1-③



 本来ならば町人たちが笑顔で行き交い、日常的な光景の背を担っているであろう広場。その入り口に辿り着いた僕たちが目にしたのは、日常的とはかけ離れた光景だった。

 轟々と燃え上がる店々。そして逃げ遅れた住人達を老若男女問わず剣で切り殺していく一人の少女の姿。薄桃色のワンピースに黒い髪。メィリアといは全く違う外見だが「噂」的には間違っていない少女。そんな彼女は、やって来た僕らに気が付いたのだろう。住人相手に振り下ろしていた剣を止め、こちらを見た。

 そう、身隠しの魔法がかかっているはずの僕たちを、彼女は見たのだ。

 だが彼女は僕たちを目視するや否や、身を翻し、その場から立ち去ってしまう。

「メィリアさん、これが『罠』なんでしょうか?」

 僕と手を繋いだままのメィリアに、そう半信半疑で訊ねてみる。

 というのも、僕が考えるに、罠を仕掛けた本人としては「噂」通りの少女に放火や殺人を行わせ、その罪を「噂」の本人であるメィリアに擦り付け、あわよくば住人達に襲わせる算段だったのだろう。だが、幸運にも僕たちは住人に襲われることはなく、こうやって無傷のままこの場に来ることができている。

 否、もし「そう」だったとしても、メィリアなら住人程度返り討ちにすることは容易いし、僕もまた無傷でいられただろう。

 ならば、一体何のためにこんなことをしたのだろうか。

「あたし達を罠に陥れたい『彼』は、あたしと退魔の聖女との間で交わされた『約束』を知らないの。だから、『彼』は自分の力のみで、まんまとあたしたちを此処に誘い込めた。そう思っているのよ」

 僕を此処まで引っ張ってくれていたメィリアが手を離す。そして立ち止まったまま広場の様子を確認し始めた。

「『彼』の罠、としてはそうね……。森であたしたちを襲った一人でもある十一人目、いわゆる『彼』自身が、逃げる際にあたしに追いつかれないという過信と、あたしが襲ってきた全員を決して逃さない、という思い込みの上で成り立つ『罠』なのでしょうねぇ」

 真剣気味だった表情をほんの少し穏やかなものに戻し、彼女は息を吐く。

「本来ならば、森の中で捕まえて、ちゃんと始末していたわ。でもあたしはソレをしなかった。何故なら『彼』の逃げ足が速かったからでも、『彼』があたしと対峙するには強すぎるからでも、ない。ただ『彼』が『対魔の聖女』の物だったから、見逃してあげただけなの。にもかかわらず彼は己の力量が高かったが故に、あたしからまんまと逃げえ遂せられたのだと、誤解している。馬鹿を通り越して、いっそ哀れ。でも、きっと、退魔の聖女はそんな愚かで哀れな『彼』が好きなのね」

 口元を抑え、クスクスと笑うメィリア。その頬はいつも以上に赤く色付き、空色の瞳は爛々と輝いている。

「そんな過信に満ちた愚かな『彼』は、あたしを此処に誘うために自身を『囮』とするとともに、あたしの『噂』も利用してみることにした――。いいえ、違うわね。自らを『囮』として壮大な『罠』を仕掛けるためには、町の住人の目が邪魔だった。だけど『彼』の役職として、住人を殺すことは難しい。だから『彼』は邪魔な住人をあたしに似せた『対魔の聖女』に殺さて、あたしに罪を被せようとした。――かしら?」

 邪魔だったから殺人や放火を起こした。その上で「噂」が利用できそうだから、利用しただけ?

 そもそも僕等は、十一番目の人間になどまるで興味もなかったのに、それが「囮」という大それた代物?

 破綻している。過信や誤解が満ちすぎて、破綻しつくしている。こんなバカげた計画、頓挫していない方が不思議すぎる事態だ。こんなもの、対魔の聖女との約束がなければ来ていやしない。それに何より「罠」と呼べるような代物ですらない!

「退魔の聖女もそう思ったのでしょう。だから、わざわざあたしに懇願してきたんじゃない。過信に満ちすぎて、自分が絶望的な状況に置かれていることを微塵も理解していない『彼』に絶望を教えて、『彼』の傍に居る対魔の聖女に頼るしかない、という切迫した状況を対魔の聖女は望み、欲しているのよ」

「それなら、むしろコレは『彼』が僕らを貶める罠ではなく、対魔の聖女が『彼』を手籠めにするための『罠』なんですか?」

 むしろそう考えた方がよほどしっくりくるし、つじつまが合う。

「呑み込みが早くて、賢い子。あたし、好きよ」

 にっこりと笑みを浮かべ、僕に屈むよう指示したメィリア。僕がその指示に従い屈めば、彼女は「よしよし」と僕の頭を撫でてきた。

 嗚呼、なんて心地よく、絶妙な手つきだろうか。

 僕だけに向けられる笑顔に、僕だけを撫でる小さな手。独占欲という心の一端が満たされる今なら、このまま自分の終わりが来てしまっても、悔いは残らないだろう。

「だからね、あたしは約束通り、『彼』の誘いにわざわざ乗り、『彼』に絶望を味わわせてあげるの。そして、ペチュニア。貴方は、あたしが動いても良い。と言うまで、動いてはダメよ」

 頭を撫でていた手を止め、離してしまうメィリア。そんな彼女の言葉の内容と、終わってしまう独占欲におののく僕は、「えっ」と声を漏らした。

「大丈夫。貴方はそのまま、ソコに居なさい」

 改めて、にっこり笑ったメィリアはくるりと身を翻して僕に背を向ける。そして、弾丸のごとく広場の中心へと走ると、羽織っていたケープを解いた。

 一拍、間を置いてから彼女に襲い来る矢の数々。幸いにも放ち手が下手だったらしく、一本たりともメィリアを傷つけることはなかった。だが、一体何処から、と思い改めて広場を見渡してみれば、炎が至っていない建物の陰に、複数の人影を確認することができた。

「あれは……?」

 ボロの布、というのは少々荒々しすぎる。むしろ野盗、そう、盗賊の雰囲気に近い装束を身に纏う男たちが、メィリアに向かって弓矢やボウガンを放っていた。

 野盗が何故メィリアを襲う? 森の中で殺した仲間への報復だろうか? 否、彼らはおそらく野盗ではない。メィリアのように観察眼に優れてはいない僕が断定し、決めつけるものではないのだが、それでも僕はそう判断する。

 遠目からでしか見ることは出来ないが、その野盗の顔はどれも清潔な青年、あるいは男性であり“野盗”という荒々しさも、野生らしさもない。むしろ気品さすら感じられ、その上プライドの高さが鼻につく――気さえする。

 どれもこれも、自分の主観でしかないが、それでも僕が考え、至った解はあながち間違いではないだろう。

 そう、彼らは野盗の格好をした、白の祈祷騎士であるという解は。

 一通り弓とボウガンの矢を放ったらしい彼らは、隠れていた建物から出てくると腰元から剣を引き抜き、地面へ突き刺した。

 一体何のために、と身構えれば、メィリアが居る広場の中心を的に魔法円が地表に出現し、彼女を閉じ込めてしまった。

 結界のようなものに閉じ込められたメィリア。その身体に、地表から勢いよく現れ伸びた鎖が絡まる。

 外に出ることは愚か、身動きすらとることの出来ない状態になってしまったメィリア。そんな彼女を見た彼らは早々に野盗の衣服を脱ぎ、彼等本来の服装であろう白の祈祷騎士の装束へと着替えてゆく。

 そんな中、今まで「噂」の少女に怯え、室内で息を殺していたのだろう住人が、家から飛び出してきた。火の追手はもうすぐそこまで来ており、「噂」の少女はいない。むしろ連合王国の中心を担い、国の秩序を守る白の祈祷騎士が居るのだ。彼らに救助を縋らずして、いったい誰に縋れと言うのか。

 だが、そんな彼らに白の祈祷騎士達は剣を向けた。しかも住人一人に対し、幾人かの祈祷騎士達が集い、住人の身体を死ぬまで突き刺し、死んでからも突き刺し続けるという戯れさえ行って。

 嗚呼、何故彼等はこんなことをするのだ。彼らはこの連合王国の中心を担い、秩序を守るべき者のはずなのに。

離れていても聞こえてくる住人達の絶叫は、男も女も、子供も、赤子も関係ない。白の祈祷騎士達は、この現場を見た者すべてを殺すつもりなのだ。

 自身の視界の内で起きている事実に驚愕しながらも、僕の脳裏には、十年前の思い出が、瞬時に蘇る。

「あ、嗚呼。これは、十年前と……同じ?」

ツクバネ、と呼ばれていたあの頃の僕は、幼く無力だった。

 親兄弟が白の祈祷騎士、あるいは白の祈祷騎士になる適性がある中、唯一僕だけが無かった。そのため、それを恥だとする親や兄弟、親戚たちによって慢性的な暴行を受けていた。

 当時の忌まわしい記憶はおぼろげで、決して明確なモノではない。けれど、転機となったあの日に感じ、嗅ぎ、見て、しっかりと脳裏に焼き付けたものはある。

それは燃え盛る炎の熱と、嗅ぎなれた血の匂い。かすむ視界の先に見えた、白の祈祷騎士たち。

そして、痛みと苦しみと自虐の渦の中に居た僕を見つけてくれた、メィリアの嬉しそうな笑顔。

それらを克明に思い出した僕は拳を固く握る。

こんなことを思い出している場合ではない。今、メィリアの周りには一体何人の白の祈祷騎士が居ると思う? 一人、二人ならまだしも、両手の指では足りないほどの人数が相手では、流石のメィリアも不利に違いない。それに、今の彼女は結界内の鎖で身動きが取れない状況のはずだ。

だが、僕が単身で出て行ったところでもそれは同じだ。むしろ戦闘能力のかけらもない僕が出ていけば、メィリアの邪魔になってしまうことだろう。

一体どうやってこの状況を打開すべきか。そう思い悩む僕の心配を払拭させるように、結界内に収められているメィリアは、見た目相応の愛らしい笑みを天敵であろう白の祈祷騎士たちに向けた。

「秩序を重んじる愛国心溢れた白の祈祷騎士サマ方が、町に火を放ち、揚句住人を惨殺するなんて、なかなか良い趣味を持っているじゃない。――貴方たち、悪魔に向いているんじゃあなくって?」

 余裕の笑顔ともとれる表情のまま「キチガイめ!」と吐くメィリア。そして、その表情を愛らしいものから彼らを小馬鹿にする、嘲りをたっぷりと含んだ卑下だ笑みへ変える。

「やることは非人道なくせに、目撃者を殺さないと気が済まない小心者の祈祷騎士サマ方。貴方たちは、あたしたち魔女の代わりに、一体どれだけの村や町を燃やしてきたの?」

 今まで食べたパンの枚数みたいに、覚えていないのかもしれないけれど、最後の機会だし、是非あたしに教えてくれないかしら?

 にやにやと、意地の悪い笑みで白の祈祷騎士達を挑発するメィリア。そんな彼女の問いかけに、答える気は毛頭ないらしい。この祈祷騎士達の長であろう、髪も衣服もすべて白で統一した青年が「戯言を、言っていられるのも今のうちだPの魔女! どうせすべて貴様の仕業になるのだからな!」と叫んで、腰に携えていた大剣を抜いた。

「Pの魔女よ! 十年前に受けた屈辱、今ここで晴らさせてもらうぞ!」

 高らかに叫ばれたその言葉が、僕の耳にも届く。

 十年前? ならばこの男もまた僕と同じ、あの時(・・・)の生き残りなのか? そう思い、隠れていた場所からほんの少し身を乗り出し、食い入るように全身白づくしの男を凝視する。だが、彼との距離が離れすぎているため、顔の確認はできそうにない。

「ふぅん。貴方、無様にもあの時の生き残りなのね。なるほど、なるほどぉ。それならそれらしく、あたしを楽しませてみることね!」

 メィリアは意味深にそう言うと、自身の小さな掌に黒い大斧を出現させ、ぐおん、と掌のみで容易く横に振った。そうすれば、その芯棒は遠心力も加わって伸び、彼女の周りに集まっていた白の祈祷騎士たちもろとも魔方円や、彼女を縛っていた鎖も薙ぎ払い、打ち壊す。

 そして彼女はその攻撃で地に伏した祈祷師たちを軽やかに踏み、跳ねながら、時折立ち上がってきた者を一つの躊躇もなく両断した。

 肉を裂く度、その返り血がメィリアの髪や服を汚してゆく。薄桃色と白の可愛らしいロリータドレスに、赤黒い液体をしたたり落ちさせ、彼女は笑う。

 楽しく遊ぶ子供のごとく、声高らかに。

 贈り物を貰った子供のように、嬉々として。

きっとそんな彼女の様子を見た者は、彼女を恐れ、畏怖する言葉を呟くだろう。

何せ彼女はこの国を守るとされている白の祈祷騎士に刃である斧を向け、足蹴にし、両断し、あまつさえ喜んでいるのだから。

 白の祈祷騎士達を、舞うようにして殺してゆくメィリア。そんな彼女の姿を見守る僕は、一人、ほっと胸を撫で下ろす。

 先程まで流石のメィリアでも魔女を断罪することも職務とし、特化している白の祈祷騎士相手では不利だと思っていたのだが、この様子であれば彼女が全て、否、「彼」以外を殺しつくし、「彼」に絶望を与えるのも時間の問題だろう。

 そうしたら彼女と二人、早々にこの場所から逃げ出そう。

 幸いなことに、目撃者は白の祈祷騎士達が皆殺しにしてくれたのだから、目撃者に怯える必要もないはずだ。まぁ、「噂」に似せた少女の犯行もあって、白の祈祷騎士殺しがメィリアの「噂」に付随するのは間違いないだろうが。

 飛び交う噂に、今まで以上の尾ひれがつくのか。と少々気がめいるが、それでも無事逃げ果せられることができるのであれば、それに代わるものはあるまい。

 それに、彼女についてしまった白の祈祷騎士達の血液という穢れも、早々に取り除いて、綺麗にしなくては。僕にとって何よりも大切で尊い彼女は、これ以上汚れたり、穢れたりするべきではないのだから。

 そう思いながら、何時でも彼女と逃げ出せるよう僕は身構える。一方、当のメィリアは白の祈祷騎士と戦闘、否、白の祈祷騎士相手に勝手気ままな蹂躙を行っていた。しかも魔女にとって相性が非常に悪いという白の祈祷騎士の数は、彼女が跳ね、笑い、大斧を振うほど減っており、最終的にはその広場で立っているのは白の祈祷騎士の長であり「彼」と思しき男一人のみになってしまっていた。

「クソッ、役立たずどもめ!」

 物言わぬ屍となった、元部下たちに毒づき、駄々をこねる子供のように足を踏み鳴らす男。彼は握っていた剣の切っ先を、メィリアに突きつける。

「やぁっと、貴方と戦えそうねぇ」

 良く研がれた、鋭い剣の切っ先を突き付けられているにも関わらず、メィリアは上機嫌に笑う。そして自身の身体をくるりと回転させ、握る大斧を男に振りかざした。

 一撃、二撃。軽々しく振り下ろされるそれに、一本の剣で抵抗する男は苦しげな顔をしながらも受け止める。メィリアの攻撃に大きな合間はないものの、かすかな合間を縫って、彼は剣から呪縛、破壊の魔力を帯びていると思われる斬撃を繰り出し、反撃する。

 余程の訓練と経験が無ければできないとされるその攻撃に、気を良くしたらしいメィリアは、「にやぁ、」と新しいおもちゃを見つけたようにほくそ笑む。そして手加減することなく、七撃、八撃、と攻撃を続けた。

 そうしているうちに更に興も乗り始めたのか、メィリアは大斧を片手に持ち直し、空いている手で自身のロリータドレスの裾を摘み、踊り始める。しかも離れたところに居ても聞こえるほどの大きな音量で歌さえも歌っているようだ。

 余裕に塗れた幼女とは違い、無慈悲な攻撃をされている男の頬には脂汗が伝う。一打、一打に殺意と重みがあり、食らえば速死ぬという攻撃を受け流しているせいか、男の腕は震え、はたから見ても剣を持っているのがやっとのようであった。

 反撃することの少なくなってきた白の祈祷騎士に、メィリアも興が覚め、飽きてきたのだろう。彼女は浮かべていた笑みを消し、口を結んで目じりを釣り上げた。

「――っもう! あなた全然ダメ! 最初はイイ! なんて思っていたけれど、劇的に! 壊滅的に楽しくないし、成長を見せてくれないわ! ほぉんと、貴方たち白の祈祷騎士は使えないダメな子よ!」

 叫んだメィリアがその小さな足で白の祈祷騎士を蹴り飛ばせば、勢いよくソレは僕の方へと向かってくる。蹴り飛ばしたメィリア本人も「あ、」と言いたさげな表情をしていたが、時すでに遅し。とっさのことに対し回避も対応もすることのできなかった僕は、飛んできた男になす術もなく、互いにもつれ合うようにして地面を転がった。

「っ……」

 地面を転がった際にできた怪我や損傷はすぐに巻き戻り、消えてしまった。だが、今の接触により、僕の上着につけられていた身隠しの魔法の効力が消えてしまっただろう。まあ、「彼」以外の白の祈祷騎士も、住人もいないようだから、見えても見えなくても大した変りはないだろう。

 ゆっくりと起き上がり、隣で気絶している「彼」。そう、ほんの少しだけ気になっていた白の祈祷騎士の長の顔を、僕はまじまじと見る。

 白い髪に、血色の足りなさそうな白い肌。体つきは大人であるものの、顔はどこかまだ甘えたな子供っぽさが残っている気がする。

 どこかで見たことがある顔。むしろ、僕自身にどことなく似てはいやしないだろうか?

 そうぼんやりと見入っていれば、その白の祈祷騎士は勢いよく瞼を開き、隣に居た僕を睨みあげた。

 そうだ。僕にはもう身隠しの魔法は無いのだから、誰にでも見えてしまうのだ。

逃げなくては。

 遅ればせながらも、そう判断した僕は祈祷騎士に背を向け立ち上がる。だが祈祷騎士の動きは予想よりも早く、容易く背後をとられ喉笛に剣を突き付けられてしまった。

「クソ忌々しい魔女め! コイツの命が惜しくば、その斧を捨てろ!」

 至近距離まで僕等に近づいて来ていたメィリアに対し、叫ぶ男。その言葉を聞いた彼女は、空色の瞳で祈祷騎士を恨めしそうに睨み上げた。そして一思いに腕を大きく振り上げる。勿論、その掌に大斧を握りしめたまま。

 死の刹那。やけにゆっくりとした動きで、自身に振り下ろされんとする大斧を見守りながら僕は思うのだ。

 ――嗚呼、なんて愚かしい白の祈祷騎士だろう。僕を盾にしたところで、彼女が止まるわけがないのに、と。





「おはよう、ペチュニア。気分はどう?」

 朝目覚めた幼子に問いかけるように、朗らかにそう言ったメィリア。言われた本人である僕は、自らの身体を見つめ直す。

 たしか僕は、彼女の大斧によって真二つに切り裂かれたのではなかったか? そうわずかに逡巡しながら、「おはようございます」と彼女に返す。

 そんな朗らかで、日常的とも呼べるありきたりな光景。されど、その光景を目の当たりにさせられた白の祈祷騎士は、僕を指さし「ば、化物め!」と喚き散らした。

 極力人を避けて生活していたため、直にそれを指摘されることはなかったが、そうだ。彼の言う通り僕は化け物だ。僕と、彼女は最早人間ではないのだ。

 人間としての常識で考えるのであれば、身体を左右二つに切り離されて死んだ人間が蘇るわけがない。例え左右二つに切り離されていなくとも、死は覆されるべき代物ではない。

 だが、僕はこうやって五体満足の身体で蘇っている、否、巻き戻っている。

 コレを、化物と呼ばずして、なんと呼ぶべきなのだろうか。

 それに当人である僕は直に見てはいないから確証は持てないが、僕に分けられている巻き戻りの効果は飛び散った血液や内臓にも至るだろうから、僕の巻き戻りは決して見心地良いものではなかっただろう。

 しかも僕を盾にしたつもりだった白の祈祷騎士にもメィリアの大斧は届いていたらしい。祈祷騎士の肩口から下腹部にかけて、ぱっくりと服が裂けてしまっていたし、白で統一された誉れ高き祈祷騎士の装束も今では真っ赤に染まってしまっている。

 だが、やはりというべきか。メィリアはそんな白の祈祷騎士に意識を向ける様子はない。むしろ、目の前に居る僕の感触を確かめるかのように、僕の頬をその小さな手でなぞった。

「すみません、メィリアさん。貴女の邪魔をするつもりはなかったのですが……」

 こんなことになってしまって。と、尻すぼみに言葉を濁した僕は、頬をなぞる彼女の手に、自らの手をここぞとばかりに重ねる。

「良いの。というか、アレは明らかにあたしの過失だもの。あたしの方こそ謝るべきだわ」

 ごめんなさい、ペチュニア。

 憂いの表情を見せ、そう言ったメィリア。

 僕の尊ぶべき彼女が、僕の愛しき彼女が、僕如きのために心を痛め、憂いてしまっている? そのことを喜ぶべきか、悲しむべきか。戸惑い、決めかねながら僕は「気にしないでください」と当たり障りのない、無意味で無価値な言葉しか言うことができなかった。

 僕にもう少し対話能力があったならば、もっと彼女の心を軽くするような、気の利いた言葉を返せたかもしれないのに。そうであれば、彼女はより僕を見てくれるようになったかもしれない。嗚呼、本当に、残念でならない。

 やわらかな指で僕の頬をなぞっていたメィリアは、その手を離し、僕に立ち上がるよう指示をする。

 もう少し、メィリアの手の感触を感じていたかった、と駄々をこねる気持ちは大いにあった。だが、彼女が指さすその先を見て、僕は立ち上がらざるを得ない状況である、ということを嫌々ながらも理解する。

 何故なら、いつの間にか、白の祈祷騎士の隣には、ピンクのワンピースを着た黒髪の少女が現れていたからだ。

「……これを、使って」

 くぃ、と白の祈祷騎士の袖口を引っ張ったその少女は、自身の腕一本分ほどの長さをした鉄の支柱を男に差し出す。

「ッ! 対魔の聖女か。……良いだろう」

 対魔の聖女? この広場の人間たちを殺して回っていた彼女が?

 その事実に驚く僕であったが、どうやら白の祈祷騎士も隣に少女が来ていることに気が付いていなかったらしい。目を見開き、驚きの表情を浮かべていた。だが、それはほんの一瞬で、少女から差し出されている鉄柱を見るや否や、彼は不適な笑みを浮かべる。そして、声高く笑うと、少女が差し出していたその支柱を奪い取るようにして、自身の手中に収めた。

 一見、いくつかの輪があるただの支柱にしか見えないソレ。だが、ついぞ今まで白の祈祷騎士の存在を眼中から省いていたメィリアも、ソレだけは無視できなかったようで、ソレを認識するや否や、ひゅっ、と、詰まるような息をする。

 顔を青ざめさせ、わずかに後退するメィリア。明らかに今までとは違う。怯えたような反応を示した彼女の姿が、悦に入ったのだろう。白の祈祷騎士は嬉しそうに笑った。

「ハハハハハッ! 貴様に馳走をくれてやる! この国に害成す異端の魔女を戒めろ、コウノトリ(stork)!」

 刹那、白の祈祷騎士の手元にあった支柱は、血に飢えた獣が他の脆弱な生き物に襲いかかるようにして、メィリアの方へ一直線に飛んだ。

 青い顔をした彼女はすぐさま掌に斧を出現させ、払い落そうとする。だが、彼女の斧が、意思を持ったかのような支柱に触れることはない。そしてソレは大口を開けるようにして広がり、彼女の首、手、足を捉えると、瞬時に戒めた。

「ッ!」

 一本の支柱によって、膝を抱えて縮みこむような体勢に無理やりさせられたメィリア。支柱に溶接してあるいくつかの輪は、的確に彼女の首と、手足をしっかりと捉え、身動きすることを許さない。しかも、その体勢が身体にかなりの無理を掛けているのか、メィリアは苦しげな表情を浮かべている。

 気の赴くままに力を振るい、白の祈祷騎士達を殺していた、傍若無人な幼女が金属の支柱一つに囚われ、折りたたまれ、苦しげな表情を浮かべている。

 嗚呼、なんという愉悦だろう。

 はくり、はくり、と唇を震わせる彼女の苦しげな表情に、僕の心臓は高く跳ねた。否、僕の内で蠢く劣情が鎌首をもたげ、暴れはじめた。

 愉悦! 高揚! 恍惚! なんという幸福だろう! 何時もより小さくまとめられ、収納された彼女が苦しげに息を吐く様! 決して動かすことのできない無理な体勢を強いられながらも、その苦痛を堪えようとする、その表情! 嗚呼! なんと気丈な色だろうか! これで、彼女にその苦痛を与えているのが自分であったならば、どれほどヨかったことか!

 せり上がるようにして、込み上げる身体の火照り。それに加えて、胸の鼓動も異様なほどに早く、まるで緊急事態を知らせる警報のようなけたたましささえ感じる。

 コレはもはや、高揚と称するしかない現象ではないか。

嗚呼、今まで自分に目をかけ、手塩に育ててくれた彼女の痛ましげな姿を見て高揚する? そんなこと、あまりにも倒錯的だ!

「この『コウノトリ(stork)』は対魔の聖女が作り出した、対魔女、対聖女用の拷問器具だ」

 ふん、と自慢げに鼻を鳴らす白の祈祷騎士。だが、作ったのは彼でなく、その隣に居る対魔の聖女だ。彼には、自慢する資格はないはずだし、するべきでもないはずだ。

 だが、そんなことはどうだっていい。

 一番重要なことは、退魔の聖女はメィリアと「約束」をしているにもかかわらず、それを反故し、彼に対魔女専用の拷問器具を与えたという、この状況だ。

 彼女は確か手紙の中で、メィリアと僕の身の安全を「約束」すると言伝てきた。そうでなければ僕等は今此処に居もしなければ、こんな引っかかるはずのない罠にわざわざ引っかかってやる理由もなかった。

 だがこの中で唯一、メィリアと対魔の聖女との間でそんな「約束」が交わされていることを知らない白の祈祷騎士は、「だからお前たちにはソレは壊せない! それを知っていながらあんな些細な抵抗をするとは、本当にお前たちは愚かで滑稽だな? それとも、白の祈祷騎士である私を軽んじすぎていたか?」と、声を荒げながら彼女に近づく。そして「形勢逆転だぞ、魔女め!」と高らかに宣言すると、拷問器具を着けられたメィリアの身体を見せしめのように強く蹴り飛ばした。

「ッ、止めろ!」

 愉悦、高揚、恍惚、疑念。それらが入り混じる中に居た僕も、流石にその興奮の主体であり、尊ぶべきメィリアが汚されれば意識を現実に戻さずにはいられない。

 蹴り飛ばされたメィリアと白の祈祷騎士の間に割って入り込んだ僕の、紫の双眸をまじまじと見つめた白の祈祷騎士は「嗚呼そういえば、お前は十年前から生きていたんだな。死んだとばかり思っていたが」と嘲り笑う。

「……貴方、どこかで?」

 十年前、という言葉を聴いた僕は、メィリアに救ってもらう前の「あの頃」を思い出す。だが、目の前に居る彼が誰なのか皆目見当もつかない。それに何よりこんな全身真っ白な人間、一度見ればなかなか忘れはしないだろう。

「本当に、何時まで経ってもお前は愚鈍だな、ツクバネ。十年もその忌々しいPの魔女と居たせいで、貴様の実兄であるこのアカシア様の顔さえ忘れてしまったか?」

「にい、さん?」

 「ツクバネ」と、もはや誰も呼ぶことの無くなっていた真名を呼ばれた僕は、記憶の中の兄を思い出す。

 兄であるアカシアは、不機嫌になればすぐさま弟であった僕に拳を振るい、腹を蹴り、嘲り笑う少年だった。しかも髪は艶やかな黒髪だったはずで、少なくともこんなに白くはなかったはずだ。

「でも、どうしてそんな髪色に……」

「この髪か?」

 忌まわしげに彼は自身の白い髪を掴むと、至近距離に居た僕を足で蹴り飛ばし、その足元に居るメィリアの背を再び蹴りつけた。

「全てこの魔女のせいだ! あの時こいつが現れさえしなければ、私は国家に絶対の忠誠を誓えたというのに! こいつが現れたりしなければ、私の信用は地に落ちることも、折檻されることも、こんなにも苦労することもなかった!」

 クソッ! クソッ! せっかく親や兄弟も、集落中の人間を殺して回ったというのに!

 聞いてはならぬような十年前の真実を叫びながら、祈祷騎士はコウノトリ(stork)を着けられたメィリアを蹴り続ける。

 しかもメィリアの身の安全も「約束」していたはずの対魔の聖女は、彼の後ろでその様を見ているだけで、止めもしない。メィリアいわく、「約束」を破ればそれ相応の罰を受けるはずだ。対魔の聖女は、その罰を、恐れていないのか。あるいは、ソレはメィリアが僕を言いくるめるために吐いた嘘なのだろうか?

 実の兄であるアカシアに蹴られる度に漏れ出るメィリアの苦しげな声。それに乗じて育つ、己の欲望、あるいは劣情を感じながらも、他者によって行われるその愚行自体は許せるわけがない。僕は改めて体勢を整えると、拳を振り上げ、アカシアに襲いかかった。

 けれど普段から人を殴るなどという行いに慣れていない僕の拳は、あっけなく空を切る。一方で戦い慣れている彼は僕の足をすくい、容易に背と尻を地に打ち付けさせ組み敷いた。

「ッあ!」

 仰向けに倒れこんだ僕の上に馬乗りになった彼は、憎々しげに僕の首根を掴む。

「昔からお前のその紫の瞳が気に入らなかったんだ! 才能も魔力もないくせに、国家の重鎮となった我らが先祖と同じ色の瞳など! 許せるわけがない!」

 そこまで一気にまくしたてたアカシアは、ふと何か思いついたかのように「嗚呼、」と声を漏らした。

「貴様のその眼を抉り、私の物にしてしまえばいいのか」

 にやり、と下品で粗悪な笑みを浮かべたアカシア。ソレに組み伏せられている僕は、どうにか逃げ出そうともがき、暴れる。しかしそれは叶わず、壊れた笑みを絶えず零し続ける彼の姿を見せつけられながら、向かってくる指に眼球をくり抜かれることを覚悟する。もし目玉をくり抜かれたら、僕の巻き戻りはどのようにして発動するのだろうか? と、ほんの少し現実逃避をしながら。

「……バフォメット。あたしを助けること、許してあげるわ」

 メィリアの小さな声が聞こえた次の瞬間、彼らの傍で爆発かと思う程の爆音と風量が発生し、僕とアカシアを襲った。

「な、なんだっ!」

 いきなりの出来事にうろたえたアカシアは、僕の目に差し込もうとしていた手を止めて距離を取る。組み伏せていた相手が居なくなった僕自身もまた、突如として現れた煙幕に身構えるため、立ち上がった。

 一体何が起きたのだ。と、見据えるその煙幕の中で、揺らめいた影。

「メィリア、さん……?」

 彼女が囚われていたはずの場所が発生源となって上がる煙幕に、恐る恐る僕は声を漏らす。けれどその言葉は虚しく、徐々に煙幕が晴れる煙幕の向こうには、化物と呼ぶにふさわしいモノが居た。

 黒山羊の頭と黒い翼を取って着けたかのような、ヒト型のナニカ。しかもその身はミシミシと音を立てて巨大化し、人間の三倍はあるだろう大きさにまでなった。

 そして、ゆらり、と動いたそれはおもむろに宙に浮かび、胡坐をかく。そんな彼はおそらく、否、確実に、メィリアの使い魔である黒山羊閣下だ。

 だが、その主であるメィリアの姿は見当たらない。閣下と思しきバケモノの周りには、先程までメィリアを捉えていたコウノトリ(stork)が砕け、散逸しているだけで、彼女の姿は何処にも無い。

 メィリアは、一体何処へ消えたのだ?

「ッハハハ! やっと本性を現したか! 国に害なす魔女め!」

 どうやらアカシアはこの黒山羊をメィリアだと誤認しているらしい。だが、彼女の姿が何処を探してみてもないことを鑑みると、そう至るのは当然のことかもしれない。

 そんな彼の後方に居た対魔の聖女を見てみれば、彼女は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。どうやら現状をよくないものだと察知しているようだ。

「対魔! 新しい拷問器具を出せ! 町中と言わず国中でコイツを引きずり回してやる!」

 危険を顧みないのか、それとも彼にとってメィリアの変貌など取るに足らないことなのか。図々しくも、そう叫んだアカシアの声が届いたのだろう。ピクリと反応を示した黒山羊閣下は、おもむろに自身の手をアカシアの方へと伸ばす。

 だが比較的ゆっくりとした閣下の動作には隙が多く、アカシアは持っていた剣を振り上げ、閣下の手に向かって振り下ろした。

 だが閣下の手が断ち切れることはなかった。むしろ、剣はその刃を零し、ぱっきりと折れてしまう。

「なっ!」

 まさか自身の武器が折れるとは思っていなかったらしい。驚きを隠せていないアカシアの身体を閣下は掴むと、そのまま彼を建物へ叩きつけた。叩きつけられた彼は気を失ったのか、あっけなくずるり、と地面へ突っ伏す。

 一切の躊躇いもないその行いには愉悦も、楽しみも、何一つない。ただ不快だったから叩きつけた。その程度のものだろう。そんな閣下は、次標的を見定めた。そう、呆然と立ち尽くしている、僕にその視線を向けたのだ。ちなみにアカシアの後方に居た、対魔の聖女の姿はすでにない。おそらく身の危険を感じ、逃げたのだろう。

 至近距離に居る僕を、見下ろす閣下。一歩、二歩、とゆっくり後退しながら、僕は閣下の姿を観察した。

 艶やかな黒い体毛に覆われた山羊の顔。そこに埋まる金色の双眸がぎょろり、と僕を見つめ続けている。首から下は、筋骨隆々の男性。そんな彼の身体の内、そう腹部から唐突にズブリと、幼い腕が一本生えた。

 もがくように空を掻く腕。白い肌に、見ただけでも分かる柔らかなその腕は、紛れもなくメィリアの物だった。

「メィリアさん!」

 メィリアを体内で囲っているらしい閣下は、腹から生えるメィリアの腕を体内に押し込め、戻そうとする。だが彼女はそんな彼に抵抗しているようで、もう片方の腕を、閣下の腹の内から出した。そして、閣下の腹に両の掌をおしつけ、勢いよく上半身も引きずり出す。

 衣服を着た状態のまま囚われていたらしく、彼女の上半身には薄桃色のロリータドレスがきちんと纏われている。だが彼女の頭部に形作られていた山羊の角を模した髪は解けてしまっていた。

 出てきた彼女の目は虚ろで、わずかに開かれた瞳の白目部分が真っ赤に血走ってしまっている。はたから見れば、その瞳は僕と同じ紫、アメジストの色のように見えるだろう。

 黒山羊の頭をした巨体のモノの腹部から、小さな幼女が生える。そんな異様な光景を目の当たりにさせられている僕は、後悔する。嗚呼、僕は彼女を、なんとしても引き止めるべきだった、と。そうすれば、彼女はこんなにも穢れずに済んだはずなのだから。

自分の身が粉砕されたり、切り刻まれたりしようと、それは構わない。どうせ戻るのだから。けれど、今の彼女はどうなのだろう。閣下と混じってしまった彼女の身体は、元に戻るのだろうか? 山羊に囚われた彼女の身体を、元に戻すことは可能なのだろうか?

 後悔し、疑問を抱いたところで今更どうにかなるわけがないのは、十二分に分かっている。けれど、最早この現状では後悔し疑念を抱くこと以外、何もできることが無いのだ。

 意識を失っているメィリアのアメジストと目が合う中、僕は力なく「メィリアさん」と声を漏らそうとする。けれど、そうすることは叶わなかった。何しろ僕は、彼女の姿と、閣下の姿を瞳に映しながら、激しい痛みと共に散り散りになってしまったのだから。


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