第2話 リスペクト
地方というのは恐ろしい。
もうスタジアムには二度と行くまい、と思い、サポーター集団の悪口を書き続けるアニメゲーフラ職人のアカウントはそっとミュートし、絵も描かずにぼんやりしたオタク生活に戻ったはずの俺が、十日ほど後……使っている車を、車検に出さねばならなくなった。
最近になって親のものを譲り受けた軽自動車で、いつもアニソンがかかっている。愛車というほどではないが、ここでは必要不可欠な足だ。
「あれ!? アニメのお兄さんじゃん!」
なんてこった。
親が使っていた小さな自動車工場、そこの整備工が、件のイケメンウェイだったのである。
水谷瑞樹、と名乗った。
ミズキと呼べといわれた。こちらも名前を書かないわけにはいかないので、油井有司、という名前を知られてしまった。
「ユイちゃんだ」
メガネのガリのキモオタにちゃん付けんなよ。
「同い年じゃん! どこ中? あ、でもオレ山の方からこっち出てきたんだよな、学校はかぶってないか」
なんで免許証には氏名生年月日の個人情報が載っているんだ、漏洩だ、機密を保持しろ!
「描いてる? ゲーフラ」
「ええと……なかなかうまくは……」
「だよなー、難しいよな。オレもゲーフラ一度作ってみたいんだけど、字も汚いから無理」
代車が来るまで待ち時間があるとかで、とりとめもない会話をした。なぜかミズキは俺が数日後のホーム戦に行くことを前提にしゃべっていて、何も用意していない俺にはそれが何だか心苦しかった。
「ユイちゃんはすごいよ」
「へ?」
「布にあんな細かい絵が描けるんだもん。オレにはできないから、すごい」
――リスペクト、というやつだろうか。
まとめブログで見たことがある。相手の能力を尊重する姿勢。体育会系お得意の綺麗事だと思っていた。まさか、真顔でそんなことを言うヤツが実在するなんて思わなかった。それも、俺を、俺なんかを相手に。
「……それなら、ミズキさんのほうがすごいです。試合の間じゅう、歌って跳んでるし」
「敬語とか『さん』とかいらないよ、タメでいいって! 逆にオレには歌うくらいしかできないんだもん」
「……ミズキは、ちゃんとサポーターだから、すごい、よ」
ミズキはきょとんとした。
「ユイちゃんもサポでしょ?」
「そうなのかな」
「XXXに負けて欲しくてスタに来てんの?」
「そんなわけない!」
つい、強くなった、自分の言葉にも驚いた。
「勝って欲しい……応援はしてる……でも……そんな詳しくないし……」
「ああ、いろいろ言うよね、跳ばねぇ奴はサポじゃないとか、ニワカはいらないとか、ネットでもスタでも。でも関係ないよ」
ミズキはそう言って、工場の事務所に掛けてある、XXXの選手が載ったカレンダーを見上げた。
「XXXに勝って欲しいと思って観てれば、みんなサポ。仲間だと、オレは思ってるよ」
車検の手続きが終わり、俺は代車で工場をあとにした。
ミズキが浮かべた満面の笑顔が、まぶたの後ろに張り付いて離れなかった。
◆
手続きの書類にうっかり書いた携帯番号からか、それとも本名で検索でもしたのか、ミズキにLINEの友達登録をされてしまい、何を思ったか俺はそれを返してしまった。
そうしてなぜか次のホームゲーム、あわてて描いた新しいゲーフラを持って、俺はスタジアムにいた。
アニメの古参は相変わらずゴール裏に陣取っていたが、俺はもうバックスタンドの指定席をとっていて、後ろの迷惑にならないよう、ささやかに掲げる程度に留めていた。
『見たよ』
『すごいじゃん』
『そのポニーテールの子だれ?』
2-1で逃げ切った試合の直後、ミズキからのLINEが飛んできた。やはりこいつの視力はマサイ族だ。
返事に困って、描いたアニメキャラのスタンプを送ると、また途切れ途切れのメッセージが飛んできた。なんでウェイは一文を細かく分けて送ってくるのか、その謎は解けない。
『やば』
『超似てる』
『!!』
だからお前の視力はどうしてそんなに高いんだ。山奥の出身ってどこの山奥なんだ、アマゾンか、キリマンジャロか。
でも――見ているのか。
リーダーに注意を受けてからというもの、無用な炎上を避けるため、サッカーのことは呟かず、今日持ってきたフラッグの写真はどこにも公開していなかった。だから、この絵を褒めてくれたのは、ミズキが最初ということになる。
絵描きというのは単純なもので、時間をかけて描いたものを褒められると、無条件でテンションが上がってしまう。
『今どこ』
帰りのコンコースでそのメッセージをニヤニヤしながら見ていると、さらに新着のバイブレーションが鳴った。今度は趣向を変えて、マスコットのぬいぐるみを描いてみたい、と思いついて、資料探しのつもりで売店にいたので、売店だと返し、俺はとくに何も気にせず棚を見ていた。ああ、でかいぬいぐるみ、結構高価いな。小さいストラップならいけるか。
「いた! ユイちゃん!」
数日ぶりのハイテンションな声が、ミズキのものだとわかって、俺は振り返る。
……ヤバイ。
ミズキは、例の半裸坊主――いまは流石にシャツを羽織っているが――つまり、コールリーダーを連れている。ゴール裏のサポーターをまとめる人物。いわばウェイの親玉だ。なんで俺のところに連れてきたんだ、この間揉めたばっかりだろうが。
「っせんした」
「はい?」
言葉は聞き取れなかった。
ただ、深々と、頭を下げたのがわかった。あの壮絶に怖い半裸坊主が、である。
「えっと……何ですか」
「リーダーさあ、前のホームで言い過ぎたかもしんないって、ずっと気にしてたんだよね。でもゴール裏にいるアニメの人たち、俺らのこと避けてすぐ帰っちゃうから、話できなくて。それでユイちゃんのこと話したら、会いたいって言うから連れてきた」
「っすけど、前からいるっすし、クラブをサポートする気持ちみたいなんは、あっかなって」
正直、なにを言っているのかはわからないが、古参アニメゲーフラ職人たちにもチームを思いやる心がある人間たちである、と思い直して、以前、きつい言葉になったのを謝罪したい、ということのようだった。
「僕はあの、今年からで……よくわからないんですが……」
「新しっ人っすか!?」
半裸坊主は顔を上げて目を見開いた。びびる。いやいや、テンション上がりすぎだろう。
「まじ嬉しっす」
「え……」
「リーダー、しかもユイちゃん、バック指定なんだ。セレブ」
「あざっす! ざっす!」
アットウテキ感謝ぶりである。自分の財布に入る金でもないのに。
俺が金を払って、チケットを買うこと。
ほんの数千円のその小さな金が、クラブの力になると……こいつは、本気で信じこんでいるのだ。もはや鰯の頭も信心から、というような考え方だが……
「今年、絶対昇格すんで、お願いしぁっす」
満面の笑顔で、俺の肩を叩いて去っていく彼と、どこか満足気なミズキに、俺はつい頷いてしまった。
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