第5章 セカイの約束③

 病院は何時まで開いているのだろうか。外はオレンジに染まり始めている。

 不安も覚え始めた時、やっと声がかかった。


「三澄さんの妹さんですか」

 

 近づいてきた看護師さんに聞かれ、俯いていた凪沙が顔を上げる。


「三澄さんと面会可能になりました」


 一気に彼女の顔に元気が戻る。

 がばっと立ち上がり、今にも駆けだしそうな彼女を私は両手で抑える。


「案内しますね」


 看護師さんに案内され、少し歩いた先の病室の前に辿り着いた。

 病室の扉を看護師さんが開く。

 すかさず部屋に飛び込んでいく凪沙。


「馬鹿、本当馬鹿なんだから」


 真っ先に兄に文句を言う。文句を言いながら、それは涙声に変わっていく。

 私は扉をそっと閉じる。看護師さんが「いいんですか?」と言いたげな顔で私を見ていたが、いいのだ。

 兄が無事だった。


「良かったね、凪沙」


 今はそれだけでいい。まずは兄妹水入らずでいいのだ。



 ただこのままずっと外で待っているのもどうかと思ったので、病院内を歩き、自販機を探す。

 安心したら喉が渇いた。病院内は涼しいとはいえ、真夏なのだ。

 しかし、病院内では発見できず、仕方なく外に出ることにした。

 すぐに入口前に自販機を発見したが、別の発見もした。


「あれ、きよりんじゃん」


 背の高い、今日はリーゼントではないが、派手な金色の髪の女性。

 ただ前とは違って、上下真っ白な服を着ている。スカートではなく、ズボンタイプ。

 一度会ったら忘れない、鋭い眼光は相変わらずだ。


「紗枝さん!?」


 横須賀の花火大会の祭の時、屋台のバイトをさせてもらった以来だ。


「お久しぶりですね」

「ついこないだじゃねーか」

「そうでしたっけ」


 まだ日にちはそんなに経っていないが、懐かしさを覚える。

 そういえば、仕事は看護師と言っていた。嘘とは思っていなかったが、本当だったんだな。


「本当に看護師だったんですね」

「嘘つくわけねーだろ。これでもけっこう看護師歴長いんだぜ」


 似合わないと言ったら怒られそうだが、こんな所、こんな場面で会うとは思わなかった。


「何してんの?」

「自販機に飲み物を買いに」

「ん、病院に何か用事?」


 話すかどうか迷ったが、紗枝さんならいいと思った。


「凪沙の兄が病院に運ばれたんです」


 紗枝さんは私の言葉に特に動揺せずに「そっか」と呟く。


「兄は無事なのか」

「先ほど立ち合い可能になりました」

「そっか、大変だったな」

「大変だったのは凪沙です」

「でもきよりんもここにいるわけだろう。駆けつけなきゃいけなかったわけだろ」

「……わかりません」


 必要だったのかはわからない。でも少しでも彼女の助けになればと思った。泣いている彼女を黙って見過ごすことができなかった。何より凪沙に会いたかった。

 紗枝さんが自販機にお金を入れ、ゴトンと飲み物が落ちてくる。


「ほらよ」


 下投げで私に買ったばかりの缶を投げる。


「え」


 思わずキャッチ。


「ほら飲めよ」

「いえいえ、悪いですよ」

「いいんだよ、先輩は優しくするもんなんだよ」

「何の先輩ですか」

「人生の先輩だよ」


 まじまじと貰った缶を見つめる。モーニング用コーヒーと書かれている。


「ありがとうございます」

「おう」


 ありがたく受け取り、口につける。

 先輩からの優しさは、少し苦かった。

 紗枝さんはスポーツドリンクをぐびぐびと飲み、私は隣でコーヒーをちびちびと飲む。少し沈黙が流れた時、紗枝さんがふと口を開いた。


「前に会った時とは違うな」

「え、何がですか」

「今も前も悩んでいただろう」

「何でわかるんですか」

「先輩だからだよ」


 理由になっていない。


「前は希望に満ち溢れていた」


 そうだ、前に会った時は凪沙に告白しようと、祭の夜、気持ちを伝えようとまっすぐに前を向いていた。

 しかし、その夜、兄に会って、その気持ちは瓦解した。


「今は迷っている」


 迷っているのだろうか。迷っているのだろう。出口のない迷路をぐるぐると回っている。

 ただそれでも、それでも私は彼女を消せなかった。

 嘘をつけなかった。凪沙の隣にいたかった。

 それが出口のない迷路だとしてもだ。

 私が兄の代わりだとしてもだ。


「紗枝さんは間違えたことありますか」


 質問を口にすると、紗枝さんは不思議な顔をしたが、「そうだなー」と話し出す。


「間違えてばっかりだ。間違えだらけだ。あの時、ああしとけば良かった。何でこんなことしたんだと後悔ばかりさ」


 「ただな」と付け加える。


「間違ったこともたくさんあるけど、それも経験だ。お前と人生の先輩の差はな、失敗と間違いの蓄積の違いだ」


 夕焼けに照らされた紗枝さんの顔が眩しい。


「間違ったっていい。間違えない人なんていねーんだから。間違いだったと気づければいいんだよ」


 私の背中をバシバシと叩く。ちょっと痛い。


「悩め、間違え。それが若者の特権なんだから」


 その痛さが心地よい。ぐっと力が湧いてくる。

 千葉から勢いで戻ってきた。でも不安だったんだ。

 私はひとりぼっちのデネブで、代用品で、まがい物で、本物じゃないのだから。

 けれど、間違いじゃない。

 間違いだったとしても、凪沙に出会ったことは間違いじゃない。

 ぐいっと飲み干し、足を踏み出す。


「ごちそうさまでした」

「おう」


 空き缶を自販機横に捨て、歩き出す。


「私、勝ってきます」


 紗枝さんに高らかに宣言し、再び病院に戻る。

 私は悩んでばかりで、私は間違え、凪沙を傷つけた。

 けれど、それが若者の特権だというのなら、ぶつかるだけだ。

 兄と対決する時が来たのだ。

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