第35話 鍛冶屋の兄弟
「何か用事があればいつでも電話してこい」
影山は名刺を東条に渡し、雑貨商店を後にした。名残惜しそうな彼の後ろ姿は、弟と別れる兄のようだった。
「さて戻るか……」
影山を見送った東条は中世フランスへと戻る。すると彼の帰りを心待ちにしていた、ジャンヌとイリスが笑顔で出迎えてくれた。
「お久しぶりです、東条さん。故郷は楽しめましたか?」
「楽しかった。新しい出会いもあったからな」
「新しい出会い?」
「祖父の弟子だった人とな。その人から色々なことを学べたのが成果だな」
「東条さんの雰囲気が僅かな間に変わったのも、その人の影響なのですね」
「雰囲気が変わったかな?」
「ええ。以前の東条さんは強くも甘さの残る印象でした。しかし今の東条さんは精強さが全身から放たれています」
「変な奴に絡まれなくなるから、強そうに見えるならありがたいな」
東条はジャンヌの印象を褒め言葉として受け取り、気恥ずかしさを隠すために頬を掻く。
その様は年相応の男子大学生のようだった。
「私の方からも現状を報告します。どうぞこれを」
ジャンヌは懐から金貨が詰まった革袋を取り出し、東条に手渡す。ぎっしりと詰まった金貨は見る者を虜にするほど美しかった。
「宝石を売ったお金です。もっと高く売ることも可能でしたが、東条さんの指示通り、相場の価格よりもかなり値段を下げて売りました」
もっともそれでも大金ですがと、ジャンヌは続ける。
「ありがとう。これだけあれば十分だ。あくまでこの金は暫定的なモノだ。権力と人脈を得るためには本業の武器商人で儲けないとな」
東条には武器商人で金を稼ぎ、名前を売るアイデアがあった。だがそれを実現するためには、まだいくつかのハードルがあった。
「東条さん、隣の部屋の客の騒ぎ声がまた聞こえますね……」
「今度は廊下か。少し様子を見てみるか」
東条が廊下に出ると、そこには二人の男が言い争う姿があった。話を聞いていると、一人は鍛冶職人なのか、頭巾を被り、腕の袖を捲り、鍛冶仕事で鍛えられた太い腕を顕わにしている。もう一人の男は碌に働いてもいない町のチンピラのようで、派手派手しい朱色の服で着飾り、会話の合間に威嚇するような舌打ちをしている。
雰囲気こそは大きく異なる二人だが、特徴的な筋の通った鼻と鋭い瞳を含めて、顔の造形がそっくりだった。
「兄貴、金は絶対に頂くからな。絶対だからな!」
話が終わったのか、チンピラのような男は宿を後にする。その立ち去る姿をため息交じりに鍛冶職人の男が眺めていた。
「すいません、みなさん。五月蠅かったでしょう」
鍛冶職人の男が東条たちに気づいたのか、頭を下げる。
「あいつは誰なんだ?」
「私の双子の弟のラオンです。あ、自己紹介がまだでしたね。私はレオン。街の鍛冶屋をしています」
「俺は東条だ。よろしくな」
東条とレオンは握手する。レオンの手は豆が潰れて、ゴツゴツとしており、鍛冶屋の仕事が長いことが察せられた。
「鍛冶屋の仕事はいつから?」
「物心がついた時からですね。親父の元で一〇年以上修行して、そのまま跡を継いで鍛冶屋になったんです」
「弟は鍛冶屋にならなかったんだな?」
「ええ。才能はあったんですがね。今では街のチンピラですよ。さっきも私に金の無心をするために来ていたんです」
「金を渡したのか?」
「いいえ。私にも大事な妻と娘がいますから。弟に金を回せるほど余裕はありません」
レオンは悲し気な表情でそう口にする。その表情には申し訳なさが混じっていた。
「理不尽な要求を突っぱねただけなんだ。そんなに気にするな」
「いえ、弟の要求はそこまで理不尽ともいえないのです」
「どういうことだ?」
「弟は親父が残した工房を売却して、その金を半分寄越せと要求しているのです」
「だが相続権はあんたにあるんだろ」
中世フランスでの遺産の分配方法は、家族全員に分配する現代方式とは違い、長男がすべてを相続するようなシステムになっていた。つまり長男であるレオンが遺産である工房を丸ごと受け取るのは当然とも云えた。
「制度上ではそうです。ただ弟からすれば財産すべてを私に持っていかれるのは、面白くないでしょうからね」
「それはそうだろうが……」
東条は何も言えなかった。弟に金を与えてやりたいが、工房を売却すれば明日から食べていけなくなるレオンとしては、その要求を呑むわけにはいかない。彼の苦悩が伝わってくるようだった。
「つまらない兄弟喧嘩です。忘れてください。それよりも皆さん、お時間はありますか?」
「特に予定はないな」
「なら私の工房に来ませんか。騒ぎで五月蠅くしてしまったお詫びに、ご飯を御馳走しますよ」
レオンの善意に東条は首を縦に振って答える。誘いを受けて貰えたことが嬉しかったのか、レオンの表情は喜びに満ちたモノへと変わる。どこまでも善良な男。東条はレオンに対してそういった印象を抱くのであった。
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