第4章 消せないキモチ③

 その後も色々なお店を見て回った。しかし、お金に限りがあり、私たちはお互い紙袋ひとつの買い物に留めた。それでも私たちの心は軽く弾んでいた。


「さっきの希依可愛かった」

「そりゃどうも」

「ねえ、あの服はいつ着て来てくれるの?」

「次会えるのは、お盆以降かな……」

「その時は絶対着て来てね!」


 強い押しに私は「うん」と首を縦に振らざるを得ない。


「凪沙こそ着てよね、その服」

「うん、もちろん」


 凪沙は私と選んだ、濃い青色に白いストライプが入ったワンピースを購入した。ワンピースといっても上にはボタンがついており、腰にはウエストリボンが巻かれている。私にはなかなか着られないオシャレな一品だった。

 早く着た彼女をもう一度見たい。できれば帽子付きで。


 朝早く集まったとはいえ、多くの店を見て回ったので、時間はだいぶ過ぎ、お腹も空いてきた。


「お昼にしようか」


 凪沙が左手にした時計を見て、時間を確認する。

 あれ?


「うん、そうだね」


 あんな時計、今までしていたっけ?

 こじんまりとしたスタイリッシュな時計。

 初めて見た。


「凪沙、そんな時計つけていたっけ?買ったの?」


 彼女は嬉しそうに、右手で時計に触れ、私に見せる。


「お兄ちゃんに買ってもらったんだ」


 胸を衝かれた。


「そ、そうなんだ」


 「似合っているね」という言葉が続かなかった。

 心がかき乱される、その場に崩れ落ちなかっただけでも十分だ。


「行こう、希依」


 彼女が私を呼ぶ。私は言葉もなく、彼女の後をついていった。



 私の帽子は被らないのに、兄からもらった時計はつけている。

 たまたまだ。

 そうやって誤魔化そうとするも、事実は変えられない。


「お腹空いてないの、希依?」


 私たちはスパゲッティ店に入った。私はクリームパスタを注文し、彼女はミートソースを頼んでいた。


「ううん、大丈夫だよ」


 強がって、パスタを口に運ぶも味がしない。

 普段食べているものとは違う、美味しい料理。それに彼女と一緒に食べている。絶対美味しいはずである。

 なのに、何も感想が浮かばない。

 私の心は弱く、脆い。

 一つの事柄だけで、一つの言葉だけでこんなに揺らぐ。


「そうだ、こないだお兄ちゃんと大学に行ったんだけど」


 凪沙が兄の話をし出す。


「希依と初めてご飯食べた、屋上に行ったの。懐かしいなーって言ってくれたんだ。そうそう、あそこはお兄ちゃんが教えてくれたんだ。だから、あそこでお昼を食べるのが憧れだったの」


 凪沙が楽しそうに口を動かす。


「食堂にも案内したんだ。お兄ちゃん、食堂に行ったことなかったんだって。いつもコンビニで買って行っていたの。ふふ、お兄ちゃんも知らないことがあるんだって嬉しかったな」


 凪沙が得意げに話す。

 野球帽を落とした池。文化祭実行委員会の部室。

 私たちの思い出が塗りつぶされていく。


「私が実行委員会に入っているの知ったら驚いてくれたんだ。それに偉いねって」


 楽しかった記憶が上書きされていく。


「それでね、それでね」


 限界だった。

 がたっと音を立て、急に立ち上がる。

 きょとんとする凪沙。


「ど、どうしたの、希依?」

「ごめん、お手洗いにいってくるね」


 その場から逃げ出した。



 個室にこもり、嗚咽を漏らす。

 瞳は潤んでいるが、涙は流れない。

 吐きはしないが、吐き気はひどい。

 壁にもたれ、真っ直ぐに立てない。

 言葉にならない言葉だけが漏れ出る。

 心が分裂しそうだ。

 彼女が自分以外の人のことを楽しそうに喋るのが許せなかった。

 嫉妬。

 彼女の楽しい思い出の中に私がいないのが辛かった。

 私だけでよかった。

 独占欲。

 全て自覚してしまった。気づいてしまった。

 ああ、

 

 兄なんて帰って来なければ良かったのに。


「っつ!?」


 何を言っている。何を?どうしてそんなひどいことを思うのだ。

 だって、凪沙の大事な家族で、彼女の支えで。

 自分のどす黒い感情に吐き気を催す。何だ、この思いは。

 知ってしまった。

 こんな真っ黒な私を知ってしまった。知りたくなかった。

 こんな私にはなりたくなかった。

 ……もう限界だった。

 彼女といるのが辛かった。

 彼女から兄のことを聞くのが辛かった。

 否定したかった。代用品であることを。

 でも無理だった。

 だから、言うしかなかった。

 彼女に告げるしかなかった。


 個室から出て、鏡を見る。

 真っ赤な眼に。乱れた髪の毛、歪んだ表情。

 我ながら、ひどい顔をしていた。

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