第2章 千夜祭夜⑥

 朝。

 といっても腕時計を見るとまだ午前5時だった。普段なら夢の世界を満喫している時間だ。カラオケ屋の固いソファーで横になっていたので疲れは取れず、体が固い。

 ゆっくりと身体を起こす。

 そこにはソファーの上で正座している凪沙がいた。

 寝ぼけているかと思って目を擦ったが、景色は変わらず、凪沙が正座していて、頭を下げた。


「ふえ?」

「ごめんなさい」


 謝られた。


「この度は、多大、なる、ご迷惑をおかけし、申し訳ござ、いませんでした」


 切腹でもしそうな勢いだ。


「ぺし」

「あ、いて」


 軽くチョップ。


「謝らないで」

「でも」

「連れていった私が悪かったんだから。まさか合コンとはね。壮太には強く言っておくから、ごめん」

 

 彼女は悪くない。酔ったのだって事故であり、被害者だ。


「でも、私酔って、希依に迷惑かけた」

「迷惑じゃないって。酔った凪沙は新鮮で可愛かったよ」

「か、かわいくないって」


 顔を赤くする。


「もしかして覚えている?」


 顔を下に向け、呟く。


「覚えている……ひどかった」


 記憶を無くすほど酔ったのではなく良かった。けれども本人としては記憶をなくしたいところだろう。


「幼児退行していたものね」

「うう」


 私にべったべただったし、それに危うく「お城」に―。


「……」

「……」


 凪沙も「お城」に入ろうとしたことを思い出したのか、こちらをじっと見ながら、黙る。き、気まずい。


「あ、凪沙って歌うまいんだね」


 話題を無理やり逸らす。歌詞は意味がわからなかったが、リズムはきちんと合っていた。またとても可愛らしい声で、録音して寝る前に聞きたいぐらいの癒しボイスだった。


「今度はちゃんとした時にカラオケに来ようね」

 

 ただ私の明るく言った誘いに彼女は表情を崩さなかった。

 何か言いたそうで口元が震えている。私は待つ。

 意を決したのか、口を開け、声にする。


「嫌いになった?」

「嫌いになるわけない!」


 即座に否定した。


「嫌いになるわけないじゃん。私は凪沙のこと、」


 思わず彼女の手を掴んでしまった。いきなり詰め寄られ、驚く凪沙。

 私は凪沙のことが「好き」。2文字が口に出てこない。

 眩しい瞳をまじまじと見つめる。透き通った湖に私が写り、一部となる。

 私を見つめる眼差しに心が溺れ、抜け出せない。

 顔をそっと近づける。

 凪沙はびくんと震えるも、そっと目を閉じた。

 息が荒い。血液の循環が早くなる。

 私は、凪沙のこと「××」。

 柔らかな髪をかき上げ、額にそっと口づける。


「……」


 時間にして数秒。

 彼女がゆっくりと目を開ける。

 その顔にはどこか寂しさを感じさせられる。

 私たちは何も発しない。

 鼓動は止まらない。どうかなりそうだ。

 でも、中途半端で、逃げだった。

 今じゃない。勢いで済ましてはいけないと言い訳をつくる。

 どうにかしてしまいそうだ。

 額に口づけるだけでも、不味かった。

 彼女に接触するだけで、私の心はかき乱され、甘美な誘惑がハードルを軽々と飛び越える。でも、止まった。


「もう始発動いているはずだから帰ろうか」


 彼女がコクンと頷き、私は苦笑いを浮かべた。

 嫌いになっていないの答えに、額にキス。受け取る側は不満が残るだろう。どういう答えだというのだ。

 我ながら、めんどくさい奴だ。



 電車には無事乗れ、二人横に並んで座る。

 そういえば、と携帯を確認する。メールが2通届いていた。

 一つは壮太からの謝罪。

 騙したことを反省している内容だった。

 あんなチャラい格好になったが、根はまじめな奴だ。今回のことも騙す形になったとはいえ、私のことを何か思ってのことだったのだろう。まあそれは余計なお世話な訳だが。

 結局、バイト情報は何も得ることができなかった。何しに案内所に行ったのだろうか。クエストで別の収穫はあったのだけどさ。

 もう一通は、仲谷さんからだった。


『ごめん、冒険してた。返信遅れてごめんね』


 数日前に連絡していたが、返ってきていないままだった。連絡の遅さは気にしない。ただ「冒険」の2文字は気になった。

 が、そっちは主題ではない。彼女の返信には、私の求めていた内容があった。短期バイト情報。


『祭の屋台のおじちゃんが腰やっちゃって手伝ってくれない?お給料は出すって』


 横須賀の花火大会が今週の日曜日にあるらしい。その屋台の手伝いとのことだった。一日だけなので、給料はそんなに期待できないが、行ったことのない横須賀に、そして花火大会だ。

 花火大会。

 思い出さずにはいられない。

 

「ねえ、凪沙。花火大会で屋台のバイトがあるんだって。一緒にやらない?」


 朝帰りとなった電車の隣に座る彼女に話しかける。


「花火…」


 あの七夕祭の夜。花火が打ちあがる中、私は凪沙に告白された。

 彼女もきっと思い出しただろう。

 花火大会。

 運命を感じずにはいられなかった。


「うん、バイトしよう」


 ―今度は私が告げる。

 お試しを捨てる。本物の関係となる。

 真っ白な世界へ足を踏み出すんだ。

 

 凪沙の快諾とともに、私の決意は固まった。

 もう逃げない。止まらない。

 私のすべてを告げる、この想いを余すことなく伝える。

 怖い。

 怖さはある。

 でもこんな怖さをあの時彼女は味わっていたんだ。なら、私だって答える。凪沙は言ってくれた。ならば、私だって帽子を外さなければいけない。


 その決意は世界の終わり、世界の始まり。

 そして、崩壊への引金だった。

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