第5章 セカイの約束

第5章 セカイの約束①

 ……。

 女の子が泣いていた。

 しくしくと静かに声を出し、目元を手で拭っている。

 どうしたのだろう。

 私は、女の子を泣き止ませたいと思い、近づく。


「どうしたの?」「迷子になったの?」「嫌なことがあったの?」


 女の子は私の声に気づき、顔を上げ、私の顔を見る。

 きらりと光る大きな瞳。伸びた長いまつ毛に、凛とした鼻。

 泣き顔さえ綺麗な女の子。

 知っている子だった。普段よりもずっと小さく見えるが、面影がある。


「ごめんね」


 私は謝っていた。

 女の子は驚いた顔をするが、何も話さない。私は続ける。


「ごめんね、もう一人にしないから」


 彼女の手を握る。びくりと震える小さな手。


「私が一緒にいるからね、凪沙」

 

 景色はぐるりと回転し、光に包まれた。



「っ!」


 目を開けると、眩しさに視界が奪われる。

 ここは何処?

 目が徐々に慣れ、辺りを見渡すと見知った場所だった。

 実家の私の部屋で、ベッドの上だった。

 夢?やけにリアルな夢だった。汗がびっしょりで、Tシャツが引っ付く。

 額の汗を拭おうと右手を上げようとしたが、重さを感じた。

 手には携帯電話が握られていた。

 携帯電話?

 画面を見る。


「え」


 通話中だった。

 夢で気づかず、出てしまったのか、誤作動なのかわからない。

 思わず耳にあてる。


「凪沙?」


 泣く声が聞こえた。


『希依…‥‥?』

「うん、そうだよ」


 まだ夢の続きかと思ったが、聞こえてくる声は本物だった。


『助けて希依』

「え」

『私を一人にしないで』

「どうしたの?何があったの?」

『お兄ちゃんがっ、』


 彼女の返答を聞いて、私はすぐにベッドから立ち上がった。



「昨日、遅い時間に帰ってきて、ご飯食べてすぐに寝たらと思ったら、今日はすぐ帰る!だなんて、忙しい子ね」

「ごめん」


 母親に急いで車を出してもらって、駅まで送ってもらっている。

 神奈川に帰るのだ。私の住んでいる場所に、彼女のいる場所へ。


「お父さんもちゃんと喋っていない!って寂しがるわよ」


 結局、父親は仕事ばかりでほとんど会えず、まともに話していない。母親とばかり話していた、短い帰省だった。


「次はいつ帰って来るの?」

「お正月、かな」

「そう」


 これでも一人娘だ。父親、母親も一人少なくなった家に寂しさを覚えたりするのだろう。

 でも、ここはもう私の場所じゃない。私の世界じゃない。


「何で急に帰ることにしたの?」

「……」


 何と説明したらいいのだろう。言葉にしづらい。変なことを言って、母に心配されたくないが、ずっと黙っているのも逆に不安にさせるだろう。

 言い訳を考えていると、先に口を開いたのは母親だった。 


「大切なことなのね」

 

 大切なこと、そうだ。


「うん、とても大切なこと」


 ふふふと嬉しそうに運転席の母が笑う。


「そう、よくわからないけど、頑張るのよ」

「うん、ありがとう」

「何かあったら電話するのよ」

「わかったって」

「本当?変な男に引っかかるんじゃないわよ」

「その心配はない」


 私を呼んでくれる。私を必要としてくれる。

 あんなひどい言葉を言ったのに。

 泣いている彼女の元に行っても何ができるかわからない。

 それでも、もう迷わないと決めた。

 私のセカイは、彼女の隣なのだ。


 駅まで送ってもらった母にサヨナラを告げ、バスに乗り込む。

 行きと同じくバスはアクアラインを経由し、横浜に着く頃にはお昼になっていた。

 そこから電車に乗ること、30分ほど。

 着いた場所は私の住む場所。

 ではなく、病院だった。

 彼女はそこにいたのであった。

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