第4話 突然変異した肉体
朝食を食べ終えた東条は、講義を受けるために大学へ向かう。筋肉がついたおかげなのか、心なし歩く速度が速くなっており、到着した時刻はいつもよりも五分以上早かった。
「早く着きすぎたな」
東条は講義開始ギリギリを狙って、教室へ入ることを心掛けていた。なるべく無駄な時間を少なくしたい彼にとって、五分といえど、早く着いてしまったことは予想外の結果だった。だからと言って、教室に入らないのも変な話である。明日からは五分出発時刻をずらそうと心に決めて、教室の扉を開ける。
普段なら教室に入ってきたのが東条だと知ると、生徒たちの興味はすぐに失せる。まるで幽霊のような存在感のなさで、自分の席にスッと座るのがいつもの彼だった。
だが今日はいつもと違った。東条に集まる興味の視線。中には困惑の声も混じっている。それも当然だろう。一日で腕が丸太のように膨れ上がったのだ。興味を持つなという方が無理な話である。
「おはよう、東条くん」
「おはよう、可憐」
明るい笑顔で話しかけてきたのは幼馴染の可憐だった。彼女とは住んでいる家が近所ということもあり、付き合いの長さは随分と長い。また大学での唯一の友人で、彼がこの大学で唯一人心を許している存在だった。
だが可憐の方は東条以外にも友人は数多くいた。それも当然と云えば当然だ。腰まである長い黒髪と、白磁のような白い肌。加えて人当たりの良い性格に整った容姿と、大学主席合格の学力まで持ち合わせているのだ。なぜ東大にいかず、自分と同じ大学にいるのかが不思議なくらいだった。
「東条くん、その腕、どうしたの?」
「ああ、実は――」
フランスにタイムスリップしたと話せば頭のオカシイ人間だと思われかねないので、昨晩筋トレをしていたら、勝手にこうなっていたと話す。
「筋トレ! いったい何をしたらそうなるの!」
「それはそれは辛いトレーニングだった」
東条は思いつく限りの辛いトレーニングを挙げていく。腕立て百回、腹筋百回、さらにはスクワット三十回に、ランニング五キロを実行したのだと話す。
「普通のトレーニングだね。しかもランニングでは筋肉付かないし」
「もしかすると筋肉の付きやすい体質なのかもな」
「そういうものなのかな」
可憐も東条本人がそう申告している以上、信じるしかないと、歯切れの悪い口調で納得の言葉を続けた。
「可憐ちゃーん、またこんな根暗と話しているの?」
教室の扉を開けて、一人の男が入ってくる。男は工藤と云い、茶髪にピアスと柄の悪い恰好だが、整った顔と、軽快なトークで大学の女子生徒から人気の高い男だった。その分、男子生徒からは酷く嫌われているのだが、本人はまったく気にしていない。
「もう、東条くんに失礼だよ」
「いいんだよ、こんな根暗。見ろよ、運動もしてねぇから、腕もこんなに細――」
工藤は東条の腕を見て、ゴクリと息を呑む。驚きで二の句が継げなくなっていた。
「俺の腕がなんだって?」
「しょ、所詮見せかけだけの筋肉だろ」
「そうでもないさ。証明してみせようか」
「やれるものならやってみろよ」
工藤の挑発に乗る形で、東条は講義机の端を指二本で摘まむと、重さなど感じさせない気軽さで宙に持ち上げた。
「これで証明できただろ」
東条がそう口にすると、様子を見ていた生徒たちが「凄えっ!」と称賛の声をあげ、さらには拍手までが教室内に鳴り響いた。
「つ、机を持ち上げるくらい、たいしたことねぇよ」
「ならやってみろよ」
「は?」
「簡単なんだろ。今度はお前がやってみろよ」
東条がそう云うと、工藤は同じように机の端を摘まんで上げようとするが、彼の力ではびくともしなかった。
「きょ、今日は調子が悪かっただけだ」
「なら明日試してみろよ。明日も調子が悪ければ明後日でもいいぞ」
「ぐっ」
工藤は悔しそうな表情を浮かべながら、唇を噛みしめる。そしてそのまま黙って教室から出ていった。
「悪いことしたかな?」
「最初に失礼なことをしたのは工藤くんだし、仕方ないんじゃないかな」
「それもそうだな」
その後、授業は穏やかに進められた。工藤が教室に戻ってくることはなかった。
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