第13話 声

「なぁ水瀬、そろそろ機嫌直してくれよー」


 竜一の前を足早に歩く女性、水瀬葵は怒っているのか顔だけ竜一へ向け応える。


「話しかけんな猿!」


 フンッと言ってまた歩きだした彼女は相当ご機嫌が斜めのようだ。

 何故ここまで腹立たしいのか。

 以前までの水瀬であれば、先ほどの竜一のあまり冗談に聞こえない冗談も笑い飛ばせていたハズだった。いや、寧ろその冗談に乗っかって下ネタに話を咲かすくらいはしているハズであった。

 にも関わらず、今の水瀬にはそういった感情が沸かないのだ。水瀬自身もその現象の理由がわからない。

 いや、そもそもそこまで理解していないのだ。以前との違いに違和感を覚えず、単純に竜一に腹を立てているくらいにしか感じていない。


「なぁ水瀬~、水瀬ったら~」


 水瀬の後ろでは竜一が頭の後ろで手を組んでひょうひょうと歩いている。

 竜一自身はあまり悪気を感じていないのだろう。


「おーい水瀬~」


 呼び続ける竜一に、その水瀬が怒った表情のまま振り向いて応える。


「えーいうっさいこの変態! 猿! 大バカ野郎!」

「ほいっ」

「え? あ、おっとっと!」


 と、竜一がポイっと何かを投げてきた。

 突然のことに水瀬が慌てながらそれをキャッチして確認するとそれは、


「何これ、ヘアピン……?」


 水瀬の手に握られていた物は至って普通のヘアピンだった。

 水瀬の髪と同じ銀色で、目立たない程度に小さく花の装飾が一つついているだけのただのヘアピン。

 それに何の意味があるのか、水瀬が不思議そうな顔でそれと竜一を交互に見やる。


「そっ! さっき魔道具店で見つけてさ。一応魔道具らしくて、魔力込めたらスタングレネードみたいにすごい光るらしいぞ。まぁ安物だからどの程度光るかわかんないけどな。選抜戦とかでは使えないし。でも護身用にってのと、水瀬に似合うかなって」

「な……」

「それに、今日はこんな可愛い水瀬と出かけられたんだ。何か思い出の一つでも残しておきたいじゃん?」

「んな……」


 何の躊躇いも恥ずかし気も見せず、竜一はあっさりとそう言った。

 どうやら、先ほど魔道具店で水瀬が試着している時に見つけたらしいそのヘアピンは、つまり竜一から水瀬へのプレゼントだと。

 値段にしておよそ数百円だろうそのヘアピン。

 しかし水瀬にとってそのプレゼントは嬉しいような、何だか照れるような。

 どっちにしても喜びの感情が湧き出る水瀬は、頬をほんのりと赤く染めて、

 

「で、でもオレだけ何かもらうわけには」

「ちょっと貸して」

「え? ひゃう!?」


 ジッとしてて。


 と、いつの間にか水瀬の下までやってきた竜一は再度水瀬からヘアピンを受け取り、こめかみら辺の銀髪につけてみる。

 よし、としっかりつけられたことを確認した竜一は、一歩下がってそれを確認する。


「ど、どうかな?」


 少し照れたような、視線を右へ左へ忙しく動かす水瀬が場つなぎ的に竜一へ感想を求める。

 一瞬の沈黙を経て、竜一は目をカッっと見開き、言った。


「可愛いよ水瀬。とてもよく似合ってる。買ってよかった」

「――!? ……あっ、えっと、そ、その……。こ、このままの服装で寮には帰れないからちょっとどっかで着替えてくるから待っててえええええ!」


 何時になく真剣に褒める竜一に、水瀬はとにかく全力疾走でその場を後にした。

 頭の中には『なに、なに、なに』の文字が浮かび続ける。

 水瀬が今感じているもの、それは今まで感じたことのないものだった。

 胸が高鳴り、鼓動が早くなる。まるで何かの病気のよう。

 それが何なのかは未だにわからない。いや、なにせ水瀬は元男なのだから、わかりたくないのかもしれない。


「なんだアイツなんだアイツなんだアイツ! 竜一の癖に竜一の癖に竜一の癖に~~~~~!」


 ドドドドッと効果音がついてもおかしくないほど全力で走る水瀬は、恐らく竜一から100メートルほど離れた場所まできただろうか。

 ここに来る間にも、角を2回ほど曲がって来ているので竜一の姿はもう確認できない。


「ハア、ハアハア……。何なんだ今日のアイツは。オレが女の格好してるから調子乗ってんのか? ……咄嗟に走って来ちゃったけど、アイツ待っててくれるかな」


 着替えて来ると言ったため、竜一の性格から、恐らく彼はその場を離れないだろう。

 それくらいは今の水瀬にもわかるが、せっかくプレゼントを貰ったのにこんなことをしたため、些か申し訳なさが立つ。


「ま、まあアイツが変なこと言うからいけないんだ! それに、服を着替えなきゃいけないのは本当のことだし、オレが気にするようなことじゃないな!」


 そう水瀬は自分に言い聞かせるように辺りを見渡す。

 着替えるにしてもどこで着替えるか。もう夕食時だからかお客さんは随分と減ってはいるが、それでももう何も買わないのにアパレルショップの試着室で着替えるわけにはいかない。

 となると。


「あそこのトイレで着替えるか」


 少し先にトイレがあることを確認し、その場へ向かう。

 が、周りの違和感に水瀬は気付いた。


「……なんか、妙に静かすぎねーか?」


 そう、周りを見渡すと人っ子一人いないのだ。

 いくら夕食時と言えど今日は週末。それに夕方頃からカップルたちでここアウトレットパークは賑わっていたハズなのに、だ。

 まるで、もうそこが廃墟であるかのような静寂になっていた。


「何が、どうなって」

「人除けの魔術だよ」


 不意に、後ろから耳元に誰かの声がした。

 それはドスの効いた低い声。

 どこかで一度聞いたことがあるような気もするが、今は思い出せない。

 いや、そんなことよりこの男今、


「ま、魔術……だと?」

「そうだ。ここら半径50メートルほどは今誰もいない。助けを求めても無駄だ」

「――くっ! この!」

「おっと動くなよ。今動いたら危険だからな。大人しくしていてくれ。女を傷つけるのは趣味じゃないんでな」


 水瀬が手に魔力を込めようとしたところで気付く。

 後ろから首元に回された手には鋭利な刃物を備えていた。その刃物はまるで血を求めているかのように、今か今かとその存在をアピールしている。

 正確には、様々な電光を反射させているのだが、その鋭い輝きは水瀬を威嚇するのには効果的であった。


「お前、オレに何の用だ。悪いけど、金ならないぞ。実家も一般家庭だし、身代金を用意しろって言っても」

「――禁呪書物」


 ビクリッ、と男のドスの効いたその言葉に水瀬は思わず震えてしまった。

 ――禁呪書物。そんな単語を知っている者はそうそういないだろう。

 禁呪書物はその危険度から、人類の歴史より抹消、忘れさられた太古の魔術。使い方を間違えれば街一つを消し去ることなど造作もないほどの危険な代物だ。

 そんなものを知っているこの男は一体誰なのか。

 水瀬の震えで確信を得たのか、男はニヤリを薄い笑みを浮かべ、


「ほう。やはりお前も知ってるのだな、禁呪書物のことを。今日一日監視をした甲斐があったってものだ」

「お前、なんで禁呪書物のことを!」

「お前が知る必要はない。だが、お前はやはり使える。我々に協力してもらうぞ」

「……誰が協力なんか!」

「――『睡魔魔法スリープ』」

「な……に――」


 男の空いている手が水瀬のこめかみを突く。

 同時に、その手からは微量な魔力が放出されたかと思えば、水瀬は一瞬にして闇の中へと落ちていく。

 相手を強制的に眠らせる魔法『スリープ』を使われたのだ。


「よし。おいお前たち、こいつを例の場所まで運べ」


 そう言い、男らは水瀬を連れどこかへと去って行った。


 ◇◇◇

 

 水瀬が着替えに行ってくると言いどこかへ去ってから早三十分。

 竜一は先ほどの場所から一歩も動かず待っていた。


「水瀬遅いな~。どこまで遠くに着替え行ってるんだか」


 水瀬へ上げたヘアピンのプレゼント、アレが気に入らなかったのかと竜一は心配になる。

 ――というのも、あの時は平然としていたが本心を言えば、


「……やっぱキザだったかなぁ……。カッコつけすぎたかなぁ……うああぁあぁあぁぁぁああああ!」


 童貞の根性を精一杯に絞り出し、やっとの思いで言えた渾身の一言だったのだ。

 思い出すだけで悶絶したくなる、というかしてる竜一は周りから変な目で見られていた。


「でもなぁ、今日の水瀬は本当に可愛かったものなぁ。写真撮っておけばよかったかなぁ。まぁ撮ったら撮ったで殴られそうだけど」


 すると、ポケットにあるスマートフォンが軽快な音を鳴らす。

 着信音からしてどうやら電話の様だ。

 水瀬からかと急いでポケットからスマートフォンを取り出すと、画面には案の定水瀬葵の文字が浮かんでいる。

 迷子になったのか、竜一を見つけられないのか。どちらにしろ、電話をかけてくれる程度には機嫌を直してくれたらしいとホッと一つ安堵の息を吐き、電話にでる。


「どうした水瀬。迷子か? 俺はさっきと同じ場所にいるけど」


 竜一はなるべくさっきのテンションでいるよう心がけ、平然を装い電話にでる。

 しかし、水瀬からは何も言葉を発せられない。

 やはりまだ先ほどのことを怒っているのだろうか。

 竜一は一抹の不安を感じつつ、もう一度彼女の名を呼ぼうとする。

 すると、


『――灰村、竜一だな』


 電話越しからは聞きなれない声が発せられた。

 その声はひどく低いドスの効いた声音であり、どうにも聞いたことのあるような声だった。


「……オタク、誰ですか。何で水瀬のスマホから俺にかけてきたんですか。スマホ拾ったからとりあえず履歴の一番上の奴に掛けたとかだったら安心なんスけど」


 その男から発せられる声はどう考えても一般人のそれではない。

 明らかに世間からは逸脱な行為をしてきたような、そんな凄みのある声だった。

 スマホを拾ったのかと竜一は聞いたのは、そんなことはないだろうと思いつつもそうであってくれという不安からなのかもしれない。

 電話越しの男は質問に答えず続けた。


『女……、水瀬とか言ったか? こいつは預かった』

「なにっ!?」


 やはり予感は的中していた。

 預かった。マイルドに表現しているが、つまり拐ったということだろう。

 竜一の息が詰まる中、男はそれを感じ取ったのか、おちょくる様に言ってくる。


『今日一日お前らを監視させてもらった。この女はお前にとって相当大事な女らしいな』

「……だからどうした」


 息が詰まり、動悸が早くなる。

 平然を装うにも、一介の男子高校生にはこの様な局面に対応する能力などない。

 緊張で声が震えてしまう。


『怖がらなくていい、灰村竜一。我々のお願いを一つ聞いてくれたらこの女は無事お前に返そう』


 見透かされている。

 今の竜一に余裕がないことなど、この電話越しの男からしてみれば手に取るようにわかるのだろう。


『なに、簡単なことさ。お前の持っている、そう――禁呪書物を我々に譲ってほしいのだよ』

「禁呪……書物……だと?」

『そうだ。今夜二十二時に街外れの廃工場へ禁呪書物を持って一人で来い。来なかったり魔導騎士団を呼んだりした場合は……女の命はないと思え。いいな』

「なっ!? ちょっと待て!」


 プツッ。

 とそこで電話は途切れた。

 余りのことに自分の中で消化しきれない竜一はその場にヘタリ込み、男の言っていたことを復唱していた。


「水瀬が……拐われた? あいつの意に反したら……水瀬が殺されちまう……」


 殺される。

 そんな実感のない言葉が竜一の脳内で何度も駆け巡る。

 これは夢ではないのか。アニメやゲーム、ファンタジーの世界みたいなことが自分に降り注ぐ。その胸中は決して穏やかなものではなかった。

 魔導騎士団に通報するか? いや、それが万が一奴らにバレてしまえば水瀬は殺されてしまうだろう。

 誰かに相談するか? 奴らは一人で来いと言った。他言すればそれも水瀬は殺されるだろう。ましてや、この様な事態を相談できる知り合いも竜一にはいない。

 なぜ禁呪書物を狙うのか。確かに奴らの手口や電話越しでの威圧感、あれは犯罪者、いや悪人の持つものだった。

 ここはいっそ素直に渡してしまうか。それが一番正しいのではないか。一番穏便に解決するのではないか。

 人命がかかっているのだ。そして何よりも、その命は水瀬の……。


 ふと、竜一はスマートフォンで時刻を確認する。

 現在十九時を回ったところだった。


「……こうしちゃいられない。とにかく、一旦寮に帰らないと」


 ふらつく足に力をいれ、竜一は寮へと向かった。


 ◇◇◇


 寮についた竜一は真っ先に部屋で保管されていた禁呪書物を持ち出す。

 現在時刻は20時過ぎ。今から急いで街外れの廃工場へ向かえば20時半過ぎには着くだろう。

 相手の指定された時間より早くなるが、禁呪書物を渡せば問題ないハズ。

 何より水瀬の確保を一分一秒でも早くしたかったのだ。

 

 竜一は汗だくのまま部屋を飛び出し、寮を出ようとする。

 すると寮の入り口に人影が。――岩太郎だ。

 服装自体は昼間別れたままのところを見ると、あれから岩太郎も寮へ帰らずどこかへ行っていたのだろうか。

 手にはコンビニ袋をぶら下げ、誰かと電話しているようだった。

 岩太郎に構っている暇もない竜一は無視して出ようとするも、


「おや? やあ竜一くん、帰っていたんだね……って、どうしたんだい?」


 岩太郎は竜一の異変に気付いたのか、少し訝しげな表情を浮かべる。


「水瀬くんとのデートは楽しかったかい? 本来なら僕がするハズだったのに、この借りは必ず返してもらうからね」


 水瀬、という言葉に竜一が一瞬ではあるが顔が歪む。

 

「……ふむ。ところで、水瀬くんは一緒じゃないのかい? 一緒に帰ってきたんだろう?」

「あっ、ああ。水瀬なら部屋で寝てるぜ。真琴に振り回されて疲れたみたいでな」


 竜一は平然を装うが、これで騙し通せるだろうか。

 いや、騙し通すしかないのだ。

 このことを誰かに言うわけにはいかないし言うべきでない。もし言ってしまったならば水瀬の命だけじゃない。岩太郎まで危険な目に合わせてしまう可能性がある。

 元々、これは竜一が禁呪書物を持っていたことが原因なのだ。他人を巻き込むわけにはいかない。


「じゃ、じゃあ、俺はちょっと用事があるから行くな。俺はお前に構っていられるほど暇人じゃないんでな」


 竜一がそう言い残し、寮を出ようとする。

 と、岩太郎が、


「竜一くんっ!」


 いつものおちゃらけた、自意識過剰なその男がいつにもまして真剣な表情を浮かべ、竜一の背中に向けて言う。


「僕はキミの友達じゃない。ライバルだ。何を考えているのかは知らないが、それだけは忘れないでくれよ」


 その言葉の意味が何を指しているのか。

 今の竜一では正しく理解できていないだろう。

 でも、これだけはわかる。

 相変わらず、いけ好かない野郎だと。


「うるせー自称ライバル。俺はお前をライバルなんて思ったことなんてねーからな!」


 そう言い残しその場を後にする竜一の顔は、本の少しだけ落ち着いた表情になっていた。

 そんな竜一を見送った岩太郎は、先ほどから何か言っている電話相手にいつもの調子で語りかける。


「あぁすまない真琴くん。今からちょっと出てこれるかい? シャワー浴びちゃったから無理? 夜の自由な時間まで僕と会いたくない? そこを何とか……」


 二枚目な男、岩太郎がその場で頭をペコペコと下げだした。

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