第二章:武器商人の旅路

第16話 武器商人と貧しい町


 オルレアンへ向かうべく旅に出た東条とジャンヌは黄金の麦が咲き誇る道を荷馬車で進んでいく。風が麦を揺らす様は見ているだけで楽しめる風情があった。


「そういえば東条さん、オルレアンとはどんな街なんですか?」

「ロワール川の川岸に広がる人口九万人程度の町だな」

「私もあまり詳しくないのですが、確か戦争が最も苛烈な地域なんですよね」

「その通りだ」


 治安が悪いと分かっている場所に自ら進んでいく。現代にいた頃の東条なら考えられないことだった。


「東条さんは怖くないんですか?」

「怖いさ。けれど血と悲鳴が聞こえる戦場に武器商人がいないのは、協会に神父がいないようなものだ。怖いなんて言ってられないさ」


 二人の短い会話が終わる。長い旅路ではこういった短い会話の連続も醍醐味の一つだった。


「東条さん、バスクの街が見えてきましたよ」


 バスクは水が張られた堀と人の背丈の三倍はある城壁に囲われた町だった。治安が特に悪い地域では盗賊や狼などの外敵から町を守るための要害を作ることは、この時代だと良くあることであった。


 城壁の上には見張りの男が立っている。この男が町の中に人を入れるかどうか判断するのだ。入って良しと、判断すれば堀に橋を掛ける。そうすることで外敵の侵入を防いでいるのである。


「おまえたち、なにものだ?」


 見張りの男が訝しげな声で東条たちに訊ねる。高級品である荷馬車に乗った若い男女の旅人たち。しかもその内の一人は見慣れない黒髪黒目に、この時代では珍しい服装をしているのである。疑いを抱くのは当然だった。


「俺は商人だ。オルレアンに行く途中なのだが、今日はそちらの村で世話になりたい」


 東条は日本人らしい柔和な笑みを見張りの男に向ける。だが男の笑みでは男に対して効果が薄いようで、疑いが晴れる様子はない。


「お願いします、私たちはオルレアンへ行かねばならないのです」


 ジャンヌが神に祈るような声で見張りの男に懇願する。見張りの男はジャンヌの顔をまじまじと見つめた後、驚きの表情を浮かべた。


「もしや、貴女様はドンレミ村の聖女様ではありませんか?」

「聖女かどうかはわかりませんが、確かにドンレミ村の人間です」

「やはりそうでしたか。神の奇跡で滅びゆく村を救った聖女ジャンヌ様。お噂は、このバスクの町にも届いております。どうぞ、一日と云わず何日でもゆっくりしていってください」


 見張りの男はアイドルに向けてそうするかのように大きく手を振りながら、堀に橋を落とした。


「バスクの町を楽しんでいってください」

「ありがとうございます」


 東条たちは石畳の道を、荷馬車を引いて進む。それほど大きくない町なのか、すれ違う人の数も少なかった。


 その上、バスクの町の住人たちは痩せ細っていた。この辺りは農産物がたくさん取れる地域ではないし、生活も厳しいのだろう。


 東条はバスクの町の貧窮に置かれた現状を見て、やけにあっさりと自分たちを町に招き入れたことにも納得がいった。


 いくらジャンヌが聖女と噂されていたとしても、ろくに検査もせずに東条たちを町の中へと入れるのは無警戒にすぎるのだ。だがその警戒心のなさは、高級品である馬を連れた彼らにお金を使って貰いたいが故のものだったとしたら得心がいく。


「腹も減ったし、まずは何か食べるか」

「そうですね」


 東条たちは酒場と思わしき建物を見つけると、馬を店先に止めて、店内へと入る。馬を盗まれるリスクを考えたが、視界に入る位置において置けば、不審な動きがあってもすぐさま対応できると彼は判断した。


「いらっしゃいませ」


 店員と思わしき少女が出迎える。少女は外で見かけた住人たちと同じように痩せ細っていた。


 店の中に東条たち以外の客は誰一人としていない。酒場とは思えない静けさだ。店先に止めた馬が見える窓辺の席に座る。


「ご注文は何にしますか?」

「ジャンヌは何が食べたい?」

「私は一番安いもので構いません」

「なら俺も一番安いものでいい」


 食料に乏しいこの時代に、東条の肥えた舌を満たす食事が出てくるはずもないが、彼は戻ろうと思えばいつでも現代に戻ることができるため。腹さえ膨れれば何でもいいと思っていた。


「一番安い食事だと、ライ麦パンとスープになりますが、よろしいですか?」

「それでいい」

「わかりました。すぐ持ってきます」


 少女がカウンターへとテコテコ走っていく。その後ろ姿は子犬のようである。それから数分後、少女が皿に料理を載せて、おぼろげな足取りで運んできた。


「どうぞ。ライ麦パンとスープです」

「ありがとう」


 店員の少女は料理をテーブルの上に置いた後も、東条たちのテーブルから離れようとしない。カウンターへ戻るかと思っていただけに不思議だった。


「戻らなくて怒られないのか?」

「大丈夫です。他にお客さんもいませんから」

「なら良いのだが……」


 東条はライ麦パンを口に運ぶ。現代で普段口にしていた小麦パンとは違い、色が黒くて少し硬い。噛み切るのが大変だった。


「ライ麦パンを食べるのなんていつ以来だろう」

「東条さんはパンを食べないのですか?」

「いいや。食べるぞ。普段食べるパンが小麦なだけだ」


 東条の話に耳を傾けていた少女が手に持つトレイを地面に落とす。少女は口をポカンと開けて、静止していた。


「どうしたんだ?」

「す、すいません。お話にびっくりしちゃって」

「小麦の話か?」

「はい。小麦のパンなんて貴族様の食べ物ですよ。それが日々の食事だったなんて、もしかしてお客さんは貴族様なんですか?」


 東条は首を横に振る。貴族でもないのに、小麦のパンを普段から食べていることが信じられないらしく、驚愕の表情は浮かび続けたままだ。ちなみにこの時代のフランスで小麦パンを食べようと思うと、ソル銅貨が数枚必要になる。


「東条さんの故郷では小麦のパンが主流なんですよね。しかもただでさえ美味しいパンを色々と加工しているとか……」


 ジャンヌは旅の途中で聞いたことを思い出しながら口にする。東条は心当たりがあったのか、「あ~」と納得の声をあげる。


「そういやホットドックが好物だと話したな」

「小麦のパンの間に肉の腸詰めを挟んだ料理。そんな料理を東条さんの故郷では誰もが気軽に口にできるのですよね」

「まるで天国ではないですか!」


 少女は口元から涎を垂らしていた。この時代のフランスの一般的な食事は、ライ麦パンとじゃがいもとブドウ酒だけだった。ジャンヌの家のように村の有力者であれば別だが、普通の平民では肉を食べるのが一年に一度か二度あるかどうかであった。


「それほどまでに素晴らしい国に住んでいたのなら、フランスの料理は口に合わないのではないですか?」

「美味くはないな。だが腹を膨らませるだけなら十分だ」


 東条はスープを口に含む。具は何も入っておらず、牛乳を熱湯で薄めたような味だけが口いっぱいに広がった。


「すまんが、あんたに聞きたいことがあるんだが?」

「なんですか?」

「この町で武器を欲しがっている人はいないか?」


 東条が自分は武器商人だと説明すると、少女は悩まし気な表情を浮かべて何かを考え込む。すかさず、ドゥニエ銅貨を一枚手渡すと、少女は表情をパッと明るいモノへと変えた。


「可能性の話であれば領主様くらいですかね」

「失礼な話だが、バスクの町はあんまり裕福じゃないよな。にも拘わらず領主は金持ちなのか?」

「はい。というより領主様のせいで貧乏と言うか何と言うか……」


 店員の少女は言い淀みながら、眼を泳がせる。秘密だけど話したい、そんな態度だった。


「私が言ったことは内緒ですよ」

「わかった」

「この町は農作物が少ししか取れないのですが、オルレアンに行くための交通の要所なので、旅人がお金を落としてくれていたんです。だから今ほど貧乏ではなかったんですよ。けれど新しい領主様に変わってからは違いました。領主様はこの町で売る商品に税金を掛けたんです」

「消費税か……」

「税金のせいで品物の価格が高騰し、バスクの町に止まるより、少し進んだ先にあるペナリタの町に行くほうが良いと旅人たちの間で噂になりました。それから訪れる人は減りました。そして領主様だけが税金で私腹を肥やし、私たちはパンを買いたくても高すぎて手が出せなくなりました。だからこの町の人たちは三日に一度しか食事をしないんです」

「ちょっと待て。今不吉な単語が聞こえたんだが……」

「私、何か言いましたか?」

「パンが高いと聞こえたんだが、俺たちが今食べているこの食事の値段は……」

「合計で一ソル銅貨になります」


 現代の価値で換算すると、パン二つにスープ二つで三千円である。東条は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。


「……安いやつを頼んでおいて正解だったな」


 ちなみにだがこの時代の一般的な農家の平均年収が二十フラン、つまりは年収百二十万円だ。一ヶ月十万円しか使えないにも関わらず、一日二食でも三千円必要になるのだ。他にも金は必要だろうし、少し計算しただけでも如何に生活が苦しいかが推察できた。


「けれどこのお金のほとんどは領主様の元へ行くので、この店の手元に残るのはちょっとだけなんです」

「酷い話だ。俺たちのサイフにも、この町の住人たちの生活にもな」

「まったくです。私もお客さんの国のようにお腹一杯御飯が食べられるところに生まれたかったです」


 ライ麦パンとスープがこの値段なら、お腹一杯食べるのは一般的な平民なら難しいだろう。東条はライ麦パンを口に含んで咀嚼する。一ソル銅貨のパンだと思うと、少し美味しくなったように感じた。


「おい! 大変だ!」


 酒場に一人の中年男性が飛び込んできた。例に漏れず痩せ細っており、惨めな格好をしている。額に玉の汗を浮かべ、息を乱しており、走ってここまで来たことが見て取れた。


「どうかしたんですか?」


 店員の少女が不安げに訪ねる。


「盗賊がこの町を襲いに来たんだ。そしたら領主様が広場に集まれと、ご命令だ」

「えっ、けれどこの町には奪うようなお金なんてないのに……」

「詳しい説明は広場でするそうだ。旅人さんは逃げた方が良い」


 大変ありがたい忠告だが、盗賊という言葉に東条は心当たりがあった。


「すまない。一つ聞きたいのだが、その盗賊は何人だ?」


 ドンレミ村を襲った盗賊なのではないかと思い、確認のために訊ねる。もしそうなら馬と金が無くなり帳尻合わせのためにこの町の金品を奪いに来たことになる。つまりは彼が撒いた種が、バスクの町で花開いたことになってしまう。


「九人だ。しかも全員甲冑を着て、武装している。騎兵がいないことが不幸中の幸いだがこの町の防備ではとても……」


 ドンレミ村で東条が殺した盗賊を除くと、生き残った盗賊の数は同じく九人である。彼は自分が逃した盗賊たちであると確信する。同時に、頭の中にシナリオが思い浮かぶ。


 これはビジネスチャンスだと、東条は口元に弧月を描く。悪巧みを考えている武器商人の顔になっていた。

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