1-④



 黒山羊閣下に襲われ、気を失っていた僕が目を覚ますと、空はすでに暗くなっていた。ただ、陽の光の代わりにとでも言うように、辺り一帯では轟々と燃える炎がよりその身を大きくし、その赤い姿を生き物のように蠢かせている。

 だが広場の外側には何かしらの魔術。あるいは、血塊と思しきもの発動しているのだろう。燃え盛る炎はある一定の境目を越えられないでいるらしく、その向こう側に火の手は行っていない。

 嗚呼、そんな些細なことはどうだっていい。それよりも、メィリアは、彼女は、いったいどうなったんだ?

 覚醒したばかりで現状に追いついていない思考の中で、彼女を探そうと辺りを見回す。そうすれば、黒山羊閣下と思しき黒色が、力任せに町の建物を壊しているのが目に入った。どうやら彼もまた炎同様、ある一定の境目を越えられないでいるようだ。

「ハハハッ! 魔女よ、壊せ! 貴様の業を尽くし、破壊し尽くしてしまえ!」

異形の姿となっている黒山羊閣下に掴まれ、叩きつけられてなお、生きていたらしい兄のアカシア。彼は町を破壊する閣下の姿を眺めながら、両の手を広げて狂乱気味に笑っていた。

その声を耳触りだと感じながら、僕は立ち上がろうとするが、うまく立ち上がることができない。何故だ? と自分の身体を見てみれば、散り散りになった肉片や血液、衣服の切れ端たちが未だ巻き戻っている最中だった。これではまだしばらく動けそうにはない。

 自身の足から視線をずらし、改めて黒山羊閣下と思しき塊に視線を向ける。

彼の中に彼女は取り込まれたままなのだろう。否、下手をすると、彼の手によって、改めて体内に押し込め、戻されているかもしれない。

 今はまだ、彼や炎を外に出さないような結界が張ってある為、彼は此処に居る。だが、もしその結界が破られでもしたら、彼がメィリアを囲ったまま何処かに行ってしまったら。いったい僕はどうすればいいのだ?

 親兄弟、親戚中から疎まれていた死にかけ、否、殺されかけの僕を見つけて、生かしてくれた彼女。あの微笑みを失い、たった一人でこの先を生きていくなんて、考えるだけでゾッとする。

表情の硬い僕の代わりにとでもいうように、様々な表情を見せてくれる彼女の顔を思い出し、治りつつある身体に力を込める。嗚呼、早く。僕のメィリアを取り戻すために、早く彼の元へ行かなくては。

 自身の身体を改めて見直してみれば、閣下によって散り散りにされた足は勿論、身体の大部分が修復され終わっていた。これなら、彼女を取り込んだ黒山羊閣下の元に行けるだろう。

 そんな僕の中には、此処から自分だけでも逃げ出す、という選択肢はない。あるのは彼女の元へ行くという、ただそれだけ。

 立ち上がり、黒山羊閣下の元へ向かった僕は「メィリアさん!」と彼女の名で彼を呼んだ。その声に、閣下も気が付いたのだろう。町の外に出ようと向けていた進行方向を、僕の方へと改めた。

「……メィリア、さん」

 こちらを向いた黒山羊閣下の腹には、先程までと変わらず、メィリアが埋まっていた。

 心配事であったメィリアの上半身は閣下から出たままになっていたが、それでも未だ彼女の意識は戻ってはいないようだ。虚ろげな瞳に、僕の姿が映りはするものの、ソコに光は無い。笑い、にこやかな表情をうかべる彼女が、無表情を浮かべる。そんな痛々しい彼女の姿は、見ていられない。早く彼女を、黒山羊閣下の中から助け出してやらなくては。

 彼にとっては不都合な、僕の考えが伝わったのか、僕の方に身体を向けていただけの黒山羊閣下がゆっくりと近付いてくる。もし彼が、このまま僕を掴み、どこかに叩きつけたり、物理的に裂いてしまったりしても、僕に死は訪れない。

 けれど、おそらく今、この瞬間を逃してしまえば彼とは二度と会い見えることができないだろう。

 メィリアを奪おうとする耳障りで目障りな僕を粉々に粉砕して、彼はこの広場の周囲に張り巡らされている結界を壊す作業に戻る。そして、結界を壊してさえしまえば、彼は僕の知らないところに彼女を連れ去るだろう。

 近づく閣下と、その腹部に居るメィリア。後ろに下がり、彼らから距離を取りたいと思ってしまうが、ぐっとこらえ、その場に留まる。今ここで、僕は逃げてしまってはいけないのだ。

 僕に出来ることは特別ないが、物理的に閣下の腹の中からメィリアを引きずり出すぐらいのことは出来るだろう。その結果、どうなってしまうかは分からないが、現状をどうにかするにはこれぐらいしか僕には出来ない。

 迫りくる閣下に準じて、腹部にいるメィリアとの距離も縮まる。だが、それを隔てるようにして閣下の腕が僕へと伸びた。流石にこの腕に捕まってはいけない、と避ける僕であったがこの腕がある以上メィリアに触れることはできない。一体どうすれば良いのだろうか。

 そう悩みながら、迫りくる彼との距離を一定に保つ。閣下に物理的な攻撃が通じないことはアカシアの剣が折れたことが示しているし、例え彼に魔法が通じるのだとしても僕には魔法の知識が無いため、叶わない。

そんな最中、不意に視界の端に黒い何かが羽ばたき、動いた。

それはこの町へ来る前にも見た、対魔の聖女の手紙。羽ばたく姿は鳥そのものだが、生き物らしい躍動が感じられないソレは何十羽、否、何百、何千ほどの群を成して、黒山羊閣下の腕にむらがった。

「私だけを、見てほしいのです」

「私だけに、微笑んでほしいのです」

「私だけが、彼を抱きしめて良いのです」

 口々にそう言う手紙たち。耳がおかしくなりそうなその音は、烏の群れの声によく似ている。

「さあ。今のうちに、早く彼女を引きずり出してください。この悪魔を、野放しにしてはいけません」

はたはたと、僕の傍で羽ばく一羽がそう言う。

「あ、嗚呼。わかった」

 メィリアとの約束を破ったと思っていた対魔の聖女が、僕を手伝ってくれるとは思わなかったが、この機会を逃すべきでもない。彼女が作ってくれた隙に、僕は閣下に近づき、その腹に埋まっているメィリアの肩口を掴んだ。

「っ!」

 彼女と閣下との接合部は思いのほか柔らかく、勢いよく引っ張るだけで簡単に引きずり出すことができた。しかし、引きずり出した彼女の体温は著しく低い。

 メィリアを抱きしめ、僕は黒山羊閣下から離れる。そうすれば、閣下はメィリアを取り戻そうと大きく身を振るわせ、周りに群がる対魔の聖女の手紙を蹴散した。

 無残に千切られ、四散する黒い手紙たち。だが彼女の手紙は未だ他にもあるようで、無くなった分を補充するように新たな手紙が閣下に集った。

「彼には、私だけで良いのです」

「彼には、私以外不要なのです」

「彼には、絶望を味わってもらうのです」

 ひたすら言葉を囁き続けるそれらを尻目に、僕は抱きしめていたメィリアの肌に触れる。柔らかさはいつもと変わらない。けれど、何時もとは決定的に違う肌の冷たさに、怖気が走る。

 もしやメィリアの身に起こるべき、巻き戻りが起きていない? だとしたら、一体どうしてだ? もしかして黒山羊閣下に、その巻き戻りの祝いを奪われでもしたのだろうか?

 黒山羊閣下から十分距離を取った安全そうな場所で、メィリアを仰向けにして下ろす。

 ぐったりとした彼女ではあるが、辛うじて小さな唇から洩れる吐息はあるし、身体の内で鳴る音もある。相変わらず瞼は開いているが、その目に光は無く白目も充血したまま。瞬きの一つさえしない彼女の表情は、無。そして、彼女の薄桃色のロリータドレスの裾から覗く脚は、より一層その白さを増している。むしろその白さが、薄桃色の色を艶やかに映してさえいるといっても過言ではない。

 もし、閣下に彼女の巻き戻りの「祝い」が奪われたのだと過程したら、僕の中に在るこの巻き戻りの「祝い」を彼女に返せば現状の問題は解消されるのではないだろうか?

 そんな考えが、頭をよぎる。

 十年前のあの時、彼女が僕にしてくれたことは絶対的な幸福ではないだろう。身体を真二つに両断されようとも死なないこの力は、「祝い」と呼ぶよりはむしろ「呪い」と言ったほうがまだしっくりくる。だがしかし、彼女は間違いなくあの時の僕を救ったし、今でも僕は救われている。だからこそ、僕はこの「祝い」を救いとしてメィリアに返したい。そう、望むのだ。

 勿論、例え「祝い」を返すことによって僕に「死」が訪れてしまおうとも、それは構わない。むしろ、僕は死んでいて当然なのだから。

 ごくり、と喉を鳴らして、瞼を開けたままぐったりとしている彼女を抱きしめる。

 覚悟はある。ただ、方法が分からない。

 僕とお揃いになった彼女の双眸を見つめ、色々と考えてみる。だが祝いを返すよりも、僕の巻き戻りの巻き添えとして彼女の時間を巻き戻すことができるのではないだろうか? と新たな解へ至るだけだった。

 僕の身体を著しく傷つける。その際、彼女に触れていれば、彼女が僕の付属物として認識され、彼女もろともそれ相応の最適な時間へ巻き戻る。僕が着ている服などが巻き戻るのと同じ、と考えれば良いだろうか。

 ただしこの場合、時間をどれだけ巻き戻せば彼女が意識を取り戻す「適した時間」に戻るのかが分からない。そのため、長時間巻き戻せるような事象で傷をつけるのが相応しいだろう。

 というのも、瞬間的に受けた損傷が激しすぎると、それを巻き戻すために少しばかり時間が必要になってくるのだ。最近であれば、黒山羊閣下の手によって粉砕された時がそれに当てはまるだろう。あの時はそれなりに時間が経っていてもなお、血や肉が巻き戻っている最中だったのだから。

 周りに在る崩れた建物の中から、膝丈程度の尖った瓦礫に目星を付けた僕は、その瓦礫の目の前に立つ。そして、腕の中に居る彼女を傍に下ろし、その手を握った状態で、瓦礫に自分の腹部を押し付けた。

 尖った瓦礫が皮膚を切り裂き、肉を抉り、傷つける。血が瓦礫を伝い、ジュクジュクと肉が鳴る。勿論、痛みはある。だが逃げるわけにも、やめるわけにもいかない。何故なら僕には、彼女の時間を最適な瞬間に巻き戻すには、この方法だけしか思いつかなかったのだから。

 ある程度まで腹に瓦礫を突き刺し、自分の時間が巻き戻り続けている状態を保ち続けていれば、ぴくり、と握っているメィリアの手が僅かに動いた。だが、動いたのはその一瞬だけで、まだ意識を取り戻すまでには至っていない。

 ぎゅ、とメィリアの小さな手を握り直せば、黒山羊閣下が居たあたりから建物の崩れる音が聞こえてくる。おそらく閣下が暴れて建物を破壊したのだろう。

 例え対魔の聖女が僕たちに力を貸してくれてはいても、彼女の力にだって限界や限度はあるだろう。それに、あの手紙は閣下の動きをある程度止められはしても、所詮ある程度しか止められないのだ。

 勿論、メィリアが目覚めたからといって、あの黒山羊閣下に対抗できるという確証があるわけでもない。もしかしたら再び閣下にメィリアは取り込まれてしまうかもしれない。

 どうなるかは、分からない。ただ、閣下を抑える手段として、僕の個人的な望みとして、メィリアには目覚めてもらわなくてはならないのだ。

 徐々に、そして的確にこちらへと近付いてくる崩壊音。顔からぱたぱたと落ちる脂汗には、痛みだけでなく、焦りも混じっているだろう。

 嗚呼、早く。早く目覚めてくれ。

 その焦りが叶う道理もなく、ついに僕の目に入る範囲の場所に黒山羊閣下が現れてしまった。

 建物を破壊しながら現れた黒山羊閣下の身体には、黒い鳥のような手紙たちが未だ数多く集っている。ただし、火がついてしまっているものが多く、燃え尽きてしまうものもいた。だがそれでも未だ宙に飛び回り、閣下に狙いを定めている手紙もいる。対魔の聖女には、一体どれだけ募る想いがあるのだろうか。

 想像以上の想いに、少し驚き、ほんの少しばかり共感しながらも、僕は腹から瓦礫を引き抜きにかかる。メィリアが目覚めないまま閣下が来てしまった以上、場所を改めて僕の時間もろとも彼女の時間を巻き戻し続けるしかあるまい。迫りくる閣下に、メィリアを奪われるわけにはいかないのだから。

 そんな中、閣下を目がけて新たに飛び込んでくる手紙たちが口々に呟く。

「私には彼だけしかいないのです」

「彼には私だけしかいないのです」

「私は彼を愛しているのです」

「彼は私を愛すべきなのです」

「私と彼は、結ばれるのです」

「彼と私は、結ばれたのです」

 手紙というよりかは、妄執の塊。ある種の日記だろう。

 同じ言葉を綴り、それだけで完結している。その中において第三者の意見は勿論、「彼」とやらの意見も反映されることはないだろう。ただひたすら、対魔の聖女は自分自身の願望を書き記し、認めてゆくばかり。そして、その願いを叶えるためになら、どんなことだってする。

 愛する「彼」の仲間を皆殺しにして、「彼」に絶望を味わわせる。そして、「彼」が自分にのみ頼らざるを得ない状況を作り出す。今「彼」の身に起きている事象はすべて、対魔の聖女の妄執が引き起こしたと言っても間違いはあるまい。

 嗚呼。メィリアの言う通り対魔の聖女の在り方は、聖女と対になる魔女のソレと言った方がよほどしっくりくる。

「彼は、無知でいれば良いのです」

 独善的な対魔の聖女の手紙。それに答えるようにして、メィリアの唇が震える。

「――嗚呼、くだらない」

虚ろだったメィリアの眼に光が宿り、ぱちり、ぱちりと瞬く。そして僕を見るや否や彼女は、「――ッ! あたしは貴方をそんな子に育てた覚えはないわ!」と叫び、僕の頬を、僕が握っていない方の手で叩いた。

起き抜けの彼女に、そんなことをされるとは思っていなかった。

「まったく! あたしの子が、こんなことをしでかしているだなんて! おちおち閣下に身体を貸してもいられない!」

 僕の身体を問答無用で瓦礫から引き抜いた彼女は、怒ったように頬を膨らませ、憤然とする。

「もう! そんなに自分を傷つけて! 自分で自分を傷つけるだなんて、あたしは許していないわ!」

 目の前に彼女が居る。薄桃色のロリータドレスを身に纏う、溌剌としたメィリアが居る。

 先程までの薄ら白さが嘘だったかのように、頬は生き生きと色づき、瞳は爛々と輝いている。その劇的な回復は、むしろ力なく、ぐったりとしていたことさえも忘れてしまいそうなほどだ。

 ふわり、と自身の薄い桃色のロリータドレスをはためかせ、彼女は僕たちの傍に居た黒山羊閣下を見上げる。相変わらず対魔の聖女の手紙が彼に集ってはいるが、閣下はもはや抵抗する気も無いらしく、大人しくメィリアの言葉を待っているようだった。

「閣下、あたしはもう大丈夫。だから、貴方も休んで」

「……御意」

 その言葉と共に、僕の知る元の黒山羊の姿へと戻った閣下は、メィリアの足元に出来ている影に溶けるようにして消える。それと同時に集っていた手紙たちも宙に舞い戻り、本来の持ち主であろう対魔の聖女の元へと飛び去った。

 不本意な過程ではあったが、きっとこれで対魔の聖女との約束は果たされたことになるのだろう。「約束」が完璧に守られた、というわけではないのが癪に障るが、そもそも対魔の聖女は安全を「約束」しただけであり、安全を確約、ではないのだからある意味守られなくて当然なのかもしれない。

「メィリアさん!」

 変わらぬ愛らしさを振りまく彼女の肩を抱きこみ、「メィリアさん……もう、心配させないでください」とその肩口に顔を埋める。

 先程まで感じていた冷たさは無い。ただひたすら彼女は暖かく、柔らかい。

「よしよし。貴方には少しばかり、心配をかけてしまったわね」

 僕に抱き込まれたメィリアは、子をあやす母のように僕の背を優しく撫でた。

 コレで良いのだ。彼女が僕の元に戻ってきてくれた。それだけで喜ぶべきことなのだ。例え、町の広場近隣は大きく損壊、及び焼失し、死者も多数出ていたとしていようとも。喜ばしいことに、変わりはないのだ。

 大多数の、それも他人の死や損失など僕にとってはどうだっていい。僕には、彼女が居ればそれだけで、万事解決に等しいのだから。

 このままずっと彼女に抱かれ、あやされていたい。けれど、何も知らない待ち人たちが戻ってくる前に、早くこの町から抜け出さなくては。

 僕のそんな思いをメィリアは機敏に読み取ったのだろう。彼女は僕を抱いていた手を離し、「さあ、行きましょう。ペチュニア」と、改めて僕に手を差し出して、にっこりと笑った。




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