死んだ…

何のために生まれたか

何のために生きるのか

あなたは考えたことがありますか…?


どうも…作者のぱーふぇくと という者です

話の冒頭は哲学を投げかけていくスタイルで

行きます


何のために…?

考えたことはあるかもしれません

しかし、答えが出たこともありませんよね?

一部の人は何かにやりがいをを見つけ、

言うでしょう

「俺はこれをするために生まれてきたんだ!」と

勿論、実際にはそれをするために生まれてきたわけじゃありません

わが子にそれをして欲しいと願って生んだわけじゃありません

では何故 何のため…の答えが出てしまうのか

これは勉強ー特に大事なテスト 点を落としたくないと思うテストでよくありがちな現象と同じなのです

テストで分からない問題…当然出てきますよね? 自分が持っている知識 技術 それを駆使しても問題が解けない場合

あなたならどうしますか?

空白にしますか?

適当に答えを書きますか?

両方ありますよね

問題が全て解けて 見直しも終わった場合

分からなかった問題に手を付けます

空白では終わらせたくない場合…

それが先程の後者の方

適当に答えを書く なのです

これがどうして何のため…に繋がるのか


それをするために生まれてきたわけじゃない

仕事をするために生まれてきたわけじゃない

に書き換えます

適当に答えを書くために問題が作られたわけじゃない

〜ために…じゃない

何となく似てますよね?

つまり 何のため…の答えを探すこと

これを諦めてしまっているのではないか

と思います

いわば現実逃避なのです

分からない問題をいつまでもいつまでも

考えたくないですよね?

答えを見たいでしょう?

しかし、答えがある訳ではありません

考えるのを諦める…

これが皆の答えのようですね

しかし、こうも言えませんか?

何のために生きるのか…を考えた時に

この「何」の答えがでれば

正解なのではないかと…

つまりテストで正しい答えを書く

というより

テストで答えを書けばそれが正しい

という状態です


考えれば考えるほど難しいですよね

実際多くの人は

何のために生きるのか

何のために生まれたか

を常に考えている なんてことはないでしょう


でも、頭の片隅にぽつんと存在する疑問

忘れたいけど忘れられない

気にしたくないけど気になる

考え出したらキリがない

気がつけば夜も更けてしまう

それが解決した時

生きていた意味があるのでしょうね…


そもそも 「生きる」という行動に意味はあるのでしょうか

人間 何かしらの行動に意味を持ち 求めます

「何故あなたは下を向いているの?」

蟻がいたから

「何故あなたは話を聞かないの?」

話に興味がないから

「何故あなたは友達と遊ぶの?」

楽しいから

「では、何故あなたは生きるの?」

答えられないでしょう

今までの質問とは 重みが違います

他愛のない会話の中に組み込まれる

質問ではない内容ですよね


咄嗟に思いついた答えだと

「心臓があるから!」がいい例ですね

では、何故心臓があるのでしょうか…?









やめときます…

死にそうなくらい話が長くなりますからね


では、もう1つ

「あなたは1時間後に死んでいるかもしれない可能性が高いです…」

「あなたは1時間後に生きている可能性が低いです…」

どちらが 死 を意識しますか?

どちらも 死 が40% と言ったところでしょうか…

死が40% よく分からないですよね

死ぬのか生きるのか微妙なところです

100人のうち40人が死ぬ 60人が生きる

これだけ見れば生きる可能性が高いですよね

でも、自分が生きる60人のうちにはいる可能性は…?

一概に死ぬか生きるのか 論ずることが出来ないのが 命 です


何のために生きるのか

何のために生まれたか

逆を考えてみましょう

2つの疑問に対して逆は1つ

何のために死ぬのか です

何のために死んでいるか は日本語として少しおかしいですね


何のために死ぬのか…

これは考えたこと無いのではないでしょうか?

自分が死ぬのに意味があるのか…

ということです


端的に申します


死 に意味があるのか です


人間だと分かりづらいので、

動物 植物で例えましょう

動物が死ぬと食物連鎖ピラミッドでいう

その上の動物が死んだ動物の肉を食べます

植物も枯葉が地面に埋まると肥料になり

新たな命が芽吹く礎になります


人間は死体の肉を食べないし

食べられない

地面に埋まらないし 肥料にならない

(埋葬…というのもありますが…)


動物 植物の世界では

死 に意味がありそうですね

でも、人間には 死 に意味は無さそうですね


果たして本当に意味は無いのでしょうか…

それはこの後のメインのお話で明かされるでしょう


メインのお話は…

ちょうど今村が殺された所でしたね

今村の死が何を意味するのかに注目して頂きたいですね…












今村が死んだ…

それも俺達の目の前で

屈強な戦士の手によって

メゾットが否定され激昴した

校長によって…



一人の生徒の死 それはこの学校には

それほど意味を持たない

しかし、状況が違う

俺達はライフルで狙撃されるだけであった

が近距離で殺されるという新たな可能性

否 校長が打ち出した方針ー

そのため、俺達生徒は外部講師によって

護衛術を習うところであった

護衛術を教える講師がどれほどの実力かー

それを命を持って教えられた


屈強な軍人は講師で 護衛術を俺達に教える

人を殺してまで…

彼らにどんな信念があるのか分からない

でも、確かにわかったことがある

今村を殺した場面を見て俺達は思った…

授業中に殺しにくるのは

間違いなく彼らなのだと…


いかつい見た目 言葉が通じるかの不安

それに加え1人の生徒を手にかけた

ともなれば恐怖以上の何かの感情を強く

抱いてしまう

畏怖 畏怖 畏怖 頭にその言葉だけが浮かぶ


俺達には分からない…

この屈強な戦士達は

俺達を殺したいのか守りたいのか…


ナイフを受け取ったビエルは言っていた

「何が一番最適な行動かも分かるつもりだ」

…と

彼自身 考えた結果生徒を殺すことだった

正しいのか分からない

間違っているかもしれない

死 を持って俺達の危機感を高めたのかもしれない 本当に殺したかったから殺したのかもしれない…


分からない分からない分からない

命って…?

死って…?


生徒は迷う 惑う 考える

生徒たった一人の死は

約600人の思考回路を動かした…


混沌が渦巻く体育館内に声を響かせたのは

校長だった

「えぇー あなた達は従うしかないでしょう

死んだら終わりですよ?

この少年のように」



再び 死 を意識させる校長の一言



死 の意味ー

考えるだけなのか…

(俺は…もっとなにか…考えられるはずだ…)

今村が死んだことで

俺の目的ー校長を殺すことはもう叶わない

ならば、校長に命を奪っている自覚を持たせるのみだ…


未来のために…





やはり考えるだけだった…

「俺は…弱い…

こんなにも命を軽くみられるなんて…

耐えられない…」

アキラは1人 呟き 泣く…











再び ぱーふぇくと です

死 の意味分かりましたか?

今回は状況が状況ゆえにこういう意味になりましたが、

意味は変わっていくものでしょうね


死は人の思考回路を動かす…

たったこれだけでは無いでしょうね…

それは次回 分かります





哲学コーナーもありますよ!



















今回は比較的文字数が少なかったです

申し訳ございません

次回 何かが起こるかも知れません…


作者の思考が限界なのかもしれません…

果たしてどちらでしょうね…?










「命は 軽くて 重い…」









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