第24話 水面は静かに揺れて
「水瀬くん、キミはいったい……誰なんだい?」
水瀬の魂へダイブしていた三木が帰ってくると同時に発した第一声は、その場を、そして水瀬自身を当惑させる一言であった。
「――はっ? 先生、何言ってんだよ。オレはオレで、それ以外の何者でもないし、別に正体を偽ってるとかもないし……」
震える声で、しかし当然の事実を述べる水瀬の目はきっと三木や竜一、いや、他の人が見ても泳いでいると思うだろう。
本人にも三木の発したその言葉に何かしらの思い当たる節があるのか、それともそれから目を逸らしていたのか、三木の言葉を否定しようとしている。
「三木先生、俺も水瀬について昔から知っているってわけじゃないですが、水瀬の昔からの知人も水瀬本人だと認定していますし、その言葉はどういう意味で」
「あぁすまない。……ちょっと僕も気が動転してしまっていてね。何せこんなことは初めてだったモノだったから。では、順を追って説明しよう」
竜一の言葉にふと我に返った三木がズボンのポケットから如何にも高そうなブランドのハンカチを取り出すと、額に流れ出る汗を拭きとり落ち着きを取り戻す。
ここら辺はさすがプロの魔導医師なのだろう。予想外なことが起きてもすぐに通常のメンタルへ持ち直すところは経験の果てるところである。
「まず、僕は先に説明した通り、水瀬くんの魔力供給源、所為魂と呼ばれる場所へダイブしてきたところまではいいね?」
三木の前述確認に二人は頷き。
「そこで僕は見てきたものは……、通常では在り得ない二つの光源だった」
「二つの……光源?」
三木の言葉に竜一が首を横に倒す。
しかしその一方で、水瀬は神妙な面持ちで、それでいて心当たりでもあるのか、初めこそ驚いた表情であったが、すぐに何かを考える素振りを見せていた。
「その様子を見るに、水瀬くんは何かしら得心があるみたいだけど、とりあえず話を続けよう。通常の人の魂とは、真っ暗な空間の中に一際目立つ光源が一つ存在している。その光源こそが魔力の供給源、魂と我々が呼称しているものだ」
続く三木の話を二人は黙って傾聴する。
「しかし、水瀬くんにはその光源が二つあった。一個は通常の人の光源より一回り小さく、そしてもう一個はさらにもう一回り小さく。――これがどういう意味かわかるかね、竜一くん」
「……水瀬には秘められし第二の力が隠されているとか……?」
「僕はそんなファンタスティックな話をしているのではないのだよ……」
まるで学校の先生が生徒へ質問するような問いに竜一が答えると、黙って聞いていた水瀬がポツリと一つ呟く。
「魂が……二つ……」
その言葉に竜一は尚も疑問な表情を浮かべるが、三木は笑顔でそれに頷き、続ける。
「そう、魂だ。通常の人間には魂が一つ。これは生命を持つ者にとって大原則の一つである。しかし水瀬くんの中には、その魂が二つあった。まるで、一つの魂が分裂したかのように、二つが合わさるとようやく一つの魂の大きさになるかのような分裂の仕方でね」
二つの魂がそれぞれ通常の魂と違い、二つで一つだと言うように三木は説明する。
しかし、どこか含みを持たせるその説明は二人の反応を楽しんでいるのか、説明する端から徐々に楽しそうにする三木はまた額から汗が流れ始める。
「では説明の方向を変えてみよう。水瀬くん、キミは自分の性別をどっちだと思っている?」
「え……。身体こそ女になっちゃったけど、オレは男のつもりでいますよ。そのうち男に戻るつもりでいますし」
その解答にまた一つ、三木は笑みを浮かべ、
「ふむ。では身体以外は男の時のままでいれていると?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
「あっ……」
三木とその水瀬の問答に、ただ聞いていた竜一に何か思い当たる節でもあったのか、府抜けた声を漏らしていた。
そして、
「なんだよ竜一、お前はオレを女にしたがっているのはわかってるが、オレは男のつもりで」
「水瀬、たまにだけど、本当にたまにだけど、……自分のこと『オレ』じゃなく『ワタシ』って言ってるときあるよな」
「え?」
その竜一の言葉に一拍の間を置くと、驚愕の表情を浮かべる水瀬と対照にさらに口角を吊り上がらせる三木。
一人称の呼び方。本来人間であれば自分のことを俺、僕、私、など時と場面によって使い分けることはあるだろう。それ自体に何ら不思議なことではない。
しかし、この場合はそれとは違う。竜一と水瀬の間の関係は、上下も遠慮も最初からない。故に、水瀬も最初から遠慮せず、自らのことを『オレ』と呼称していたが。
「い、いつオレがそんなことを言ってたんだよっ! オレはそんな記憶ないし――」
「自分では気が付いていないのか?」
竜一の言葉は、水瀬に焦りと不安を呼んでいるのか、否定するように声を張り上げている。
「――これは僕の仮設だが……」
その問答を静かに見つめていた三木は、ポツリと呟くと、
「竜一くん。水瀬くんは自身を『ワタシ』と呼称する際、その環境や状況、水瀬くん自身に何かしら切迫している状態ではなかったかい?」
「――あ」
竜一のその一言に合点がいったのか、三木は二人を交互に見つめると、言った。
「先ほども言ったがこれは仮設だ。そのつもりで聞いていてほしいが、水瀬くん。――キミの魂、いやこの場合は心といった方がいいか。キミの心も徐々に女性へと推移していっていると僕は予測する」
「――な……」
それは、水瀬にとって、そして竜一にとっても思いもしない仮設だった。
「竜一くんの反応から見るに、恐らく水瀬くんは普段男として生活しているだろう。自分は男だと信じ、そうであるべきだと思い込んで。――しかし、こと状況が切迫し、自我を保てなくなると、その本来の魂が浮き彫りになり、その一人称、果ては行動や言動、思考回路までもが女性特有のものになっているんじゃないかな? まぁ、あくまで基準は水瀬くん自身のものからなぞらえるものだから、本人は気付きにくいかもしれないが」
一方で、三木の仮設に思い当たる節を次々と思い出す竜一は、その推測に何も言えずにいた。
隣で聞いている水瀬が、それをまるで信じたくないといったような眼をしていたからだ。
「光源が二つあったというのも、それらと結びつけると、恐らく男性であった頃の水瀬くんの魂と、女性になってから生まれた水瀬くんの魂だろう。どちらの魂がどちらの性別によるものか今はわからないが、今後大きさが徐々に変わっていく可能性も考えられる」
それはまるであの時夢で見たような話で、それが事実なのだろうと内心では納得を言っている水瀬であるが、
「まぁ、僕が言ったのはまだ仮設だ。結論付けるには他の証拠が足りなすぎるから、鵜呑みにしなくてもいいが」
三木の言葉が届いているのか届いていないのか、水瀬は半ば放心状態でそれに頷き、
「今後は定期的に経過を観察して行こう。もしかしたらそれで進行を抑える何かができるかもしれない」
定期的に禁呪書物に携わるものの観察ができることに喜びを隠せない魔導医師の頬は紅潮する。
しかし、現時点の観察でそこまで推測するこの男の魔導医師としての実力は本物なのだろう。
水瀬もそれに了承し、部屋を後にする。
◇◇◇
保健棟を出た二人は、すぐそこにある寮へはすぐに向かわず、学園の中にある噴水前で呆けていた。
陽もすっかり落ち、辺りは夜の闇に飲まれていたが、外灯の光が差し込む噴水前はお互いを視認するには十分であった。
昼前と違い、この時間の噴水は稼働していなく、水面は穏やかにたゆたい、静かな空間を演出していた。
「なぁ水瀬、元気だせよ。確かに驚くことばかりだったけど、それがわかっただけでも今日は良い収穫だったじゃないか」
噴水前の柵に顔をうずめ落ち込む様子の水瀬を竜一は励ましの言葉を投げるが、返事は返ってこない。
「でもビックリだなぁ、さすが禁呪書物だよ。魂が二つなんて、スゲェビックリ人間だぜ水瀬は! やっぱり俺の惚れた女はただものじゃねーな!」
冗談めかしく、相棒を元気づけようと空回る竜一の言葉が噴水前に響き渡る。
「……なぁ水瀬、心が女に変わりつつあるといっても、三木先生の話を聞く限りまだ時間的猶予がありそうだし、そこまで落ち込まなくても」
「――うるさいッ!」
高く荒げた声が、噴水前に響く。
「竜一に何がわかるんだ! 元々男として生きてきたのに、今は心までもが女になりつつある!? 身体が変わっただけでも平常心を保つのに必死だったのに、こんなこと言われて平気な奴があるかッ!」
その声は震え、涙が混じり、悲愴の叫びは彼の心境を衝き、
「で、でも」
「でももクソもあるかッ! オレは男に戻るんだ! 心まで女になってたまるもんか! ワタシは男に――!」
ふと、それは不意に、自然と、何の意識もせずにでたその言葉を――水瀬は初めて自覚する。
「み、水瀬?」
彼女は両手で口を押さえ、彼を見ながら後ずさる。
まるで怯えた小動物のように、まるで畏怖の対象を見たかのように。
目に涙を浮かべ、ズルズルと後ずさると。
「――ッ!」
水瀬はその場から走り去った。
何かから逃げるように。何かを否定するかのように。
「――水瀬ッ!」
竜一の叫びが、穏やかな水面を静かに揺らした――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます