第2話 禁呪書物

 朝日が窓から差し込む。

 暖かい日差しとは裏腹に、春先のこの季節、朝方はまだ少し冷えるようだ。

 肌寒さと眩しさに目が覚めた水瀬葵は、スマートフォンで現在時刻を確認する。


「午前5時00分……、久しぶりにこんな朝早くに起きたなぁ」


 寝ぼけ眼を擦りながら洗面所へ向かう。寝起きでまだうまく頭が働かないが、朝起きたら最初に歯を磨く習慣が体を勝手に突き動かす。

 洗面所に置いてある歯ブラシを手に取り、ワシャワシャと乱暴に歯を磨く。この口内への刺激が徐々に寝ぼけた頭をクリアにしてくれる感覚が水瀬は好きだった。

 口を濯ぎ、締めに顔を洗おうとしたところで、一つの違和感に気づく。

 視界の両脇に髪の毛がチラついたのだ。


「なんだこの髪の毛、銀髪?」


 触ってみると、確かに自身の髪の毛の感触はある。

 (おかしい。オレの髪は黒髪の野暮ったい髪型だったハズ。まだ夢でも見ているのか?)

 徐々に覚醒する頭で思考を巡らせ、水瀬はある事を思い出す。そう、昨夜の出来事だ。


「ももも、もしかしたら、オレはアニメの主人公の様な銀髪イケメンになっているのではないか?」


 永続変異魔術。対象を永久に望んだ姿へ変えるその魔法を、昨夜水瀬は発動させ、その際の衝撃で気絶したのだった。

 夢にまでみたイケメン生活。これまでの非モテオタク人生にさよならグッバイ。

 心臓の鼓動が高鳴り、手に汗が滲む。

 水瀬は流行る気持ちを抑え、完全に目が覚めたカレは、ゆっくりと鏡に映った自身へ目を向けると……、


「なんじゃ、こりゃああああああああああああああああ!」


 早朝の静かな街に、聞きなれない女の声が木霊する。


 鏡に映った自身を何度も何度も確かめる。

 そこに映っているのは、肩口まで伸びた銀色の髪、少し吊り上がった猫の様な眼に碧眼の瞳、きめ細やかな肌はまるで雪景色のように真っ白で、一重に言ってしまえば美少女そのものだった。


「だだ、誰だこの美少女は……、俺か? 俺なのか!?」


 声も変わっていた。昨日まで男声だったハズなのに、今ではすっかり美しい声音に……。

 水瀬は頭から顔をペタペタと触るも、確かにそれは本物の感触。頬をつねるという古典的な事までやってしまった。無事痛みはあるようだ。

 鏡に映る美少女が水瀬自身だと今だに信じられず、確かめるように手は頬から毛先、そして胸元の慎ましい膨らみへと手を伸ばす。


「これは――おっぱい……でいいんだよな? あんまりないけど、確かに昨日よりは出てるし、ハッ――!」


 これまで、彼女は少なからずまだ自分を男である可能性を考慮していた。イケメンになりたいという願いから、まるで美少女のような美少年になったということも有り得る……と。

 しかし、ある感覚に気付いてしまったのだ。

 そう、あの感覚がないのだ。男なら誰しもが大事にしているアレの感覚が。

 水瀬は恐る恐る胸に当てていた手を、自らの股間へと伸ばしていく。

 正直なところ、もうわかっているのだ。股間にあの感触がないと。これまでずっと一緒にいた相棒がいないと。

 しかし、自分がまだ男であると信じたいその一心が、彼女のその手を股間へ誘う。

 そして水瀬は自分の股間に手をあてがい、


「ウウ……、グス、ヒグ……。相棒、相棒おおおおおおおおおおおおお!」


 聞きなれない女の鳴き声が木霊した。


 一頻り泣き、冷静になった水瀬は再度永続変異魔術を詠唱していた。

 しかし、


「クソっ! なんで何も起こらねーんだ!」


 事態は何も好転せず、ただ時間だけが過ぎていた。


「誰かに相談するか? いや、そもそも性別が丸々変わっちまう魔法なんて聞いたこともないし、信じてくれないだろう。じゃあこの本を持って魔導騎士団にでも行くか? いや、この本が唯一の手がかりなんだ。魔導騎士団に行ったら押収されちまう。やっぱり、持ち主だったあのツンツン頭を探すしか、でもどうやって」


 ふとスマートフォンを見やると、時刻は6時30を過ぎている。

 今日から転校先の学校、帝春学園高校へ通うことになっていたのを思い出し、水瀬は大慌てで新しい制服に袖を通した。が――、


「そりゃあ、制服のサイズも合わなくなってるわなぁ」


 元の身長173センチに合わせた制服の裾の余り具合を見るに、現在の身長は160センチあるかないからしい。

 それに伴い、女性らしい体つきになってしまったのだから制服もブカブカになるわけである。


「今日のところはこれで行くしかないか……」


 水瀬は部屋に残された荷物を玄関にまとめ、誰にも気づかれないよう恐る恐ると寮を出た。


 ◇◇◇


 水瀬葵は今、帝春学園高校の応接室にいる。

 転校初日ということもあり、まずは学校の説明をするからと事務の人からここへ通されたのだ。

 担任となる先生を呼んでくるからと事務の人が部屋を出たので、今後の学園生活にどう過ごすかと水瀬は考えているのだが、


「女として過ごした方がいいのか? そしたら女子の着替えや風呂が覗き放題……フヒヒ。いや、でもそれだと男だとバレた時や、男に戻れた時に復帰できなくなる。さらにはこんな美少女だ、男からアプローチされるなんて気色悪い目に遭うかもしれないし、それだけは避けたい。いや、それ以前に最大の問題点が一つあったんだった、確かオレの担任って……」


 ぶつぶつと思考を巡らせていると、水瀬の後方でガチャリとドアが開く音がした。

 ドアを開けた張本人と思わしき妙齢の女性は、部屋に入るやいなや水瀬に抱きつき、


「あーおーちゃーん! ひっさしぶりー!」

「みみみみゃー姉!? いきなり抱きつくなっていつも言って」

「……あなた誰?」

「だよねー」


 このいきなり水瀬へ抱きついた妙齢の女性、宮川みやかわ 美弥子みやこは水瀬が幼い時から面倒を見てくれていた近所のお姉さん的存在だった。

 そして、今回の水瀬が転校したきっかけの張本人でもあるのだが。


「どこの組の子? ここに如何にもオタクっぽそうで、性格がちょっとねじ曲がったような男の子が待ってたハズなんだけど、見なかった?」

「みゃー姉が普段からオレのことをどう見てるのかがよくわかったよ。じゃなくて、信じられないかもしれないけどオレが水瀬葵なんだよ! ちょっと色々あって今はこんなんになっちゃったけど」


 昔からの知り合いが、いきなり性別も容姿も全くの別人に変わり果てましたなんて、当然信じるハズもない。

 宮川も困り果てた表情を浮かべ、何か考えてるような仕草を取りだすと、


「私の年齢は?」

「29歳」

「私の好物は?」

「酒」

「私の趣味は?」

「パチンコ、競馬、競艇」

「私が一番最近フラレた時期は?」

「……先月?」

「ブッブー! 一番最近フラレたのは昨日でしたー! 貴方偽物ね! 本物のあおちゃんをどこにやったの!」

「お前の失恋事情なんか知っらねーよ行き遅れ! つーかアンタも昨日フラレたのかよ!」


 水瀬と宮川しか知りえない恥ずかしい質問を繰り出した。


 ――30分後


「じゃあ、貴方本当にあおちゃんだったのね」

「やっと信じてくれたか……」


 二人しか知りえない過去のエピソードをつらつらと話し、何とか信じてもらえたようだ。


「それで、あおちゃんはなんで女の子になっちゃったの? 可愛すぎるから私あおちゃんを妹認定してもいい?」

「ダメに決まってんだろ。原因はこれなんだけど」


 宮瀬はまた抱き着いてきそうな担任兼近所のお姉さんの宮川を制止し、カバンから例の本を取り出した。

 すると宮川の空気が一変、その本を見た途端に険しい表情へと移った。


「あおちゃん。この本をどこで?」


 いつにもなく真剣な声音で語り掛ける宮川に水瀬も身構えるが、ここで隠してもしょうがないと腹を括る。


「昨日、拾った」

「拾ったの!?」

「正確には、この本の持ち主とぶつかった際に、荷物が入れ替わったんだけど」


 はぁ~、と大きな溜め息を漏らす宮川。

 その反応ぶりから、どうやらこの本の正体を知っているようだった。


「みゃー姉。この本はなんなんだ? この本に載っている永続変異魔術を使ったらこうなっちゃったんだ」


 またもや大きな溜め息を漏らす宮川。

 よりにもよってなんで変異魔術を……、とぶつぶつ嘆いているが、『思春期の男子にとって容姿は学校生活の明暗を分ける重要なファクターなのだ。きっと自分以外の男でも手をだす』と水瀬が自己正当化を始める。

 普段はおちゃらけているのに、何時になく真面目な表情を浮かべる宮川から睨まれた水瀬は思わず萎縮し、


「あおちゃん、これはね、禁呪書物と呼ばれるとても危険な本よ。詳しくは言えないけど、中に書かれているものは現代でも知られていない本当に危険なものなの」


 宮川曰く、その本に書かれている魔術は、使い方によっては本当に世界を滅ぼしかねないほどの危険な魔術が記されているらしい。


「あおちゃんも知ってはいると思うけど、魔法というのは、言わば魔術を詠唱なしで使用するもの。つまり魔術の発展版ね。当然、詠唱を省くということは本来の魔術より威力や効果は落ちるわ。だけど近年では長ったらしい詠唱を唱える魔術より、詠唱を省いてスピーディーに使える魔法の方が実用的として重宝されている」

「もちろん、知っているよ」

「その影響か、魔術という文化は次第に廃れていき、今や原型をとどめているもの自体も少ないわ。言ってしまえば、この本は古代兵器って感じかしら」


 真剣な眼差しで語る宮川。

 確かに、水瀬がこんな状態にあるように、この本に載っている魔術は強力すぎるのだ。


「でも、なんでオレは女になっちゃったんだ? 危険な魔術というのはわかったけど、性転換するとは書いてなかったぞ?」

「私もその変異魔術に詳しいわけじゃないけど、根本は変身魔法と一緒と考えると、変異後の姿は魔術使用時のイメージ力に直結するわ。あおちゃん、その姿に関係する具体的なイメージを持ってなかった?」

「この姿の具体的なイメージって、オレは漠然とイケメンになりたいと願っただけで……。あっ」


 具体的イメージ、女の子、昨日の一連の流れ。

 それらから連想される一つの答えが、水瀬の中で今つながった。


「昨日買った、ギャルゲーの女の子にそっくりだ……」

「はぁ~~~~~~~~……」


 宮川の深い深い溜め息で耳が痛くなる水瀬。

(やめて、そんな目で見ないで! モテない男子がギャルゲーをやるくらい良いじゃない!)


「まぁ、結果として私の美少女妹にジョブチェンジできたからいいけど」

「妹にはならねーよ」

「なんで変異魔術がまた使えないのかは私にもわからないわ。ごめんね。――だけどあおちゃんは、いつかは男の子に戻るつもりなのよね?」


 こくり、と水瀬が頷く。

 当然水瀬はまだ男に戻る希望を失っていない。


「じゃあ、当面はこのまま男の子として過ごしなさい。書面上のこととかは私の方でなんとかするから、周りにバレないようにね」

「ありがとうみゃー姉。あとその本なんだけど」

「この本はあおちゃんが持ってなさい」


 宮川からの言葉は水瀬にとって予想外のものだった。

 先ほどの説明やこの本の実態から考えるに、取り上げられると思っていたからだ。


「え、確かにその方がありがたいけど、良いの?」

「良いの良いの。その方が面白くなりそうだし」


 困惑する水瀬に、彼女はとても教師とは思えない言葉を言い放ちあっけらかんと笑った。


「それに、あおちゃんは悪事を働くような度胸のない子だってみゃー姉わかってるから。無茶はしないようにね」


 一言余計な宮川の優しさに水瀬はまた毒を吐きつつ、ホームルームで紹介があるからと一緒に応接室を出た。


 教室までの道すがら、水瀬の一番の疑問について質問をする。


「ところでみゃー姉、なんでオレがこの学校へ転校になったんだ? 自分で言うのもなんだけど、オレ松宮高校でのクラスは最低のEだったぞ?」


 水瀬の言葉にニッコリと笑みを向ける宮川は、


「もっちろん、そんなことは知ってるよー。あとここではみゃー姉は禁止! みゃーこ先生って呼んでね」

「すいません宮川先生」

「みゃーこ先生って呼んで!」


 水瀬は年甲斐もなく頬をぷくっと膨らますこの行き遅れお姉さんにイラッとしながら続ける。


「私があおちゃんを学校間トレードで引き抜いたってのは前に話したわよね?」

「うん」

「知っての通り、うちの学校は毎年全国の魔法科がある高校同士で開かれる魔導舞踏宴で、数度に及ぶ優勝を飾ってきたわ。でも、それも過去の栄光。今では関東代表戦でも万年予選落ちの落ちぶれ学園なんて言われるようになっちゃって……」


 水瀬ももちろんそのことも知っている。

 魔法科を持つ高校は全国でも8つしかない。関東には東京に1校、神奈川に1校、千葉に1校、群馬に1校。関西では大阪に2校、京都に1校、広島に1校。それぞれ関東代表戦、関西代表戦で勝ち抜いた二校が、全国一位の座を争うのが魔導舞踏宴である。

 水瀬は神奈川県横浜市にある松宮高校魔法科から、ここ東京都多摩市にある帝春学園高校へとトレードされたのだが。


「近年めきめきと力をつけている注目度ナンバーワンの松宮高校だもの。トレードで行きたい人を募集したら、それはもう殺到してしまったわ……」

「まぁ、実際松宮高は今や優勝候補筆頭だしね。仕方ないね」

「結局、うちからは校内ランク第8位、クラスBの子が行ったわ。トレードであおちゃんを指名したときは、松宮高校の先生方も本当に良いの? って驚いていたわ」

「その裏話はオレが傷つくのでやめでください」


 そう、水瀬は松宮高校に入学するも、とある個人的事情でランクは常にE。代表メンバー選抜戦でも一回戦負けの落ちこぼれだったのだ。ランク8位のクラスBという優秀な生徒とトレードしてくれ何て言われたら、どの学校もその反応をするだろう。


「でもね、私はあおちゃんがきっといつかやってくれるって信じてるの。それこそ、この学校を全国一にしてくれるほどにね」

「買いかぶりはやめろよ、みゃー姉……宮川先生。それに、代表選はツーマンセル。二人一組が決まりなんだから、一人でどうにかなるわけないだろ」

「みゃーこ先生ね。そうね、今まではあおちゃん、バディに恵まれなかったものね。まぁそれはあおちゃんが特殊すぎるからってのもあるけど」

「良いんだよ。オレは好きな魔法を好きなように使う。それだけで満足なんだから」


 そう、水瀬は他人に認められたいとか、力を誇示したいとか、そういうのはない。彼、いや彼女はただ、この魔法を必要としてくれる人に使いたいだけで。


「ふふ、素敵な出会いがあるといいわね」


 見透かしてるかのように、でも楽しそうに笑う宮川が、ちょっと教師っぽく見えた。

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