第14話 情緒

「――ん、あれ、ここは……」


 ゆっくりと目を開けた水瀬の目に最初に飛び込んだのは、薄暗い廃墟の光景だった。

 三十メートル四方はあるだろうか、天井近くの窓から月明かりが差し込む光で空間が薄らと認識できる。


「ここはどこだ……。というか、オレそういえば襲われて!」

「お嬢ちゃん、ちょっと静かにしてくれないかな。ここは空間が広くて声が響くんでね」


 後方からした声に水瀬が振り向こうとすると、身動きが取れないことに気付く。

 どうやら両手は後ろに、足まで縄で縛られているようだ。

 芋虫のように地面に転がる水瀬は首元だけ声のする方へ向ける。

 そこにいたのは椅子に座っていてもわかるほど威圧感のある筋肉質な巨体、口元にある軽いシワから年の功は四十代前半ごろだろうか。黒スーツを身に纏い、オールバックにしているその姿はサラリーマンというよりはヤクザに近い男だった。

 男の後ろには銃火器を装備した6人の下っ端と思わしき男たち。

 そして隣には、この男の右腕だろうか。見た目からして二十代後半のように見える男は、黒のスーツをだらしなく着こなし、まるでホストの様な出で立ちだった。


「手洗い真似して悪かったな。なぁに、灰村竜一が禁呪書物を持ってきてくれたら即開放するさ。――タバコを吸っても?」

「……」

「なら、吸わせてもらうぞ」


 男はそう言うと、スーツの胸ポケットからくたびれたタバコを取り出すと、それにオイルライターで火をつける。

 男が深い深い息を吸い込むと、やがてそれは灰色の煙となって吐き出される。


「やっぱりタバコはオイルライターに限る。そうは思わねーか、嬢ちゃん」

「……オレはタバコは吸わない。それより、お前らはなんで禁呪書物を狙うんだ。アレがどんなに危険なものなのかって知っているのか!」

「――なぁ嬢ちゃん、一つおじさんの世間話に付き合ってくれねーか? なーに、すぐ終わるさ。……今の世の中は魔法で満ちている。やろうと思えば魔法でなんだって出来る世の中さ。そうだろ? このタバコに魔法で火をつけることだって簡単だ」


 水瀬の有無に関わらず、男は話し始める。

 月明かりに照らされる煙がゆっくりと停滞し、まるで男の顔を隠すかのように紫煙が濃さを増していく。


「でもそれなのに、何で俺はわざわざオイルライターで火をつけると思う? それはな、魔法だけでは表現しきれない『味』ってものがあるんだよ。もちろん、魔法でつけたタバコもうまい。ただな、そこにはタバコの味以外に何も乗らねーのさ。情緒も、空気も、何も含まれない質素な味さ。オイルライターをカチャリと開ける音、原始的な石の摩擦と油で起こる炎、風が吹いたり濡れたりしたらつかなくなるもどかしさ。それらの情緒があるから、オイルライターでつけるタバコは代え難い『味』に生まれ変わるのさ。まぁ、これはマッチにも言えることだけどな。おじさん、マッチでつけるタバコも好きでね」

「……そのタバコ談議と禁呪書物になんの関係があるってんだ」

「まぁ待てよ嬢ちゃん。若いもんは話をすぐ急かす。これはお前も含まれてるんだぞ、雅也」

「突然話し振ったと思ったらいきなり説教っすか~、勘弁してくださいよ銀次の旦那~」


 男の隣に立っているホストの様な男、雅也は困り顔でかぶりを振った。

 雅也から銀次と呼ばれる、先ほどから喋っているその大柄の男が続ける。


「つまり、魔法ってのはさっきのタバコと一緒さ。魔法単体なんて、所詮魔術の下位互換だ。それ一つをどんなに強化しようと、その威力や効果はたかがしれている。まぁ便利ではあるけどな。だが、禁呪書物に載っている魔術はどうだ? 魔術本来の術式、詠唱が必要になるが、それらから発揮される威力、効果! こいつはもはや戦略兵器と変わらねぇ。それも、世界各国が知ったら喉から手が出るほど欲しくなるほどのな」


 自分の言葉に酔っているように、銀次の顔は次第に邪悪な笑みを浮かべ、手振り身振りが大きくなっていく。

 この男の中に燻っていた邪悪な片鱗は、次第に言葉の節々に現れ始めていた。


「俺はなぁ嬢ちゃん、戦争が好きなんだよ。いや、もっと単純な話、誰かと戦えればそれでいいんだよ。だが、今の世はそれを認めない上、戦っても弱いやつばかりだ。魔法? 笑わせるな。俺ぁママゴトには興味ねえ。だから、禁呪書物がいる。こいつは世界に戦争をもたらせれる代物だからなぁ。――まぁ、俺を雇ってる上の奴らの最終的な目標はちょっと違うみたいだけどな」


 銀次が根元まで迫っているタバコの最後を楽しむと、満足したように煙を吐き出す。

 先ほどより上へ立ちこむのが早くなった煙は、月明かりに照らされたゆたい続ける。


「お前は……禁呪書物を使って戦争を」


 水瀬が言う途中、どこからかバイブレーションの音が聞こえた。

 音の出処を探すと、どうやら銀次のスマートフォンから出ている音らしい。

 銀次はそれに出ると、一言二言電話先の相手と言葉を交わし、立ち上がる。


「あ~嬢ちゃん悪いな。せっかく話が乗ってきたところなのにおじさんちょっと急用ができてな。また縁があったらお話しようか。――おい雅也、ここは一旦お前に任す。……勝手な真似はするなよ」

「へ~へ~、お任せを」


 やる気のなさそうな雅也の返事を銀次が確認すると、一人出口の方へ向かっていく。


「今は~20時半か。おい、例のガキが来るのは何時だって伝えてあんだっけ?」

「ハッ! 22時です! 雅也副隊長!」

「んっん~。まだ時間はあるなぁ」


 雅也が何かを考える素振りを見せると、直後水瀬をジロリと見つめた。

 その目つきは、まるで品定めでもしているかのように、上から下までを舐め回すようだった。


「お前、よく見ると中々いい容姿してんじゃねえか。処女か?」

「はっ!?」


 突然の質問に困惑する水瀬の反応に、雅也は不気味な笑みを浮かべる。


「その反応は処女だな、間違いない。おいお前ら、俺はちょっとこいつに用があるから、時間になるか俺が出てくるまで見回りでもしてろ」


 雅也の命令に部下たちの中に動揺が走る。

 現在ボスである銀次がいないため、指揮系統は雅也が握っているのだろう。

 しかし、銀次は去り際に『勝手な真似はするな』と命令を出している。

 そのことに一人の部下が言及を加えると、


「し、しかし雅也副隊長。銀次隊長は勝手な真似をするなとご命令を」

「俺に逆らうのか? アァ? ――死ね」


 雅也が人差し指をその部下へ向けた瞬間、その指から低い音と共に黒い塊が射出され、言及した部下の頭部を貫いていた。

 即死である。

 当然だ、脳を貫かれたらどんな魔導師でも、いやどんな人間でも一撃で屠れる。

 雅也の何の躊躇もなく部下を殺すその行為は、部下たちを黙らせるには十分な効果があったようだ。誰一人として反対するものはいなくなる。


「さて、それじゃあ行こうか」

「おっ、お前! 何も殺さなくても!」

「――うるせえ。黙れ女」


 銀次がいた時とはまるで別人のようなその目つきは、一介の高校生を黙らせるには十分な迫力があった。

 人を殺すことなど造作もなく、寧ろ楽しんでいるような嗜虐的なその目に光りはなく、黒く黒く染まっていた。


「じゃあお前ら、しっかり見張ってろよ。なんかあったらどうなるかわかってんだろうな……」

「は、ハッ……!」

 

 従順な部下たちに満面の笑みを浮かべ、雅也は水瀬を担ぎ別の部屋へと移動した。


 ◇◇◇


 街外れの廃工場。

 その正面玄関前に竜一は到着していた。

 竜一がスマートフォンで時刻を確認すると、20時45分と表示されている。やはり予定よりだいぶ早く来てしまったようだ。

 ここから先どうするか、このまま入るべきなのか。

 それとも時間まで外で待機するべきか。


(いや、さっきまでは一分一秒でも早く水瀬を助けたいがために早く行こうと決めていたんじゃないか! ここで怖気付いてどうする!)


 しかし、かと言って闇雲に中に入るのは危険だ。

 ただでさえ早く来てしまったのだ。万が一見つかった際に殺されでもしたら元も子もない。

 とにかくここは一旦、


「中の情報を知りたい。特殊技能魔法『音霊』発動」


 竜一の数少ない魔法、『音霊』を発動させる。

 これで多少は中がどうなっているのか聞こえるハズだ。

 竜一は耳に全神経を尖らせ、集中する。


『雅也副隊長も身勝手だよな~。後処理する俺らの身になれっての』


(これは……奴らの仲間か? 何か問題でも起きたみたいだが)


 さらに耳を澄ませ、


『今頃いいことしてるんだろうな羨ましい。俺も早く昇格したいぜ~』


(……? さっきは問題が起きたみたいなこと聞こえたのに、今度はいいこと? どういうことだ?)


 さらに神経を集中させると、


『くっ! やめろ! 嫌だ! やめ……! やめてくれ……』


「水瀬!?」


 不意に、水瀬の声が飛び込んできた。

 まだちゃんと生きていることを確認できたことに安堵しようとするも、その声は何かを拒否しているかのような、何かに怯えているかのような悲痛の声だった。

 声を聞く限り、とてつもなく危険な状況に水瀬がいると容易に想像が付く。


「クソッ! 22時まで手は出さねーんじゃねーのかよ! 早く、早く助けねぇと!」


 禁呪書物さえ渡せば穏便に終わると思っていた竜一は、自分の甘さに怒りを覚える。

 相手は無関係な者を人質にするような奴らだ。そもそも約束通りにしてくれる保証などどこにもなかったというのに。

 一刻も早く水瀬を救出するため、竜一は水瀬の声の方角を確かめようと耳を澄ませる。

 すると、廃工場の中からこちらに誰かしら向かってきている足音が聞こえてきた。


(どうする? 水瀬の声は確かにこの廃工場の奥の方から聞こえた。でも今こっちに向かってきている人数は……二人。どうする、相手にするか? しかし仮に相手が魔導師だったならば、二人相手に勝てる保証はない。いや、この音は……銃火器を持っているな。物理防御の魔法なんて持っていない俺じゃあ殺られちまう……でも早く行かないと水瀬が――!)


 次第に近づく足音に竜一は対処の方法が決まらない。

 

(どうする……どうする――!)


 すると、竜一のいる場所と真反対の、正確には廃工場の裏手から大きな爆発音が聞こえ、ほぼ同時に地響きまで襲ってきた。


「な、なんだ!? 爆発!? 廃工場だから何か引火でもしたのか!?」


 不意なことに混乱するが、その爆発に伴いこちらに近づいていた足音の主たちは慌ただしくそちらの方へ駆けて行ったようだ。

 さらに耳を傾けると、どうやら中にいる部隊の者は全員その爆発の方へと向かったらしい。

 ――水瀬と一緒にいるやつを除いては。


「よくわからんが、これはチャンスだ。待ってろ水瀬、今助けに行くからな!」


 意を決し、竜一は廃工場の中へと入っていった。


 ◇◇◇


 廃工場の裏手、大きな爆発跡と小規模な火災が起きているその現場に、二人の魔導師が立っていた。


「全く。いくらなんでもここまで吹っ飛ばすなんて僕言ってないよ?」


 その二枚目な男は相方の暴挙にやれやれと言わんばかりに苦笑を浮かべ、


「私怒ってるのよ! 葵ちゃんを危険な目に合わせているこいつらに、私たちには何も言ってくれなかったリューくんに! これくらいしないとお腹の虫が収まらないのっ!」


 その可憐な女は憂さ晴らしでもするかのように、予想外な爆発を引き起こし、


「まぁ、それはそうだね。とにかく、これで中の連中はこっちに誘導されるだろう。僕らはそれの相手をする訳だけど、やれるね、真琴くん?」


 二人はお互いの杖を掲げ、


「あったりまえじゃない! 私のこと馬鹿にしてるの? ウィルくんこそ、調子乗ってやられないでね!」


 竜一と水瀬との練習試合で見せた極大の火の玉を作り、


「はいはい。ホント、竜一くんのことになると変わるねキミ」

「うるさいわよ!」


 岩太郎と真琴は、向かってくる敵部隊にそれを放ち、


「「ユニゾン式『混沌の大火球カオスブレイザー』」」


 廃工場に二度目の、情緒もへったくれもない大爆発を起こした。

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