの!?」

「いや、そこに書いてあるから」


 俺の車でミズキを拾って、新幹線の停車駅へ。

 それからチケットを渡し、ホームに出た。売店には、日頃目にしない地元グルメをふんだんに使った弁当が並んでいる。


「俺あれ食べたい! 駅弁! 名物みたいなやつ!」

「……蝗かよ」


 「蝗」というのは、俺たちXXXの一つ上、一部リーグに所属するとあるクラブのサポーターの呼称、なかば敬称、である。彼らは二週に一度のアウェイ遠征となると、行き先のグルメを調べつくし、売り切れ続出になるまで食い尽くすことで知られている……という。


「ユイちゃん知らないだろ! ほんとの蝗が来たときのこと!」


 ミズキは目を輝かせて、海産物の煮込みが詰め込まれた弁当を、新幹線の席で広げた。俺も腹が減っていたので、和牛のどんぶり飯を買って一緒に食った。

 ヤツの話によれば、サポーターが蝗と呼びなされる例のクラブが、所属するリーグを問わないカップ戦で対戦し、俺たちの地元を訪れたことがあるのだ、という。

 そのころ中学生だった俺はもちろんサッカーに興味がなかったので、ヤツの話は面白かった。


「すごかったんだ、新幹線もバスも飛行機も満員でさ、青赤の……あ、蝗のユニは青と赤のシマシマなんだけど、それ着たやつらが街じゅうにいた。うまい飯屋に並んで、土産屋が空っぽになったんだ。カップ戦でそれだからさ、リーグになるともっと来ると思う」


 蝗どものいるクラブには、日本代表の選手が何人かいる。それで、飯屋だけでなく、スタジアムも盛況だったと、ミズキは興奮気味に話した。


「一部に上がったら……すごいよ。XXXの試合、テレビでやるんだ。地上波でやることもある。日本代表が地元に来る。そんで、お客さんも増える」


 いま、XXXがいる二部リーグは、実力の問題もあり、代表選手などほとんどいない。ベテランの「元」代表がいるくらいだ。彼らのプレーは素人の俺でも胸踊るものがあるけれども、現役日本代表となると、いったいどうなるのだろう。

 弁当を食って、そんな話をしていると、あっという間に目的の駅に着いた。


「やべー! スタグルめっちゃ充実してる!」


 スタジアムの屋台に飛びつくミズキの背中を見送って、俺は、なんとなく、国内サッカーの楽しみ方を知った気がした。試合も大切だけれど、それ以上に、見知らぬ土地の飯や人に触れて、知ること。そうして彼らをリスペクトすること。

 海外では、なかなかない光景だという。


 なんとなく、アニメの楽しみ方に似ている気がした。ただ放映を見るだけではなくて、聖地巡礼をして、同じ想いの仲間と話をして――


 試合は何度も追いすがられたけれど、なんとか引き離して勝つことができた。ちなみに俺のゲーフラは、この土地の名産品の肉の串焼きを頬張る女の子の絵柄にした。


「とぉいトコ来てくれて! あざぁす!」


 コールリーダーは、彼なりの感謝を言葉にして、ゴール裏からバックスタンドまで、頭を下げてまわっていた。見た目は怖いけれど、それでも彼の真摯な態度を、俺は読み取ることができた。目が合うと、不器用に笑ってくれた。


 この試合で勝ち点をとったことで、プレーオフ進出が現実のものになる。

 それが、俺自身にとっても嬉しいことなのだと、思えるようになっていた。


 帰りの新幹線、ミズキはぐっすり眠っていた。

 疲れているのだろうと思って、最寄りに到着するまで寝かせておいた。


 ◆


 晴天の霹靂は、秋の深まった、冬の匂いがする日に訪れた。残り一試合、ホーム戦。勝てばプレーオフ進出が決まる大事な時期のことだった。


「出禁!?」


 ミズキや坊主のコールリーダーをはじめとする、一部サポーター集団が、クラブの運営側からスタジアムへの出入り禁止を言い渡されたのだ。


「ど、ど、どうして」

「なんか……ダンマクとか、コールが乱暴だからって、さ」


 プレーオフ進出が手堅いものになってきた今、クラブ側は一部リーグ昇格を見据え、スタジアムの治安向上を目指す、というプレスリリースを出し、一部サポーターと対立した。


「ぶっとばせ」


 はじめに問題視されたのは、俺が最初に震え上がった、あの横断幕――略してダンマクという――だった。地元の方言で「ぶっとばせ」という意味の、さらにキツイ表現だ。


 クラブ側の言い分は、第三者から見ればもっともだった。一部昇格がもし現実のものとなれば、客が増え、家族連れや少年サッカークラブの子供たちにそのダンマクが目に触れる。はじめての客は怯えてしまうだろう。

 できることなら、それを外してほしい。そういう交渉からはじまったらしい。

 そのほかにも、サポーターたちが歌う応援歌――チャント、だ――の歌詞にも、過激なものがあり、そこもなんとかならないか、と、クラブを支えるスポンサー、そして競技場を提供している自治体の議会から要請があったそうだ。


 しかし――


 コールリーダーたちは、そういう「大人の事情」を受け入れられなかった。自分たちがずっとサポートしてきたことを否定された、そう感じたのだという。

 話し合いはいつしか口論に発展し、物別れに終わってしまった。ミズキのような穏健派の言葉は、過激派たちに届かなかった。

 結局、残りホームの一試合、過激派サポーターたちは入場禁止になってしまった。


 誰が悪かったのか。

 にわかの俺にはわからない。


 たしかに、「ぶっとばせ」なんて言葉は、怖かった。でも、サポーターたちの想いは、相手をリスペクトした上で、それでも跳ね返してしまえ、というような、鼓舞だったのだと思う。


 ただ、お互いの言葉が通じなかった。

 俺がはじめ、彼らの言葉をすべて「ウェイ」としか聞き取れなかったように。


 自治体のお偉いさんたちにも、そう聴こえたのかもしれない。そうして、逆も然り。

 サポーターの皆にも、自治体のお偉いさんたちの言葉が、複雑怪奇な異国語に聴こえたのかもしれない。


 アニメゲーフラ職人のアカウントを久しぶりに覗いた。鬼の首をとったように、過激なサポーターたちを批判していた。俺は苦しくて、最後まで読めなかった。


 だって、コワモテのコールリーダーは。

 チケットを買っただけの俺に感謝してくれた。

 そうして、ミズキは。

 俺の拙いゲーフラをリスペクトしてくれた。手を差し伸べて、スタジアムに連れてきてくれた。


 彼らを悪として切り捨てることは、俺にはできない。自治体やクラブの決定には粛々と従うほかないけれど、それでも、俺は。


 彼らがクラブをサポートする気持ち、強くなってほしいという願い、勝利への希望、そういった感情は本物で、その気持ちをうまく皆に表現できる「言語」を持たなかっただけなんだと、思っている。


 俺は、ホーム最終戦、数の減るであろうゴール裏に立つことに決めた。

 ミズキにそうLINEをすると、何だか無理にテンションの高いスタンプのあとに、ひとこと返ってきた。


「オレの魂みたいなものは、全部ユイちゃんに預ける」


 ……もう、そのときの俺は知っていた。

 その言葉が、この国のサッカー界で王様と呼ばれ、尊敬される選手の、大切なひとことだということを。


 ◆


 ……さて、俺がなけなしの運動神経に鞭打って飛んだり跳ねたりして応援した最終節だが、チームはびっくりするほどヘタレてしまった。3点も取られて負けて、プレーオフを逃してしまった。


 しかしながら、サポーターという生き物はたくましいもので、俺とミズキは郊外のショッピングモールに入っているマクドナルドでバーガーをかじりながら、早くも来年の話をしている。選手の補強はどうするか、スタジアムの改修予定はどうなるか、将来はどんなクラブになりたいか――


「来年はユイちゃんももっとアウェイ行こうよ」

「ミズキの出禁解けるかな」


 ミズキによれば、横断幕の責任はコールリーダーにあると責任を背負ったそうで、太鼓や旗を担当していたミズキほか、主要メンバーの出禁は、過激なダンマクやチャントを使わないという条件で、来年の開幕戦には解けるだろうとのことだった。


「リーダーも帰ってこれるといいね」

「大丈夫だと思う。話し合ってるみたいだし」

「そういや、ユイちゃん最近なんか絵、描いた?」

 言われてみれば最終戦以来、描いていない。

 素直にそう言うと、まだ時間があるので、今度こそ選手の似顔絵を描いてほしい、という。


 なんとなく、描ける気がした。

 定期的に絵を描く習慣がつくと、多少はうまくなるものだ。写真を見ながら、シルエットのような絵柄ならいけるかもしれない。


 チームカラーの布と、絵の具を買った。

 失敗するかもしれないが、シーズンが始まるまで三ヶ月ある。何度でも描き直せばいい。


「うまくできたらさ、練習場でサインもらおうよ」

「え、そ、そんなのできるの」

 ファンサービスの一環として、そういうものがあるのだという。俺の絵などに選手のサインなんて恐ろしいが、しかし、魅力を感じてしまった。


 ――サッカーは続いてゆく。


 この先、たとえ選手や監督が変わろうと、サポーターが世代交代しようと、クラブは生きる。そうそうすぐに、オワコンにはならない。

 そうして、スタジアムにいるのはウェイだけではなかった。選手の祖父母みたいな爺婆もいれば、はやしたてる子供をひっ捕まえて座らせようと躍起になっている親子連れもいる。

 そんな混沌とした客席の中にひとりやふたり、オタクがいようと、さして目立ちはしない。誰でも、XXXに勝ってほしいと願うかぎり、そこにいていいのだ。


 どうやら、このスタジアムの空気が、心地良くなってしまったようだ。

 俺は来年も契約を継続するキャプテンの写真を取り出して、ゆっくりと筆に絵具をつけた。


[了]

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俺の親友がダンマクトラブルで出禁になるはずがない さばかん @sabacan

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