第三章:ジャンヌダルクと奴隷商人

第25話 シノン城と入城料


 バスクの町を出発してから二日の長旅を経て、東条たちはシノンの街に到着した。シノンの街はジャンヌ・ダルクの生涯を語る上で欠かせない存在である。なにせシノンの街のシノン城こそ王太子シャルル七世が拠点としていた場所であり、ジャンヌが王太子から聖女と認められた場所であったからだ。


 シノン城は町全体を見渡せる高台の上に建てられている。城を囲う堀は、水こそ張っていないものの、十分な要害としての機能を備えていた。王太子を守るための場所として申し分ない城である。


 シノン城には王太子以外にも、フランス全土から騎士たちが集まっていた。中でもフランスの将軍たちは全員と云っても過言ではないほどの集まりようである。


 将軍が王を守るために集まっている、これだけ聞けばシノン城は安全で安心できる場所だと思いそうだが、如何せん、この時代の軍隊は身分と階級が比例する。つまりどれ程有能でも平民では出世できず、逆に大貴族のバカ息子でも将軍になれてしまうのだ。将軍の数だけ多くても安心とは言えなかった。


 また貴族の子息を優遇しているのは階級制度だけではない。シノン城の城門前に、城の中に入るため大勢の騎士たちが列をなして並んでいるが、平民や貴族の私生児たちは貴族の子息とは別の列に並ばされていた。


「これだけ人が多いとシノン城に入城するためにはかなりの時間が必要そうですね」

「だな」


 本来の歴史ならジャンヌは貴族の子息たちを差し置いて、王太子との謁見を果たしたのである。それが如何に凄いことなのかを、東条は改めて実感した。


「百年戦争は良い意味でも悪い意味でもたくさんの人を集めますね」

「元々はただの家族喧嘩なのにな」


 百年戦争は、シャルル7世とヘンリー6世、二人の王位継承問題が発端となっている。


 二人の関係だが、ヘンリー6世の母親はイングランド王の妃であり、フランスの姫でもあり、シャルル7世の姉でもある。つまりフランス王を名乗る二人は甥と叔父の関係なのだ。


 ならばなぜこの二人の争いが百年戦争へと繋がるのかというと、ヘンリー6世はイングランド王の子供でもあるので、イングランド、フランス両方の国の王として宣言したからだ。


 シャルル7世はフランスの力を借りて、ヘンリー6世はイングランドの力を借りて、フランスの王の座を争う。これが百年戦争の概略だった。


 ただ現在の百年戦争の戦況は、イングランドの圧勝である。フランスは重要な都市をいくつも落とされ、困窮に陥っていた。


 ここまでの窮地に立たされた理由の一つには、フランドル領の裏切りがある。イングランドとフランスの仲が悪くなった際、イングランドが「お前たちに羊毛はやらない」と輸出を止めたのだ。フランスは「止めたければ勝手にしろ」と関係を打ち切ったが、そんなフランスに対し、羊毛の加工産業で成り立っていたフランドル領主が怒り、「よろしいならば戦争だ」とフランスに反旗を翻したのだ。


 国土の三分の一以上を奪われたフランス。本来の歴史ならそんな絶望の状況を救う救世主こそがジャンヌ・ダルクだった。負け続けのフランスで、神の声を聞く少女の言葉は、軍の指揮を大いに高めた。そしてフランスを勝利へと導いたのだ。


「東条さん、あれを見てください」

「酷いものだな」


 東条は醜いモノを見てしまったと眉根を顰める。彼の視界には、品のある顎鬚を蓄えた男が、胴間声を鳴り響かせながら、荷馬車から襤褸衣の人たちに外へ出てくるよう命令している光景が広がっていた。傍では逃げ出さないように、甲冑を着た兵士が無言で威圧している。


 襤褸衣の人たちはこの時代の奴隷である。奴隷制度は中世ヨーロッパではキリスト教の影響のおかげで表向きは禁止されていた。しかし建前と本音は異なる。借金を返済するまで劣悪な状況で働かせることは当然のように行われていたし、借用書を奴隷の権利書のように扱い、奴隷売買を行う者たちも存在していた。


「奴隷商人だな……身なりが良いし、立ち振る舞いに品がある。貴族の私生児なんだろうな」

「酷い人たちです。東条さんの故郷でもあんな人たちはいましたか?」

「いたな。借金をした人たちに売春を強要したり、過酷な肉体労働を強いたりするんだ」

「そんな人たち、いなくなればいいのに……」


 ジャンヌは思いつめたような、そう口にした。冷たい意志が籠った視線が奴隷商人へと向けられていた。


「それにしてもあの奴隷たちはどこから連れて来られたのだろうな」

「女性たちは戦争奴隷ではないでしょうね。おそらく盗賊が村を襲い、無理矢理奴隷として売ったのでしょう」

「男はどうだ?」

「身体が大きい人が多いですし、身代金が払えない騎士を買ったのでしょう」


 この時代、奴隷に堕ちる理由は大きく分けると三つある


 一つ目の理由は金を借りて返せない場合だ。食うに困った者が死ぬよりもましだと、自分を奴隷として売ることもある。


 二つ目の理由は盗賊たちに村を襲撃されて誘拐される場合だ。誘拐された人たちは奴隷商人に買い取られる。その買い取り価格の借用書が、奴隷の権利書として流通するのである。このパターンで奴隷になる者は男と違い反抗が小さい女性や子供であることが多い。


 三つ目の理由は身代金の支払いだ。身代金は捕虜とした捕まえた人間を解放するかわりに、相手から金を巻き上げることで得られる。もし身代金を払えない場合、その捕虜を殺すことになるのだが、それでは捕虜のために使った食費分が無駄になる。そこで奴隷商人に売り払うのだ。そのため奴隷の中には元貴族なども多い。そしてその奴隷を売買するのもまた貴族というのだから皮肉な話である。


「あの奴隷の人たちはこれからどうなるのでしょうか?」

「売春窟に売られるか、農作業でこき使われるか、戦場へ送られるか。どちらにしろ人間扱いされないだろうな」

「もし東条さんがいなければ、私も含めたドンレミ村の人たちがあそこに並んでいたかもしれないのですね」

「ドンレミ村だけじゃない。バスクの町の人達も俺たちがいなければ、盗賊たちに捕まり、奴隷たちの仲間入りをしていただろうな」

「東条さんと旅をした甲斐がありましたね」


 血塗られた武器商人も、たまには人を救うことがある。その事実が東条の心を救った気がした。


「お前達はシノン城の入城希望者だな」


 役人が帳面片手に近づいてきた。いかにも役人らしい偉そうな顔つきである。


「二人と荷馬車一台だ」

「荷馬車の中身を確認するが構わないな」

「ああ。好きなだけ調べてくれ」


 役人が荷馬車の中を覗き見る。武器が詰め込まれた荷馬車の積み荷を見て、軽蔑するような表情を浮かべた。


「お前達、武器商人か……」

「何か問題でもあるか?」

「いや。こんな卑しい仕事で金を稼ぐのはどういう気分かと思ってな」


 役人は喧嘩腰な口調であった。だが東条は何も言い返さない。ただ黙って彼の言葉に耳を傾けた。


「まぁ良い。お前達が何だろうが入城料さえ払えば問題ない。人二人と馬車一台。合計十五ソルだ」


 十五ソル銅貨。つまりは四万五千円が入城料である。東条が皮袋から十五ソル銅貨を取り出し、役人に手渡す。役人は硬貨がパンパンに詰まった皮袋を見て、妬ましそうな視線を送る。


「これで王太子と会うことができる……」

「馬鹿をいうな。武器商人風情が王太子様と会えるものか」

「だが入城料を払ったぞ」

「城に入る料金でしかない。だから得られる権利も城の中に入れる以上も以下もない。王太子様と会いたいのなら、大貴族とパイプでも作るんだな」


 役人はそう言い残して次の商人のところへと向かう。役人らしくドライな男であった。

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