第終章:ジャンヌダルクは永遠に

第44話 ジャンヌダルクと正しい歴史


 ビエンヌ川に展開したイングランド軍に勝利したフランスでは、久しぶりの勝利ムードに盛り上がっていた。盛り上がりは末端の騎士たちだけでなく、上位の貴族や果てはフランス王太子ですら、勝利の美酒に酔いしれ、シノン城全体を包み込んでいた。


「今回の勝利、おめでとうございます」


 謁見室の玉座に座る金髪蒼眼の王太子は葡萄酒片手に顔を赤らめていた。王太子の幼気の残る顔からは王の威厳など微塵も感じられない。もし深紅の羽織と宝石が鏤められた王冠を脱げば、誰も王太子だとは信じないだろう。


 王太子の周囲には大勢の貴族が群がり、覚えを良くしようと必死になっていた。多くの者は勝利で顔が緩んでいたが、そんな貴族たちの中で一人、深刻な表情を浮かべる者がいた。


「王太子様、今回の勝利浮かれていてはマズイです」

「ジル卿は心配性だな」


 王太子は一人深刻そうな表情を浮かべた男をジルと呼んだ。ジルはブルターニュ地方の大貴族で、王太子の軍事上の側近でもある彼は、事実上、フランス軍のトップとも呼べる存在だった。


「今回の戦い、本来なら我らの敗北でした」

「馬鹿を申せ。我らは終始一貫して優勢であったと聞いているぞ」

「それは誤りの情報です。フランス軍の敗北はほとんど確定的でした」

「ならばなぜフランス軍は勝利した」

「聖女の存在のおかげです」

「聖女?」

「はい。ドンレミ村の聖女が、神に与えられた兵器を使い、イングランド軍を撃滅したのです」


 ジルは戦場で目にした一部始終を話す。天空から雷のように爆弾が降り注ぎ、地を這うイングランド軍が吹き飛ばされていく光景は、まさに神の裁きのようであったと。


「もしあの攻撃がイングランド軍ではなく、シノン城に降り注いでいたなら、我らの命はなかったでしょう」

「我らの助けをするということは、その聖女とやらは味方なのか?」

「おそらくは」


 王太子は、聖女が味方であって良かったという安堵と、恐ろしい武力を有する聖女に対する恐怖を、息と一緒に呑みこんだ。


「聖女……聖女か。最近もその名を聞いたな」

「ニシンの戦いを予言した聖女と同一人物です」

「我が軍の敗走を予言した女か。事実その通りになった」


 バスクの街で東条が広めたジャンヌの予言は、シノン城にいる王太子の耳にも入っていた。その時はただの偶然だと切り捨てたが、戦場で実力を見せられては無視するわけにもいかなくなった。


「聖女か。面白い存在がでてきたものだ。はたして本物の聖女だと思うか?」

「私は騎士ですから、本物の聖女かどうかは判断が付きません」

「宗教顧問、聖女とは本物だと思うか?」


 王太子が傍にいた禿頭白髭の宗教顧問に話を振る。王太子の悪童が悪戯を思いついたような表情を浮かべている様を見て、宗教顧問は悪い癖が出たと内心で溜息を吐いた。


「私は信じていません。悪魔憑きか何かに違いありません」


 宗教顧問は白髭を撫でながらきっぱりと否定した。顔の皺の多さから老獪さが伺えるこの老人は、少女が聖女だと認めるわけにいかなかった。少女にすら聞こえる神の声が、宗教顧問である自分には聞こえないとなると、沽券に関わるからである。


「奇跡を起こせば信じるか?」

「もし私の眼の前で起これば」

「よろしい。ならば聖女に奇跡を見せてもらおう」


 王太子は羽織と王冠を脱いで、給仕の男に渡す。その時に仕掛けの内容も言い含めておく。給仕の男は話の内容に驚き、眼を点に変えるが、王太子が本気だと知ると、謁見室から出て行った。


 王太子は金糸で刺繍された内着だけの格好のまま、玉座から立ち上がった。謁見室にいる騎士たちの視線が王太子に集まる。


「諸君、今から我々の前に神の遣いを名乗る少女が現れる。このフランスの危機を救ってくれる救世主だそうだ」


 王太子の言葉に騎士たちは笑いを漏らした。ジャンヌが聖女を名乗るより前にも聖女を名乗る少女がいたが、イギリス軍に手も足も出ずに殺されたことを思い出したのだ。


 また自殺志願者が現れたのかと、他人事のように話を聞いている騎士たちがほとんどだった。もちろん中にはジルのように真剣な表情で王太子の言葉に耳を傾けていた者もいる。

最前線で指揮を執ったことがある騎士は、今のフランスの状況がどれほど危険なものか理解しており、聖女であれ何であれ頼れるものには頼りたいという気持ちが強くあったからだ。


「皆も知っての通り、オルレアンの町にイギリスの魔の手が迫っている。交通の重要な中継地であるオルレアンを奪われれば、財政的に大きな負担を強いられることになる。それはつまり、傭兵が兵の大半を占める我がフランス軍の軍事力が低下するということでもある。ゆえにオルレアンの町は何としても守らねばならない。なんとしてもだ! さもないとフランス領土は地図から消えてしまうことになり、最終的には君達の領地も奪われてしまうことになるだろう」


 今まで他人事だった騎士達も、自分に被害が及ぶとなると、眼の色が変わる。ゴクリと息を呑み、葡萄酒を机の上に置いた。


「今から聖女を名乗る少女をここに連れてくる。本物ならば我らの勝利は神より約束されたものとなる。だが偽物ならば戦の素人に兵を貸した馬鹿な王として、私は歴史に名前を刻むことになる。そうならないためにも私は一つテストをする。来たまえ」


 先ほど出て行ったはずの給仕の男が、羽織を身に纏い、王冠を頭に載せて現れた。そのまま玉座へと向かう。顔の作りはさすがに異なるが、年は王太子とほとんど同じであるため違和感は覚えなかった。


「神の声が聞こえるのだ。まさか王太子を間違えるはずもあるまい。オルレアン攻めの前の面白い余興となろう」


 王太子と騎士たちは、見抜くことなどできるはずがないと思いながらも、もしかしたらという淡い希望を胸に少女が現れるのを心待ちにしていた。

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