第1章 帽子女と二人組③
統合体崩壊、地位陥落。
次の国際政治の内容が全く頭に入ってこなかった。入ってこないけれども、必死にノートに用語をメモする。
思い浮かぶのは三澄さんの顔ばかり。彼女のことが頭から離れなかった。
おかしい、おかしいのだけど、不快感はなかった。
ひとめぼれ?あー最近朝食はパンばかりで米不足なのか!と頭の中で自己解決する。ないない、女の私が女の三澄さんに一目惚れとかありえない。
この気持ちはそう、愛でたいという気持ちなのだ。
目の前に可愛らしい犬、猫がいて、思わず撫でたくなる気持ち、それなのだ。
―可愛いは正義!
どうでも良かった帽子女の存在が、私の頭の中を一気に占領した。
しかし、悩むところは彼女の可愛さではなく、実害である。
本当にあの授業どうしようか。
二人で協力して雑誌をつくる未来が想像できない。テレパシーなど存在しない世の中だ。どうやって私は彼女とコミュニケーションをとっていけばいいのか。
うーん、わからない。わからないけど、ただこのままだと他の授業の単位に影響が出ることはわかる。
大学生って難しい。
これが社会の厳しさってやつですかい。
いや、違うってことは知っているけどさ。
どこかふわふわした気持ちで授業が終わった。
もう夕方過ぎだからだろうか、構内に残っている人も少ない。
教室から外に出て、構内の池近くの芝生エリアを歩いていると野球帽を被っている女を発見した。
間違いなく、あの格好は三澄さんだ。
もしかしたらあの格好が巷で流行って、他の人が真似することもあるかもしれないが、現在の所その心配はない。そんな日本は嫌だ。
あれは絶賛私の悩みの種、三澄さんだった。
そして、それは前触れもなく。
びゅーと風が強く吹いた。
「あっ」
三澄さんの被っていた野球帽が宙に舞った。
彼女は手を飛ばし、背伸びするも、その小さな背では届かない。
帽子はあれよあれよと流され、運の悪いことに池の真ん中付近に落ちた。
「ああ…」
遠くから見ていた私もその残念な一部始終に落胆する。何と言って励ましたらいいかわからないが、帽子が無くなった帽子女に近づく。
「あの」
三澄さんは池に落ちた帽子をじっと眺めていた。
そして、池に入ろうと足を伸ばした。
「あぶない」
私は慌てて駆け寄り、三澄さんを後ろから羽交い絞めにする。
「うう」
三澄さんは小さくうめき声をあげる。
「ここ意外と深いよ。入ったら危ないって」
三澄さんは私の説得に応じたのか、諦めて芝生の上に座る。
本気で池に入る気だったのだろうか。無鉄砲というか、危険を顧みないというか、見ていて心配になる子だ。これが母親の気持ち?
「あの帽子、大事なものなの?」
落ち込む彼女に優しく問いかける。
三澄さんは池の帽子をじっと見つめ、小さく口を開いた。
「あれないと、恥ずかしい」
私は三澄さんの顔をじっと見る。
恥ずかしいって、何がだ。
「恥ずかしい?三澄さんは可愛い顔しているじゃん」
三澄さんが真っ白な顔をみるみる真っ赤にして、ぷるぷると体を震わせる。
ミスった。
この子耐性ないのか、こんなに可愛いのに。親とか、同級生とかに散々言われてそうなのに違うのか。
「今のは忘れて、嘘、嘘だから。いや三澄さんが可愛いっていうのは、嘘というわけ
ではなくてですね」
うまい言葉が見つからない。余計悪化した。
こういうとき壮太だったら気の利く言葉が出てくるのだろうけど、生憎私は女の子を口説く技術も、励ます言葉も持っていない。男を落とす誘惑術を持っているわけでもないのだが。
震えていた三澄さんがばっと急に立ち上がる。
そして両手で顔を抑えて、私の前から走って去る。
逃亡。
逃げられた。
これはどう見ても失敗だった。
いまいち彼女との距離感がつかめない。踏み込んだら避けられ、踏み込まなければ無反応である。
後ろを振り返ると、池に寂しそうに黒い野球帽が浮かんでいた。
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