第5章 セカイの約束⑦

 分かり合えることなど望まない。

 きっと私と希依は違うのだから。

 希依の言葉の意味がわからなかった。彼女の真意がわからなかった。

 何故、私から離れたか理解できなかった。

 思い当たる節は、私が駄目だから。

 兄がいなくなった時と同様に私が何か無理を押し付けていたんだ。そう考えた、そう決めつけ、ふさぎ込んだ。 

 暗く閉ざされた世界が戻ってきた。

 帽子の中の真っ暗な世界が。

 何を間違えたんだろう。何を私は、知らず知らずのうちにしてしまったんだろう。

 

 さらに闇が待っていた。帰ってきたはずの兄が病院に運ばれた。

 不幸の連鎖。

 全て、全部、私のせいなんだ。

 私は自分を責めた。何もできない自分を。無力な自分を。

 私はただ嘆き、惨めに泣くしかできない子供だった。

 でも、それでも、私に手を伸ばしてくれる人がいた。

 希依。

 何故、戻って来てくれたのか、わからない。

 嬉しかった。

 私たちは分かり合えない。バラバラの生き物で、別の世界を持っている。

 でも、気持ちは重なり合うことができるし、バラバラの世界は確かに交わったんだ。

 


 次の日、凪沙と一緒に電車に乗り、兄のいる病院へ一緒に向かった。

 私は直接、病室へ向かわず、自販機で飲み物を買ってから行くと、凪沙を先に行かせた。怖気づいたわけではないし、日和ったわけではない。来ていきなり謝るのもどうかなと思っただけで……ああ、怖気づいたんですよ!それなりの覚悟と炭酸飲料が必要なんだと言い訳を口にする。


 自販機に着くと先客がいた。

 また見知った看護師かと思ったが、違った。服装が白衣ではなく、患者が着る病衣というもので、昨日会った人物だった。


「なんでここにいるんですか」

「抜け出した」


 あっけらかんとした表情で告げる、病室にいなくてはいけない男。

 そこにいたのは凪沙の兄だった。

 看護師さんの目を盗んで逃げだしたのだろう。まぁ別に監禁されているわけじゃないから、病室に閉じこもっている必要はないのだろうけど。詳しいルールは知らないし、もう自殺する気概はないと思っているから構わない。病室に向かった凪沙は焦っているかもしれないが。


「悪かったね」


 先に謝られ、出鼻を挫かれる。


「いえ、私こそ言いすぎました。ごめんなさい」

「いいよいいよ。あそこまでほぼ初対面で言える人間なんていないから感心したわ」

「生意気すぎました」

「そんぐらい生意気の方が芸術家として大成するよ」

「私は芸術家にはなりませんが」

「それは残念」


 飄々とした受け答え。


「僕も」

「はい?」

「凪沙のように君みたいな友達がいたら違ったのかな」

「知りませんよ。私はあなたじゃないですから」

「病人なんだから、『はい、そうですね』ぐらい相槌打てよ、可愛くない」

「私はあなたの妹の凪沙と違って、可愛くないですから」

「そう?万人の目にはとまらないかもしれないけど、コアなファンがつきそうな顔しているよ?」

「……口説いているんですか?」

「妹の友達を口説くほど節操なしじゃないし、死ねと言われた人間を好きになるほど、僕もドМじゃないんでね」

「そうですか。それは良かったです」


 男は楽しそうに笑う。


「うるせー、代用品」


 代用品か、うん。


「はい、そうですね」

「認めるんだ、代用品と」

「ええ、あなたがいないから、兄の代わりとして凪沙は私を必要としてくれました。それは否定しません」

「へー、最初に言ったときは今にも殴りそうな顔をしていたのに」

「私はそんな暴力的な女じゃないですよ」

「どうだか」

「殴られたいんですか?」

「勘弁しとくよ」


 そう、私は代用品だ。兄の代わりに凪沙の隣を手に入れた。彼女が寂しい想いをしていたから私を必要としてくれた。


「でもいいんです。初めは代用品だったとしても」


 私は兄の代わりで、兄がいたらもう必要とされないかもしれない。

 それなら、奪い返せばいい。


「彼女の隣は私の場所だ。あんたなんかに返さないからな」

「減らず口が、代用品」

「うるさい欠陥品」


 男がぷっと噴き出し、私もしてやったりと笑う。

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