2.永久的な理想像の作り方
2-①
「そう。貴女は、Pの魔女に約束してしまうのね」
対魔の聖女があたしに対して持ちかけてきた「貴女ともう一方の身の安全を、約束いたしますから」という「約束」は、決して叶うことはないでしょう。
何故ならあたし達が老衰をしたりする以前に、対魔の聖女の寿命が尽きて約束は反故になるから。少なくとも、「約束」の前振りとして「その時ばかりは」等と「約束」の適応時間を入れておけば、適応時間が過ぎたと同時に「約束」も満了したことになったはずなのに。
でも、終わってしまった以上、もう手遅れ。あの約束に終わりが来ることは無いの。
それに彼女が提示してきた「約束」にあった「安全」のそもそもの意味は「生命の危機に関わるような傷病の心配が無いことや、盗難、破損などの心配が無いこと」。にもかかわらず対魔の聖女はその「安全」を蔑にし、あたしと対峙していた「彼」に簡易的な拘束具を授け、あまつさえあたしを暴行する「彼」を止めもしなかった。
巻き戻りの「祝い」を得ているとはいっても、痛みはきちんと感じる身なのだから、暴行なんて物騒なこと、本当にやめてほしいものだわ。そもそも、痛みを感じないのであれば対魔の聖女の「約束」にも乗ったりはしないし、拷問器具を差し向けられて絶望を感じたりもしないのよ。
「……はぁ、」
まぁ、そんなこんなにより、既に対魔の聖女とあたしとの間で交わされた「約束」は破られているから、近いうちに対魔の聖女は処理されるでしょうね。どういう方法で処理されるかは節理が決めることだけれど、碌な死を迎えられないのは分かるわ。
嗚呼、でもこの時代に「約束」の節理はうまく機能するのかしら? そもそも、今を生きる彼女たちに、「約束」の大切さは伝わっているのかしら? 長い時を生きすぎてしまっているからか、今を生きる人との隔たりができてしまっている気がするわ。まぁ、もとより断絶されたような在り方と生き方だったから、長い時だけの問題ではないのでしょうけれど。
「はぁ、」
何にせよ。「Pの魔女」であるあたしの「P」に含まれる意味を、そして「安全」という言葉の意味を、対魔の聖女が知っているのか、知らないのか、あたしの知るところではない。でも彼女がわざわざあたしを「Pの魔女」と名指ししてきたのだから、前者のことぐらいはおそらく知っているのでしょう。
もし、それら全てを理解していてなお、約束を持ちかけてきたのであれば、彼女は本当に「彼」を手籠めにしたくて仕方がないのね。
「はぁ……」
本当に、どうでも良い。対魔の聖女なる彼女があたしに強力な拷問器具を差し向ける、という絶望的な危機さえ回避できるなら、それ以外どうだって構いはしないのよ。
深い森の奥。宵闇の中でパチパチと爆ぜる獣除けのための焚火を眺めながら、あたしはあたしの膝上に頭を預けて眠るペチュニア……、いいえ、彼の癖のあるプラチナブランドの髪を撫でつける。
この場に至るまで、どれほど大変だったことか。
町に居た対魔の聖女は火の始末もせずに、白の祈祷騎士を小脇に抱えて勝手に逃げてしまうし、あたしたちが逃げ込んだ森の中では町人らしき者たちが何人も襲い掛かって来たのだから。
彼等は皆口々に、「お前が俺の娘を!」だとか、「殺してやる!」「絶対に許さない!」「復讐してやる」なんてことを吠えたてていた。そもそも、あたしが彼らの大事な人たちを殺したわけではないし、復讐するなら当事者と思しき対魔の聖女に対して行ってほしい。だけど、この弁明が彼らに届くことはないでしょう。復讐心で心を満たされ、それ以外に生きがいの無くなってしまった彼らには、決して。
だから、あたしは彼らを皆殺しにしてあげたの。
正直彼らのことなんてどうでも良かったけれど、あたしは復讐心でいっぱいになってしまった彼等に、わざわざ終わりを迎えさせてあげたの。復讐に囚われたが最後、その深みから抜け出しなど出来ないことを、年長者のあたしはよく、知っているから。
それに復讐心を抱くなら、まずは己の弱さに対して抱いてほしいものだわ。自身が弱かったがばかりに、愛する者の死という悲劇が起きたのに、自分の弱さを棚に上げて他人を恨み、復讐を抱くなんて馬鹿げているわ。まずは自分の弱さを叩き直すべきよ。
「はぁ、」
森での野宿は長い年月の内で慣れきってしまったけれど、やっぱり質素でも構わないから、たまにはベッドで安眠したいものね。特に、今日のような散々だった日は。
そう思いながら、気持ちのよさそうに寝息をたてる彼の髪に自身の小さな指を通す。
十年前、あたしの腕の中であっけなくこと切れた幼い彼。そんな彼に、あたしは意図して自身にかけられている「祝い」の一部を与えた。与えたと言っても貸し出しているようなもので、彼が老衰しさえすればその「祝い」は再びあたしに戻ってくる仕組み、のはず。何せ彼が初めてうまくいった事例だから、これから何が起きるかなんて、確定しては言えないの。
もしかしたら巻き戻りの「祝い」が戻ってこないまま、彼は骨と皮だけの木乃伊みたいな状態になっても生き続けてしまっても、おかしくはないのよ。
「でも、もしそうなってしまったとしても、あたしがちゃんと最期まで面倒みてあげるからね」
膝上の彼に対して大した情がなくとも、あたしのエゴでこんなことに巻き込んでしまっているのだから、多少の面倒ぐらいは見てあげるわ。長い年月のほんのちょっとした、暇つぶしにもなりそうだしね。
まぁ、そういう感じで、この彼についてはいろいろと思うところもあるけれど、正直、この彼のこともまた、あたしにとってはどうでも良い物の一つにすぎないの。でなければ、躊躇なく彼を泉に突き落として水死させたり、容易に真二つに切り殺したりはしないわ。
その代わりに、と言うわけではないのだけれど、彼があたしに対して理想や崇拝の念を抱いているようだから、それ相応の態度を返してはあげているつもりよ。
むしろ、そうでもしなければ彼としても納得がいかないでしょうしね。
ふふっ、もしこんなことを誰かに吐露したのなら、「何故そんなことをするのか?」と問われそうなものね。と、内心で小さく笑って、答えを一人で導き出してみる。
答えとしては、そう。「どれもこれも、あたしが今を無事生きるために、必要なことだから」かしら。あたしは、自分の保身を確立すること以外興味が無いの。その他はどうだっていいの。そのせいで何が犠牲になったって構いはしないし、世界がどうなったって知ったことではない。
ただ平穏な終わりが手に入れば、それで良いの。
「はぁ、」
今日何度目になるか分からないため息を吐けば、「ため息を吐いてばかりだと、幸せが逃げるぞ。我愛しきマリアよ」と、背後から低音の声で呼びかけられた。
呼ばれたその名は、あたしのものではないけれど、文字の配列的に問題はない。ただ、呼び方が違うだけ。メィリアも、マリアも、すべからく同じなのだ。あたしにとって「ペチュニア」と「ツクバネ」が同じなのと同様にして。
それらを訂正する気のないあたしは、「……一体誰のせいだと思っているのかしら?」と背後に言葉を返す。
「はて、誰のせいかね?」
正面の火に対して反対に伸びるあたしの影から現れたのは、一頭の黒山羊だった。
「さあ、誰のせいでしょうね」
ふん、と黒山羊閣下に対して鼻で不機嫌を表し、あたしはほんの少し身を縮こまらせる。
巻き戻りの祝いを得たこの身体でも寒さは感じるもので、夜の冷気は流石に答える。町でケープを購入したのだけれど、それも対魔の聖女や白の祈祷騎士との接触で何処かへといってしまった。今思えばかなり惜しいことをしたと思うわ。
ひゅお、と吹く夜風の冷たさに身を震わせ、防寒具のない現状を後悔していれば、後方の黒山羊閣下があたしの背後に身体を下ろし、毛に包まれた温かな身を寄せてきた。
「ありがと、」
彼の山羊頭に指を滑らせ撫でつければ、彼は満足そうに喉を鳴らし、目を細める。
「どうという事はない。お前をつらい目に合わせたくないだけだ」
「……貴方は嘘ばっかりね。なら、どうしてあの時あたしをすぐに身体の中から出さなかったの?」
町の中において、対魔女、聖女用の拷問器具の一つである「
でも、彼の中に納まるということは、このあたしにとってつらいこと。それはあたしとずっと一緒に居る黒山羊閣下も理解している。にもかかわらず、彼は「つらい目に合わせたくないだけだ」と嘯き、その瞬間を何時だって待ち望んでいるの。
何故なら、あたしはこの黒山羊にとって「我愛しきマリア」とやらの代わりにすぎないのだから。
だから彼はあたしを「我愛しきマリア」に近づけるために、自らの体内にあたしを納め、その記憶等を植え付け、近づけようとする。その瞬間を、彼は今か今かと待ち望みにしている。
例え彼の体内がひどく心地が良くとも、植え付けんとするために見せる「我愛しきマリア」との記憶を懐かしいと感じてしまっても、あたしを、メィリア・オールミニー以外の何者にも成りえるはずのないあたしを、塗りつぶさんとするその行為は、苦痛に他ならない。
自己の改竄、改造、改悪。自分が自分でなくなる、自分の境界を保てなくなる、自分の定義を見失ってしまう。そんなのは御免こうむるのだ。あたしは、あたし自身として、確立していたいと、望むのだから。
彼にとっては「その思考もまた『我愛しきマリア』の根幹」らしいけれど、その部分に関しては、塗りつぶされたわけでは、きっとない。でなければ「我愛しきマリア」とやらも、あたしも、忌々しいあの蠱毒から生き延びて出られているはずがない。だから、その部分に関してだけは、あたしもその「我愛しきマリア」も同じなのだ。
「それは失礼した。我愛しきマリアの許しが久しぶりだったものでな」
背後の黒山羊は温かな羊毛を軽快に揺らし、笑う。それもまったく悪びれる様子もなく、ケタケタと。
まったく。もし対魔の聖女がこの馬鹿な黒山羊を足止めしたり、膝上の彼があたしを黒山羊閣下の内から引きずり出してくれたりしなかったら、きっと、あたしが目覚めるころには、世界にあたしとこの山羊だけになっていたでしょうね。
ぞっとする未来を予想してしまった頭を振り、あたしはそれを無かったことにする。「Pの魔女」として名を馳せているあたしが言うのもアレなんでしょうけれど、そんな夢も希望もない未来あってたまるものですか。嗚呼、それとも、そちらの方が何の心配事も無く、終われるのかしら?
もふ、と背後にある黒山羊に身体を預け、深く息を吐く。
嗚呼、それにしても最悪の気分だわ。身体の具合は巻き戻りの祝いのおかげで、いつも通りすこぶる絶好調だけれど、気分は最悪の方へ振り切れている。
なにしろ黒山羊閣下の体内に長時間取り込まれ、「我愛しきマリア」との記憶を永遠と見せ続けられていたのだから、気分も悪くなるというもの当然と言えるでしょう。
あたしを盲信しているペチュニアが起きていた手前、気丈にふるまっていたけれど、実際のところしんどくて仕方がなかった。というか、もう今すぐにでも寝てしまいたい。
もふもふと、黒山羊閣下の温かな体毛と肌触りがあたしの眠気を加速させてゆく。膝上の彼には、火の番をする、という名目の元「起きているわ」と伝えたのだけれど、もうだめね。眠気には勝てないわ。
「おや、火の番を放棄し、眠るのか?」
こっくり、こっくりと船を漕ぎ、夢うつつとなるあたしに背後の彼が声を掛けてくる。
「貴方が……見て、おいて」
ぼんやりとした思考。もう、いいや。例え起きた時に山火事になっていたとしても、あたしの身はどうせ巻き戻るのだし。どうでも、いい。
「了承した、我愛しきマリアよ」
その低い音を最後に、あたしはやわらかな黒と眠りに、飲み込まれた。
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