第5章 セカイの約束②

 市内では一番大きな病院だった。

 駅からは近く、徒歩5分程度の距離だったが、私は気がついたら走っていた。汗が噴き出るのも気にしない。少しでも早く着きたかった。

 病院の入口に急いで駆け込む。

 着いた。

 しかし、着いたはいいもの、何処にいけばいいのかわからない。彼女は何処にいるのか。何科なのだろう。受付で聞く?三澄さんは何処にいますかって。

 電話すればいい。ただ病院なので気を遣う必要もあった。

 前もってちゃんと聞けばよかった話なのだが、そんな余裕もなかった。

 さすがに病院内では走らず、宛てもなく病院内を歩き回る。


 ……5分ぐらいし、やっと見つけた。

 待合室の椅子に座って、顔をおさえている彼女を。


「凪沙」


 私の声に反応し、手を放す。こちらをゆっくりと見る。

 三日ぶり。

 でも、途方もなく遠く、長い時間を過ごした気がした。

 彼女がゆらりと立ち上がる。支えてあげないと今にも倒れそうな弱々しさ。


「……希依」


 凪沙へと距離を詰めると、潤んだ目をした彼女に倒れ込むように、抱き着かれた。

 やっと安心できたのか、一人でずっと辛かったのか。

 抱きつくとすぐに子供みたいに「わああ」と泣き出す。

 そんな彼女の背中を優しく擦り、少しでも落ち着かせる。


「ごめんね」


 彼女を一人ぼっちにしてしまった罪を悔いる。

 寄り添うはずの人がいなかった。

 静かな病院内で彼女の泣く声だけが響く。


 限界だったのだろう。なかなか涙は止まず、ずっとよしよしと彼女を宥めていた。

『お兄ちゃんが病院に運ばれた』

 彼女からの電話の内容はこうだった。

 その言葉だけで只ならぬ気配を感じた。病院。健常者には縁がない場所だ。

 病気?事故?それとも。


「ホテルで倒れているところを発見されたの」


 凪沙の兄は、今朝、ホテルの部屋で倒れているところを従業員に発見されたとのことだった。

 たまたまドアに物が引っかかっていてオートロックがかかっておらず、不審に思った従業員が部屋を覗くと倒れている人がいたとのことだ。

 たまたまなのだろうか。それは何かの意志なのか、遺志なのか。


「原因は、薬」


 薬の摂取量オーバー。

 何か持病を患っていたのか。いや、そんなことはないとのことだ。

 それが意味するのは、自殺未遂。

 兄は死のうとしたのだ。

 この世から消えようとした。

 前見た時は元気そうに見えた。でも、何年も失踪していたのだ。何かを抱えていた。もしくは何も抱えていなかったのか。

 すぐに病院に運ばれ、病院先から携帯の履歴にあった妹の凪沙に電話がかかってきたとのことだ。

 気が動転したに違いない。

 両親もいるだろうが、東京にいるのだ。すぐには来ることができない。

 近くには彼女しかいなかったのだ。

 私と関係を失ったばかりの彼女。弱っていた凪沙。

 そこにさらなる追い打ち。

 いなくなった兄が、やっと戻ってきた。それがまた消える。


『兄なんて帰って来なければ良かったのに』

 それは、私が願ってしまったからなのか。

 私にはそんな力はない。自惚れだ。

 でも、タイミングが良すぎて、悪すぎた。


「ごめんね」


 少しでもそんなこと思ってごめん。

 私の意図は伝わらない。それでも私は謝らずにはいられなかった。

 そんな非常な願いは、思うことすら間違っていた。

 

 少し経つと泣き声は小さくなり、抱き着くをの辞め、私から離れた。

 兄は運ばれてからずっと治療室に入っているらしい。

 意識が戻らないのか、それとももう戻っているのか。

 待つだけの私たちは何もわからなかった。

 何も病院の人は説明してくれない。ただただ祈って待つだけ。

 どうか彼女をこれ以上悲しませないで、と願うだけ。

 それは偽善的で、独善的な願いだった。

 でも、そうだった。

 私は彼のことを知らない。ただ一度話しただけ。

 『代用品』と言われただけ。

 それでも、謝らないといけないと思った。

 それでも、一発殴ってやらないといけないと思った。

 

 彼女の手をずっと握り、ひたすらに待つ。

 看護師に呼ばれたのは、空もオレンジ色に染まり始めた時だった。

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