第4章 消せないキモチ④

 お手洗いから戻った私に彼女は優しく言葉をかける。


「大丈夫、希依?顔色悪いよ」


 心配する彼女に罪悪感を覚える。

 凪沙のせいで、気分が、体調が悪い、なんて言えるはずがない。

 残ったパスタにはもう手をつける気はなかった。


「ごめん」

「体調悪い?今日はもう帰ろうか」

「ごめん、ごめんね」


 出てくるのは謝罪の言葉だけだった。



 お店から出て、早く家に帰ろうと急かす彼女に連れられ、電車へ乗った。

 電車に乗っている間も、私をチラチラ見て、戸惑う彼女。

 私がこんなに弱っているのはほぼ初めてで、凪沙も困っているのだろう。でも、その優しさが余計に私を締め付ける。

 今は何も話す気が起きなかった。そんな私を気遣ったのか、彼女も話しかけようとせず、ただただ電車の音だけが響いた。

 


 凪沙は彼女の最寄り駅で降りず、私の住む場所で一緒に降りてくれた。ほとんど会話がないが、付いて来てくれた。

 もう少しで私の住む家だ。


「凪沙」


 ずっと黙っていた私が急に喋り出し、彼女は驚いた顔をする。


「どうしたの?」

「ちょっとだけ、公園寄っていい?」


 彼女は戸惑いながらも、コクリと頷いた。



 公園に着いた頃には夕方になっていて、空もオレンジに染まっていた。海で見たらさぞかし綺麗だろう。学校の屋上から見れたら感動するだろう。

 でも、美しい風景に私の心は1ミリも動かない。

 心は閉ざされ、傷つき、どうしようもなかった。

 これしか選択肢がなかった。


「あのね」

 

 あの日のやり直しをしたかった。

 告白のやり直しをしたかった。本物と認めたかった。

 裏切り。

 傷つけたくない。

 でも、私もこれ以上傷つきたくない。

 答えは出てしまった。

 私は、彼女を裏切る。期待する彼女を、不安に思う彼女の思いを全て、全部踏みにじる。

 それは最低で、最悪の答え。

 こんな言葉は口にしたくなかった。

 

「終わりにしようかカップルごっご」


 それは告白というよりは、宣告。

 言葉にした瞬間、時が止まったような気がした。

 びゅっと風が通り過ぎる。

 ひどい言葉。彼女を傷つける言葉。

 私は今いったいどんな顔で告げているのか。


「え?」


 意味を理解していない。理解が追いついていない。

 彼女は大きな瞳をさらに開け、硬直している。

 それもそうだ、お昼まで楽しくショッピングをして、デートをしていた。喧嘩なんて何もしていない。

 あまりに突然な台詞。

 彼女は意味なんて理解できないだろう。これは私の身勝手な思いで、逃亡なのだから。

 時間だけがゆっくり過ぎていく。

 私はもう一度、言葉のナイフで切りつける。


「もう一度言おうか?」

「どうして」

「付き合うのを辞めよう」

「希依、そんなこと言わないで!」


 叫びにも似た声が私に届く。今にも泣きそうな顔を必死にこらえている。

 体を震わせ、痛む彼女。心が痛い。

 こんな彼女を見たくなかった。そうさせたのは私だ。

 誰よりも彼女の笑顔を望んでいた私だった。

 でもいいんだ。私のことなんて嫌いになってくれればいい。

 その方が都合良い。

 私はもう不必要なんだから。

 

「ごめん、凪沙。私は代用品じゃないんだ」


 精一杯の強がり。代用品であることを捨てる。

 捨てたかった。

 兄の代用品でない私でありたかった。

 模造じゃなく、偽物じゃなく、本物になりたかった。

 でも、私は空白を埋めたピース。

 元のパズルが見つかったら、はじき出されるのは私。

 もう言うことはない。

 私の思っていることを伝えても到底理解されない。ただ彼女を突き放すだけ。

 一方的な別れ話。

 振り返り、彼女を背に歩き出す。

 これ以上彼女の悲しい顔を見たら、決意が、離れる覚悟が揺らいでしまう。

 

「待って、待ってよ、希依」


 背中から悲壮な声が聞こえる。

 振り向きたかった。止まりたかった。

 でも、これでいいんだ。


「どうして、どうして」


 必死に絞り出した声を無視して、私は消える。

 後ろは振り向かない。

 これが私のためで、彼女のためなんだ。

 そう言い聞かせ、私は一人になった。

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