第23話 学生の夕方は、かくも——

 授業が終わったこの時間は、各生徒が各々に自由な時間を過ごす。

 あるものは教室でお喋りをし、またあるものはトレーニングに励む。学生の夕方は、かくも人生において貴重な瞬間を提供するものだ。


 陽も淡いオレンジ色を浮かべる時刻、竜一と水瀬は保健棟を訪ねていた。

 本日早朝、竜一と水瀬は理事長である阿藤あどう 静香しずかへ禁呪書物を預けに行った際、水瀬の身体について保健棟にいる三木みき とおるを訪ねろとの助言をいただいていた。

 本来であれば訪ねるのは水瀬一人でいいのだが、そこは契約者、さらにはバディということもあり、水瀬は竜一を連れてきているわけだが。


「言っておくが竜一、お前を連れてきたのは例の契約があって、何かヒントが貰えたらお前にも手伝ってもらうためだからな? 遊びて連れてきてるわけじゃないぞ?」

「へーへー、わぁってますよ~水瀬さん。お互いがお互いのために――この契約には変わりないですから、何かわかったら協力しますよーっと」


 水瀬の後ろでトロトロと頭の上で手を組んで歩く竜一がどこか上の空である。

 というより、どうも朝以降竜一は何かしらを真剣に思い悩んでいるようであった。その悩みというのが水瀬には理解できず、いつもの様子と違う竜一に水瀬は少なからずの戸惑いを覚えていると、


「なぁ竜一、何を考えているのか知らねえが、オレは」

「お、あったあった。えーと……三木先生は二〇五号室、二階の突き当たりの部屋だな。行こうぜ水瀬」


 保健棟入口の壁には様々な雇われ魔導医師が名札を連ねられている。

 竜一はその中から件の魔導医師、三木透を確認すると、水瀬の肩を押すように歩を進める。

 水瀬が心配しているのに気づいているのか、ただの天然なのか。

 竜一の言葉にタイミングを逃した水瀬は、有無を言わさず部屋前まで歩いて行った。


 ◇◇◇


 朝の理事長室とは違い、ここ二〇五号室は病院でもよく見られるスライド式のドアである。ちょっと力を込めれば開けられるそのドアを、今度は水瀬がノックをすると、


「どうぞー」


 と、男性の、それでいて少し間延びな声を上げられる。

 水瀬が失礼しますと一つ返事を返し、そのスライド式ドアを開けると、そこは八帖ほどの奥へ長い長方形の部屋。奥には患者を横にさせる一人用のベッド、診察台やデスクといった一般的な診療室となっていた。

 先ほど間延びした声で返事をしたと思わしき男性医師、三木透はデスクに向かって何かを書いているようだった。

 短髪の黒髪で黒い縁が印象的なメガネをかけたこの男性の年齢はまだ三十代前半ほどだろうか。白衣を着た清潔感のあるその姿は医者としての威厳を放っている。そして、何よりイケメンの匂いを発していた。


「あ、あの、三木……先生ですよね?」

「ん……? そうだが、――あぁ、キミは~……」


 水瀬の呼びかけに、三木がようやく顔を向けて応対する。

 その反応ぶりから、どうやら三木の方はすでに水瀬のことを知っているようだったが、


「キミが水瀬葵くんだね、話は阿藤理事長から聞いているよ。ささ、ここに座って」


 何やら突然満面の笑みを浮かべる三木は、水瀬の肩を掴んでデスク前の丸椅子へと案内する。

 突然の豹変、そしていきなりのボディタッチに笑顔ながらも顔を歪める水瀬はその手をやんわりと振りほどこうとすると、


「先生、生徒へのボディタッチはセクハラで最悪クビになりますよ。水瀬も困っているのでやめてください」


 後ろで呑気にしていた竜一が間に割って入るかのようにその手を解く。

 これまで視界に入っていなかったのか、三木がゆっくり竜一へ振り返ると、


「この魔導医術界きってのエリート魔導医師であるこの僕が、そこらへんの女生徒に興味を持つわけがなかろう。それに僕はちんちくりんな子供を好きにはならん」

「ち、ちんちくりん!? オレちんちくりん……」

「キミは……誰だったかな?」

「灰村竜一っス。水瀬とはバディを組んでいる間柄で、そもそも禁呪書物はうちの親父の持ち物だったんす」


 三木はふむ、と一つ相槌を打つ。

 竜一のこと自体は本当に知らなかったようだが、灰村という名、そして禁呪書物というワードに引っかかったのだろう。


「そういうことならキミの同席も許可しよう。そこへかけたまえ」

「言われるまでもなく同席するつもりだったんすがねぇ……」


 と、あくまでマイペースなこのエリート魔導医師に、すでに振り回されつつある竜一は溜め息を一つこぼし、水瀬の隣の椅子へ腰掛ける。

 三木も先ほどいたデスクの椅子へ腰掛けると、デスクの上にあった数枚のカルテらしき資料を手に取り、ゆっくりと話し始める。


「さて、先程も言ったように、キミらのことは理事長先生より伺っているよ。――水瀬くん、キミはどうやら本来男で、禁呪書物の永久変異魔術を使用し女性になってしまったということで合っているかな?」

「……えぇ、恥ずかしながら間違いありません」


 いざ医師からそのことを口頭で確認されるとどうにも気恥ずかしいらしく、水瀬が耳まで真っ赤にしてうつむきながら返事をしている。

 しかし三木もプロ。そのような患者の照れや驚きなど慣れているのだろう。気にせず話し続ける。


「僕は元々別の場所で魔導医師として働いていたんだ。まぁ見ての通りエリートだからね。阿藤理事長よりスカウトされて、今この学校で魔導医師として働いているのさ」


 鼻につく言い回しが三木の癖なのだろうか、自信過剰なその話し方は、イケメンが嫌いな水瀬を多いに苛つかせる。


「そして、阿藤理事長の指示のもと、禁呪書物の研究もさせてもらっている」

「禁呪書物の……研究?」


 うむ、と竜一の復唱に三木は首を縦に振る。

 禁呪書物に関わりがある、もしくは阿藤と一緒に禁呪書物に関する調査をしている程度に考えていた竜一らとしては、研究という言葉に驚きと期待を隠せないでいる。


「まぁ研究と言ってもサンプルがなさすぎるからね。だから、こうして実際に変異魔術を使ったサンプルが目の前にいるというのは研究者として心躍る瞬間でね……ハァハァ。それに、男から女に完全に変わっているなんて、身体の構造はどう変化しているのか、精神に何かきたしていないかともう調べたくて調べたくてウフハハ」


 三木の目が血走り、鼻息が荒くなる。その両手は何かを揉むようにワキワキと開閉し、体を前へ前へと近づいてくる。


「あ……あの、三木……先生?」


 あまりの三木の興奮具合に、さすがの水瀬も若干引き気味で話を催促する。

 竜一の興奮時とはまた違う、どちらかというと先日の雅也に似た何かをこの三木という男からは感じる水瀬は少々引き腰になる。


「あ……、コホン。また取り乱してしまったね、すまない。あぁ、今回水瀬くんには魔力供給の大本である魂の部分を少し見させてもらえないかなと思ってね」

「魂……ですか。そういうのって見れるものなんですか?」

「まぁ魔法や魔術ではそういう魂と呼ばれる部分に作用させるものもあるからね。そういうのはもっぱら呪術なんて言われたりするけど、そういった魔法を受けた患者の治療なんかではよく見るもんだよ。まぁ、普通に生活してたらまずかからないものだけどね」


 笑いながら話すその内容は、実は結構危ない内容だったのではと疑いをかけたくなるが、ここは一旦置いておく。

 三木が水瀬の丸椅子を回転させ、背中のちょうど肩甲骨の間らへんだろうか、三木がそこへ手をあてがう。


「なんか……、なんていうかムズムズするなこれ」

「まぁ自身の内面へ作用させるものだからね。拒否反応をされると見難くなるから、風邪引いた時にお医者さんから聴診器を当てられるぐらいの気持ちでいてくれたまえ」


 三木が水瀬へあてがうその手に集中し、目を閉じる。

 どうやらこの魂を見るというのは、本当にその場所へダイブして見るような感覚らしい。竜一から見た三木は、確かにそこにいるのだが、意識はまるで違うところにあるかのように気配を感じられなかった。


 それから五分ほどだろうか。

 その体勢のまま、全く動かない喋らない三木に竜一と水瀬は目を合わせて戸惑っていた。


「な、なぁ竜一。これ大丈夫なんだよな? オレからは三木先生見えないからよくわからないんだが、さっきから全く動いていないぞ」

「あ、あぁたぶん大丈夫だと信じ……たい。うん、たぶん、おそらく、きっと、大丈夫――メイビー」

「お前も願望しか口にだしてないじゃねーかよ余計不安になったわ……」

 

 ガックシと首を傾げる水瀬の不安も竜一には納得できる。

 竜一自身、三木が一体どうなっているのか説明しようがないのだ。全く動かないし。

 すると、三木のその手や足、頭が一瞬動いたような気配を竜一は感じ、


「あれ? 今動いたような」


 もう一度、三木の身体がピクリと動くと、


「――ぶはぁッ! ハァ、ハァハァ……」

「おぅわぁ!? びっくりしたぁ!」


 まるで水底から這い上がってきたかのように、三木はその場で大きく息を吸い込む。

 見ると、三木の額からはいつの間にか大量の汗が流れ出ており、何かを掴んだのか、驚愕の表情を浮かべていた。


「あ、あの三木先生? 大丈夫ですか? それで、何かオレのことでわかったこととか……」

「――水瀬くん」


 水瀬の言葉を手で制止、息もまだ整わないうちから三木は水瀬を見やる。

 その黒縁メガネ越しに見える瞳は、何を伝えようとしているのか、喜びや戸惑い、そして憂いを感じる。


「は、はい」


 そんな三木の表情に若干の戸惑いや恐怖を感じながら、水瀬はそれに応対すると、三木は震える声でそれを告げた。


「水瀬くん、キミは……誰なんだ?」


 三木の言葉の意味を、水瀬は理解ができなかった。


 学生の夕方は、かくも人生において貴重な瞬間を提供するものだ――。

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