第4話 齧った
自分の病室に戻って、沢山の用意をした。
着替え、貴重品、病室の使い方。
用意をしている間、エマちゃんは、僕の持ってきた小さめのカメラを見つけた。それがたいそう気に入ったようで、色々と触っては覗いていた。
使い方や撮り方など色々聞かれては、僕も嬉しくなって、テンション高く、エマちゃんに操作を教えた。
しかし、その間もエマちゃんの視線は痛いほど僕を刺した。
「な、なにか?」
「…それ、治らんの?」
「それって?」
「指、齧ってる」
指…齧ってる!?!?
左手の親指を見ると唾液だらけ。爪の端が欠けている。
しかもちょっとふやけていて白っぽい。
これもまた無意識だ。というか、食べてないからだろうか。おしゃぶりと一緒じゃないか。
とたんに「恥」が心を襲う。
「……ごめん」
「いや、謝ることやないよ。飢えは人に備わってるもんや。気にすることやないし」
「でも、こんな、まるで、子どもみたいで」
「何言うてんの。まだ学生や。子どもと変わらん。指齧っても、甘えてもいい歳なんよ。普通や普通」
頑なに今してしまう行動すべて肯定して、これがあるべき姿だと言う彼女。
僕のこの姿が普通だと言うのならば、他の人はどうだろう。彼女は?普通なのだろうか?
というかそもそも、普通とは?人とは何を持ってしてあるべき姿だと思うのだろうか。
「普通って言うたけど、細かいことはええねん。人にとって悪いことじゃないなら、迷惑をかけないなら、それが普通やと思っとき。誰だって、あるべき姿や。治らんの、とか無神経なこと聞いたわ。痛くないんか気になっただけやねん。ほんまごめんな」
あぁ、気を遣わせた。かもしれない。
彼女は優しすぎる。僕は、どうしようもない。
お腹はすいてないのに、何かを急速に欲している。指まで齧って。
これはなんなんだろう。
荷物をあるべき場所に収めても、自分の中にあるわからないモノはおさまってくれない。
ずっと出しっぱなし。
これは入院生活で少しは良くなるのだろうか。
一体どこからこうなったんだろう。
ぐるぐる回る頭の中、心の奥。
「なぁなぁ。」
ピタリと止めたのはエマちゃんの声だった。
「真夏は少ししかここに居らんのやろ?沢山話そう。そしたら、気も紛れるやん。ええやろ?」
にこやかに笑って、小さな体を左右にゆらゆらと揺らしてベッドに座り込んでいるエマちゃんは、細い小指をさしだしていた。
「大丈夫。真夏の言ったことはうちしか知らん。もちろん、うちの言ったことは真夏しか知らん。約束や」
まっすぐな茶色がかった目は凛々しかった。
僕はその小指に、そっと。
自分の小指を重ね合わせた。
僕とエマちゃんの短い約束だった。
夏が訪れる病室に、生ぬるい風が吹いて、2人の肌を撫でて、骨まで焼いてしまいそうだった。
途端、カシャリと音がした。
エマちゃんが初めて撮った写真。
僕とエマちゃんの重ねられた小指だった。
食べちゃう男子、食えない女子 雨思考 @aoiringototefu
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