第二章 秘められしもの

第22話 爽やかな朝

 激戦の水瀬救出作戦から早二日。

 本日は週初めの月曜日。竜一と水瀬は本来ならば朝練をと早朝からすでに起き出ている午前6時半。二人にしては珍しく朝寝坊をしていた。

 というのも、土曜日の夜に繰り広げた激闘の疲れが未だ抜けていないのだ。翌日の日曜日は泥のように眠り、何もせずに貴重な休日を潰してしまっていた。

 それでもまだ疲れが取れていないことから、あの戦いがどれほどの厳しいものだったのかということを証明しているのだろう。

 二人は授業が始まる前にとある用事を済ませるため、磁石のようにベッドへ張り付く身体を強引に剥がすのだった。


「――んんにゃあ……、おひゃよう……りゅういち……」


鉛のように重たい瞼を擦りながら、その美しい銀髪の髪を粗雑に扱う美少女、水瀬みなせ あおいは未だ半分寝ぼけているようだ。呂律もうまく回っていない様子。


「ふわぁ~……おはよう水瀬……まだ身体痛ぇな……」


 反対の壁際に接するベッドから起き上がるそのツンツン頭の少年、灰村 竜一はいむら りゅういちも寝起き一番の背伸びで体中の骨から小気味の良い伴奏を奏でていた。

 水瀬がベッド脇にあるクローゼットより制服を取り出すと、寝起きでまだ覚醒しきれていない千鳥足で脱衣所へ向かう。


「水瀬~、いい加減わざわざそっち行かないで、ここで着替えたらいいのに。俺ら男同士だろ?」


 今起きたというのが怪しくなるほど、寝起き早々に下心を見せる竜一はある意味健全な男子高校生なのだろう。

 言われる水瀬も、本来であれば竜一の言葉に大いに賛同する側の人間であった。

 というのも、水瀬は元男なのだ。とある事件をキッカケに古代魔術書『禁呪書物』を使用してしまった水瀬は身体が女性に変わってしまうという不運に見舞われていた。


「お前がオレを男としてしか見てなかったら考えなくもないが、その鼻の下を見るとやっぱ嫌だわこのスケベ野郎」

「くっ、自分の性癖が憎いッ!」


 サイズの合わない制服を持って、水瀬が脱衣所へ入っていったのだった。


 ◇◇◇


 午前七時半過ぎ。

 朝食も食べ終え、少し早いが早速用事である理事長室へ向かう竜一と水瀬。

 時間としては早い気もするが、昨日水瀬が事前に担任兼顔なじみである宮川みやかわ 美弥子みやこに取り入れ、理事長にアポイントを取っていたので問題はない。

 ついでに土曜日に起きた禁呪書物にまつわる例の事件についても宮川に伝えており、その理由もあってか早急に会ってくれることになったのだ。


「理事長室か……。こう、職員室とか理事長室って入るのスゲー嫌だよな」

「わかる……オレもこういうところ来るのって怒られるか嫌なことを申告されるイメージしかない……」


 成績が芳しくないこの二人にとって、こういった教員たちの巣窟は脅威以外の何物でもなかったのだ。

 優秀な人物であれば、表彰や今後の学校方針の相談等の良い意味で呼ばれるだろうが、二人にとってそれは在り得ない。

 緊張の面持ちで、竜一がこの学校には似つかわしくない大きめの両開きドアをノックする。

 すると


「入れ、鍵は開いてるぞ」


 中から妙齢の女性が発する声音が聞こえる。


「し、失礼しますッ!」


 竜一と水瀬は声が上ずりながらその重い扉を開けると、正面の大きな窓から朝日が差し込んでくる。

 手前には応接間と似たようなテーブルや、少し高級そうな革製のソファー。そして奥にはドラマやアニメで見るような大き目のデスクと一人の女性。

 大き目の窓から差し込む朝日のせいか、竜一らからは女性が逆光でよく見えない。

 ただ、そこにたゆたう大人の煙とホットコーヒーの良い香りが二人の鼻腔を衝く。


「灰村竜一と……先週転校してきた水瀬葵……だな」


 理事長が立ち上がり、二人へ話しかける。


「私がここ『帝春学園高校』の理事長、阿藤 静香あどう しずかだ。まぁそこのソファーに掛けなさい」


 阿藤が咥えていたタバコを灰皿へ押し付けると、その野暮ったい黒髪をかき上げ、スーツの襟を伸ばす。

 阿藤に言われるがまま竜一らはその革製のソファーへ腰を下ろすと、この部屋唯一の重たいドアが勢いよく開かれ、


「グッモーニーンみなさん! みんな大好きみゃーこ先生がやってきたよぉーーーーーー!」


 騒音にも等しい元気な挨拶が部屋に木霊する。


 ◇◇◇


「さて、お前らが私を訪ねてきたのは他でもない。禁呪書物のことだな?」


 竜一と水瀬が隣同士に座り、テーブルを挟んで相対側には阿藤と宮川が並んで座っている。

 やはりというか、この状況下はあまり慣れていない二人にとってとても居心地が悪い。何度かお互いを見やると、竜一が口を開く。


「はい、この禁呪書物はもともと俺の親父――父、灰村はいむら 伊十郎いじゅうろうより理事長へ届けるよう預かっておりました。連絡、また持ってくるのが遅くなり、大変申し訳ございません」


 普段の竜一のぶっきらぼうな話し方と違い、丁寧に、それでいて落ち着いた声音で喋りだす。その光景があまりに不似合で、水瀬は驚愕の表情とともに鳥肌を浮かべていた。

 竜一の返答が予想通りだったのか、阿藤は特に驚く素振りも見せず話を続ける。


「いや、そのことについては私も謝らねばならない。キミの父、灰村伊十郎氏から禁呪書物について運ばせると聞き及んではいたのだが、どうしても外せない急用ができてしまってな」

「急用……ですか」


 竜一の問いに、理事長――阿藤はタバコを咥え火をつける。

 指先から小さな魔法陣を錬成すると、タバコの煙は換気扇へと一直線へと流れ出る。


「そう、急用だ。本来ならその内容を教えるべきではないトップシークレットのものなんだが、どうもキミらにはそう言っていられなくなってしまったようじゃないか。宮川教諭」


 フゥー、と阿藤から吐き出される煙が一直線に外へ向かう。

 不意に話を振られた宮川も、いつものお調子はどこ吹く風、神妙な顔つきで一つ頷くと、その軽快だった口が重く開く。


「はい。電話でもお話いたしましたが、二日前の夜、この女の子――水瀬葵さんが奴らに誘拐されました。要求は当然禁呪書物の受け渡し。水瀬葵さん救出のため、この灰村竜一くん及び同学年の清水真琴さん、田中=ウィリアム=岩太郎くんが事件に関与。無事生きて帰れましたが、非常に危険な目に合っています」


 昨日、水瀬が電話で宮川に伝えた内容をそのまま阿藤へ伝言してくれた。ここらへんはやはり大人というより教師なのだろう。生徒の身を案じてくれている。

 宮川の説明に、またもう一拍タバコを吸うと、灰皿へとそれをねじ込む。

 風魔法のおかげだろうか。部屋はタバコ臭くならないでいた。


「まぁ、本来であればそのような危険なことに、大人へ相談なしで突撃するのは何かしらの罰を与えねばならないところだが、今回は私の失態でもあるからなぁ……」

「はっ……? 失態……ですか?」


 阿藤の言葉に水瀬がポカンとした顔で復唱する。


「うむ。というのもだな、今回私が急に出張することになったのは、その禁呪書物も関係していることなんだ」


 一度言葉を区切り、言いづらいのか、阿藤は再度タバコに火をつける。


「灰村がその禁呪書物を私に持ってきてくれるというのは事前に聞いていたが、その後それを狙う奴ら……この場合組織と言ったほうがいいかもしれんな。禁呪書物を狙う組織がいるという情報を掴んでな」

「組織……ですか。あっ、そういえばあの人も雇われた身だって……」


 阿藤の組織という単語にポカンとしていた水瀬が食いつく。

 そう、水瀬は一時ではあるが、土曜日の夜の事件の主犯である男――銀次と会話をしていたのだ。

 その時、確かに銀次は――。


「むっ、何か心当たりあるようだが、とりあえず今は私の話を続けよう。――それでだ、禁呪書物を狙うような輩は退治せねばと繰り出したのだが、調べれば調べるほどに謎の多い、底の深い組織でな。本格的に調査に踊り出ていたのだ。もちろん、キミらに注意が行かないよう牽制もしていたつもりだったのだが……」

「本隊とは別に、今回水瀬を攫った奴らがいたという流れですかね」


 竜一の言葉に、阿藤はタバコをふかしながら静かに頷く。


「土曜日の夜、私も奴らのアジトと思わしき場所に突撃したんだがな。結果はもぬけの殻。その後、大柄な黒いスーツを着た男と一戦交えたんだが、私を仕留めそこねたからかすぐに引いてな。引き際を弁えてるやつは相手にすると厄介だよ全く」 

「――あっ、そ、その男です! オレを攫って、竜一らと戦ったやつはそいつですっ!」


 確かに、銀次は水瀬と会話した直後、どこかへ用事があると出かけて行ったハズであったと水瀬が思い出す。

 あれは恐らく奴らの組織を嗅ぎまわっていた者――この場合は理事長の阿藤だが、そいつを消すために出かけたのだろう。

 そう考えると辻褄が合う。竜一と水瀬はそうごちると、


「ほう、キミたち、あの男を退けたのか? ククッ……大したものだな」


 驚き半分笑い半分といった表情で見つめる阿藤に何とも歯がゆい気持ちでいっぱいの二人。

 というのも、あの戦闘は正直勝ったという気がしていないのであった。男――銀次の気まぐれで助けられ、さらにはまた会いにくると去り際に残しているからだ。


「まぁ、奴らの狙いは禁呪書物だ。それさえ灰村伊十郎氏の意向通り預かれるなら、組織からキミらへ今後何かことを起こすことはないだろう」

「えぇ。そうだと思いますし、そう思いたいですね」


 竜一がバッグから例の古い古書『禁呪書物』を取り出すと、それを阿藤へ渡す。


「これで確かに渡しましたよ? 理事長先生」

「うむ、確かに。苦労をかけてすまなかったな。先の事件も私の監督不行き届きから来るものだし、これといって言及はせん。ただ、今後は何かあったらまず大人に相談しろ、わかったな?」

「はい、ご心配おかけしました」


 一先ず、これにて禁呪書物に関わる事件の矛先は自分らに向かわなくなるだろう、と竜一は安堵の息をつく。

 水瀬が男に戻る方法を探さなくてはいけないが、まずは命あってのことである。安全を確保するため、禁呪書物は学校に預けるのが一番だろうと竜一は自分の中で正当化する。


「では、俺らはこれで……。水瀬、行こうか」

「あ、あぁ。そうだな」


 時間ももうすぐ朝のHRが始まる時刻まで迫っている。

 二人は立ち上がると同時に阿藤へお辞儀をすると、思い出したかのように阿藤が告げる。


「そうだ、灰村」

「はい、なんでしょうか?」

「やつらは自分らの組織を『Irisアイリス』と呼んでいた。それがどういう意味かはわからんが、一応お前も覚えておけ」


 Iris……と口元で竜一が復唱する。それが奴らの組織名。

 恐らく、あの銀次という男はまた竜一らの前に現れるだろう。きっと、この組織からは逃れられないということを今になって実感をする竜一。

 恐らく、水瀬はそこまで考えていないだろう。だからこそ、無駄な心配をかけさせず、自身がそれについて気を貼る必要がある――と竜一が考えていると、阿藤が続いて、


「あと水瀬葵……くんでいいのかな。事情は宮川教諭から聞いている。キミも意図的に禁呪書物と深く関わった人間だ。放課後、保健室へ行って三木みき とおる先生を訪ねたまへ。その身体について何かわかるかもしれん」

「――っえ!? は、はい! ありがとうございますっ!」


 その身体について何か――、たったそれだけの言葉でも少しは前進できそうなその言葉に、水瀬は喜びを隠さずその場で笑顔を咲かせていた。


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