1-②
罠があるとされる一番近い町へ着いたのは、森で一晩夜営をした翌日の昼ごろだった。
悶々と何時来ると知れぬ罠に心だけは身構えながらも、罠が発動しない限り、手持ちぶさたな僕とメィリアは、連れだって町に並ぶ店たちを見て回っていた。
傍に森があるからと軽視するつもりもなかったのだが、田舎じみた場所に在る割には人通りも多く、狩猟のための武器屋や旅人向けの道具や、古着屋も存在していた。勿論、趣向品向きの菓子や、花屋も店を連ねている。
ちなみに今は「この辺りの気候は他と比べてかなり暖かいけれど、それでも夜営するのにワイシャツ一枚ではほんの少し寒いから」という、真っ当そうな理由をメィリアに伝え、彼女に上着を見繕ってもらったところである。
真っ当なそうな理由、ではなく、本当のことをいうのであれば、メィリアに何か羽織ってほしくて僕は彼女に服を見てもらおうと思ったのだ。そう、僕のついでであれば彼女も何かしら、羽織ってくれるのではないかという淡い期待を抱いて。
ちなみに、僕たちを襲ってきた野盗のおかげで資金に不足はない。ただし、無駄遣いは今後に響くため、僕たちが見て回るのは主に古着屋の類である。僕も彼女も新品でなくてはいけないという拘りが無いため、その辺りはとても安上がりで良い。
町中を歩く上では都合の良いことに、外見上、僕と彼女の見た目が歳の離れた兄と妹に見えてしまうため、そこまで怪しまれることは無い。だが、やはりというべきか。メィリアのこの格好は映えてしまっていた。どちらかといえば、悪目立ちという方向で。
手を繋ぎ、隣を歩く幼女を僕は見下ろす。
薄桃色の髪に、髪と似た色のロリータドレス。それその物は十分と愛らしいのだが、やはり傍に森があったりする町では勿論、もう少し活気のある街でも目立ちすぎる服装だ。
それに、おそらく彼らは彼女の服装に関して異質だと感じると共に、本能としても彼女を恐怖しているのだろう。でなければ、チラチラと僕たちの方を見たり、目線が交わった瞬間に目を逸らしたりは普通しないはずだ。
あるいは、「薄桃色のロリータドレスを着た幼女」の噂を耳にしているのか。はたまた、この町には罠が仕掛けられているというから、その話を町の住人が耳にしているのだろうか?
仕掛けられている罠、または誘いが一体どういったものなのか見当もつかない僕は、小さくため息を吐く。
少なからずメィリアは手を出しさえしなければ無害な幼女だ。そう、危害を加えさえしなければ、ただの女の子でしかないのだ。
ただし迂闊に手を出し、傷を付け、巻き戻りを目にしてしまったが最後、彼女は幼女の皮を破り、魔女になる。以前、悪目立ちしてしまったメィリアに対して村の子供が小石を投げたのだが、運悪く彼女の肌を傷つけてしまったがために、その村の住人が全員消えてしまったこともある。彼女のことだから、それが村でなく、町や街であったとしても同じことをするだろう。
僕は、彼女が他者の血や傷で穢れるのが許せないというのもあるのだが、住人を消し過ぎてあらぬ噂を立てられるのも気に入らないのだ。
例え、彼女が巻き戻りの祝いを掛けられた「Pの魔女」であることが露見していなくとも、「薄桃色のロリータドレスを着た幼女」が村に、あるいは町等に入った直後にその町や村が無人になったという噂が上がれば、名指しされかねない。否、すでに名指しされている。おそらく僕を救う前にも、そうやって消してきた村や町があるのだろう。
事実確認のできない噂は、尾ひれがついて広まりやすい。しかも、その噂の本人であるメィリアは、「薄桃色のロリータドレスを着た幼女」の噂を微塵も気に掛けるつもりが毛頭無い。以前、その服を着るのを止めてはどうか、と進言したことがあるのだが、「この衣服だからこそのあたしなの。そんなにこの服が嫌だと言うのなら、貴方のワイシャツを着ていくわ。脱ぎなさい」と、拒まれてしまった。
しかも彼女は、指を指され、白い目で見られ、冤罪までなすりつけられることを知っていながらも「あたしがその噂の主なのだから、しかたのないことじゃない? いまさら何を言っているの?」と平然とした顔で宣のだ。
そう平然と言うのだ。言ってしまうのだ。
身に覚えのない罪に対して怒るでもなく、嘆くでもなく、悲しむのでもない。ただ“そういうもの”だと、蓄積した年月の中で思わざるをえない状況に、彼女は至ってしまっているのだ。
落胆か、あるいは諦めか。例えそのどちらでなくとも、僕はその状況を作り出した者たちが、憎い。
家族に虐げられていた僕を救い、今でも傍に置いてくれている。我儘で、自由奔放だけれど、とても優しい彼女を、彼女のことを何一つ知ろうともしない赤の他人である者たちが、悪く言い、穢すのが、許せない。優しい彼女に、それが当然のことだと思わせ続けた者たちが、とても憎らしい。
――故に、村や町、街に赴く際は必ず僕は彼女の傍に居ることにしている。
もし彼女が何かの拍子に傷ついてしまった場合も、僕が誤魔化せば良いし、噂にない連れが居るだけでも「薄桃色のロリータドレスを着た幼女」の噂の効力は薄まるだろうから。
加えて、僕は彼女に「一人行動はしないでほしい」とも嘆願していた。僕が寝ている時に彼女がどうしているかは分からないが、嘆願してから騒動が起きたことがないところを鑑みるに、おそらくその願いは聞き入れられているだろう。
その他にも「夜間の外出も緊急の時以外はしないでほしい」や、「あくまで、外見に見合った言動を行うようにしてほしい」等、の嘆願もしている。そのせいか町中においてのみ、彼女は僕を――
「――お兄ちゃん」
そう、お兄ちゃんと呼ぶようになってしまったのだ。
「……ねぇ、ペチュニアお兄ちゃん。聞こえてる?」
ぐいぐい、と僕の服の裾を引き、僕を見上げる小さな幼女。
「あ、嗚呼、はい。なんですか、メィリア……」
「さん」と続けて呼びそうになるのを堪え、僕は彼女の言葉を待つ。
「もうお洋服は見終えたんでしょう? なら、次は甘いお菓子を買いに行こう? ねぇ、良いでしょう?」
まごつき、恥ずかしそうな演技をしながら「ペチュニアお兄ちゃん」と、わざとらしく言うメィリア。その手元には、古着屋を見て回った中で彼女が唯一気に入り、購入した白地のケープが抱かれている。ちなみに真っ当な理由として挙げていた僕の上着も無事購入済みだ。
「そうですね。それじゃあそのケープを羽織ってもらっても……」
「ペチュニアお兄ちゃんが、お菓子、たくさん選んでも良いよ、って言ってくれるなら考えてあげても良いわ」
「……なら、たくさん選んでも良いので、お願いします」
「ふふっ、やったぁ」
子供の様に嬉しそうに喜ぶメィリアは、手に持っていたケープを羽織り、「どう?」と窺うように僕を見上げてくる。
ケープを羽織ることにより「薄桃色のロリータドレスを着た幼女」の噂そのものである彼女の衣服が隠される。ただ、ケープではスカート部分の大半が見えてしまうため、意味が無いと言えばそうなのだが。無いより在る方がマシだろう。
「よく似合っていますよ」
「そう? それなら買った甲斐があるわね。さ、ペチュニアお兄ちゃん。お菓子、見に行こう!」
ぐぃ、と僕の手を引き、菓子店が並ぶ道を指さすメィリア。その表情は何時にも増して軽快であり、見た目相応の色を浮かべている。
僕と彼女は「噂」のこともあり、用があったりしない限り町や村には赴かない。そのため、人が居る場所でしか手に入らない甘味の類は僕等にとって滅多に口にできない貴重な代物なのだ。
僕としては僕自身が手作りした菓子を彼女に食べてもらいたい、という気持ちもあるのだが、いかんせん、僕は菓子作りの知識を何一つとして持っていないため出来ない。あるとすれば、メィリアが狩ってきた肉の処理方法や、食べられそうな野草を探す、という菓子作りから離れた知識ぐらいだ。
仲の良い兄と妹の姿を演じながら菓子店を覗き、そして時折彼女の御眼に適った菓子を買っていく。そんな微笑ましい時間の中、メィリアの足がピタリと止まる。
「メィリア?」
十年程彼女と共に行動してはいるが、彼女がこんな風に、そう、気配を探るようにして立ち止まるなど、滅多にない。
不思議に思った僕が彼女の顔を覗きこんでみれば、そこには先程まで浮かべていた子供らしい笑みは消え、真剣なものへと変わっていた。
「胡散臭い炎と、血の匂いがするわね……」
メィリアがそう言い足早に広場の方へ向かえば、進行方向から叫び声や、喚き声が聞こえてくる。
「広場の方から火事だ! はやく水を!」
「だめだ! 火の勢いが強すぎる!」
「広場の方で、ピンクの服を着た子供が暴れて、私の夫が!」
「アイツには何人も殺されてる! 町の外へ逃げろ!」
「火事に人殺し、一体何がどうなってんだ!」
攪乱し、拡散される情報。その中の「ピンクの服を着た子供」と「アイツには何人も殺されている」という情報を耳にした周りの人間たちの視線が、一斉にメィリアへと集中する。
いや、待ってほしい。彼女は紛れもなく「ピンクの服を着た子供」ではあるが、彼女はずっと僕と一緒に居たではないか。それに、今この場に居るということは、広場にいるというその「ピンクの服をきた子供」は明らかにメィリアではないだろう。
「アイツは黒髪だ! この子じゃねぇ!」
流石に周りの視線がメィリアへ集中していることに気付いたのだろう。広場から来たと思しき男性がそう叫べば、視線は外れ、彼らは町の外へと逃げはじめる。
「兄ちゃんたちも早く逃げな! あと、その子はできるだけ皆の目には、触れないようにしてやってくれ。アイツに家族を殺されたやつが、その子を襲っても、守ってやれねぇからな!」
メィリアがその「ピンクの服を着た子供」ではないことを周りに教えてくれた男が、僕にそう言い「じゃあな!」と自らも町の外へ逃げるために背を向ける。
「あ、ありがとうございます!」
人々の焦りや悲しみ、怒りが攪乱する喧噪の中で、僕の声が聞こえたかは定かではないが、礼だけは言っておく。もし彼が言葉を発してくれなかったならば、此処はメィリアの手によって地獄と化していたのかもしれないのだから。
「彼の言う通り、流石に見えるのは面倒ね」
周りの喧噪に慄き、怯える妹。の、ようにして僕の足にしがみつく演技をしているメィリアがそう呟く。
「なら早く僕の上着を……」
古着屋で買った僕の上着は大人用である為、小さな彼女ならば足元まですっぽりと隠してくれることだろう。手早く上着を広げ、「さあ早く」と急かせば、メィリアは僕の手を引き、路地へと連れ込んだ。
「――隣に住まう妖精さん。悪戯上手な妖精さん。悪戯好きなあたしと彼に、身隠しの粉を振りまいて」
不意に視界の隅にきらきらとした、粉のような光が散ったかと思うと、その粉が僕の持つ上着と、メィリアが羽織っているケープに降りかかる。
「ありがとう。……そうね、お礼はコレで良いかしら?」
僕の目には何も映らない空間に向かって先程買ったばかりである、クッキーの詰め合わせを差し出すメィリア。すると近くで再び粉が散り、その瞬間クッキーが消えた。
「さあペチュニア、早くその上着を着て。広場に行くわよ」
くぃ、と小さな手が僕の服の袖をつまみ、「早く」と急かす。
「――はい」
おそらく僕には見えない妖精の類に、身隠しの魔法でもかけてもらったのだろう。状況説明を全くしない彼女には困りものだが、少なからず僕を守ってくれる意思は汲めるため、僕は深く訊きはしない。何しろ僕はメィリアの傍に居るのだ。理解の追いつかない何かが起こっても不思議ではないし、何より、済んだことに対しての考え過ぎもまた、時間の無駄なのだから。
彼女に急かされるまま魔法が掛かっているだろう上着を羽織れば、僕の手を改めて握ったメィリアが路地から飛び出る。
ぎゃあぎゃあと叫びながらも、必要な物だけを持って逃げだす住人達。そんな彼らの目に、僕たちの姿は映っていないらしい。僕の手を引くメィリアにも、その後ろを引きずられるようにして走っている僕にも、誰一人として視線を向けなかった。
「妖精の粉(身隠しの粉)は、普通の人間に触れられたら効果が消えてしまうから、ぶつかられないように気を付けてね!」
「……っ!」
彼らに僕たちは見えていない。そう、見えていないからこそ、全力疾走で僕等の向こう側を目指す。だから僕は、勢いよくこちらに迫ってくる男を寸前で躱した。
しかし僕たちの向こう側を目指す人間は彼だけではない。何も知らずに迫ってくる住人達を前に、メィリアに対して「そういう大事なことはもっと早く言ってほしいし、何より貴女に引っ張られたままでは回避することも難しくなります! というか、こんなの絶対に避けきれません!」と泣き言を言いだしたい。だが、言ったところで改善される見込みはないだろう。
そんな僕の絶望、否、不安がメィリアにも伝わったのか、僕の手を握る小さな手の握力が強くなる。嗚呼。もう、「彼女に手を握ってもらっている」という満ち足りた状況にのみに感謝をし、それを糧に頑張るしか、僕にできることはあるまい。
半ば絶望、半ば幸福に浸りながらも、僕はメィリアの望み通り、極力回避できるだけ回避して、走ってみることにした。
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