第1章 帽子女と二人組②


 庄西大学。

 そこが、私、榎田希依の通う大学だ。

 都会からは少し離れて、緑が多い場所にある。娯楽は少なく、勉強、研究するにはもってこいの立地だろう。偏差値上位の私立大学である。合格した時には両親も喜んでくれたが、入学金、学費を見て青ざめていた。けれども嫌な顔せずに私を大学に行かせてくれた。両親には感謝しかない。

 都内に住むことにこだわりを持つ人、街で遊びたい人には不評な大学だ。むしろそういった人たちを入らせないために、わざとこんな場所を選んだのかもしれない。

 ウェーイフィルター。

 大学入ったら遊びまくる!といった人間はこんなとこ選ばない。まあ実際のところ大学側はそんなこと考えていなく、ただ土地が安かったから選んだのだろうと私は勝手に思っている。

 そんな理想の勉強環境にある大学の総合学部に、この春入学した。

 総合学部は、説明するのにとても困る学部である。

 文系とも理系とも言えず、複合的な学問でジェネラリストを育成する学部で・・・言葉にしてみても意味がわからない。

 ともかく自由に好きに学べる場所である。

 1年生の時から授業は9割選択制で、法律、経済系の授業から、映像、文学、芸術など多種多様な授業が存在する。

 目的があって学ぶ人には良い場所だが、目的もなく、目移りする人間、単位が取りたいだけの人間には適さない。卒業するときに何も学んだことを語れないという恐ろしい場所となる。 

 私は壮太に連れていかれたオープンキャンパスでこの場所を気に入り、試験に英語と小論文だけで受験できるという手軽さから記念受験し、それが記念に終わらず合格してしまい、入学した次第である。

 漠然とした気持ちで入学したが、ここでなら何か私は見つけることができるかもしれないと淡い期待も抱いている。千葉の実家からも通えなくはない距離だが、逃げないために一人暮らしを始めた。毎朝電車に乗るのが嫌だったという気持ちが半分以上、いや9割だけど、それでも私は選んだ。

 私はここで変わる。大学生活で変わるんだ。

 そこまでキラキラに、「俺は海賊王になる!」など意気込んでいないが、心の奥で決意している。

 私はここで特別な何かを得たい。

 得なかったら、そしたら、それまでの人生だったのだろう。ただ漠然と生きていくか、それとも特別な何かを見つけて満足のいく人生が送れるか、それがこの大学生活にかかっている。

 だから、くれぐれもぼっちにはならないようにしよう。

 ぼっちでも何か見つけられるかもしれないけど、だけど可能性がぐんと減るだろう。

 可能性はできるだけ大きい方が良いのだ。大は小を兼ねる。大盛だと食べきれないかもしれないけど、せめて中盛は食べられる人間でいたいのだ。


 大学生活の決意も重要だが、まずは目の前の次の授業のことが大事だ。

 これから私が受けるデザインの授業もこの学校だからあるものだろう。そりゃ、芸術系の大学、学部に行けば当たり前かもしれないが、特殊じゃないところで学べるのは少ない。私みたいに一流にはなろうとは思っていないけど、デザインをかじっておきたいという興味本位な人にはちょうど良い。

 『デザイン実践』の授業が行われる館は第二北棟だ。東西南北に全部で10の建物があり、それぞれ方角プラス数字で説明される。

 まず新入生が覚えるべきはこの場所覚えだ。

 マップを理解しなくては、目的地にたどり着くことができない。ここは何処のダンジョンなのだろうか?トラップとか設置してないよね?

 教室の扉を開けると20人ほどの生徒がすでに席に座っていた。

 教授がすでにホワイトボードの前に立っており、私はいそいそと後ろの扉に近い教室後方の席に座る。

 時計を見るとまだ開始5分前である。教授の浅野葉子ちゃん(30前半の若々しい先生、男女ともに人気)は今日もやる気満々のようです。

 辺りを見渡すとすぐに発見した。

 帽子女は、私とは反対側の教室後方の席に座っていた。今日も黒色の野球帽に、灰色のパーカーにジーパン。その姿だけだと、男か女か区別がつかない。

 地味な服装に、後ろの席。

 彼女なりに目立たないように意識しているのだろうか、それならば帽子を取れという話だが。

 生徒たちが続々と入ってきて、大きくない教室の席が埋まり出す。

 時計が1時をさし、チャイムが鳴り、授業が始まる。


「では、今日からデザインの実践として雑誌作りをしてもらいます」


 葉子ちゃんがそう言い、生徒の顔を見渡す。


「人数もなかなかいますからね・・・。では皆さん立ってください」


 嫌な予感がした。

 周りの反応を見ながら、のそのそと皆立ち出す。

 私もその流れに乗り、その場に立つ。

 葉子ちゃんがよりにこやかな笑顔になり、


「こんなに人数がいるので」


 非常な宣告をした。


「二人組になって進めてもらおうと思います」


 周りがざわつく。

 私はいつもと変わらず冷静な顔を装っているが、心中はけして穏やかじゃなかった。穏やかじゃない!


「はい、二人組になって~」


 えーという声が生徒たちから上がる。

 「二人組になって。」それは悪魔の言葉である。

 事実、私、榎田希依は動けずにいた。

 新入生といいながらも、誰かと一緒に授業を受けている人がほとんどである。それでなくとも、あっ、この人歓迎会で会った、レクリエーションで話した、サークルの飲み会で、お前あいつの友達だよね?という微妙な繋がりから、ゆっくりと、でも着実に二人組がつくられていく。

 しかし、私にはその微妙な繋がりがなかった。

 ないわけではないけど、誰と話したとか、見たことあるとか覚えているわけがない。大学に入って色々とありすぎて、人の顔、名前を覚えるデータベースはまだ構築されていないのだ。

 ここは「オレだけど、オレオレ、だからオレだって!二人組つくろうぜ」なオレオレ作戦を実行するべきか、否か。


「はい、早く、早く二人組つくって。決まった人から座っていってね」


 葉子ちゃんが陽気な声で急かす。悩んでいる暇はない。

 私は慌てて周りを見渡し、余った人に話しかけようとする。が、どれも直前でグループが成立してしまい、私の入る隙がない。

 かくして、私と帽子女が教室に立ち尽くすことになった。


「はい、ではそこの二人でグループ作ってね」


 売れ残り二人組である。

 壮太のアドバイスを早速身をもって思い知る。

 大事、微妙な繋がり大事。

 親友じゃなくて、友人じゃなくて、知人でいい。浅い関係がこういう時役に立つのだ。

 サークルの歓迎会に参加しとくべきだったか、もっと人に興味を持つべきであったか。

 ・・・過ぎたことをくよくよ言ってもしょうがない。

 帽子女は移動しようとしないので、私から近づき、隣の席に座る。


「宜しくね」


 普段の数倍明るい営業声を出したが、帽子女は返事をせず、ただコクンと頷いた。

 私が席を移動したのを見て、葉子ちゃんが話し始める。


「では、グループができたところでどんな雑誌をつくるか話し合ってください」


 あっ、もちろん自己紹介もしてお互いのことを知ってくださいね、と付け加える。

 周りの生徒が話し始め、教室が賑やかになる。

 私も周りの流れにのり、帽子女に話しかける。


「えーっと、どんな雑誌を作ろうか」

「・・・」


 そんな小さい声で言ってない、確かに届いたはず・・・なのだけれども帽子女は帽子を深く被り、俯いている。


「そ、そうだ。まずは自己紹介だったね」


 無視されたという現実を打ち消すため、慌ててボールを投げ入れる。


「私は榎田希依っていうんだ。希望の『き』に、依存の『い』で『より』。よく『きい』って呼ばれるんだけど、『きより』なの。えーっと宜しくね」


 帽子女はコクンと頷く。

 弱弱しくもボールを受け取ってくれたみたいだ。


「それで、あなたの名前は・・・」

「・・・」


 無反応の帽子女。

 ボールは受け取れるが、投げ返さない。

 キャッチボールは無理だったみたいです、その野球帽は偽りかい、はい、そうみたいですね。別に野球少女だから被っているわけじゃないですもんね。

 二人の間だけ時が止まり、周りの生徒の話し声がよく聞こえる。

 ここだけ無酸素空間が広がり、音が響かない。星も光もしないし、真っ暗で、息苦しい。

 まずい。

 このままでは、いやまだ始まったばかりだけれどもわかる。私の単位が危うい。


「あの、こんなんじゃ進まないから」


 相変わらず無反応の帽子女。


「だから、まずは面と向かって話そうよ」


 私は手を伸ばし。

 帽子女の野球帽をとった。


「わ」


 帽子女から聞いたことのないような、可愛らしい、驚きの声が聞こえた。

 いや、実際可愛かったのだ。

 日をあまり浴びていないであろう、白く透き通った肌。

 大きなくりくりとした目。

 髪はさらさらで肩にかかるくらいまで伸びている。前髪あたりは帽子を被っていたからか乱れているが、それでも綺麗な真っ黒な髪だ。

 そんな美少女が上目づかいで私を見て、小さな口元をわなわな震わせている。

 可愛い。

 女の私でもそう思う。

 帽子女、今は帽子を被っていないが、彼女から目が離せなかった。

 見とれていた。

 時間にして少しの間。時間がさっきとは別の意味で止まった気がした。


「うう」


 彼女は呻き声で抗議し、両手で頭を抑え、丸くなり、その可愛い顔を私の前から隠す。


「ご、ごめん。も、戻すから」


 私は慌てて野球帽を彼女の頭に置く。

 彼女はさっと帽子を奪い取り、頭にかぶせ、さっきよりも深く被る。

 ドクドクドク。

 心臓の鼓動が速かった。

 話し合いに夢中だからか、後方の目立たない席だからか、天使と邂逅した一部始終は誰にも気づかれていない。

 天使、そう天使といってもいいだろう。

 帽子の先には天使さんが住んでいました、うふふ。いや、予想できないよ。

 帽子を被っているから、根暗な女か、悪いけどあまり顔に自信のない女の子かと考えていたが、大外れもいいところだ。

 女の私でも見惚れるほどの天使がいたのだ。


「み、み」


 天使、もとい帽子女が俯きながら小さな声を発する。


「み、みすみ、な、ぎさ」


 みみすみなぎさ?

 みみすみ、なぎさ。

 数秒固まった後、彼女が何を言ったのか理解する。


「ああ、三澄っていうのね。宜しく三澄さん」


 帽子女改め、三澄さんが小さく頷く。


「はい、じゃあ話し合いはここまで。ここからは座学よ」


 葉子ちゃんが終了を告げる。グループワークは進展なく、彼女との初の会話は終了した。


 今日の話し合いの結果。

 帽子女の名前が、三澄凪沙(まわってきた出席表に記入しているのを見た)と判明。

 さらに三澄さんの正体が超絶美少女の天使であるということが調査の結果、いや私の胸の鼓動が教えてくれました。

 はい、以上。

 ・・・私の単位大丈夫かな?

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