第2章 千夜祭夜⑤

「あっ」


 すーっと熱が引き、冷静さを取り戻す。

 割引券。

 財布を開くと真っ先に目に入ったのは、カラオケの割引券であった。

 それは神からのお告げ、思し召し。


「凪沙、歌うたおう」

「歌?」

「そうカラオケに行こう?」

「カラオケ?」


 休むならカラオケでもいい。シャワーはないし、ゆったりはできないが、漫画喫茶に行くよりは落ち着けるだろう。

 お城に行く気満々だった凪沙は不満そうな顔をするが、構わず私は押し切る。

 ここは遊園地のアトラクションではないんだぞ、我慢してください。


「凪沙とデュエット、一緒に歌いたいなー」

「むむ、しょうがない。わかったー」


 彼女の承諾を得て、お城の前からおさらばする口実ができた。ありがとう仲谷さん、私の自制心を取り戻させてくれて。あの時はこんな割引券いらんよ!と思ったが、これはお守りだったんだね。

 真っ赤な顔をした私は凪沙を引っ張り、小走りで近くのカラオケ屋へ避難するのであった。



 カラオケ屋に入るも、部屋まで連れていくのは一苦労だった。ともかくべったりだった。さっきまでは腕に巻きつくだけだったのに、背中から腰に手をまわし抱き着かれていた。


「凪沙―、歩けないよー」

「ふふふ」


 何が面白いのやら。受付の店員のお姉さんも苦笑いだった。

 彼女を半ば引きずりながら部屋に行き、着く頃には私の体力はほぼゼロだった。

 けれども凪沙は止まらなかった。酔っているにも関わらず、俊敏な動きでマイクを手にし、準備万端になっていた。


「お歌うたおー」

「は、はあ」

「曲入れてー」


 凪沙が何を歌いたいのかわからなかったので、中学や高校時代に流行った曲を入れた。意外にも凪沙はきちんとメロディに沿って歌えていて、普通の状態の時に歌えば絶対旨いんだろうなという才能の片りんを感じさせた。歌詞はめちゃくちゃだったけれども。

 こうなったら自棄だ、と私も必死に歌い、雑な形ながら初めてのデュエットを達成したのだった。達成感はない。

 10曲ぐらい二人で歌ったところで、彼女は糸が切れたかのようにストンと眠りに落ちた。


「ようやくお姫様はお眠りですか」


 静かに寝息を立て、私の肩に寄りかかっている。口元はだらしなく開き、涎が垂れそう。


「手のかかるお姫様ですこと」


 苦笑し、彼女を起こさないように手を伸ばし、おしぼりを手にする。小さな口に当てて水分を拭きとる。

 このままだと疲れるな。

 彼女を肩から降ろし、私の膝にのせる。むにゃむにゃと呟き、まどろむ彼女。

 そんな愛おしい彼女の頭を撫でる。

 思わず顔が微笑む。

 これが幸せっていうのだろうか。

 壮太に騙された私のせいとはいえ、大変な夜だった。でもまた彼女のことを好きになった。

 振り回されても嫌いになるどころか、好きが増していく。酔う姿も可愛かったのでアリだ。まあ当分はいいかな、20歳になるまで我慢だ。

 20歳。今年は19になるので来年のこと。

 それは近いようで遠い。

 20歳になって凪沙と一緒にお酒を飲む日は来るのだろうか。二人だけの飲み会、楽しそうだ。家で二人きりで飲むのもいいかもしれない。

 それまで私たちは付き合っているのだろうか。

 私たちは二人でいるのだろうか。

 私は二人でいたい。

 この幸せを手放したくない。

 だから、私は言葉にする。形にする。

 それは仮初からの脱却で、さらなる関係の始まり。


「好き」


 眠る彼女に優しく投げかける。答えは返って来ない。当たり前だ、これは無効試合で、練習試合。

 今度は、ちゃんとした時に言うからね。

 そう誓い、私もゆっくり目を閉じた。

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